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Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の裸祭り
2018年10月19日改訂

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♪太鼓メドレー(大太鼓・・相撲一番太鼓・北海太鼓・諏訪雷太鼓・助六太鼓)

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國見山と玉の戸の取組之圖 一雄齋國輝(歌川國輝) 画

國見山と玉の戸の取組之圖 一雄齋國輝(歌川國輝) 画

2003年5月10日制作
 

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劇場訓蒙図彙の挿絵

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ふんどし談議 2/2

←播州秋祭ふんどし談義→

 ←・・・・・・・・・・・・ 褌 の 話 題 ・・・・・・・・・・・・→

               
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■■■ 051 

江戸っ子褌えどっこふんどし

の担ぎ手たち ■■■
▼ 弥生会の石川辰夫幹事長によると、鐵砲洲大祭の衣装は半纏と半股引(ハンダコ)が原則だが、褌も認めているという。奉祝大祭でも睦会を中心に色柄物をキリリと締めたこだわりの褌派を多数撮影することができた。
 
 
江戸っ子褌の担ぎ手たち 09:11 江戸っ子褌の担ぎ手たち 09:31

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▲▼ ハンダコは江戸や明治の時代には存在しないので、祭り衣装が変質していることは間違いない。筆者としては粋で鯔背(いなせ)な江戸っ子の夏祭りであってみれば、博多っ子の博多山笠(はかたやまかさ)のように、江戸っ子は全員、褌を締めて参加して欲しいと思っているが、このご時世で難しいのであれば、せめて睦会だけでも褌にして欲しいと思う。
  神輿舁江戸っ子褌夏祭  北舟 

みこしかき えどっこふんどし なつまつり

Summer festival, downtown Tokyoites of loincloth carrying a portable shrine.

 
 
江戸っ子褌の担ぎ手たち 10:53 江戸っ子褌の担ぎ手たち 10:58

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▲▼ 博多山笠と違って、こだわりの江戸っ子褌は、全て色柄ものの前袋式六尺褌で、前垂れ式は見られない。激しい運動でも乱れない定番の締め方である。筆者は、平成20年(2008)の「江戸っ子!鐵砲洲大祭」でこのスタイルの祭り褌を「江戸っ子褌」と命名した。
 
 
江戸っ子褌の担ぎ手たち 13:24 江戸っ子褌の担ぎ手たち 13:27

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江戸っ子褌の担ぎ手たち 14:21 江戸っ子褌の担ぎ手たち 15:18

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▲▼ 博多山笠では写真下のように丈の短い水法被の裾を前で結んで、褌が見えるようにしているが、関東の神輿祭では、半纏が長いため褌を締めていても外から見えないのが欠点である。そのため半纏の裾をたくし上げて帯で止めて褌が見えるようにしている人が増えてきている。
 ハンダコや股引が見えず半纏の下に直接足が出ている人は褌を締めている人だが見てのとおり中途半端で、格好良いとは思えない。
 
 
大黒流の疾走!/追い山馴らし(博多山笠) 2004.7.12

大黒流の疾走!/追い山馴らし(博多山笠) 2004.7.12

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▲▼ 写真下は江戸時代の祭りを描いた瓦版だが、江戸っ子たちは、褌一丁だったり尻端折りをして褌が見えるようにしている。
 江戸時代の江戸っ子たちは褌が高くて手軽に買えないため褌を締めていない人もいた。そのため、褌を締めている人は、尻端折りをして褌を見せて歩く人もいたといわれ、色柄ものの褌は、江戸っ子の粋を示すシンボルでもあった。
 小舟町天王祭の瓦版には、「祭礼六月十日小舟町一丁目の御旅所へ神幸なり十三日帰輿(きよ)なり」「行列は大傅馬町と同じ」などの説明書きがある。神輿に群がる担ぎ手たちは、彫物・赤褌姿が多く見られる。この絵からも、江戸時代の江戸っ子たちは、六尺褌を前垂れ式に締めていたことが分かる。前垂れ式の欠点は、褌が緩みやすいことで、下の絵は、ユルフンの状態まで活写している。
 
 

小舟町天王祭の氏子たち/江戸時代の瓦版

小舟町天王祭の氏子たち/江戸時代の瓦版

 
 
毎年正月上旬に神奈川県藤沢市片瀬海岸東浜で開催される江ノ島寒中神輿錬成会では色柄物の前袋式六尺褌を締め込んだ裸たちが参集し、裸神輿が海中渡御することで知られる。褌一丁のため、さながら江戸っ子褌のコンテストといった感がある。(ただし、ハンダコ姿も多数みられるので、雑然としている点は否めない) 筆者は10年間、裸祭りを取材してきたが、江戸っ子褌がみられるのは関東だけで、色柄物の裸褌を多数見られるのは、神輿錬成会だけである。
 江戸時代は、前垂れ式だった江戸っ子褌が現代は前袋式になっている。前垂れ式だと激しい神輿練りに乱れてしまう欠点があるため、跳んだり跳ねたりしても乱れることのない前袋式の水褌(すいこん)スタイルに変遷したものと思われる。ちなみに、佃島の古老が銭湯の帰りに褌一丁で路地を歩いている写真があるが、下着褌であっても前袋式に締めていた。これは、佃島の漁師たちが仕事着の水褌と下着を兼用していたためと思われる。
 
 
カラフルな江戸っ子褌が見られる江ノ島寒中神輿錬成会(神奈川県藤沢市片瀬海岸東浜)

カラフルな江戸っ子褌が見られる江ノ島寒中神輿錬成会(神奈川県藤沢市片瀬海岸東浜)

