ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の裸祭り

2012年2月18日改訂

ログイン時刻

 

 

 

今 日

昨 日

♪納曽利 高麗小乱声〜当曲急

旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

 

餅を搗く千本杵の褌衆  北舟

 

拡大写真(1800X1600)616KB

Men of loincloth, pounding steamed rice with a mallet.

2011年1月11日制作

途中で餅をひっくり返す
 

途中で餅をひっくり返す/胡四王神社(岩手県花巻市)

三割菊   胡四王神社   左三つ巴

胡四王蘇民祭

千本杵

 

撮影・制作 和田義男

はじめに

 
 平成23年(2011)1月2日(日)岩手県花巻市(はなまきし)胡四王山(こしおうさん)(176m)山頂に鎮座する胡四王神社(こしおう・じんじゃ)(杉山昌之すぎやままさし宮司)蘇民祭(そみんさい)が開催され胡四王神社蘇民祭保存会の全面支援により、密着取材を行った。  

 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

岩手県

花巻市はなまきし

の位置

岩手県花巻市の位置

Google Earth
▲▼ 東京駅から東北新幹線に乗ると、約3時間で田園に囲まれたJR新花巻駅に着く。駅から歩いて15分ほどで胡四王神社の社務所に着くが、早朝の準備の模様を取材するため元旦に新花巻駅西方徒歩5分のペンション「ケンジの宿」に一泊した。  

胡四王神社こしおうじんじゃ

の位置

胡四王神社の位置

Google Earth
冬の

胡四王山こしおうさん

 2011.1.27 08:24
 

早池峰山はやちねさん

(1,917m 奥)
胡四王山(176m 前)

冬の胡四王山 2011.1.27 08:24

拡大写真(1600X900)187KB 撮影:菊池寛一
  ▲▼ 胡四王神社は、新花巻駅から西南西 約1.2kmにある胡四王山(こしおうさん)山頂(176m)に胡四王地区の鎮守社として建てられている。蘇民祭前日の元旦、地元の氏子たちが総出で表参道の除雪を行った。  

胡四王山こしおうさん

表参道の除雪 2011.1.1 09:40

胡四王山表参道の除雪 2011.1.1 09:40

拡大写真(1100X1200)207KB 撮影:菊池寛一
  ▼ 1月2日(日)朝8時過ぎに胡四王神社蘇民祭保存会の菊池寛一さんがケンジの宿に迎えに来られ、一緒に圧雪の上を歩いて社務所に向かった。表参道の入口に蘇民祭の案内標識が立っており、TBSテレビが取材していたので、幸運にも松明(たいまつ)が燃えているところを撮影することができた。  
表参道入口に立つ

胡四王こしおう

神社 蘇民祭そみんさい の案内標識 2011.1.2 08:18

表参道入口に立つ胡四王神社蘇民祭の案内標識 2011.1.2 08:18

拡大写真(1800X1430)655KB

▼ 間もなく、石造りの一の鳥居が見えてきた。そばには、「鎮守 胡四王神社」と彫り込まれた立派な石碑が立っている。鳥居の奥に見える赤鳥居から胡四王山(こしおうさん)山頂(176m)に鎮座する胡四王神社まで、約400mの山道が続いている。赤鳥居の手前を左折すると社務所がある。  
 一の鳥居は、胡四王神社拝殿前から始まる蘇民袋争奪戦のゴール地点である。蘇民袋の口を掴んでこの鳥居を通過した選手が取主(とりぬし)となり、優勝旗と取主半纏を手にする。  
一の鳥居と

胡四王こしおう

神社 表参道

一の鳥居と胡四王神社表参道

拡大写真(1800X1350)500KB

社務所に着くと、広場の入口に「胡四王蘇民祭 蘇民参加者受付」の看板が設置され、胡四王蘇民祭保存会の半纏を着た役員が応対していた。奉賛金500円を払って選手名簿に住所氏名を登録すると蘇民袋争奪戦に参加することができ、今年は82名が選手登録された。  
奉賛金500円を納めて選手登録 08:44

奉賛金500円を納めて選手登録

拡大写真(1800X1350)435KB

胡四王こしおう

神社
 
社伝の古文書によれば大同2年(807)坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東征の折、将兵の武運長久・無病息災を祈願して兜に納めた薬師如来の小像を安置して開山。稗貫(ひえぬき)氏時代は、天台宗・医王山胡四王寺(いおうざん・こしおうじ)と称し、末寺18ヵ寺を擁して大いに栄えた。  

胡四王山こしおうさん

山麓に建つ社務所(左)

胡四王山山麓に建つ社務所(左)

拡大写真(2000X1300)453KB

 南部藩時代の文化15年(1818)に別当が祀官(しかん)となってからは、薬師如来を医薬の神「大己貴命(おおなむちのみこと)」(別名「大国主命」)と「少名彦命(すくなひこのみこと)」に代え、矢沢神社となった。町村合併で花巻市となった昭和29年(1954)、社名を矢沢神社から胡四王神社に変更し、今日に至っている。  
社務所左の関連施設

社務所左の関連施設

拡大写真(2000X1320)416KB

胡四王こしおう

神社 蘇民祭そみんさい
 
 胡四王神社の蘇民祭は、花巻地方に原因不明の難病が流行したことから、蘇民将来の説話に基づき、今から150年ほど前の慶應元年(1856)から始まったと伝えられている。  
   この伝統ある蘇民祭も戦後の混乱期に衰退し、中断の憂き目に遭ったが昭和49年(1974)に復活し平成2年(1990)には「胡四王神社蘇民祭保存会」が発足、平成7年(1995)には「花巻市無形民俗文化財」に指定され磐石の体勢となって今日に至っている。  
支度部屋で ふんどし を締める参加者たち

