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Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の裸祭り
2018年10月19日改訂

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纏舞で景気付けるはだか放水

纏舞で景気付けるはだか放水(金沢城公園/石川県金沢市)

2003年5月10日制作
 

7/7

劇場訓蒙図彙の挿絵

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ふんどし談議 2/2

←播州秋祭ふんどし談義→

 ←・・・・・・・・・・・・ 褌 の 話 題 ・・・・・・・・・・・・→

               
1/4 2/4 3/4 4/4 1/7 2/7 3/7 4/7 5/7 6/7 7/7 褌の種類 褌のお便り 褌の俳句 日本の裸祭り
■■■ 027  

褌の要諦ふんどしのようてい

 ■■■
 壁や襖(ふすま)に向かって衣服を脱いで全裸となり、越中褌を広げて、左右の横褌(よこみつ)(紐の部分)をそれぞれの手で持ち、立褌(たてみつ)(布の部分)を臀部(尻)に当て、横褌を脇腹から腹部に導き、臍下三寸(へそした・さんずん)(9〜11cm)の位置で、ややきつめに蝶結びにする。この位置は、左右の腰骨の上端部を通るので、横褌が骨に固定され、褌が緩まない。

 これより高い位置に締めると、横褌が固定されず、直ぐに緩褌(ゆるふん)の状態になる。格好悪いだけでなく、局部を覆う立褌(たてみつ)が長くなり、前に屈むとそれが緩んで横から見えたり、ハミ○ンになったりする。前垂れがあるとまだ救われるが、前袋式六尺褌や相撲まわしだとモロダシになる。ちなみに、横褌の位置は、盲腸の手術をする位置なので、経験者は、横褌が右下腹部の手術痕の上を通っていることを確認して頂きたい。六尺褌の場合も同じである。

 逆に、正しい位置より下に締めると、露出気味でだらしなく見えるので、正規の位置にキチッと締めるようにしたい。

 次に、足を広げ、少し前傾(ぜんけい)しながら片手で後ろに垂れている立褌を股下から掴み、股下をくぐらせて前方に導き、両手で横褌の内側から前に垂らす。ここで、壁際を次の人に譲り、部屋の中心部に移動したあと、両手で前垂れを広げ、緩みのないように調整してできあがりとなる。褌を外すときは、蝶結びの片方の紐を引けば横褌が緩み、直ぐに外すことができる。

 シャツを着たまま褌を締める人を見かけるが、素人っぽく見える。壁際に立てば恥ずかしくないので、「褌は一気に裸になって粋に締める」のが江戸っ子なのである。
   褌の締め具合は、自分で加減する。緩(ゆる)ければ乱れるし、きつければ肌に食い込んで痛くなる。自分で経験して調整するしかない。私はきついのが苦手で、緩褌(ゆるふん)傾向にある。  
   近年褌は健康肌着として静かなブームになっており大手デパートの紳士肌着売り場だけでなく、internetの褌屋(ふんどしや)
 
http://www.fundoshiya.com/  など品揃え豊富な専門店で手軽に購入することができる。
 

■■■ 026 還暦記念の赤褌水浴 ■■■

 日本には、古来より、満60歳の還暦*を迎えた人に還暦祝いとして赤い頭巾やチャンチャンコなど赤色の衣服を贈る風習がある。かつては魔除けのために赤子の産着(うぶぎ)に赤色が使われていたため、赤子と同じ赤い装束を身に着けて生まれ変わった気持ちで長寿を全うしてほしいとの願いが込められている。
 赤い褌(ふんどし)を「あかふん」と呼ぶが、丹後地方などでは42歳の厄年に着物の下に赤褌を締めて神社参りをする風習があり、「赤褌(あかふん)行事」と呼ばれている。また、全国的には60歳の還暦祝いに赤褌が贈られ、赤褌を締めて禊をし、厄落としをする風習がある。 高良大社へこかき祭 は、還暦に赤褌で水浴する神事である。私もこの伝統に従い、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴に続いて赤褌を締めて還暦記念水浴を行った。

「還暦記念の赤褌水浴」が掲載された「いやおひ26号」

「還暦記念の赤褌水浴」が掲載された「いやおひ26号」

拡大写真(980x1400)312KB

 私が寒中水浴をするについては、以前から再三にわたって石川幹事長や三木さんから誘われていたが、これまで撮影を理由に断ってきた。しかし還暦の節目を迎え、人生の大きな区切りを記念する意味で、2008年の寒中水浴大会に同い年の三木さんとともに赤褌で参加することにした。
 このことを前作「鐵砲洲寒中水浴'07」の編集後記に「還暦記念の赤褌水浴」と題して披露したところ、弥生会・広報誌担当の高橋健男さんのお目に止まり、弥生会の機関紙「いやおひ」に掲載された。

 平成20年(2008)1月13日(月)午前11時から東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で寒中水浴大会が開催され、神楽殿から鐵砲洲囃子が流れるなか、参加者約60名が白鉢巻・白褌(女性は白衣)姿になって氷柱で冷やされた直径10mの円形水槽に胸まで浸かって冷水を浴びた。今年で53回を数えるこの神事は、関東最長の歴史を誇る寒禊で、東京の春を呼ぶ新年の風物詩として知られている。

お囃子をバックに氷水の寒中水浴

お囃子をバックに氷水の寒中水浴

拡大写真(1800X1350)526KB

撮影:星 宏幸

 今年満60歳の厄年を迎えた筆者ら3人は、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴に続いて赤褌による還暦記念水浴を行った。介添役の長谷川昇司・石川辰夫両氏始め約20人が一緒に水浴して還暦を祝ってくれた。

還暦記念水浴

還暦記念水浴

拡大写真(1800X1300)461KB

撮影:小林豊一

 還暦の赤褌水浴初神楽  北舟 

かんれきの あかふんすいよく はつかぐら

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

 水槽を出ると足に感覚が無く、突っ張ってしまって思うように歩けなかったが、裸でいても皮膚がチクチクする程度で、辛さは和らいだ。入船湯で暖を取ったが、浴槽の湯は熱すぎでとても入れず、温めのシャワーを交代で使いながら身体を慣らして最後に湯に浸かった。冬になると野生の猿が温泉に浸かりに来るが、極楽とはこのことだと思った。

                      鐵砲洲寒中水浴'08  鐵砲洲稲荷神社公式サイト

■■■ 025 「蘇民祭ポスターがセクハラに当たる」としたJR東日本のミスジャッジ ■■■ 

長谷川昇司さん(左)が載った平成18年のポスター
 

★彡

 旧正月7日夜半から8日早暁にかけて行われる「黒石寺蘇民祭」は、裸の男と炎の奇祭として千年余りの歴史を誇る夜祭りで、東奥の奇祭ともいわれる。
 岡山の「西大寺会陽」と大阪の「四天王寺どやどや」と共に日本三大奇祭の一つに数えられる蘇民祭は、古代の祭りの姿を今に伝える貴重な裸祭りで、国より「記録保存すべき無形民俗文化財」の指定を受けている。

★☆彡

 今回、JR東日本がセクハラに当たるとして駅構内に掲示することを拒否したポスターは、髭づらの男性とそのバックに褌を締めた裸男が並んでいる写真で、これまでのポスターと変わる点は殆どない。平成18年(2006)には友人の長谷川昇司さんが大写しになったポスターが作られ、問題なく掲示されている。
 平成20年のポスターは、長谷川さんの代わりに髭づらの男性が大きく掲載されているが、彼の風貌は美男子でもなく紳士でもないが、普通の男性である。
 徹夜で祖民袋を争奪する勇壮な裸祭りに美男子ややさおとこは不似合いであるのは当然で、奥州市の選んだ男性は荒々しい争奪戦にふさわしい野性的な風貌をした男性であるというに過ぎない。
 その風貌がセクハラに当たるというJR東日本の判断に疑問を感じたマスコミ当局が報道価値を認め、テレビ報道がなされたのだろう。
長谷川昇司さん(左)が載った平成18年のポスター