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エコでクールビズな褌

 最近、衛生的で快適な褌を下着に使う人が増えており、静かなブームとなっている。インターネットで検索すれば褌屋を始めとする専門店が増えており、色柄物を豊富に揃えた各種の褌が手ごろな価格で入手できる。ミシンの直進縫いさえできれば、自分の体格にあわせた褌を簡単に自作することもできる。また、ステテコの良さも見直されており、こちらも若者の好みにあわせて色柄物が登場している。
 高温多湿の梅雨や夏を乗り切るために先人が考え出した伝統の下着は、現代にマッチするエコでクールビズな下着としてお勧めしたい。特に、褌を締めれば、日本人のアイデンティティ(日本人らしさ)や日本の伝統文化の素晴らしさに気付くことだろう。〈 完 〉 2010.6.21 和田義男
 
■■■ 050 「見付天神裸祭」と「釣上古式子供相撲土俵入り」 ■■■
2009年10月25日(日)雨  WB  様より

HP拝見しています はじめまして。いつも,HPを拝見しています。写真の量もさることながら,お祭りの歴史的背景なども取材してあり,その情報量に感心しています。

裸祭りは,人間の素のままの姿が見られていいですね。年齢を重ねた人には,その年齢が身体に出ているようですし,子どもたちのふんどし姿には,凛々しさを感じます。最近の子どもたちは,トランクスをはく子が多いせいか,何となくだらしなく感じるものですが,日焼けした褐色の肌には白いふんどしがよく似合います。日本の伝統をなくさないでほしいものです。

でも,最近の小中学生の相撲大会では,まわしの下にスパッツらしきものを着用しています。こちらの地方でも相撲大会が盛んに行われているのですが,その様子を新聞の写真で見ると,あれは明らかに異様な光景です。裸になる恥ずかしさを解消して,相撲人口を減らさない努力はわかるのですが,それで本当にいいものかどうか・・・・。

「釣上古式子供相撲土俵入り」の速報を拝見しましたが,裸になることに抵抗を感じる子がひとりもいないということで,感心します。全国の裸祭りを精力的に取材されていることに敬意を表します。今後とも,色々なお祭りをHP上で楽しませてください。
おはようございます。お便り有り難うございました。「見付天神裸祭」と「釣上古式子供相撲土俵入り」のご感想をたまわり、光栄です。秋の裸祭りが2本続きましたが、日本人にはふんどしがよく似合います。裸祭りにパンツ姿が混じると、日本の伝統美が損なわれます。

相撲もパンツの上にまわし(相撲褌)を締めている光景を目にするようになりましたが、おっしゃるように異様な光景で、世界に相撲の普及を図るためとはいえ、伝統の正装を崩してまで推進する日本相撲連盟や国際相撲連盟の姿勢に疑問を感じています。その点、大相撲を催行している日本相撲協会は、丁髷を含め、完全に伝統装束を維持しており、子供たちを指導するにしてもパンツの上にまわしを締めることは認めていません。大相撲を見るとこれが国技だと嬉しく思ってしまいます。フランスのシラク前大統領は相撲好きで、愛犬にもスモウという名をつけています。

伝統を大切にするのは、イギリスやフランスなど、西洋の先進国でも同じ価値観があります。イギリス・スコットランドのスカートのような伝統衣・キルトは、その下に何も履かないのがしきたりです。チャールズ皇太子もキルトを着るときは何もつけていません。日本人も着物を着るときは下着はふんどしでないといけないのですが、見えないからといってパンツやブリーフをはいている人が多いのではないでしょうか。伝統を守る姿勢が大切であり、尊いことだと思います。

思わぬふんどし談義になりました。裸祭りのサイトはWa☆Daフォトギャラリーが日本一だと自負しています。これからも昔ながらに継承されている裸祭りを発掘し、世界に紹介したいと思っていますので、どうかご期待下さい。有り難うございました。

波に打たれる子供たち/見付天神裸祭(静岡県磐田市)

波に打たれる子供たち/水陣(西区)

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行司宿・磯野家の前庭/釣上古式子供相撲土俵入り(さいたま市)

行司宿・磯野家の前庭 12:20

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こんばんは。お忙しいのに,メールの返信をいただき,恐縮です。たくさんのアクセスのあるHPの管理者の方から返事をいただき,ありがたいことです。

> 日本人にはふんどしがよく似合います。裸祭りにパンツ姿が混じると、日本の伝統美が損なわれます。

その通りですね。いまでもふんどしで水泳をする学校があるということを聞いたことがありますが,そのような伝統は残してほしいものです。できることなら,そのような学校が増えればいいとは思うのですが,それは今の状況からは難しいでしょうね。ただ,大人でふんどしを着用している人が増えているのは,すごいことですね。(女性用のふんどしもあるらしいですが・・・・)

裸まつりにパンツはいただけません。行ったことはないのですが,大阪のどやどやは,中高生のまつりのようですが,みんなふんどしのようですね。あれって,同じ仲間が一緒にするから,かえって自分一人だけパンツにできないんでしょうかね。思春期の一番恥ずかしい年頃の子たちが,ふんどしだけの姿になるのは,ある種の潔さも感じます。そのことが各地の裸まつりの意義の一つなのでしょうか。
■■■ 049 裸押合祭 ■■■
2009年8月21日(金)晴   F. H.   様より

 「日本裸祭り」を拝見していると、全国には様々な特色のある祭りが多いのに改めて驚かされます。中でも奇祭と呼ばれる祭りも数多くあるようですね!

