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 感動写真集

2006年9月10日改訂

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♪埴生の宿メドレー

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2006年6月10日作成

アンコール・ワットに向かう参道

西塔門テラスに向かう参道(アンコール・ワット/カンボジア)

カンボジア世界遺産

カンボジア国旗

アンコール・ワット

西塔門

はじめに
   2006年2月11日から13日まで、タイ東部に国境を接するカンボジアのアンコール遺跡群のツアー旅行に参加した。メンバーは同年代の7人で、和気藹々(わきあいあい)のツアーを楽しむことができた。  
 

 
 アンコール・ワットは、今から約140年前にフランス人博物学者アンリ・ムオによって発見されるまで、密林の奥深くに眠っていた。東京23区に匹敵する広大なシェムリアップ地域に数百もの石造寺院群を建立したクメール王国は、最盛期にはインドシナ半島の大部分とマレー半島の一部を支配する大帝国となった。
   カンボジア国旗の中央に描かれれているアンコール・ワットは、カンボジア人(クメール人)の誇り高きアイデンティティを示すものであり、世界中から訪れる観光客に無限のロマンと感動を与えるアジアの至宝である。  

バンコクからシェムリアップ国際空港に到着

バンコクからシェムリアップ国際空港に到着

カンボジア王国   KINGDOM OF CAMBODIA

カンボジアの王章

カンボジアの王章
 
 1953年11月9日フランスから独立したカンボジアの正式名称は、カンボジア王国。公用語のクメール語(カンボジア語)でプリア リアチアナチャクラ・カンプチア Preahreacheanachakr Kampuchea という。プリアは王の称号。リアチアは王、アナチャクラは国。
 東南アジアのインドシナ半島に位置するカンボジアは、タイ、ラオス、ベトナムに接する立憲君主国で、日本の約半分の国土に1340万人が暮らし、その90%以上がクメール人(カンボジア人)である。首都は人口100万人のプノンペン。宗教は仏教(上座部仏教)で、人口の95%を占める。
 現在の国王はノドロム・シハモニ(1953年生まれ)。1997年武力クーデターで首相になったサムデク・フン・センが実権を握っている。
 中心部に国際河川・メコン川が流れる。主食は米で稲作農業が盛ん。中央付近に巨大なトンレサップ湖があり、その北方のシェムリアップ市にクメール文明の遺跡として世界的に有名なアンコール・ワットやアンコール・トムといったアンコール遺跡群(1992年世界文化遺産)がある。

カンボジアの地図

 

3日間有効の観光パス

カンボジアの地図   3日間有効の観光パス

シェムリアップ   SIEM REAP

 バンコク空港からバンコク・エアウェイズのボーイング717機でシェムリアップ国際空港まで、僅か40〜50分の旅。現地・シェムリアップ空港でツアー客7名が合流し、直ちに観光チケット売り場に行く。椅子に座って顔写真を撮り、パスに貼られる。観光中、チェックポイントで車窓から監視員に見せることになる。三日間の入場料は40US$。カンボジアの平均月収が30US$ほどであることを考えると、べらぼうに高い。
   この料金は全てソッカ・ホテル SOKHA HOTEL というベトナム系のホテルに入る。フン・セン首相がベトナムから支援を受けており、その見返りに観光利権がベトナムに与えられているためで、カンボジア人にしてみれば気の毒なことである。  

シェムリアップ郊外に住む人々

シェムリアップ郊外に住む人々

パノラマ写真(1280x960)311KB

アンコール・ワット   ANGKOR WAT 

 アンコール・ワット(大きな寺院)は、カンボジアに栄えたアンコール王朝(9〜15世紀)の首都アンコールに建てられたクメール人による代表的な建造物で、シェムリアップ市の北約5kmにある。砂岩のブロックを積み上げて建てられた巨大な聖殿は、クメール建築の最高傑作として讃えられている。

アンコール・ワット全景

 マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

アンコール・ワット全景

資料

 
ヒンドゥ教寺院
 
 12世紀前半にスールヤヴァルマンII世によって造営されたヒンドゥ教(ヴィシュヌ派)寺院で、死後、王の霊を祀る霊廟として後世に残された。王は死後の幸福を願って、ヴィシュヌ神に帰依しており、寺院の中央祠堂(ちゅうおうしどう)にヴィシュヌ神を本尊とする石像が祀られていたはずであるが、現在では消失している。

アンコール・ワットの入口

アンコール・ワットの入口

パノラマ写真(1800x600)195KB

壮大な寺院構成

 アンコール寺院は、東西1500m、南北1300m、幅190mの蕩々と水を湛えた環濠(かんごう)に囲まれ、その濠の内側に沿って周壁が設けられている。西側の入口から全長540mの参道を東へ進むと、西塔門(さいとうもん)があり、更に進むと、東西200m、南北180mの第一回廊が現れる。

客を待つトゥクトゥク(ルーモー)

カンボジアではバイクの後ろに二人乗りの座席を取り付けたトゥクトゥクが目につく。地元はルーモーとも呼ぶ。

客を待つトゥクトゥク(ルーモー)

 その内側に東西115m、南北100mの第二回廊があり、更にその内側に一辺60mの正方形の高い基壇がある。その外周部が第三回廊で、四隅に高い塔堂が建つ。第三回廊の内側中央に、地上高65mの中央祠堂(ちゅうおうしどう)と呼ばれる塔堂が聳える。遠くから見ると、五基の塔堂がタワー状に見え、壮大な景観を呈している。