拡大写真(990x1400)252KB

 
 私は、小さい頃から「人は外見で判断してはいけない」と教わったが、ポスターの男性の風貌(顔つき)がセクハラになり、美男や美女のポスターでないと駅構内に掲示できないというのであれば、差別発言に当たるのではないかと危惧される。金子みすゞの「みんなちがってみんないい」という詩のとおり、それぞれの個性を最大限に尊重される社会が望れる。
 褌着用による裸祭りは、Wa☆Daフォトギャラリーの「日本の裸祭り」シリーズをご覧いただければ分かるように全国に数多く存在し、世界に誇る日本独自の伝統文化である。土俵の上でまわしと呼ばれる褌を締めただけの裸形の男性が取り組む相撲は、その最たるもので、国技である大相撲がお茶の間で人気があるように、公序良俗に反する要素はまったく存在しない。長谷川さんによると、風貌がセクハラだとされた男性は、古くから蘇民祭に尽くしてこられた方で、長谷川さんのような余所者ではなく、きちんと精進潔斎をし、真摯に蘇民祭に取り組んでこられた立派な人だという。

☆★☆★彡

 JR東日本がこのような背景や伝統文化としての価値を認識せず、ただ単に外見だけで判断し、その人の写真がセクハラに値するとしたことが事実であるとすれば、非常に残念である。国鉄から私鉄になったJRとはいえ、公共の輸送機関であり、その判断には慎重な対応が求められよう。 2008.1.18
 

平成20年のポスター

平成20年のポスター

■■■ 024 「Wa☆Daフォトギャラリー」アクセス殺到でパンク状態! ■■■ 

 2008年1月8日の夕方、テレビで「奥州市作成の黒石寺蘇民祭のポスターが女性に対するセクハラに当たるとの理由でJR東日本が駅構内に掲示することを拒否した」旨の報道があり、とても驚いてしまった。その後、レンタルサーバー会社WADAXからメールが届き、

「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm
「黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/somin1.htm

へのアクセスが集中し、サーバーがパンク状態になっているため、午前11時より帯域制限とアクセス制限をかけている旨の通報を受けた。その後、事態が改善せず、翌朝、起床後パソコンを起動してアクセスしたところ、FTP転送を含め完全にアクセスできない状態になっていた。
 9日、オフィスの昼休みにWa☆Daフォトギャラリーを覗いてみると、何とかアクセス出来る状態になっていたので、アクセスが集中している二つの作品のファイル名を変更し、アクセスできないように措置したあと、WADAXのユーザーサポートに電話して対応を報告したところ、直ちに平常に復することはできないので、徐々に制限を解除してゆくということだった。

2008.1.9 20:50のカウント状況/日本三大奇祭(黒石寺蘇民祭)

2008.1.9 15:30のカウント状況/日本三大奇祭(黒石寺蘇民祭)

2008.1.9 20:50のカウント状況/黒石寺蘇民祭

2008.1.9 15:30のカウント状況/黒石寺蘇民祭
 結果的に「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm は、1月8日の一日だけで16,693件のアクセスがあった。普段は50〜200件/日くらいなので、1日に100日分のアクセスが集中したことになる。
 「黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/somin1.htm の方も2,322件のアクセスがあり、いつもの約10倍である。
 共用サーバーを利用している以上、当サイトにアクセスが集中すると他のユーザーサイトへのアクセスが出来なくなるためレンタル・サーバー会社の対応に従わざるを得ない状況にある。蘇民祭関連の作品は、沈静化したことを確認したあとに復活させることにするが、WADAXから復旧するとしてもファイル名を変更して旧名ではアクセスできないようにするようアドバイスを受けている。 2008.1.10

■■■ 023 「還暦記念の赤褌水浴」実施要領決定! ■■■

 平成19年(2007)1月14日(日)、東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で行われた第52回寒中水浴大会の模様を激写した 鐵砲洲寒中水浴'07 の編集後記で「・・・再三にわたり石川幹事長や三木さんから寒中水浴を誘われてきたが、撮影を理由に断ってきた。しかし、今年(2007)3月6日に還暦を迎えるので、人生の大きな区切りを記念する意味で、来年の寒中水浴大会には赤褌で参加することにした。・・・」と宣言していたが、このたびその実施要領が決まった。
 鐵砲洲稲荷神社の中川宮司と弥生会の石川幹事長はじめ、祭礼関係者各位のご高配を賜り、平成20年(2008)1月13日(日)午前11時から実施される第53回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会の公式神事のあと、特別に私の還暦記念水浴を行う運びとなり、具体的な実施要領は、pdf資料の 還暦記念水浴について のとおりである。
                                                    参考:鐵砲洲稲荷神社公式サイト 

第52回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会の模様 2007.1.14

第52回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会の模様 2007.1.14

拡大写真(1600x1200)473KB 写真提供:弥生会 撮影:星宏幸 

飛び入り参加大歓迎

 公式の寒中水浴大会と還暦記念水浴ともに、地元氏子のみならず、部外者の飛び入り参加を歓迎しているので、読者におかれては、この機会に是非経験されてみたら如何だろうか。かくいう私も初めての水浴なので、氷柱の中の水浴に耐えられるか一抹の不安があるが、女性も含め、これまで挑戦された方で、脱落者は一人もいないので、きっと神々のご加護があるものと思われる。体験者に感想を聞くと、しびれが快感になり、気持ちよくなるという人もいれば、しびれが痛みに変わり、堪えるのが辛かったという人もいる。人それぞれなので、自分はどちらになるかを知る楽しみもある。(^^; ともあれ、寒垢離は、乾布摩擦と同様に、皮膚が鍛えられて身体の抵抗力や免疫力が増し、風邪にも強くなって無病息災の御利益があることは、疫学的にも医学的にも立証されている。
 これまであちこちの寒中禊や寒垢離を取材してきたが、鐵砲洲の水浴大会は、部外の参加者に最も配慮した祭礼だと思われる。社務所二階の日当たりの良い部屋が部外者の脱衣所兼控え室として開放されており、また、寒中水浴が終わった後は、直ちに銭湯に入浴して冷えた身体を温めることができる。そのあと、暖かいみそ汁に寿司折りの昼食が提供されるので、心身共に爽やかな気分で、初春を迎えることが出来る。 2007.12.20

■■■ 022 褌と下帯 ■■■ 

 平成19年(2007)12月8日(土)、岐阜市池ノ上町に鎮座する葛懸(かつらがけ)神社で「池ノ上みそぎ祭」が催行され、激写した。翌朝、宿泊したホテルのフロント女性が岐阜新聞と中日新聞の朝刊に「池ノ上みそぎ祭」が載っていることを教えてくれた。彼女は、タクシーの手配など私をサポートしてくれた人で、午後7時の禊に友人が参加するということで見に行ったという。
 ホテルで両紙を購入し、新幹線の中で記事を確かめた。両紙とも対岸からみそぎ場の様子を撮影したカラー写真を第一面に掲載し、大きく報道していた。地元の岐阜新聞は「師走の長良川、祈る男衆」という見出しで、「下帯姿の男衆が清流で身を清める「池ノ上みそぎ祭」が8日、岐阜市の長良川で行われた。・・・」と書かれていた。
 一方、中日新聞は「冬の冷水締まる心 - 長良川・みそぎ祭 -」という見出しで、「・・・ふんどし、鉢巻きだけを身に着けた小学生からお年寄りまでが集結、頭から水をかぶったり、肩まで水につかったりして、けがれを落とした。・・・」と書かれていた。
 読者は既にお気づきだと思われるが、中日新聞の記事の方が正確に書かれている。「池ノ上みそぎ祭」の祭り衣装は鉢巻と褌であり、神社入口の掲示板を見ればすぐに分かることである。下帯という言葉は、一切使われておらず、みんな褌と云い、裸男たちは全員越中褌を締めていた。地元新聞の記者は、何故か褌という由緒正しい言葉を使うことを躊躇し、褌=下帯と考えて「下帯」と書いたのではないだろうか。

寒さに耐える禊 / 池ノ上みそぎ祭  2007.12.8

寒さに耐える禊

拡大写真(2200X1360)502KB

 私のセンスでは、越中褌は帯の部類には入らず、下帯と表現するには無理があると思う。「帯に短し襷に長し」という諺があるが、僅か3尺(90〜100cm)の布に紐を付けた越中褌は、三尺褌ともいわれ、襷の代わりにもならないほど短い。川越まつりの地元研究家によると、かつては木綿の手拭いを褌代わりに使うことがあったという。手拭いを縦に裂いて2本の紐とし、それぞれ手拭いの片端に結ぶと、即席の越中褌ができあがる。
 越中褌は手拭いのようなもので、下帯ではない。広辞苑の「下帯」の説明は、「ふんどし」とあるが、これは六尺褌を指していると思われる。江戸時代の武士や町人たちは、下着や労働着、祭衣装に六尺褌を用い、激しい運動をしない僧侶や神官などが越中褌を愛用したといわれ、爾来、越中褌は僧侶や神職の下着や禊の衣装として定着した。時代考証を十分に行った時代映画や浮世絵を見れば、褌とは六尺褌であることが分かるだろう。

神社に向かう裸の渦 / 池ノ上みそぎ祭  2007.12.8

OLYMPUS E-3 1/60秒 F2.8 内蔵フラッシュ(強制発光) ISO800 (手持・全自動・ライブビュー撮影)

神社に向かう裸の渦

拡大写真(2000X1400)559KB

 今、静かな褌ブームで、internetでは老舗の褌屋など褌専門店が様々な色柄に加え、六尺、越中、もっこ、黒猫、まわしなど多種多様な褌を販売して繁盛している。褌販売店はあるが、下帯販売店は存在しない。「下帯」という言葉は、「褌」を上品に表現しようとしたものだろうが、曖昧な表現であるために使用されていないのではないだろうか。「褌」こそ、伝統と歴史ある正しい用語であり、現在、その復権が進んでいる。今年、NHKさえも「ふんどし」という言葉を使ったことを嬉しく思っている。

■■■ 021 NHK「ふんどし」解禁! ■■■ 

 元旦の初日の出とともに茨城県高萩市高浜海岸で行われたはだか神輿の報道で、NHK総合テレビのアナウンサーが「ふんどしを締めた男たちが神輿を担ぎ・・・」と説明して驚いたが、1月7日(日)に石川県金沢市金沢城公園で行われた「金沢市消防出初式」の報道でも、NHKは「ふんどし」という言葉を使った。

NHKの「ふんどし」報道

NHKの「ふんどし」報道

 民放は「ふんどし」を使う例が多いのだが、石川テレビは、今回は逆に「ふんどし」を避けて、「下帯」を使っている。

FNN石川テレビの「下帯」報道

FNN石川テレビの「下帯」報道

 NHKは、これまで「ふんどし」という言葉を意識的に避け、「しめこみ」「したおび」などと言っていたが、新年から「ふんどし」と正しく言うように改めたものと思われる。
纏で景気付ける褌一丁の鳶たち  

加賀鳶はだか放水 / Wa☆Daフォトギャラリー

纏で景気付ける褌一丁の鳶たち

拡大写真(1600x1200)356KB

 昨今の「ふんどしブーム」は、褌屋をはじめ褌のネット販売店の活況ぶりを見れば良く分かる。九州屋では、子供用の越中褌まで取りそろえている。需要があるから品揃えが豊富なのだろう。これらの店では「六尺ふんどし」「越中ふんどし」「黒猫ふんどし」などと、正しい言葉を使用しており、「下帯」や「締め込み」などのあいまいな用語は見あたらない。
 NHKは「ふんどしブーム」という社会現象を知って、路線変更を余儀なくされたものと思われる。古来から使われている「ふんどし」という正しい日本語をNHKが正しく使うようになったことを歓迎し、民放各社にも見習って欲しいと思う。 2007.1.10

■■■ 020 「ふんどし談義」20万アクセス突破! ■■■ 

 平成19年(2007)1月6日、「ふんどし談義」の総アクセス件数が3年8ヵ月で20万件を超えた。現在、Wa☆Daフォトギャラリーには、約950頁、280余りの作品があるが、20万件を超えているのは、「日本三大奇祭」の22.8万件で、それに次ぐ記録である。ただ、「奇祭」は5年かかっているので、ペースとしては最速となる。
 ちなみに、第3位は「灘のけんか祭り」の15.3万件(5年3ヵ月)、第4位は「ベルサイユ宮殿」の15.1万件(5年5ヵ月)となっており、はだか祭りの人気が高い。
 「ふんどし談義」はフリー百科事典 wikipedia の「ふんどし」と「はだか祭り」に外部リンクされており、そのルートによるアクセスが多いものと思われる。褌(ふんどし)に興味を持った人が事典を引き、それだけでは満足しない人がやってくるものと考えられ、最近のふんどしブームを裏付けるもので、嬉しく思う。これからも、ふんどしに関する正しい解説と最新の話題を提供してゆきたい。 2007.1.6

■■■ 019 元旦の裸ふんどし神輿 ■■■
 2007年元旦の午前6時20分、茨城県高萩市高浜海岸では真っ赤な初日が太平洋から顔を出した。浜辺では1年の無病息災を願って高浜町の濱会神輿が100名ほどの担ぎ手によって練り上げられ、海を渡った。男たちはほとんどがカラフルな褌を締め、中にダボシャツ・股引姿の女性が混じる。
 この光景は、元旦のNHKテレビで紹介され、躍動する裸神輿と水平線から顔を出した初日の出を鮮やかに映し出していた。「ふんどしを締めた男たちが神輿を担ぎ・・・」というアナウンサーの説明があり、NHKも「ふんどし」を使うようになったのかと驚いた。近頃の褌ブームもあり、マスコミの世界でも「ふんどし」という用語が市民権を回復しているようで誠に喜ばしい。
 機会があれば取材してみたいとも思うが、男たちの中には腹巻きで臀部を隠しているものが散見されるし、男性のハンダコ姿や股引姿も混じっているので、品位の点で意欲がそがれるのが残念である。 2007.1.3

■■■ 018      猫くろねこ

ふんどし

 ■■■

「いどくい」と「きんつり」

 私は、小学一年生から高校三年生まで黒潮が岸辺を洗う土佐湾の中央に位置する須崎(すさき)という漁村で育った。
 小学時代は、夏休みになると、「いどくいおおぜ(黒猫褌下さい)」と駄菓子屋にぶら下がっているふんどしを買って、一日中、真っ黒になって新庄川(しんじょうがわ)の川の口と富士ヶ浜で泳いで遊んだ。黒猫をなぜ「いどくい」というのか分からないが、「おいど」(お尻)に食い込むから「いどくい」というのだと、勝手に理解している。
 我は海の子切手の水褌(すいこん 前袋式六尺褌)の子は上級生で、幼児や貧乏人は黒猫褌かフリチンだった。

黒猫褌の少年

「黒猫褌の少年」拡大写真(600x400)68KB

新潟街角今昔  撮影:渡邊馨一郎

当時市販の黒猫褌(資料)

当時市販の黒猫褌
 先日、広島・修道高校出身の先輩とふんどし談義になったとき、広島では黒猫褌のことを「きんつり」と呼ぶそうで、子供の頃はもっぱらお世話になったという。
「近畿ツーリスト」を略して「キンツリ」と呼ぶが、バス旅行で旅友となった女性が「キンツリ」を盛んに連発するので恥ずかしかったという。ご想像のとおり、玉ゝを吊るのでズバリ「きんつり」なのだそうである。広島旅行中は、「キンツリ」はタブーである。  (2007.1.3)

■■■ 017  

若囃わかはや

太鼓 ■■■
若囃太鼓
若囃太鼓のホームページ
 茨城県下館(しもだて)市にある若囃太鼓会は、メンバーが子供たちで、褌一丁で太鼓を叩くことで人気がある。
 会長の笹光雄さんが主催する若囃太鼓は、海外公演も手がける本格的な太鼓演奏集団で、下館市で古くから行われていた下館祇園(しもだてぎおん)まつりがきっかけという。
 昭和49年(1974)、笹さんが地元の子どもたちと一緒に手作りの神輿を作り、祭りの時にきまって演奏される「下館祇園囃子」の練習を開始。
昭和55年(1980)に7人の男の子たちと若囃太鼓会を結成。
若囃太鼓のホームページ

若囃太鼓会会長の笹光雄さん

 伝統の囃子以外に創作曲もレパートリーに加え、太鼓の全国大会で優秀な成績を収めるほどに成長。現在は小中学生11人のメンバーと共に、国内はもちろん海外でも公演を行っている。

 
 2004年3月14日、会長の笹光雄さんから次のメールが届いた。

相互リンクをお願いします
 初めまして、私は茨城県下館市で子供達と太鼓をやっている下館若囃太鼓の笹光雄と言います。素晴らしいお祭りのHPを以前から拝見していました、特に裸まつりや、ふんどし談義など大変参考になりました。ぜひHPの相互リンクをお願いしたくメールいたしました。

 下館若囃太鼓は子供達が、ふんどしで太鼓を打つ全国でも数少ない(唯一かも)太鼓の会です。海外公演としてカーネギーホール公演を2回、また昨年は台湾のダンシングフェスティバルIN台湾に参加しました。伝統曲の継承普及を目的に創作太鼓にも力を入れ活動しています。・・・
 