実は、私の住む新潟県南魚沼市浦佐にも日本三大奇祭の一つである「裸押合い祭り」があります。この祭りは平成16年2月に文化庁から「無形民俗文化財」の選択を受けました。そのことを機会に、調査委員会が組織され文化庁に提出する学術的な調査資料とは別に、市民向けにも“解りやすく見やすい”をコンセプトに私たち独自で祭りの記録集“雪と炎の奇祭”の作成に取り組んできたところ、このたびようやく完成の運びとなりました。

そして今回一方的ではありますが、記録集を送付させていただきますのでご住所をお教えいただけたら幸いです。宜しくお願い致します。是非祭りの歴史と内容をご覧になってください。

そこで突然の依頼ですが、和田様にも是非この祭りにも参加していただき写真を撮影していただければと思っております。この祭りには多くのカメラマンもおいでになりますが、和田様の視点での祭りの写真も大変楽しみの一つでもあります。スケジュールの都合もあるかと思いますが、是非ご検討いただけたらと思っております。

裸押合祭りは平成22年3月3日に行われます。  裸押合大祭記録編集委員  F. H.
お便り有り難うございました。浦佐の裸押合い祭りのことは存じ上げております。昨年の2月に栃堀裸押合大祭の取材を決意したとき、最初の候補が浦佐でした。そちらの方が大規模であることも良く分かっていましたが、とても残念なことに、伝統の装束が変質していて、褌がハンダコに変わっていることに愕然とし、伝統の裸褌姿を維持している栃堀の方を取り上げた次第です。

浦佐毘沙門天裸押合大祭

山中野営場  2009.8

写真:浦佐多聞青年団

栃堀裸押合大祭

玄関に現れた先頭集団

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浦佐の方は国の無形民俗文化財に指定されていますが、伝統衣装の変質があっても指定されるのは何故かという疑問があります。江戸・明治期の裸祭りといえば、褌姿(一部全裸)であり、ハンダコは存在しません。私の調査研究によれば、ハンダコは大正期に登場します。葛飾北斎の膨大な百科事典的デッサン集「北斎漫画」を全てチェックしましたが、六尺褌や越中褌、畚褌は出て来ますが、ハンダコはありません。江戸・明治期に隆盛を見た浮世絵や錦絵を見てもハンダコ姿は存在しません。男性の下着は全て褌だったからです。貧乏人は貴重な布を使用する褌が買えず、褌すらしていませんので、着物の尻端折りは、(貧乏人と違って)褌をしていることを見せる意味もありました。

私の裸祭りの作品は、褌姿が大半なのは日本人男性の伝統文化を大切に記録したいという思いがあるからです。(唯一大原はだか祭りは股引姿ですが・・・。)世界を旅して思うことは、褌は日本人男性のアイデンティティの一つだということです。

記録集をお送り頂けるとのことですので、ご厚意に甘んじたいと思います。資料を見させていただいた上で、取材の意欲が湧くようでしたら来春伺いたいと思います。

送付先:略

以上、宜しくお願いします。有り難うございました。
 

早速の返信有難うございました。和田様の裸祭りの被写体が褌姿である理由をようやく理解できました。自分の所の祭りが素晴らしい奇祭であるとの想いだけで突然のメールを差し上げましたが、裸祭りの伝統装束が褌姿であることの指摘を受け、なるほどと思い少し勇み足のようでした。

浦佐の裸押合い祭りも当初は“褌すがた”であったのでしょうが、何かの理由でいつの間にか今の姿に変化してしまったのだと思います。伝統の褌のまま祭りが守られているところもあれば、浦佐のように変わってしまったところもあるようです。

いつどんな理由で形を変えてきたのか調べてみる必要があるようです。ハンダコ姿の裸押合いを小さい頃から何の不思議もなく見てきた者にとって、一つの気づきを頂いたことにお礼申しあげます。

記録集はお送りさせていただきます。有難うございました。
 
今晩は。今朝、「雪と炎の奇祭」が届きました。貴重な資料をお送り頂き、有り難うございました。早速、拝読させて頂きましたが、長い歴史の記録を集大成するのは、大変なご苦労だったことと拝察いたしております。

明治時代の写真などもあり、私が予想していたとおり、当時は全員六尺褌ですね。下着が褌オンリーですから当然のことですが・・・。宮尾しげをさんの漫画は全員六尺褌をしています(176頁)。明治期の作品だと思われます。

大正13年の北越新報の写真(175頁)は、褌とハンダコが混じっています。大正時代から変質が始まったことが分かります。大正期にハンダコが発明されたことと符合します。昭和13年もまだ褌が混じっています(182頁)。戦後になると、褌姿は見あたりません。以後、完全にハンダコに移ったようです。

浦佐は、戦後からハンダコでやってこられたようで、ハンダコの歴史が60年以上もあり、一つのハンダコ文化として定着されたのでしょうね。

私は日本男児は褌が最もよく似合い、とても格好いいと思います。ハンダコは裸といっても上半身裸に過ぎなくなり、勇壮さや精悍さが無くなりました。浦佐の場合、今更褌に戻すということはあり得ないと思われますので、大変残念だと思っておりますが、万一、褌が復活したときには、取材に伺いたいと思います。

今後のご発展を祈念しております。有り難うございました。 8/23
 
拝読いただき有難うございます。

押合い大祭につきましては、戦時中には若い人たちを含め多くの男衆が戦地に赴き一時中断した経緯があります。しかし戦後になり落ち着いてくると、伝統の祭りを復活しようという気運が盛り上がり、形を若干変えながらも新たに「多聞青年団」という組織がつくられ、堂内での押しやローソク係・餅まき・警護・等押合い祭りの行事進行を一手に担うようになりました。

お寺側は参拝者へのお護摩や各講中の受付等を行っていました。お寺は宗教行事を、青年団は祭りの行事をと、お互いが連携をとるなかで祭りの運営を行ってきました。

そして最初に青年団を組織する時に団則というものが制定され、その時に代々後輩に受け継がれていく“法被”が決まりました。それと合わせて、団員の装束が褌とハンダコの混合からハンダコ一本に絞られたのではないかと推察するものです。

今回ご指摘を受けなるほどと思いました。HPは都度拝見させていただきます。有難うございました。
 
便り有り難うございました。戦後、青年団が祭りを担うようになり、そのときに団則が制定され、祭り装束がハンダコに統一されたと推測されるとのこと、まさに各時代の写真が裏付けていますので、間違いないことと思われます。

褌は軍の衣と書きます。第二次世界大戦では、軍人の下着が越中褌に統一され、官給されていましたから、敗戦によって、褌のイメージが悪化したのは否めません。現在は清潔で健康的な下着として見直されており、静かなブームになっていますが、当時の世相は明治の文明開化のときと同様、古いものはダサイということで、新しい衣装に決まったのでしょうね。多分褌にこだわる伝統派と新しいハンダコを支持する革新派とに分かれて侃々諤々の議論が重ねられたことでしょう。

江戸三大祭の一つに富岡八幡宮の深川祭がありますが、ここは、神田祭や三社祭と違ってハンダコが採用され、褌禁止となっています。大正時代に生まれた長老が子供時代はハンダコで育ったため、ハンダコが正規だといって譲らないんだそうです。その方が死なない限り褌を締められないと嘆く氏子の方がいます。もっとも、睦会の連中は褌を締めているものも見かけます。

とんだふんどし談義になってしまいましたが、私のこだわりの一端を披露させていただきました。有り難うございました。 8/24
 
突然メールを差し上げたばかりで、“褌”一つでこれだけの意見交換ができるとは思いもよりませんでした。褌は軍の衣ですか!そして敗戦によるイメージの悪化・・・なるほど、そうですね!“装束は歴史を物語る”・・・面白いものだと思います。時代を経る中で変化していく事を否定するものではありませんが、残しておくべきものは残しておきたいと私は思います。

話が尽きない“ふんどし談義”もこれくらいにして、今後ともいろいろ教えて頂ければと思っております。有難うございました。

朝晩すっかり肌寒さを感じるほど秋めいてきた“毘沙門の里”の住人  F. H.   8/24
 
■■■ 048   ふんどし

相撲褌 まわし

  ■■■
 相撲は、かつて日本人男性の下着だった褌(ふんどし)が進化した相撲褌(すもうふんどし)を唯一身につけておこなう裸の格技であり、世界的にもユニークな存在である。相撲褌を「まわし」と呼ぶようになったのは、褌を幾重にも回して身につけることからそう呼ばれるようになったもの。相撲に褌が用いられるのは、自然発生的なもので、倒れると着物が汚れるため、下着だけで行うようになったからで、とても単純で素朴な遊びから端を発している。
 江戸初期の勧進相撲では、本場所でも白麻*(はくま)の褌をそのまま使っていたが、やがて絹の緞子(どんす)や繻子(しゅす)が使用されるようになり、華美な衣装へと進化していった。
*白麻:アオイ科の一年草イチビの茎の繊維で作成した粗布
  春風や相撲褌に託す相撲道  北舟 

はるかぜや まわしにたくす すもうどう

Spring wind, the code of the sumo wrestling on the loincloth.

國見山と玉の戸の取組之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

國見山と玉の戸の取組之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

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 当時は、関取が本場所で相撲を取るときに着用するまわし(取りまわし)は、現代のものとは違って、まわしの端(前垂れ)を短いエプロンのように垂らしていたという。それが徐々に華美なものへと発展し、やがて、土俵入という儀式を行ってその絵模様を披露するようになった。
 当時は取りまわしと土俵入のまわしは同じものだったが、取組中に華美な前垂れが邪魔になってきたため、現在のように、取りまわしとは別に土俵入のための化粧まわしをあつらえるようになったという。化粧まわしは、締め込み部分と巨大なエプロン状の前垂れとは一体で、一本の褌であることには変わりがない。
陣幕久五郎の横綱土俵入之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

陣幕久五郎の横綱土俵入之図 歌川国輝 画 / 相撲浮世絵

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 化粧まわしの値段は、安いものでも80万円ほどかかるそうで、高いものは天井知らずという。明治の大横綱・常陸山(ひたちやま)の化粧まわしは、5カラットのダイヤモンドがはめ込まれた超豪華なもので、現在の価格だと数億円するというから驚く。
 下着の褌がまわし(相撲褌)となり、カラフルな取りまわしや化粧まわしに進化したお陰で、厳しい勝負の世界が華やかになり、美的感覚溢れる伝統文化となって今日に伝承されている。相撲褌の美しさが海外からも高く評価され、相撲人気を支える一端を担っている。
大相撲興行繁盛之図(明治初期) / 相撲浮世絵

大相撲興行繁盛之図(明治初期) / 相撲浮世絵

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■■■ 047 奇祭「国府宮はだか祭」の感動! ■■■

 このたびは、H. I. さんのお陰で、平成21年(2009)2月7日に開催された天下の奇祭として知られる「国府宮はだか祭」の要(かなめ)となる神男(しんおとこ)と神守(かみまもり)として神男をガードする鉄鉾会(てっしょうかい)の活躍を密着取材し、その感動シーンを全国に紹介することができた。 国府宮はだか祭'09

日没の参道/神男を待つはだかたち 2006.2.10

日没の参道/神男を待つはだかたち

 

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  褌に綱つけ守る儺追祭  北舟 

ふんどしに つなつけまもる なおいさい

Exorcism ritual, a guard connecting a rope to his loincloth.
ふんどし に命綱をつける

神守かみまもり

たち 2009.2.7 16:25

褌に命綱をつける神守たち

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 「国府宮はだか祭」は正しくは儺追神事(なおいしんじ)といい、毎年旧正月の13日に斎行される。褌一丁の裸形で儺追笹(なおいざさ)を奉納した裸男(はだかおとこ)たちが厄を落とすべく全裸の神男(しんおとこ)に触れようと揉み合う勇壮な祭りで、天下の奇祭と呼ばれ、江戸時代の末頃から始まったという。平成21年(2009)は9,500余人の裸男と約16万人の観衆が国府宮に押し寄せ、大規模な裸のページェントが繰り広げられた。