アンコール・ワットを取り囲む環壕

アンコール・ワットを取り囲む環壕

クメール式塔堂・プラサート

 アンコール・ワットは、方形の回廊が中央の塔堂を囲んで四重に巡らされている。これらの回廊の特徴は、その入口や回廊の四隅に、中央祠堂と同じ形のクメール式塔堂(プラサートと呼ばれる五層の塔堂)が建てられていることである。

環壕のシンハ(獅子)と西塔門

環壕のシンハ(シーハ、獅子)と西塔門

 アンコール時代に建てられた寺院は殆どが東向きであるのに、アンコール・ワットだけは、西向きに建っている。

アンコール・ワットを取り囲む周壁の回廊

アンコール・ワットを取り囲む周壁の回廊

拡大写真(1280x825)191KB

アンコール・ワットの宇宙観

 石澤良昭・上智大学学長の説によると、アンコール・ワットは、水を象徴する七つの頭を持つ蛇神ナーガと一体となっており、中央祠堂(ちゅうおうしどう)が神々の住むメール山*に相当し、四重になった回廊はそれを守るナーガの胴体だという。

 別の説では、中央祠堂がメール山を象徴する点では同じであるが、環壕は大洋を象徴し、回廊は雄大なヒマラヤ連峰をあらわし、ナーガは不死の象徴で、神と人間界をつなぐ架け橋に見立てたものであるという。
*メール山:ヒンドゥ教の世界観では、世界は7つの大陸に分かれ、その中心にジャンプ州という円形の土地があり、更にその中心にメール山(仏教では須弥山しゅみせん)がそびえ、神々が住む。ヴィシュヌ神が住まうのはメール山の東側にそびえるマンダラ山(曼荼羅)とされる。

アンコール・ワットの西塔門

アンコール・ワットの西塔門

 確かに回廊の屋根は、七頭蛇神ナーガの胴体を思わせるデザインであり、また、参道に設けられた石の欄干の両端では、ナーガが鎌首を持ち上げている。ナーガの欄干は、舟をあらわしたものであるとする説もある。

ナーガの屋根と欄干/西塔門の内側

ナーガの屋根と欄干/西塔門の内側

拡大写真(1280x960)248KB

 カンボジアの神話では、ナーガは世界を覆っていた海の水を飲み干して大地を生み出した水神である。アンコールの大地は昔から乾燥地帯であったため、米作りに欠かせない水を得るために、水神を崇めたという。

西塔門の奥に姿を現した第一回廊と中央祠堂

西塔門の奥に姿を現した第一回廊と中央祠堂

 

タイ王室の御座船・アナンタ・ナーガ Ananta Nakharaj

 
   タイ王室のこの御座船は、ラーマVI世の代に建造されたもので、進水は1914年。全長44.85m、全幅3.17m。水の象徴である7頭のナーガ(蛇神)を船首像として持つ。ヒンドゥー神話においてナーガは蛇の種族に与えられた名で、アナンタは永遠という意味。 タイの王宮文化(御座船)   
アナンタ・ナーガ 1 アナンタ・ナーガ 2

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ナーガ Nãga

 ナーガはヒンドゥ教の神名で、蛇、特にコブラのこと。蛇神崇拝はすでにインダス文明において存在したと推測され、アーリア人は古来より行われた蛇神崇拝を次第に受け入れ、半神の一つとみなすようになったという。

鎌首を持ち上げたナーガの欄干

鎌首を持ち上げたナーガの欄干

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 ヒンドゥ教の神話では、蛇族ナーガはパーターラと呼ばれる地底界に住み、バースキなどの竜王がその世界を統治している。パーターラの最下層に原初の蛇アナンタ(永遠)が住み、その頭で世界の重みを支えているという。

西塔門の仏像に供物を捧げる修業者

西塔門の仏像に供物を捧げる修業者

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デバター(女神)

 アンコール・ワットの壁面に浮彫で彫られている高さ1m前後のデバターは、上半身裸の女神像で、何と1700体以上もある。見る者に感動を与える気品が秘められており、一体ごとに薄衣の模様や装飾品、顔の表情などが微妙に異なる。

   西塔門を入った右(南)側の回廊の壁面には、繊細な掘りの美しいデバター像がある。時間があれば、当時の女官たちの姿に思いを馳せながら、デバター巡りをするのも一興である。  

西塔門南の微笑むデバター

耳たぶの長いクメール美人のデバター

西塔門南の微笑むデバター 耳たぶの長いクメール美人のデバター

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アンコール王朝の盛衰
 

 クメール王朝とも呼ばれるアンコール王朝は、以前にあったチェンラ王国の流れを受け継ぐ王国で、現在のカンボジアの礎を築いた。最盛期には、現在のタイ東北部、ラオス、ヴェトナムの一部をも領有していた。

 アンコール時代のクメール人たちは、13世紀に上座部仏教がインドシナを掌握するまで、ヒンドゥ教や大乗仏教の混じった宗教を信仰していたという。

西塔門テラスに向かう参道

西塔門テラスに向かう参道

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 今から1100年前に興ったアンコール王朝は、600年の繁栄の後、15世紀に忽然と姿を消した。滅んだのはシャム(タイ)軍に攻められたとする説と、灌漑用の池の維持管理が出来なくなって滅んだとする二説があるという。

参道から振り返って見た西塔門

空港で購入した3日間の観光チケット

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