 
 勿論、快くお受けし、それ以来、若囃太鼓のホームページとWa☆Daフォトギャラリーは、相互リンクで結ばれている。  

 
 褌姿で太鼓を叩く集団は、鼓童(こどう)や鬼太鼓座(おんでこざ)などがあるが、いずれも大人の集団で、児童のみの集団は若囃太鼓が老舗である。

★☆★彡

褌にこだわる理由

若囃太鼓,神童の衣装 より抜粋

 昭和40年代に中央公民館から委託を受け子供の遊びについて映像で記録した事が有ります。その時に戦前の回想場面で赤ふんを使いました。(黒ネコふんどしの方が良かったかも)

六尺褌の少年たちが太鼓演奏

六尺褌の少年たちが太鼓演奏

郷土芸能の継承

郷土芸能の継承
 その後若囃太鼓が結成されその子供達も入会しました。太鼓のコンクールに参加することになりましたが、なかなか入賞出来ず子供達がふんどしでやろうと言い出し、銀賞を獲得することが出来ました。

 その後は最後の曲をふんどしでやる様になり又鼓童の存在を知りさらに自信がつきました。最後の曲にふんどしで出るたびに拍手をもらう事に子供達は優越感を持ったのかもしれません。
 男の子が中学になると女の子を意識してふんどしをしない公演も何度かやりましたが、お客からクレームが来るのです。なぜふんどしでやらないのかと。下館若囃太鼓=子供達のふんどし、というイメージが定着してしまったようです。
 褌は単なる下着では無く、結婚出来る一人前の男になった証であり子孫繁栄の呪物だったようにも思われます。
 若者がお祭りで使った晒しの腹巻や褌を安産のお守りとしている所も多く有ったようです。祭りの褌は下着としての褌では無く、禊を済ませた証であり神に一番近い姿だと思います。

 若囃太鼓のふんどしは、純心な神童の正装であり、世界平和、無病息災、五穀豊穣、家運隆昌を願う神童が天鼓を打つ姿を象徴しています。

子供たちの晴れ舞台

子供たちの晴れ舞台

 子供たちの鉢巻・褌姿は、初々しく純真で、男らしく、良く太鼓とマッチしており、ファンが多いのも頷ける。日本の裸文化の誇りであり、日本人の心がある。これからも日本男児のアイデンティティ溢れる褌文化の継承・発展のために、益々のご活躍を心より祈念申し上げたい。 (写真は若囃太鼓のホームページから借用) 2006.12.31

■■■ 016 嗚呼!! 寒中水浴 ■■■

 平成18年(2006)12月下旬、鐵砲洲稲荷神社弥生会の石川辰夫幹事長からカレンダーとポスターと共に広報紙「いやおひ第25号」(新年号)が送られてきた。その中に、2006年1月9日(日)鐵砲洲稲荷神社で開かれた寒中水浴大会に参加された入船三丁目の安西良一さんの随筆が掲載されており、私の写真が2枚使われている。「嗚呼!! 寒中水浴」と題するこの作品は、寒中水浴を体験した人でないと書けない素晴らしい随筆なので、ここに紹介させて頂く。  続・寒中水浴大会
 なお、平成19年(2007)第52回寒中水浴大会は、1月14日(日)午前11時から鐵砲洲稲荷神社で実施される予定であるが、越中褌と白鉢巻があれば、健康な人ならどなたでも飛び入り参加自由なので、ふるって参加されたい。(社務所一階で受付け、二階で着替え。水浴後、湊湯まで歩いて入浴、社務所二階で昼食の後、解散。)
               鐵砲洲稲荷神社 住所: 〒104-0043 東京都中央区湊一丁目六番七号  電話: 03-3551-2647

★☆★彡

寒中水浴大会(鐵砲洲稲荷神社/東京都中央区湊一丁目)

             ↓安西良一さん

氷柱の中の禊

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 皆さんは究極の冷たさってわかりますか? 文字に書いてもよくわからないと思いますけれども、「寒冷」なんてもんじゃなく「極寒」でもない。寒いという感覚で震えるんじゃなくて、痛いという感覚で硬直する。それは多分皆さんにとっても未知の世界の出来事だと思うんですけれども、何とも言えない不思議な恍惚感に浸れて厳かな気分も味わえるという、何だか神輿を担いだ後の余韻にも似てるんですよねこれが。何がって? 寒中水浴がさ!

寒中水浴中の安西良一さん(女性の右隣)

寒中水浴中の安西良一さん(女性の右隣)

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 鐵砲洲稲荷神社恒例の寒中水浴大会が一月十四日の日曜日にやってくるんですよね(よしゃあいいのに)。私が初めて参加したのはまだ去年(平成18年)のことなんです。
 ひょんなことから I という人に誘われて(ほとんど脅しで!)参加した当日、初夜を迎える若妻のように小刻みに震える私にですよ、その I 幹(編者注:石川幹事長)・・・もとい! I さんが優しい目で言うのですよ。「大丈夫!!安西さん、初めは痛いけど、なれてくるとだんだん気持ちがよくなるから」って。ん? そしたら、隣で銀一東(編者注:銀座一丁目東)の男伊達Oさんがニコニコ笑ってうなづくんですよ、フンドシ一丁の姿で・・・。その目がやたら頼もしくて、つい「アニキ!」なんて呼びそうになった自分が別の世界へ行きそうで、「シンジラレナーイ!」

湊湯の脱衣所

湊湯の脱衣所

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 でもね、皆さんに伝えたいこと、それは水浴が終わってからのお風呂なんです。湊湯さんが用意してくださったお湯に、超冷え切った体で飛び込めば、その四十度近いお湯の中で体はどうなると思います? 普通、冷えた体でお湯に入ると、温かいお湯でも熱く感じるじゃないですか。それが違うんですよ。体が震えるんです!
 肌とお湯の間に冷たい幕が張られてヒヤーとして、あんな感覚はめったに味わえません。それと、私は学者じゃないので理屈はわかりませんがね、いわゆる「ギョク」が二個ともなくなるんですよ。二個ともですよ!上がっちゃってるんです。そして大事な「♂」もどこに行ったのって感じで(私の場合は元々かも・・・)、お風呂の中でですよ。

湊湯の湯舟の交歓

湊湯の湯舟の交歓

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 ところが、だんだん込み上げてくる愉悦のひととき、ポカポカと温まってくるとそりゃ気持ちのいいのなんのって、この達成感、充足感はやった人じゃなきゃわかりゃしめえって、ホントお勧めですよ皆さん。冗談や油断じゃできないけれど、導師(編者注:道彦)のご指導のもと万全の準備で臨めるし、粋がってやせ我慢するのが江戸っ子なら女性にも資格は十分ありますよ。あ!?去年の秋ごろ湯河原で伝統文化を守って大いに啓蒙?されてきたHさんはじめ諸先輩方、ぜひ!ぜひ!こっちの伝統行事も守ろうじゃありませんか!ね!!    入船三丁目 安西良一   (2006.12.31)

 

■■■ 015 神田祭の江戸っ子たち ■■■ 

 

神田祭は昔から「江戸の華」と呼ばれ、江戸っ子たちの粋な姿が躍動する。中でもふんどし姿の男たちは、特に威勢が良い。例外なく六尺ふんどしを前袋式に締めている。神輿を担ぐのは白晒が基本だが、色物や柄物など、派手なふんどしを締めて自己主張している男たちも多く、粋で華やかな雰囲気を醸し出している。

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神田祭 神輿宮入 2003年5月11日

神田祭

お祭り大好き神田祭

 日本橋の向こうからお囃子が聞こえてくると、お尻がウズウズしてきて、おうちを飛び出しちゃうの、キャッホー。「もう、がまんできない!」です。亜土はなんと日本橋室町に三代続く江戸っ子で、神田明神の氏子なのだ。(略)

資料

 お祭りは専ら行列を追いかけるだけだけど、実は・・・、お神輿を担ぐ人のふんどしを締めたお尻が美しい!中学生の頃からなんてセクシーなんだろうと思ってた、キャハハ。ませてたのかな。お祭りが盛り上がって熱気が最高潮に達すると、お尻もピンクになるのね。あっ、言っちゃった!