支度部屋で褌・腹巻を締める参加者たち

拡大写真(1800X1350)309KB

▲▼ 菊池さんに案内されて宮司宅そばの支度部屋に行くと、参加者たちが褌を締めていた。一反の白晒木綿を使い、手慣れた手つきで、あっという間に前袋式六尺褌・腹巻姿の裸男ができあがった。  

後褌うしろみつ

でヒッチをかける

後褌でヒッチをかける

拡大写真(1400X1050)115KB 撮影:菊池寛一
男たちは褌の上に「まわし」と呼ばれる注連縄(しめなわ)をつけるのが胡四王蘇民祭の特徴である。白鉢巻を前結びに締め、白足袋を履いて身支度が整った。  
褌の上に「まわし」( 注連縄しめなわ )を締める

褌の上に「まわし」(注連縄)を締める

拡大写真(1450X1800)317KB

この日TBSの男性記者が体験取材のため褌一丁になった。この後蘇民袋争奪戦までがビデオ録画され1月4日(火)16:53〜19:00の間に、NスタNトク「裸に罵声に泥相撲!?仰天!新年の奇祭密着」というタイトルでセンセーショナルに放映された。  
体験取材のため褌一丁となったTBSの記者

体験取材のため褌一丁となったTBSの記者

拡大写真(1600X1300)248KB

撮影:菊池寛一
▼ 社務所前の広場では参加者たちが焚き火を囲み、暖を取っていた。晴天に恵まれた2日の外気温は-5℃と冷え込んでおり、地面は全て雪に覆われ、焚き火も圧雪の上である。身支度を調えた裸衆は、防寒着をはおり、足袋だけでは寒いので、藁束に乗ったり、サンダルを履いたりしている。  
暖を取りながら社務所広場で待機する参加者たち 08:50

暖を取りながら社務所広場で待機する参加者たち 08:50

拡大写真(1800X1150)413KB

▼ 社務所の玄関を入ると、賽銭箱とカラフルな鈴紐があり、奥の遙拝殿(ようはいでん)に向かって参拝できるようになっている。幸運にも毎年参加する家族が二礼二拍手一礼の作法により参拝しているところに出会えた。奥の少年は、平成20年(2008)のクボタのカレンダーに登場して話題となった。  
遙拝殿に向かって参拝する親子の参加者/社務所玄関 09:00
クボタのカレンダー  

遙拝殿に向かって参拝する親子の参加者/社務所玄関 09:00

拡大写真(1800X1350)394KB

蘇民袋そみんぶくろ

 

▼ 社務所玄関の奥は、そのまま遙拝殿(ようはいでん)となっており、奥の祭壇には、蘇民袋が安置されていた。

 
社務所奥の 遙拝殿ようはいでん

社務所奥の遙拝殿

拡大写真(2000X1500)640KB

▼ 麻布で作られた蘇民袋は、縦35cm・横18cmの大きさがあり、中には、境内の桜の木で作られたコマ(コマギ)156枚(十二支の焼印のもの12組、今年の干支/卯 12枚)と親札(おやふだ)1枚が入れられ、こぼれ出ないように口紐で結わえられている。 袋の表面には、「国家安穏 四王蘇民袋 五穀豊穣」と墨書されていた。  
四王蘇民袋しおうそみんぶくろ

四王蘇民袋

拡大写真(2000X1500)406KB

▼ 午前9時になると、社務所に隣接する胡四王研修館で、審判長会議が行われ、中島秀樹保存会会長の挨拶のあと、最後の打ち合わせや段取の最終確認が行われ、列席した14人が今年の審判をつとめることになった。  
審判長会議で挨拶する 中島秀樹 保存会会長/胡四王研修館 09:02
鎌田清孝審判長 佐藤昭男実行委員会会長

 

中島秀樹保存会会長

審判長会議で挨拶する中島秀樹保存会会長/胡四王研修館 09:02

拡大写真(2000X1500)480KB

▼ 午前9時過ぎから、社務所前広場で4人の褌衆による恒例の餅つきが行われた。1辺が2.3mの餅搗場(もちつきば)の四方に注連縄(しめなわ)が張り巡らされており、その中心に稲藁が穂の部分を中にして丸く敷き詰められ、その上に木臼(きうす)が置かれている。  
褌衆ふどししゅう による餅つき/社務所前広場 09:10

褌衆による餅つき/社務所前広場 09:10

拡大写真(1800X1350)428KB

 千本杵(せんぼんぎね)を持つ3人の男たちが蒸し上げた餅米を練り合わせやがて交互に木臼に杵を打ち付けながら餅を搗(つ)きあげる神事が執り行われた。  

千本杵せんぼんぎね

木臼きうす の餅つき

杵と木臼の餅つき

拡大写真(1800X1350)422KB

稲藁いなわら の上に据えられた臼

稲藁の上に据えられた臼

拡大写真(1350X1800)504KB

途中で餅をひっくり返す

途中で餅をひっくり返す

拡大写真(1800X1600)616KB

   餅を搗く千本杵の褌衆  北舟 

もちをつく せんぼんぎねの ふどししゅう

Men of loincloth, pounding steamed rice with a mallet.

き上がった餅

搗き上がった餅

拡大写真(1800X1350)471KB

き上がった餅を運ぶ

搗き上がった餅を運ぶ

拡大写真(1600X1500)274KB

餅が搗(つ)き上がるとのし板に載せられ女性陣によって小餅(こもち)が作られ胡四王山山頂の拝殿で行われる餅撒きに使われる。  
のし板の上で小餅に丸める女性陣

のし板の上で小餅に丸める女性陣

拡大写真(2000X1500)514KB

のびるのびる胡四王の餅

のびるのびる胡四王の餅

拡大写真(1800X1350)345KB

Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2012 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク