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 感動写真集

2006年9月10日改訂

♪埴生の宿メドレー

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2006年6月10日作成

タイそっくりのアプサラ舞踊

タイそっくりのアプサラ舞踊(アンコール・ワット/カンボジア)

カンボジア世界遺産

カンボジア国旗

アンコール・ワット

貯水池

バンテアイ・スレイ寺院   Banteay Srei

 シェムリアップ市から北東約40kmにあるバンテアイ・スレイは、967年に建立されたヒンドゥ教(シヴァ派)の寺院。その名は「女の砦」という意味。シヴァ神とヴィシュヌ神に捧げられた周囲400mほどの小さな寺で、外壁は赤色砂岩とラテライト(紅土)で造られており、屋根の一部には煉瓦も使われているので、赤味を帯びて美しい。

女の砦バンテアイ・スレイ

女の砦バンテアイ・スレイ

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浮彫の極致

 大勢の観光客がシェムリアップから車で1時間もかけてこの寺を訪問するのは、最高の浮彫を見るためである。この遺跡の規模は小さいが、ヒンドゥ神話を描いた彫刻はどれも彫りが深い。精緻で美しい浮彫が数多く残っているのは、赤い砂岩の質が良かったためといわれる。

赤色砂岩の美しい浮彫

赤色砂岩の美しい浮彫

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神々の世界を描いた浮彫

 神話に基づく神々の世界を描いた浮彫は必見で、その精緻な造形美には、レリーフ美の極致と讃えられる。写真下は、ヴィシュヌ神の化身「ナラシンハ*」が阿修羅王を組みふし、殺そうとしているシーン。

*ナラシンハ:人間の身体に獅子の顔を持つ異形の神像で、ヴィシュヌ神の化身。

ヴィシュヌ神の化身「ナラシンハ」と阿修羅

ヴィシュヌ神の化身「ナラシンハ」と阿修羅

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東洋のモナリザ

 東洋のモナリザと絶賛されるデバター(女神)はアンコール・ワットのものに比べると彫りが深くて表情が優しい。モナリザの微笑みのようなアルカイック・スマイルは、慈悲に満ちあふれている。

東洋のモナリザと絶賛されるデバター

東洋のモナリザと絶賛されるデバター

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バンテアイ・スレイの高杉等さん

 

 我々のツアーガイドは、世界中の遺跡や建物を求めて旅を続けておられる高杉等さん。私のタイの住居から左程遠くない所に住んでおられ、カンボジアの遺跡には頻繁に訪問されている。豊富な経験と知識を持っておられ、著書には「東南アジアの遺跡を歩く」(めこん社)がある。

ツアーガイドの高杉等さん

ツアーガイドの高杉等さん

西バライ   West Baray

 アンコール王朝を支えた大きな池は、東西に二つあり、西にある池が西バライ(貯水池)で、アンコール・トムの西方に位置し、東西約8km、南北約2kmの大貯水池である。その中に浮かぶ島が西メボン寺院である。
   東バライは完全に干上がっているが、西バライは半分ほど砂に埋まっていただけだったので、フランスとアメリカの援助により昔に近い状態に回復した。しかし遺跡ということで、池の水は殆ど稲作に使われていないという。  

西バライの中にある小さな島・西メボン寺院

西バライの中にある小さな島・西メボン寺院

 池の造成は、男組と女組に分かれて行われた。男組も懸命に働いたが、女組は夜も働き、男組がそれに気付いたときは既に遅く、女組の勝利に終わった。男組と女組が競って工事をしたので、瞬く間に完成したという。

西メボン行きのボート乗り場

西メボン行きのボート乗り場

 西メボン行きのボートは、西バライ南岸の堤防に設けられた排水溝のそばから出ている。子供たちが水浴びしているそばを通って船を出してもらい、島に向かった。

西メボンに近づく

西メボンに近づく

水位計による水の管理

 かつては、王が頻繁に島に渡り、水位計を利用して厳格な水の管理をしていた。写真下の四方形の水面の奥に当時の水位計が残されている。構造は井戸そのもので、地下にパイプが埋められて池の中と繋がっている。井戸は深さに応じて四角形や八角形、円形というようにその形を変えて造られており、一番上は四角形となっている。この形の違いを見て水位を測定したという。

池の水位管理に使われていた水位計

池の水位管理に使われていた水位計

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 フランスの学者によれば、井戸の形が丸く見えたときは池の水は枯れ掛かった状態にあり、四角形の上端に達すると、池の水は堤を越えて溢れ出してしまうという。当時の王は、この水位計によって田植えを始める時期を決めたので、一年に3〜4回も米が取れるようになったという。まさにアンコール王朝の富の源泉だった訳である。

僅かに残された遺跡

僅かに残された遺跡

クメールの伝統舞踊アプサラダンス

 夕食を取ったレストランで、アプサラダンス・ショーを鑑賞した。アプサラダンスは「天女の舞」。遺跡のあちこちで浮彫の中で踊る水の精アプサラを見てきたが、やはり人間が演じる方が華やかで美しい。