水森亜土(みずもりあど) 談 (東京人 2003年6月号52頁)

 

■■■ 014 奉納相撲 ■■■ 

相撲絵図

相撲絵図

船橋大神宮奉納相撲

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木漏日の宮相撲はや四百年  北舟

2005年10月31日制作

熱戦を見守る力士と観衆

奉納子ども相撲大会(船橋大神宮/千葉県船橋市)

船橋大神宮子ども相撲

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太陽を身いっぱいに宮相撲  北舟

2004年10月17日

土俵際の上手投

奉納子ども相撲大会(船橋大神宮/千葉県船橋市)


 相撲は、日本の国技である。相撲の盛んな土佐の高知に育ったせいか、私の小中学校時代は校庭に土俵があり、相撲が正課だった。児童用のまわしも備えてあり、キチッとした格好で相撲を取った。

 激しく相撲を取ると、まわしが緩み、男子の第一次性徴が横から見えたり、はみ出したりした。女子は「キャー」と歓声をあげながら見ていた。古き良き時代だったかもしれない。
少年のふぐり見えもす草相撲  北舟

 

 現代、大相撲もモンゴル出身の朝青龍など、外人の関取にお株を奪われ、人気もサッカーや野球に押され気味である。学校の土俵も殆ど消えてしまった。奉納相撲もパンツの上にまわしを締めさせるような神社も出てくる始末である。

 恵まれた体格の男子でないと、スポーツとしての相撲の道には入りにくい。普通の子は、まわしを締めて相撲を取る機会が殆どない現状を憂う。
 伝統文化の継承を担う寺社が、祭礼の際に伝統のまわしをキチッと締めさせ、神事相撲や奉納相撲を盛大に催して、地域の伝統文化としての相撲を存続させて欲しいと願わざるを得ない。
写真提供: 若者の祭

■■■ 013 父の日ふんどし好調 ■■■

三越銀座店 年200枚→8000枚

 2006年5月24日(水)の朝日新聞朝刊に「父の日ふんどし好調 三越銀座店 年200枚→8000枚」という見出しで、ふんどしがよく売れているという記事が出た。
 6月18日の父の日を前に、今年も「ふんどし」が好調だ。昨春テレビ番組が「クラシックパンツ」として取り上げ、人気に火がついた。三越銀座店(東京)ではブーム前が年間200枚程度だったのに、05年4月からこれまでに約8000枚を売ったという。
 同店では今年、ふんどしと同じ柄のTシャツや、ジャージー風の伸縮性のある綿素材(のふんどし)が登場。昨年以上に柄の種類をそろえた。
 1枚525〜2100円(税込み)程度。担当バイヤーは「スーツの下につけるのは抵抗があるかもしれないが、風通しがいい。自分用に買う30〜40代の男性のほか、贈答品にする女性も増えている」という。
 朝日新聞のいう「ふんどし」とは越中褌のことで、風通しが良く、私も医者に勧められて常用40年に及ぶ。「スーツの下につけるのは抵抗があるかもしれない」と担当バイヤーが云ったそうだが、勤務中に下着を人に見せることはあり得ないので、勝手な憶測である。
 明治維新による文明開化以来、和魂洋才の日本男性はスーツ(背広)の下に日本古来の下着である褌を着用してきたのであり、既に140年の歴史があることを知らないのだろうか。越中褌は、私のような汗かきにはもってこいの健康肌着である。これから夏場を迎え、益々需要が高まることだろう。
 2005年9月3日、旅紀行裸祭り 4+ ふんどし談義 がフリー百科事典 ウィキペディア:「ふんどし」 の外部リンクの9番目に掲載されていることが分かったが、それ以来、毎日250〜300件のアクセスがあり、4ヵ月で3万件というペースが続いている。2006年5月現在、既にベルサイユ宮殿 の14万件を抜いて間もなく16万件に達する勢いで、日本三大奇祭 の21万件に次ぐ人気作品として定着しており、「ふんどしブーム」を裏付けている。  2006.5.24

■■■ 012 船橋大神宮こども相撲の写真がんぱく相撲に! ■■■

 2006年4月21日、船橋大神宮子ども相撲 の三枚の写真が愛知県安城市(社)安城青年会議所が主催するわんぱく相撲の予選「安城場所」の広報サイトに掲載された。

 去る4月16日に「私ども社団法人安城青年会議所は今年度(2006年)に安城青年会議所として初めての「わんぱく相撲」を開催することとなりました。そこで、わんぱく相撲安城場所をPRするためのホームページを作成しているのですが子供の相撲をとっている画像がなく困惑しておりました。和田さんのホームページ内の掲載画像を使用させていただいてもよろしいでしょうか?」というメールをいただき、了承していたところ、このたび完成したとの連絡を受けた。
公開されたURL: http://www.asahi-net.or.jp/~je7t-oot/ 

 大相撲のメッカ・東京両国国技館で行われる全国大会を目指したわんぱく相撲の地区予選に私の写真が役にたち、思わぬ社会貢献ができて、大変嬉しく思う。最近の大相撲は、外国人力士ばかりが活躍し、日本人のふがいなさを痛感しているものとしては、青年会議所が日本の国技である相撲の裾野を広げ、青少年の健全育成のために尽力されておられることに敬意を表したい。 2006.4.22

■■■ 011 わんぱく相撲全国大会 ■■■

 わんぱく相撲全国大会は、全国から東京の国技館に集まった小学生による相撲大会である。小学生に広く相撲実践の機会を与え、心身の鍛錬と健康の増進をはかることを目的に、財団法人日本相撲協会と社団法人東京青年会議所(東京JC)の主催により毎年開催される。 国技館が蔵前から両国に移転された昭和60年(1985)に、わんぱく相撲東京場所と共催でわんぱく相撲全国大会の第1回が開催されたことにはじまる。

開会式の様子

開会式の様子

写真:(社)鴨川青年会議所

 平成18年(2006)の第22回(前身のわんぱく相撲東京場所から数えると第40回)大会は、7月30日に開催され、全国5万5千人の予選を勝ち抜いた小学4〜6年生約450人があこがれの土俵に上がった。大会の前夜には、出場選手は相撲部屋に泊まる特典があり、大部屋で力士と一緒にちゃんこ鍋を食べ、布団を並べて寝る。この体験で、わがままだった子供たちが、勝負にこだわり、勝てば喜び、負けたら大泣きするようになるという。「わんぱく相撲」は、(社)日本青年会議所(JCI)の素晴らしい社会貢献であり、これからの更なる発展を祈念している。

善通寺市与北小学校の予選を経て出場したさぬき地区の選手

善通寺市与北小学校の予選を経て出場したさぬき地区の選手

写真:(社)さぬき青年会議所

 2006年10月14日(土)の朝日新聞夕刊の第1面に「わんぱく育てる草相撲」という見出しで、今年の実行委員長を務められた堅山真一さんの熱い思いが掲載されている。その締めくくりの言葉が印象的だった。「実は、本大会はオマケです。本当に大切なのは予選。地域で集まり、勝った負けたで喜ぶ。そうい場を提供したいんです。」 今後益々の発展を祈念したい。

 船橋大神宮子ども相撲  

 地域で楽しむ草相撲は、全国各地の鎮守の森や学校などで行われていたが、都市化が進み、学校から土俵が失われてゆくに従って廃れていった。千葉県船橋市に鎮座する船橋大神宮の子ども相撲は、今年も10月15日に開催された。ここでは、伝統に従い、男子は肌に直接まわしを締めて相撲を取る。

 パンツの上にまわしを締めてもよければ出場するという学校もあるが、主催者の船橋大神宮奉納相撲執行委員会(氏子青年部)は、そのような不格好な参加は認められないというこだわりをもつ。子供用のまわしは、執行委員会が用意しており、自前のまわしを持参する子もいるが、すべてテント小屋で世話役が締めてくれる。

船橋大神宮子ども相撲の立ち会い

以下3枚は、わんぱく相撲の広報写真に使用されたもの

船橋大神宮子ども相撲の立ち会い

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体操着の上にまわしを締めた女子の相撲

体操着の上にまわしを締めた女子の相撲

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太陽の下の真剣な立ち会い

太陽の下の真剣な立ち会い

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 船橋大神宮の奉納相撲は、約400年前に徳川家康が鷹狩りで船橋に滞在した際、地元漁師の子供たちが相撲を取って見せたところ、大変喜んだ家康が相撲を神社に奉納したことに始まるという。家康の船橋御殿が廃止された後も、その広大な地所を与えられた大神宮の祭礼に相撲は欠かせない行事となった。

 400年の歴史を誇る奉納相撲は、大人の部と子供の部があり、毎年10月20日の大人の部に先立つ日曜日に、子ども相撲大会が開かれる。関東地区では貴重な行事であり、これからも伝統を崩すことなく、益々の発展を願いたい。 2006.10.15