第52回写真コンテスト 推薦 永田泰行 「もうひといき」

第52回写真コンテスト 推薦 永田泰行 「もうひといき」

写真提供:國府宮社務所
 岩手県奥州市・黒石寺の蘇民祭では、親方の全裸に岩手県警からクレームが付き、マスコミから注目を浴びた。国府宮でも江戸時代から儺追神事に全裸の神男が登場することは周知の事実であるが、愛知県警がクレームをつけたことはない。

第46回写真コンテスト 特選 真野宏平 「クライマックス」

第46回写真コンテスト 特選 真野宏平 「クライマックス」

写真提供:國府宮社務所
 愛知県警稲沢警察署は、この日、県・管区機動隊など他部署の応援を得て550人体制で儺追神事の雑踏警備を行った。平成15年(2003)のはだか祭で、楼門付近で転倒したはだか男が圧死するという痛ましい事故が発生したことが教訓となっている。そのお陰で、今年のはだか祭が無事に終わったことを感謝したい。
無事に救出された

神男しんおとこ

 17:44

無事に救出された神男

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 午後5時44分、力水を被ってずぶ濡れになった神男が儺追殿に姿を現した。三回のトライでやっと収容することができたという。神男と彼を抱きかかえて救出した神守の緊迫した表情から、如何に困難な作業であったかが想像される。
長老に 越中褌えっちゅうふんどし を締めてもらう

神男しんおとこ

 17:45

褌を締めて貰う神男

 自力ではもはや歩くことが出来ないほど疲労困憊(ひろうこんぱい)している神男は、二人の長老に両脇を抱きかかえられ、介抱されながら儺追殿の中に入り、盥(たらい)で泥足を洗って身を清めた後、越中褌を締めて貰った。
府宮の

厄除浄布やくよけじょうふ

(はだか男の厄除鉢巻)

國府宮の厄除浄布(はだか男の厄除鉢巻)

 神男の越中褌は、白地に赤い線と国府宮の神紋が入った厄除浄府(やくよけ・じょうふ)を使ったものだった。厄除浄府は、はだか男たちが鉢巻として使うもので、心身を清め、自身の災厄を落とすための護符である。参拝人が厄除けのお守りとして持ち帰ることも多いという。
心配する「はだか男」たちに挨拶する神男

心配する「はだか男」たちに挨拶する神男

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 神男は、長老の肩を借りて救出口に行き、心配して様子を伺っていたはだか男たちに元気な姿を見せ、挨拶した後、寝室に向かい、疲れた身体を横たえた。
  神守の助けで還る儺負人  北舟 

かみもりの たすけでかえる なおいにん

The exorcist has returned by the help of god guards.
挨拶を終えて寝室に向かう

神男しんおとこ

 17:47

挨拶を終えて寝室に向かう神男

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 「国府宮はだか祭」は、江戸時代から続く伝統の神事であり、4トンもある大鏡餅の奉納や褌一丁の男たちが一日に1万人も参加するだけでも驚きであるが、命がけで行う神男と神守たちによる儺追神事が如何に困難で尊く、多くの人々にロマンと感動と勇気を与えてくれる素晴らしいものであるかを知り、日本の誇る裸祭りの奥深さに改めて頭が下がる思いである。
 密着取材を快諾して頂いた鉄鉾会はじめ国府宮の多くの方々に改めてお礼申し上げると共に、この作品が日本の裸褌文化の理解に役立てば、幸甚である。 2009.3.5

■■■ 046 登別湯かけ合戦 ■■■

 このたびは、H. I. さんのお陰で、北海道の有名な登別温泉で勇壮な湯かけ祭りがあることを知った。温泉の湯かけ祭りといえば、毎年1月20日の大寒に群馬県の川原湯温泉で開催される湯かけ祭りが有名で、400年の歴史の重みがある。しかし、参加者は60人ほどで、色柄物の越中褌に六尺褌が混じって、お祭り騒ぎという感じである。
  湯煙に褌も霞む春祭  北舟 

ゆけむりに ふどしもかすむ はるまつり

A spring festival, Fundoshi loincloths getting dim with steam.

湯煙に霞む裸たち

湯煙に霞む裸たち

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 それに比べると、登別温泉の湯かけ祭りである「源泉湯かけ合戦」は、白の前垂れ式六尺褌という統一した衣装で行われており、地域の安寧と繁栄を願う神事として美しい。
 日本の農村部に古くからある道祖神信仰による神輿も登場し、とてもよくできた裸祭りである。立春とはいえ、厳寒の北海道で80人もの裸の参加者があることは、登別温泉に働く人々の意気込みを感じ、素晴らしい祭りだと思った。100年に1度という世界同時不況の中で、厳しい環境にある温泉街だが、褌を締め直して災厄を吹き飛ばし、元気を出して今年一年を乗り切って頂きたい。 2009.2.17
  立春の湯かけ祭や魔羅神輿  北舟 

りっしゅんの ゆかけまつりや まらみこし

Sprinkling hot water festival in the beginning of spring, the portable shrine of a big penis.

雄叫び!

雄叫び!