 宮廷舞踊として発展したクメール舞踊はインド舞踊がルーツといわれる。15世紀にアンコール王国がシャム(タイ)に滅ぼされたとき、宮廷舞踊団もタイへ連れ去られ、アユタヤ朝の娯楽となったが、のちにカンボジアに逆輸入されて今日に至っている。衣装や身のこなしなど、タイ舞踊とそっくりなのは、このような経緯による。

タイそっくりのアプサラ舞踊

タイそっくりのアプサラ舞踊

拡大写真(1064x830)154KB

 かつてアプサラダンスの踊り子たちは王室古典舞踊学院で養成されていた。しかし、ポル・ポト政権時代(1975-1979)に100万人以上の大量虐殺が行われ、300人を超える踊り子たちの90%が処刑された。貴重な振付けなどの資料も失ってしまったというが、今日、アプサラ舞踊は、難を逃れた先生たちの努力で見事に復活している。

お世話になったアンコール・ホテル

お世話になったアンコール・ホテル

 
 
撮影 ・ 原作 : 
 

宮嶋 茂みやじましげる

 

住居: タイ・ノンタブリー県

趣味: 音楽鑑賞、寺めぐり
スポーツ: スイミング、サイクリング

 私は1946年生まれの60歳です。出身は愛知県で、現在タイ滞在は5年目です。健康を害していますので、こちらでのんびりやっています。しかし、悠々自適には程遠く、清貧を旨として何とかやっております。
 アンコール・ワットへは、タイへ来てからずっと行きたいと思ってきたのですが、なかなか重い腰が上がらず、5年が経過してしまいました。今年還暦を向かえ、思い切って出掛けることにしたのですが、当初バンコク空港集合だったものが、現地(シェムリアップ)集合に変わったということで、一時はもう止めようかとも思ったのですが、思い切って出掛けてよかったです。
 遺跡は実に壮大なもので、12世紀という時代に、まさにアンコール・ワットは世界の最先端をいく当時のクメールという国の象徴であったわけです。それが今日、シェムリアップの街を一歩出れば、電気も水道もないという国に成り果ててしまいました。
 栄枯盛衰は世の常とはいえ、我が日本の将来を考えざるを得ませんでした。決してこのような国にしてはいけないという思いを強くした次第です。また、現地の人たちの生き様が、現在の繁栄に浸り切っている私に活を入れてもくれました。今回の旅行でそんなことを思った次第です。 2006年6月10日
編集後記
 このたび、タイの宮嶋さんから原画を全てCDに入れて郵送いただき、パソコンに取り込んで中を覗いたところ、1700枚もの画像が34のフォルダに区分けされていた。アンコール・ワットは誰もが知っている世界遺産であるが、東京23区に匹敵する広大なシェムリアップ地域に数百もの寺院群が広がっているとは思いもよらず、その巨大な遺跡に驚いてしまった。
 宮嶋さんが3日間かけて観光されたスポットは、名の知れた人気の高い遺跡であり、他にも多くの遺跡が存在する。また、ツアーの宿命で、時間制限があり、駆け足にならざるを得なかった場所もある。クメール文明は、それほどに広大で奥が深い。
 余りの分量に、前編、後編に分けることも考えたが、壮大なスケールで広がるクメール遺跡群を余すところ無く伝えるには、一気に発表した方が良いと考え、半月かけて毎日深夜まで編集作業を続け、10頁142枚(大117・小25)という空前の超大作が完成した。
 苦労したのは、説明文である。世界大百科事典はもちろん、新版の地球の歩き方を購入し、通勤電車の中でも勉強し、画像と図面を睨みながら間違いの無いように筆を進めた。
和田義男
 苦労といえばBGMも大変である。アンコール・ワットに合う音楽なんてあるのだろうかと思ったが、上座仏教の僧侶の姿を見て「ビルマの竪琴」を思い出し、そのテーマ曲に使われた「埴生の宿」一本で行くことにした。アメリカのサイトから英語のボーカルをダウンロードして2メガに圧縮するなどして、4曲のメドレー版ができあがった。

 お陰で、私は現地に行かずして、広大なアンコール・ワット遺跡群のほぼ全容を把握することができ、蘊蓄を語ることができるようになった。大変苦労したが、果実も大きく、本日完成したこの作品は、目の肥えた多くの読者にロマンと感動を共有して頂けるものと確信している。
 一番大変だったのは、宮嶋さんである。3日間、暑い中、足場の悪い遺跡の中を登ったり下ったりして歩き回られ、感動のショットを切り取ってこられたのである。宮嶋さんの還暦をお祝いするとともに、そのご労苦に心から感謝申し上げたい。この作品は、還暦のお祝いとして、宮嶋さんに捧げたい。 2006年6月10日 〈 完 〉
監修 和田義男
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