■■■ 010 財)全国防犯協会連合会発行の「KOBAN」に写真掲載! ■■■ 

2005年12月23日(金) 今日、警察庁が設置・監督する公益法人・(財)全国防犯協会連合会から季刊誌「KOBAN」2006年冬(52号)が送られてきた。10月25日、同誌編集部の宮内智子さんからお便りをいただき、 天下の奇祭!西大寺会陽 に掲載されている次の6枚の写真を無償提供していたもので、完成したものが送られてきたのである。

     西大寺本堂 http://wadaphoto.jp/maturi/images/saie04l.jpg
     西大寺高校の垢離取り http://wadaphoto.jp/maturi/images/saie33l.jpg
     猛者たちの登場 http://wadaphoto.jp/maturi/images/saie42l.jpg
     串牛玉の奪い合い http://wadaphoto.jp/maturi/images/saie53l.jpg
     大床の攻防! http://wadaphoto.jp/maturi/images/saie51l.jpg
     仁王門を凱旋する福男たち http://wadaphoto.jp/maturi/images/saie57l.jpg

「私、(財)全国防犯協会連合会が警察活動の活性化を目的として発行しております「KOBAN」という定期刊行物の編集部の宮内智子と申します。季刊誌であります本誌は現在2006年冬号の発行のための準備を進めております。

本誌には「ふるさとの祭りに会える旅」というコーナーを設けておりまして、全国の交番・駐在所との連携で、毎号約2ページに渡り、その時期に行なわれる全国の歴史あるお祭りの中で、特に特徴や話題性のあるものなどを、ピックアップして紹介しております。

今回、岡山の「西大寺会陽」について特集したいと思い、資料を探しておりましたところ、和田様のHPを拝見させていただくに至りました。とても充実した素晴らしいHPを開設されていることに感銘を受けると同時に、私どもの紙面の作成のために、ぜひ和田様のお写真をお借りできないかと思い立ち、お願いのメールをさせていただいた次第です。」

KOBANの表紙

KOBANに掲載された西大寺会陽の写真

KOBANの表紙 KOBANに掲載された西大寺会陽の写真

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 送られてきたKOBAN誌は、縦25cmX横18cm、27頁の小冊子で、「ふるさとの祭りに会える 裸祭り西大寺会陽」という特集記事が22・23頁に見開きで掲載されており、その中に提供した写真が使われていた。23頁の左下に「写真提供/Wa☆Daフォトギャラリー 撮影/ちばあきお」とキャプションが表示されていた。

仁王門を凱旋する福男たち

西大寺九千人の会陽かな  北舟

 もう一つの宝木の取主は、7回目となった岡山市神埼町の理髪業・林グループ(林昭二郎さんら30人)で、次の3名が福男に認定された。樽井グループと共に2年ぶりの獲得という。宝木でガッツポーズの人は丹原一二さん。青いジャンバー姿が会長の林昭二郎さん。

福男: 岡山市佐山 丹原 一二   玉野市長尾 林 大輔   岡山市関 柳本 浩行 (敬称略)

仁王門を凱旋する福男

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 この作品は、2005年2月19日(土)、備前(びぜん)の国、岡山市・西大寺観音院で行われたはだか祭りの会陽(えよう)で褌一丁の男たちによる勇壮な宝木(しんぎ)争奪戦の一部始終をちばあきおさんが激写し、3月13日に「感動写真集第51集」としてアップしていたもので、ちばあきおさんのご協力に感謝申し上げるとともに、全国の警察の防犯活動に一役買うことができ、思わぬ社会貢献となったことが嬉しい。

■■■ 009 「ふんどし談義」アクセス10万件突破! ■■■

 2005年9月3日、旅紀行裸祭り 4+ 集「ふんどし談義」がフリー百科事典 ウィキペディア:「ふんどし」 の外部リンクの9番目に掲載されていることが分かったが、そのお陰で毎日300〜400件のアクセスがあり、さきほど、10万件を超えていることが分かった。
 これまで播州の秋祭りを中心にふんどしに関する筆者の思い入れを綴ってきたが、播州秋祭・ふんどし談義4/4で一応の決着をみた。しかし、その後も裸祭りの収録を重ねていくうちに、新たな話題が増えてきたことや、本稿が非常に好評であることもあり、2003年5月10日に、続編として「ふんどし談義」をスタートさせ、ふんどし全般に関する話題を書き綴ってきた。
 ふんどしを扱うサイトは、ふんどし販売店やアダルトサイトを除くと、下着としてのふんどしをテーマとした趣味のサイトが多く、私のように修行や奉納相撲なども含めた祭祀・祭礼の伝統衣装としてのふんどしに着目したサイトは見あたらない。同じふんどしでも私のサイトは、見せるふんどし、ハレのふんどし、外出用のふんどしである。
 当サイトのふんどし姿は、大勢の観客の前で憚ることなく伝統文化をアピールするものであり、公序良俗に反するところはなく、どこに出しても恥ずかしいところはない。ふんどし談義は、播州秋祭・ふんどし談義を含めると、既に4年近くになるが、一度もクレームがないのは、当然のことである。高精細の鮮明なふんどし姿が躍動する私のサイトは、極めて健全であり、それ故に人気が高いと思われる。
 これからも、魅せるふんどし文化を掘り起こしてゆきたいと思うが、祭礼のふんどしと下着のふんどしは、ともに高温多湿の日本の気候風土に合った裸文化であるので、あまり区別することなく、広く話題を拾ってゆきたいと思う。 2005.9.25

■■■  008 百科事典の「ふんどし」の解説にリンク! ■■■

ウィキペディア:「ふんどし」

 私は司馬遼太郎が愛用していた平凡社の世界大百科事典の電子版を愛用しているが、最近、フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)というのが出てきた。色々な検索でこの辞典に行き着くことがしばしばある。この事典はinternetに公開された無料の百科事典で、読者も書き込みができるというコンセプトが素晴らしい。

 この事典は文字主体で写真が少ないが、「ふんどし」の説明には赤の水褌(すいこん)姿が掲載されている。(写真下)
 

赤い六尺褌/前

   

赤い六尺褌/後



A man wearing a Japanese traditional
swimwear FUNDOSHI

-red rokushaku- frontside
赤い六尺褌/前  

A man wearing a Japanese traditional
swimwear FUNDOSHI

-red rokushaku- backside
赤い六尺褌/後
 当サイトを含め、「ふんどし」に関するinternetの記事は多数あり、玉石混淆のありさまだが、ウィキペディアには多彩な解説が載せられており、良く書けている。九尺褌やサイジなどの紹介もあるほか、女性の褌が珍しいことではないという説明まである。アダルトの解説では、褌がゲイに愛用されている実態が偏見なく紹介されている。また、「文学・漫画・アニメ・番組の中の褌」まで掲載され、宮沢りえが褌姿を公開した話など、幅広い話題が掲載されている。

外部リンクに「ふんどし談義」が掲載!

 最後に「外部リンク」という項目があり、「ふんどし」に関するサイトが紹介されている。何気なく見ていると、何と「ふんどし談義」という見出して、当サイトのこのページがリンクされていた! 最近このページは一日300件を越えるアクセスがあるので、不思議に思っていたが、ウィキペディアにリンクされたために急増したようで、大変光栄である。 2005.9.03

■■■ 007 ふんどしを販売するサイト ■■■ 

new ! たふさぎ屋 (たふさぎや)  http://tafusagiya.ocnk.net/ 

  たふさぎ屋

男女のふんどしファッションショー

男女のふんどしファッションショー
  サイトのコンセプト 私はこの4月より新たにふんどしブランド『たふさぎ屋』を立ち上げたkinchanことN.と申します。以前は普通のサラリーマンでしたが、ほんの遊びの延長でふんどしを製作しているうちに、とうとう脱サラしてふんどし屋を開業(顛末は下記ブログに記しています)してしまいました。
  まだ立ち上げたばかりでWEBのみでの展開ですが、今後はリアル店舗への展開も視野に入れ準備中です。
  ふんどしの機能的な長所を知り、何とかトランクス、ブリーフに並ぶ第三の下着として、もっと広く定着させたいと考え、洋装にもマッチするふんどしをテーマに商品開発をしております。立ち上げのプロパガンダとしてイベントも開催し、7誌程にこの模様の記事も掲載して頂き、それなりの感触も得ました。
  ただ、なにぶん走り始めたばかりですので、広く色々な方からのご意見も頂戴し、より良い商品作りを目指すと共に、安定顧客層の獲得に努めて行く必要性を感じております。
   私のブログ http://d.hatena.ne.jp/tenchou-kinchan/