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■■■ 045 女性の「ふんどし」 ■■■

平成21年(2009)2月13日付け朝日新聞朝刊14面(生活)に「ふんどし」と題する田熊順子さん(奈良市)の随筆が掲載された。

ふんどし

 勝負する時が来た。どうしても成功させたい商談がある。会社の後ろ盾もなく、頼れるのは自分だけ。自分を信じて商談するしかない。気を引き締めるために、何かにすがりたい、と思った。

 そこで思いついたのが、ふんどしだ。最近流行しているという記事も読んだことがある。女性下着メーカーが大阪の直営店で扱っていた。「ふんどしありますか?」尋ねるのも恥ずかしかった。「はい。昨日4色そろいました。プレゼントですか」「はい」そう答えてしまい、一番売れている色を購入した。

 休日に、練習でつけてみた。下着をはくのにこんなに緊張するのは初めて。そんな緊張をほぐすかのように、柔らかい素材が私の肌を優しく包む。赤ちゃんの布おむつはこんな感じかと思った。

 説明書を見ながら無事つけ終える。思ったほど、締め付け感がなく、不便さもない。それどころか、妙に開放感が腰回りに漂う。自分は何て締め付けの強い下着をつけていたのか。自分は自由だと叫びたくなった。

 ふんどしをつけて気を引き締めるどころか、解放感でいっぱい。気分はダレダレである。ふんどしは休日用として、商談には違うもので気合を入れることにしよう。(全文)
 この小文は、初めて女性が越中褌を着用したときの新鮮な驚きを綴ったもので、とても良く書けている。彼女は気を引き締めて仕事にかかるために、「褌を締めてかかる」という言葉を思い出し、女性用下着メーカーで色物の「ふんどし」を買った。
 彼女が「ふんどし」と呼んで手にしたものは越中褌で、気合を入れるときに締める六尺褌ではなかった。ふんどしにも種類があることを知らない彼女は、ふんどしはとても解放感があるものだと知り、用途を変更して休日に使うことにしたのである。

 静かなふんどしブームが続いていることは知っていたが、女性用下着メーカーが女性用のふんどしを販売しているとは知らなかった。女性も抵抗なしにふんどしを着用する時代が来れば良いと思う。

 「思ったほど、締め付け感がなく、不便さもない。それどころか、妙に開放感が腰回りに漂う。」とはその通りで、着用して初めてその良さが分かる。筆者も大学時代、汗かきで股間に皮膚病を患ったとき、医師に勧められて着用するようになって以来、その快適さから今日まで愛用して40年になるが、今では手放せないものとなっている。

 老若男女を問わず、万人にお勧めしたいが、特に、冷却しなければならないものを持ち合わせている男性には、医学的にも生理的にも理にかなう越中褌が最適である。高温多湿の日本に住むには、これほど優れた健康肌着はない。先人の知恵と経験に感謝したいと思う。

■■■ 044 2009年黒石寺蘇民祭のポスター ■■■

 去年、大勢のマスコミが押し寄せた蘇民祭は、平成21年(2009)は2月1日(日)夜から翌朝にかけ徹夜で開催されたが、そのポスターが話題になった。去年の褌・ひげ面の男の写真が一転して雪の黒石寺本堂の写真となり、褌姿は全く登場しないものになったからである。
 これまでの蘇民祭のポスターは、祭り当日、青年部が経営する蘇民食堂に張り出されているので、全て閲覧できるようになっている。
和田義男

2009年黒石寺蘇民祭のポスターの報道

2009年黒石寺蘇民祭のポスターの報道

記事:日本経済新聞

歴代ポスターを展示した食堂

歴代ポスターを展示した食堂

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   それを見る限りは、必ずしも褌一丁の男たちが登場するとは限られていないが、どの絵柄も神秘的な祭祀をアピールするインパクトのあるものばかりだったので、今年は余りにも控えめな絵柄になっている。マスコミが騒ごうが、泰然自若として勇壮な男の裸祭りをアピールして欲しかったと思う。
 とはいえ、混乱を避ける意味で、おとなしい図柄にした気持ちも理解出来る。ポスターがどうであれ、本番の祭りさえ伝統文化を変質させることなく粛々と催行できればそれで良いと思う。
山本さんが載ったポスター
長谷川さんが載ったポスター

        ↓山本さん

         ↓長谷川さん
山本さんが載ったポスター 長谷川さんが載ったポスター

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親方の工夫

 今年、蘇民袋に切れ目を入れる全裸の親方の登場は、格子から飛び降りる従来の方法を改め、あらかじめ渦の中に入っておき、そのときになると、上半身が見える程度に持ち上げてもらい、内陣から格子を通じて小刀を受け取り、一旦口にくわえた後、そのままの姿勢で麻袋を切開し、下半身が見えないように工夫していた。
 上手くいったので、来年以降もこの方式で行われることになると思われるが、小刀を口にくわえて格子から渦の中心に飛び込むという勇壮なシーンは見られなくなった。一抹の寂しさを感じるが、時代の要請にあわせて儀式のやり方も変えていかざるを得ないのはやむを得ないことだろう。裸参りの三巡目に全裸となる慣行が禁止され、褌を締めていないと境内を歩けなくなったのは残念だが、地元の工夫により、祭りのキーバーソンである親方だけでも全裸の慣行が継続されていることを高く評価したい。 2009.2.9
 
虎の門外あふひ坂/名所江戸百景(歌川広重)

虎の門外あふひ坂/名所江戸百景(歌川広重)

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■■■ 043 裸参り ■■■

 左の浮世絵「虎の門外あふひ坂」は、安政4年(1857)歌川広重晩年の大作「名所江戸百景」119枚揃の1枚。「あふひ坂(あおいざか)」は葵坂で、坂を上りきったあたりに葵の植わった地があったことから命名されたらしい。江戸築城の際に作られた溜池からは、冷たい水が葵坂に沿うように流れ落ちている。

