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 感動写真集

2006年9月10日改訂

♪埴生の宿メドレー

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2006年6月10日作成

聖池と中央祠堂

聖池と中央祠堂(アンコール・ワット/カンボジア)

カンボジア世界遺産

カンボジア国旗

アンコール・ワット

回廊

補修された

経蔵きょうぞう

 参道を南に進むと両側に経蔵が現れる。経典を納めた蔵であるとされるが、用途の分からない建物は、全て経蔵とされているともいわれる。

参道左手(北)の補修された経蔵

参道左手(北)の補修された経蔵

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睡蓮の

聖池せいち

 続いて、参道の両脇に睡蓮が植えられた聖池が見えてくる。沐浴のための清らかな池であり、乾燥大地にあって、水の大切さを認識させてくれる。北側の聖池の奥には売店があり、その奥に新しい仏教寺院がある。

参道左手(北)の聖池と売店

参道左手(北)の聖池と売店

聖池のそばの売店と新しい仏教寺院

聖池のそばの売店と新しい仏教寺院

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聖池とアンコール・ワット

 このアングルから見たアンコール・ワットは素晴らしく、絵葉書や出版物などで最も多く目にする光景である。とりわけ、睡蓮が花をつけたときに、五つの塔堂の影が水面に映る光景は絶妙である。緑の木々は砂糖椰子。

聖池から見るアンコール・ワット

聖池から見るアンコール・ワット

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 第一回廊から西を見ると、広大な敷地に一本の参道が東西に延び、その脇に聖池と経蔵が建ち、その奥に西塔門が見える。参道の両側と聖池の東側(手前)には延々とナーガの欄干が張り巡らされており、水神ナーガに守られた寺院であることが良く分かる。

第一回廊より聖池・西塔門を臨む

第一回廊より聖池・西塔門を臨む

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西塔門さいとうもん

テラス
 参道を東進すると、やがて西塔門テラスに至る。その奥に第一回廊西塔門があり、十字回廊へと続く。アンコール・ワット遺跡群にしばしばテラスという名称がつけられているが、漢字の「壇」に相当する台状の場所である。

西塔門テラスに向かう観光客たち

西塔門テラスに向かう観光客たち

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 西塔門テラスの正面に近づくと、テラス・第一回廊・中央祠堂の三者が一体となって眼前に迫ってくる。4体のシンハ(獅子)に迎えられてテラスの階段を登る前に、全ての塔堂が一度視界から消え去る演出がなされている。

シンハ(獅子)像と西塔門テラス

4頭のシンハ(獅子)像の間の階段から西塔門テラスに上がる

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第一回廊

第一回廊は、中央祠堂を中心に、高さ4.5m、東西200m、南北180mに及ぶ長方形の巨大な回廊である。

第一回廊北西部と中央祠堂

第一回廊北西部と中央祠堂

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回廊にある部屋の装飾

回廊にある部屋の装飾

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 回廊内部には装飾や浮彫が施されており、中には彩色が残っているところもある。ヒンドゥ教寺院として建てられたアンコール・ワットも、現在は仏教国として随所に仏像が安置され、供物や祈りが捧げられていた。

回廊の部屋に安置された仏像

回廊の部屋に安置された仏像

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彩色が残る回廊の天井

中央は踊るアプサラ(天女)の浮彫

彩色が残る回廊の天井

釈迦涅槃像のような浮彫(レリーフ)

釈迦涅槃像のような浮彫(レリーフ)

 第一回廊の内壁の全面にわたって彫り込まれたインド古代の叙事詩「マハーバーラタ」などを描いた物語浮彫は、クメール人が世界に誇る最も偉大な文化遺産であるともいわれる。我々は中央祠堂まで見学したあとで改めて鑑賞することにした。

延々と続く回廊

延々と続く回廊

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森本右近太夫の落書き

 アンコール・ワットが建立されて約480年後の寛永9年(1632)に日本から森本右近太夫という武士が訪れ、第一回廊と第二回廊を結ぶ十字回廊の壁面に落書きした跡が残されている。残念ながらこの遺筆はポルポト派の兵士により黒く塗りつぶされており、今では殆ど判読できない。文献によると、次のように書かれていたという。

寛永九年正月ニ初而此処来ル生国日本
肥州之住人藤原朝臣森本右近太夫
一房御堂ヲ志シ数千里之海上ヲ渡リ一念
之胸ヲ念ジ重々世々娑婆浮世之思清ル○
為ココニ仏ヲ四行立奉物也
摂州津西池田之住人森本義太夫・・・
○家之一吉○裕道仙之為娑婆ニ・・・
茲ニ書ク物也
尾州之国名ノ郡後室○・・・
老母之魂明生大師為後生・・・
茲ニ書物也
               寛永九年正月卅日

 肥州の住人、藤原朝臣森本右近太夫一房が数千里の海上を渡り、父義太夫の菩提を弔い、老母の後生を祈るため、はるばる海上を渡り、寛永9年(1632)正月30日この寺院に到着したことが記されている。歴史的な意味合いもあり、消されずに保存されている。

森本右近太夫の落書き

森本右近太夫の落書き

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