筆者評 昨今のふんどしブームのおり、新たに「たふさぎ屋」が開店したが、老舗の褌屋はじめ和粋屋などinternetの褌販売店が繁盛している中で、どれだけのオリジナリティを出すかが勝負の分かれ目である。今回、ファッションをコンセプトに、洋装にもマッチする「modeふんどし」を出されたことは、これまでにない路線であり、若者を中心に人気が出るのではないかと思われる。しかも、女性のふんどしも販売するという話題性に富んだ企画で、なかなか面白い着想だと思う。
 また、男女のふんどしファッションショーを実施し、マスコミが報道して、かなりの反響があったようで、N.さんの自由奔放なアイデアと行動力にはとても感心した。
 ファッション性溢れる男女の健康肌着として、奇抜な見かけだけでなく、落ち着いた雰囲気のものを加えたり、使用感や耐久性など、良心的な製品を製作されれば、一時的な流行に終わることなく、末永く定着することができると思われる。また、大人だけでなく家族全員で楽しめるよう、子供用のふんどしも開発されると良い。親がふんどしをすれば、子供たちもしたくなるのは自然の成り行きだから・・・。(^^
 今回、私が最も高く評価したい点は、洋風の下着として、クラシックパンツなどの変なネーミングではなく、あくまでも「ふんどし」という言葉を使っていることである。ふんどしという言葉や響きが若い人たちに違和感なく受け入れられる時代がやって来たのかも知れない。「たふさぎ」もふんどし(褌)の古語で、今や死語となっているが、その言葉を掘り出してこられた点も評価したい。たふさぎ屋の今後ますますのご発展を祈念したい。    2006年5月30日

和粋屋 貴兵衛 (わすいや・きへえ)  http://www.wasuiya.com/ 

  和粋屋 貴兵衛

六尺褌「花と鼓」

六尺褌「花と鼓」
サイトのコンセプト 日本の伝統文化には、素晴らしいものがたくさんあります。「褌(ふんどし)」もその一つです。シンプルで機能性に富み、それでいて男の粋と艶を演出してくれる「褌」。私は大好きです。
 私が褌を愛用しはじめたのは、もともと和風のものが好だったということもあり、褌にも興味があったのですが、最初どこで買っていいのかもわからず、ネットでやっと見つけて、締めてみたんです。
 そうしましたら・・・・「癖」になってしまいました。
 そうなると人間、いろいろなものが欲しくなります。しかしなかなか自分のイメージしたものが市場になく、とうとう自作し、皆様にも提供したいと思うようになりました。 気にいっていただけるかどうか分かりませんが、一人でも多くの方々に、私の作った「褌」を身に付けていただけると、とても嬉しいです。    

筆者評 このたび、相互リンクの申し出をお受けし、ここに紹介することにした。病膏肓に入るというか、褌愛用者が褌の店を開いた。あっという間に1万アクセスを突破したという。品揃えは越中褌(Japanese relax underwear)、六尺褌(Japanese T-back underwear)、畚褌(Japanese relax underwear)、黒猫褌(Japanese string underwear)の無地や色柄ものなど、既に100点を超える。木綿だけでなく絹も取り揃えている。
 六尺褌は、幅22cmとスリムになっており、全幅のオーソドックスなものはなく、どれもかなり派手で祭りに魅せる褌といったコンセプトなのだろうか。若向けといえるかも知れない。来年正月の寒中神輿錬成会に和粋屋貴兵衛の褌を締めてくる人がいるかも知れない。
 和粋屋の主人は私と同じメンタリティを持っておられるようである。褌愛用者が新しく褌の製造・販売という事業を立ち上げたとは、ちょっと真似のできないことである。このジャンルには「褌屋」という老舗があるが、新しいコンセプトを打ち出し、大いに褌の良さをアピールし、高温多湿の日本にマッチした下着文化の普及に貢献されるよう、祈念している。

2004年12月19日

褌 屋  http://www.fundoshiya.com/

一枚一枚手作りで褌を制作するオーダーメイドの店

サイトのコンセプト 日本に古くから伝わる伝統的下着「褌(ふんどし)」。現代の日本では便利なものだらけです。しかし、日本にも古くから伝わる良い物があります。
褌屋は日本男児の伝統的下着「褌(ふんどし)」を通して少しでも日本の心を感じて頂ければと考え、一枚一枚手作りでこころを込めて褌の制作を致しております。
生地や縫い方にもこだわりを持って制作しております。また、ご注文をお受けしてから褌を制作しておりますので細部に至るまで非常なこだわりをお持ちお客様のご希望どおりの褌を制作致します。褌屋はお客様の「こだわり」に出来る限りお答えいたします。ご自宅での手作りの褌に変わる褌を褌屋が手作りでお作り致します。
褌屋を紹介したメディア 週刊文春 日経トレンディ 朝日新聞 読売TV 日刊ゲンダイ 週刊プレイボーイ  Mac fan Internet AERA ほか 朝日新聞の紹介記事
筆者評 大手デパートでは今でも下着としての褌(越中褌)を販売しているが、1本5〜600円程度の安いものが多く、長く使い込める良品は少ない。褌屋は、褌を専門に製造・販売する個人経営店で、インターネット通販としてスタートした。値段は高いが、六尺、越中、黒猫などの種類や生地も豊富で、身体にあわせた縫製をしてくれる。褌を自作できない人には重宝する。また、ほころびやすい部位を補強するなど、丈夫に造られており、褌愛用者の定番の店となっている。
■■■ 006  

越中褌えっちゅうふんどし

のたたみ方:「国旗だたみ」 ■■■
 ふんどし談義」がフリー百科事典 ウィキペディア:「ふんどし」 の外部リンクに掲載されて以来、アクセスが増え、4ヵ月で3万アクセスをカウント。現在13万アクセスを超えている。そのお陰で、以前にも増して褌のお便りや質問が来るようになった。
 褌の締め方は褌を販売する褌屋や褌愛好者のホームページに解説があるが、洗濯した後のたたみ方はどこにも載っていない。特に越中褌は、日常の下着として愛用されている最もポピュラーな褌であるが、たたみ方に工夫を要する。褌屋や三越などから送られてくるものは、スカーフや風呂敷をたたむような形がとられ、紐の部分は中に折り込まれている。このたたみ方では、普段の着用には不便である。
 先日、読者から越中褌のたたみ方について質問を受けたので、今は亡き大正生まれの母から教わった便利な方法を説明したい。国旗と同じたたみ方なので「国旗だたみ」と名付けるが、昔はほとんどこの方法だったのではなかろうか。

越中褌のたたみ方1
   1           2           3          4           5                  6      7 

越中褌のたたみ方2
8

 1から7のようにたたんで完成。8は拡大写真。この状態でタンスの引き出しに奥の方から手前に、横にして立てて並べるとスペースをとらない。手前から順に使用し、洗濯したものは奥に補充する。一束にまとまっているので扱いやすく、旅行に持ち運ぶ際も便利である。なお、洗濯は他の下着と一緒に洗うと絡まってしまい、干すのに手間がかかるので、脱水までネットに入れておくとよい。
越中褌着用法 越中褌を着用するときは、紐に挟んで留めている紐の端を片手で引き出し、両手でそれぞれの紐の端を持ってパラリと広げると、一瞬にして展開する。立褌(たてみつ 布の方)を尻に当て、臍(へそ)下三寸(約10cm)前後の位置で横褌(よこみつ 紐の方)を蝶結びに結び、尻に垂れている立褌を股下から前に引き揚げ、紐の下を通して前に垂らす。股下と下腹部の当たり具合を調整して完了。
越中褌の外し方 越中褌は、片手で紐の結び目の片端を引けば、バラリと外れる。愛好者は、この簡便さ、この気持ち良さがたまらないという。 2006.1.20

■■■  005 褌の切手 ■■■

 9月22日、タイにお住いの宮嶋さんから「今日は宮島玉取祭を拝見させていただきました。宮島は字こそ違いますが、私の姓と同じ発音ですので親しみが持てます。前垂れ式の赤褌なんですね。私の子供の頃の海水浴では前垂れ式もありましたが、ほとんどが前袋式の赤褌や晒の六尺褌でしたので懐かしく拝見させていただきました。」というお便りをいただき、そのあと褌談義に発展した。   2004年9月29日(水) 

赤褌の青年/タイ

 