 最も手前には長提灯を掲げて褌一丁で走る職人の二人の弟子が描かれている。

  和田義男
 子供の方の提灯に書かれた「金比羅大権現」の文字から、右奥に位置する金比羅宮へ寒参りに出向いた帰りであることが分かる。
 この絵は、寒中の夜30日間、1日も欠かさずに金比羅宮に参拝し、年季奉公中に技量があがるように祈願する願懸けの寒行をおこなっているところを描いたものであるという。
 寒いときに裸で神社仏閣に参拝する風習を裸参り(裸詣り)と呼ぶが、江戸時代から盛んに行われるようになったらしい。寒行(かんぎょう)の一種で、それを行っている人を行者(ぎょうじゃ)と呼んだ。
 神仏に現世利益(げんせりやく)を祈願するのに、苦行をもってその代償としたもので、百回参拝を繰り返すことで神仏に祈願するお百度参りもこれと同じ趣旨である。
 
   寒いときに褌一丁の裸形になって、水を浴びたり、お参りしたりする風習は日本独自の裸文化である。戦前までは、軍人や官僚たちは、正月に近くの神社で斎戒沐浴して、新しい年に臨んだという。時代の変遷と共にこのような風習が廃れていったが、そのお陰で、夏の行水や風呂に入る習慣が培われ、世界一身綺麗で清潔好きな国民になったのかも知れない。
平成21年(2009)1月24日
 

■■■ 042 全裸の禊ぎ ■■■

 年が改まった元旦に垢離(こり)を取って身を清め、古い褌に代えて新しい褌を締めて参拝するという風習は全国で見られるが、それを取材した作品がないことから、今回、清原さんの今年三作目となる「小松神社裸参り」を発表させて頂いた。
 立派な垢離取り場だったが、禊ぎが全裸だったということで撮影できず、物足りない作品になったが、来年は小松神社の取材許可を取って撮影したいとのことなので、期待したい。
和田義男
 全裸による禊ぎは、珍しいものではなく、現代でも銭湯ではみんな全裸になって入浴する裸文化が定着しているため、違和感はなく、公序良俗に反しない撮影なら一向に差し支えない。鐵砲洲寒中水浴大会の作品では、度々銭湯で暖をとるシーンが登場する。
 私が高校生まで過ごした高知県須崎市には新庄川が流れており、夏場には男のお遍路さんが川に入って水浴している光景をよく目にしたがみんな全裸だった。理由は褌だと濡れてしまって、後で乾かさなければならないからである。小松神社の垢離取りも褌が濡れないように全裸になっているのだという。
 中に全裸を嫌って褌のままで禊をした人がいたが、彼らは濡れた褌を手にバスタオルで腰を包んで拝殿に上っていた。この光景は見苦しいので、褌のままで禊をしたい人は、もう一本褌を持参し、初詣は全員揃って新しい褌を締めて行う方が神様も喜ばれることだろう。平成21年(2009)1月24日

■■■ 041 鐵砲洲寒中水浴'09 ■■■

 平成21年(2009)1月11日(日)午前11時から東京都中央区湊1丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で第54回寒中水浴大会が開かれたので、去年の還暦記念赤褌水浴に続き参加した。 参照:鐵砲洲寒中水浴'08
褌一丁で公道のランニング

褌一丁で公道のランニング

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 神社の境内で鳥船と呼ばれる準備運動をみっちり行った後、全員褌一丁で人通りが殆どない車道や歩道をランニングし、神社を一周した後、寒中水浴に入った。水浴のあとも着替えを持って、そのまま神社から湊湯まで歩く。裸褌文化が当たり前だった戦後の一時期までは、褌一丁で家の前で夕涼みをしたり、道路を歩いても問題なかったが、高度経済成長を遂げた現代では珍しい光景である。警察も半世紀を超える鐵砲洲の祭礼とあって、黙認しているようだ。
■■■ 40 褌と厄落し ■■■
 正月は、褌一丁の裸形(地域によっては全裸)になって垢離(こり)を取る風習が全国に残っている。神道では夏越の祓(なごしのはらい)と年越の祓(としこしのはらえ)の年に二回、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して罪や穢れを落とす行事があり、これを総称して大祓(おおはらえ)という。
 また、これに加えて、厄年(やくどし)には更に入念に災厄を落とす行事があり、厄落しと呼ばれる。筆者は還暦の厄年に東京都中央区の鐵砲洲稲荷神社で赤褌水浴を行った。  鐵砲洲寒中水浴'08/赤褌水浴
還暦記念の赤褌水浴

還暦記念の赤褌水浴/第53回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会(東京都中央区一丁目湊)

  還暦の赤褌水浴初神楽  和田北舟 

かんれきの あかふんすいよく はつかぐら

First kagura for the year,
Cold water ablutions wearing red loincloth at the age of sixty.

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

 次の褌句は、子規らしい非常に分かりやすいもので、42歳の厄年(大厄)に身につけている褌を落として厄落しをする様を詠ったもので、褌に寄せる日本人の思いが彷彿としている。
  四十二の古ふんどしや厄落し  正岡子規 

しじゅうにの ふるふんどしや やくおとし

An exorcism, old fundoshi loincloths of men 42 years old.

 出典は松山子規会叢書第12集の「子規歳時 改訂版」。同書には子規による次の解説文が載っている。
 節分の夜「犢鼻褌(とくびこん)の類を捨つるは厄年の男女其厄を脱ぎ落すの意とかや。それを手に持ち袂に入れなどして往きたるは効無し、腰につけたるまゝにて往き、懐より手を入れて解き落とすものぞ」などいふも聞きぬ。(墨汁一滴)
筆者訳:節分(2月3日)の夜「褌の類(男は褌、女は腰巻)を捨てるのは男女がその厄を脱ぎ落とすという意味があるらしい。それを(あらかじめ外して)手に持ったり袂に入れるなどして(神社に)往くのでは効果が無く、腰につけたままで往き、(その場で)懐から手を入れて(褌の類を解き落とすものだぞ」などと話しているのも聞いた。(墨汁一滴)
 直接下半身を包む褌などの下着は最も汚れる肌着であり、いつの間にか罪や穢れが乗り移るという考えが生まれ、それを捨てることで厄を落とすという風習が生まれたのだろう。新年には新しい褌を締めるのもそのせいかもしれない。
 厄落しは節分の夜の習俗で、江戸時代には、褌に銭を包み、道端にわざと落として厄落しをしたという。井原西鶴の浮世草子(うきよぞうし)「日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)」によれば、430両を奮発した大名もいたというから驚きである。
■■■ 039  

小松神社裸参り

  ■■■
 大分県国東(くにさき)市小松神社の裸参りですが、川禊ぎの時に氏子が褌を外して全裸になります。このとき何とカメラマンは私一人でした。これはチャンスと思っていたら地元の方がフラッシュ撮影は駄目ですよ。と注意を受けました。何しろ撮影者(部外者)は私一人でしたから強行には取材できず、今回は断念しました。
 800年以上も続いていますが認知度は驚くほど低く、以前はお囃子や神楽が舞い、禊ぎに行く時は松明を片手に持っていましたが、現在は過疎化が進み神楽も2年に一度になってしまい、松明もありません。でも、禊ぎだけは何とか続けて行きたいと、地元年配者は嘆いておりました。 2009.1.9 清原 浩

800年の伝統ある裸参り/小松神社(大分県国東市) 2009.1.1

800年の伝統ある裸参り/小松神社(大分県国東市) 2009.1.1

撮影:清原 浩
 禊はかつては全裸というのが多かったようです。褌が濡れないようにする配慮もあったと思います。銭湯では今も全裸ですから、日本人にとっては違和感がありません。歴史的行事として、記録保存できれば良いですね。 1.10 和田義男
■■■ 038  

若宮わかみや

ふんどし   ■■■
 平成20年(2008)11月14日(金)と16日(日)の両日、大分県豊後高田市に鎮座する若宮八幡神社の秋季大祭川渡神事(かわたりしんじ)が行われた。永保4年(1084)に荒行の一つとして始められたこの裸祭りは、今年で925年目となる。若宮八幡神社川組の與丁(よちょう)と呼ばれる神輿舁(みこしかき)の衣装は、非常にユニークで、私の知る限りでは全国に例がない。
 前垂式六尺褌と狩衣(かりぎぬ)と呼ばれる短い上衣を白晒しの腹巻で巻き締めており、下半身が丸出しである。博多山笠の水法被(みずはっぴ)と締込み(褌)のようなスタイルだが、衣装がまるで違っている。褌を見せることで、男らしさが強調される。白装束で固めた陸組と比べれば、その差は歴然である。日本男児は矢張り褌が似合うと思う。
 この独自の褌ルックを「若宮褌」と命名させて頂こう。来年もTバック褌 T-back loincloth で勇壮な川渡神輿を全国にアピールして頂きたい。   若宮八幡裸祭'08
  若宮の褌に託す秋祭  北舟 

わかみやの ふどしにたくす あきまつり

The autumn ritual of Wakamiya shrine, featuring fundoshi loincloths.

桂川最後の手締め/若宮八幡神社秋季大祭(大分県豊後高田市)

桂川最後の手締め/若宮八幡神社秋季大祭

撮影:清原 浩

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■■■ 037  

緋縮緬ひちりめん

 の ふんどし   ■■■

日本の裸祭り第83集 「江差・瓶子岩しめ縄飾り」

 平成20年(2008)7月5日(土)・6日(日)、北海道の江差町(えさしちょう)で、夏の幕開けを告げる「かもめ島まつり」が開かれ、初日に行われた「瓶子岩のしめ縄飾り」を密着取材した。筆者は、函館に2年ほど単身赴任していたが、江差には何度か足を運んだことがある。江差追分やソーラン節など、海の男たちを讃える民謡がこれほど多いのは、当時、蝦夷(えぞ)と呼ばれた北海道が水産王国であることを示すものである。
 江差は、江戸時代に発展した漁村で、北前船が数多く入港して栄えた。司馬遼太郎の名作「菜の花の沖」では、高田屋嘉兵衛が船主船長として当時最大の1500石(こく)積みの辰悦丸(しんえつまる)に乗って松前に上陸し、やがて箱館(函館)を拠点として蝦夷の海産物を兵庫に運び、巨万の富を築く様子が鮮明に描かれている。
 当時の北前船の乗組員は今でいう外航航路の花形船員で、最下級の炊(かしき)(飯炊き)ですら緋色*(ひいろ)の絹を平織りにして作った緋縮緬の褌を締めていた。
*緋色:紅花染による紅色と、ウコンやキハダ、 くちなし等の黄色染料との交染で得られる赤い色
 鰊(にしん)漁にわいた当時、北前船の航海安全や漁船の大漁と安全操業を祈願して、瓶子岩(へいしいわ)に大注連縄が張られるようになったものと推測されるが、現代も海の若者たちが先祖代々の伝統行事を忠実に受け継いでいることに感動する。かつての漁師たちは、神事には白褌(しろふんどし)、漁に出るときは赤褌(あかふんどし)と、きちんと使い分けていたことだろう。
  夏の海奇岩の注連張り白褌  北舟 

なつのうみ きがんのしめはり しろふどし

Summer sea, hanging a sacred straw rope on a strange rock, wearing white fundoshi sash.

9人の海の若者たちで行われる裸の神事

9人の海の若者たちで行われる裸の神事

撮影:H. I.

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ふんどし談議 2/2

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