水褌の少年/日本

赤褌の青年/タイ   水褌の少年/日本

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 その中で、タイに褌の切手があるという話があり、その実物が今日届いた。この切手は、1996年の International Letter Writing Week の記念切手で、赤褌の青年が彼女と春を謳歌しているところである。既に売り切れているそうで、貴重なものをお送り頂いた。
 日本にも褌の切手がある。実物は使ってしまったので、画像をお送りしたのだが、童謡「われは海の子」を記念した切手で、浜辺の少年がヤスとしとめた魚を持ち、一眼(いちがん)と呼ばれる水中眼鏡に白の水褌(すいこん 前袋式六尺褌)を締めている姿である。戦後しばらくは、地方の浜辺ではこのような風景が普通で、熟年の世代にとっては郷愁をそそる姿である。
 

■■■ 004 浅草・三社祭の江戸っ子たち ■■■ 

はだか神輿

土煙の中の裸神輿 / 観音裏広場

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江戸の夏祭りのひとつ、三社祭では、約100基の神輿が浅草寺・観音堂裏に集合する。この日も江戸っ子たちは、粋で鯔背な姿を全身でアピールしていた。

ちびっ子の粋な姿

ちびっ子の粋な姿 1 ちびっ子の粋な姿 2

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神輿をバックに撮影に応じてくれたちびっ子君。親譲りの大切な半纏なのだろう、かなり大きめのものを尻からげして真っ白なふんどしが見えるようにしている。ちょっぴり大人になった気分なのだろうか。なかなか様になっていて頼もしい。

浅草・三社祭 2003年5月17日(土)

淺草・三社祭

■■■ 003 ふんどしに関する諺 ■■■ 

 男性の下着がふんどし(褌)であった江戸時代以降、庶民の間で流行った諺を拾ってみた。

義理と褌

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義理と褌

 義理と褌の組み合わせが面白い。義理も褌もともに忘れるわけにはいかないということである。上方では「義理と褌かかねばならぬ」という。「かく」は「する」という意味で、「欠く」と同音なので「義理と褌欠かされぬ」といったりする。
 これを解説した挿絵を描いたのは、江戸末期から明治初期にかけて活躍した河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)。日本初の漫画雑誌である「絵新聞日本地(につぽんち)」を創刊したことで知られる。
 絵は文字道理の意味で、男が着物を着ようとするところである。まず最初に褌から身につけようとしたところを、妻子がその格好に声を上げている。子供が親父の股間を指さして囃し立てたので、妻もその格好を見て可笑しくなったのだろう。

当てことと越中褌

 当てにしていて前々から楽しみにしていることは、越中褌(えっちゅうふんどし)が外れやすいのと同じように、とかく実現しないものだという。「当てことと(越中)褌は向こうから外れる」ともいう。
 越中褌は三尺褌とも呼ばれ、長さ約1m、幅約35cmの布に紐をつけたもので、布を倹約できる。現在でも病院ではT字帯として売られている。寝たままの患者を着せ替えるのに便利だからだろう。越中褌は外れやすいので、力仕事をする者は外れにくい六尺褌を締めた。
 越中褌は、江戸時代に発明されたというが、創案者については、松平越中守(定信)のほか、同じく越中守であった細川忠興とするものや、遊女越中に由来するとするものなど、多くの説がある。
当てことと越中褌

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人の褌で相撲を取る

 他人の物を利用して、自らの利益になることをするということで、これは現在でもよく使われる。要領が良い、ずるいなどの意味が込められているので、余り誉められるやり方ではない。相撲は自分の褌で取るべきであろう。

褌を締めてかかる   緊褌一番

 かたく決心をし、覚悟して事に当るということで、これもよく使われる。「褌を締め直す」ともいう。「緊褌一番(きんこんいちばん)」も心を大いに引きしめて、ふるいたって事に当るということで、同じ意味である。

■■■ 002 ふんどしエピソード ■■■ 

関のふんどし地蔵

 江戸から百六里二町、京へ十九里半の鈴鹿の関。ここに地蔵堂があり、「関の地蔵に振り袖着せて、奈良の大仏婿(むこ)にとる」の俗謡で名高いが、途中火災などに遭い、そのたびごとに再興されたという。
 その再興の時に紫野の一休に開眼(かいげん)を頼んだところ、一休は仏に向って「釈迦は過ぎ弥勒は未だ世に出ぬ間の、かかる浮世に目明しめ地蔵」と二、三べん唱えながら小便をして去っていった。里人は大いに怒って奇怪な僧と打とうとすると、足早に逃げ出した。
 そこで地蔵を洗って他の僧に開眼を頼むと、たちまち地蔵の祟りがあって、里の長(おさ)の夢に「名僧が折角供養をしてくれて、うれしかったのに、無智な僧が却って自分を汚した」と示現があった。里人は東へ一休を追いかけて桑名で追いついて、その話をすると、一休は懐中へ手を入れて自分のふんどしをはずし、これを地蔵の襟に掛けろと言うので、早速に持ち帰って一休の言うとおりにしたところが祟りが止んでしまった。そのために地蔵の襟には麻の布がかけてある。

出典:中公新書 岸井良衞著 東海道五十三次 1964年9月30日初版 185-186頁

 現在は、真言宗御室派の九関山宝蔵寺地蔵院といい、 関宿のほぼ中央に位置し、境内の本堂・鐘楼・愛染堂の三棟が国の重要文化財に指定されている。

西郷隆盛の古ふんどしと坂本龍馬

 鹿児島で西郷隆盛の家で厄介になっていた坂本龍馬は、ある日、龍馬は西郷夫人 (糸子) にむかって「いちばん古いふんどしを下さらぬか」とたのんだ。よほど身のまわりの品に不自由していたらしい。
 西郷夫人は、請われるままに隆盛の古くなって使い捨てにするふんどしを龍馬に与えた。西郷が帰宅したとき、そのことを報告すると「お国のために命を捨てようという人だと知らないか。さっそくいちばん新しいのを替えて上げろ」と、目から火が出るほど叱られた。
 西郷はめったに努色を見せない人だったが、あんなに怒ったのは一度だけだった。晩年になって糸子は、あのときの浪人が後日、国士として知られた坂本龍馬であったと、しみじみ述懐したという。

■■■ 001 海女のふんどし ■■■

 現在は、廃れてしまったが、かつて海女(あま)の労働着であった能登半島の先端に位置する舳倉島(へくらじま)の「サイジ」と呼ばれるふんどしの資料が入手したのでここに紹介したい。

 現在、女ふんどしが売り出されて話題を呼んでいるが、昔は、海女(あま)の労働着として、腰巻きと共にふんどしが使われていた。日本のあちこちでその例が見られるが、能登半島の先端にある舳倉島(へくらじま)の「サイジ」と呼ばれる海女ふんどしは、その代表例である。

舳倉島の海女ふんどし「サイジ」

 

サイジ姿で潜る海女

舳倉島の海女ふんどし「サイジ」   サイジ姿で潜る海女
   

資料

 このサイジは、一本の細索(さいさく 細いロープ)を横褌(よこみつ)に使い、その中央に三角形の刺し子の布をつけた簡単なもの。越中褌のように紐を前で結び、三角布を股下から前に導き、前褌(まえみつ)の外側から内側に巻き込んで止めている。越中褌の前垂れは外側に垂らすが、サイジはその反対で、しかも前垂れに当たる部分がとても短い。(参照:サイジ姿の海女)
 彼女たちは実践を通じて改良し、このようなかたちになったもので、これで外れないのは、海の中では刺し子が濡れて摩擦が増し、この寸法で外れることがないことを知ったのであろう。貴重な布なので、必要にして十分な形状がこのサイジなのである。一つとして同じものがないのは、かつての越中褌のように、体型に合ったサイズを手作りしたためである。

サイジ姿の海女

 

鉛のウエイトをつけた海女

 

貝金を腰に差した海女

サイジ姿の海女   鉛のウエイトをつけた海女   貝金を腰に差した海女
       

資料

 現在のダイバーのように身体が浮かないようにロープに鉛を巻いた重しをつけ、鮑(あわび)おこしの貝金(かいがね)(重さ約3kgの鉄製)を短刀のように腰に差した姿は、とても大胆で精悍な姿である。当時、乳房を丸出しにすることは、裸文化の日本では、海女に限らず、日本人にとって恥ずかしい行為ではなかった。
 明治維新のあと、新政府はふんどし一丁の労働着やトップレスが恥ずべき野蛮な行為であるとして、撲滅に腐心したため、高温多湿の気候風土に育まれてきた日本の裸文化が変質し、やがて消滅してしまい、国技の相撲や神事、祭りなどの特別なイベント以外は、公衆の面前で裸体を晒すことができなくなってしまった。
ふんどし談議 2/2

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