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2011年3月4日改訂

BGM

羅臼の初日の出

2003年元旦。羅臼は快晴に恵まれ、素晴らしい初日の出を拝むことができた。

羅臼の初日の出

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写真提供:巡視船てしお



 

羅臼の町

写真提供:海上保安庁釧路航空基地

羅臼の町

流氷が着岸する前の羅臼の町。左奥に知床半島最高峰の羅臼岳が見える。

羅 臼 らうす

 道東(北海道東部)・知床半島の東側にある根室支庁目梨(めなし)郡の町。人口7471(1995)。地名はアイヌ語の〈ラウシ(低いところ、または獣の骨のあるところ)〉に由来する。根室海峡に面し、西に連なる羅臼岳(1660m)などの知床火山群が急崖をなして海に迫る。
 市街地は羅臼港を中心に発達し、国道335号線が通じ、334号線(知床横断道路)が西側の宇登呂(うとろ)に向かう。幕末には漁場が設けられた。現在も全就業者の約半数が沿岸・沖合漁業に従事し、鮭(サケ)、ホッケ、鰈(カレイ)、介党鱈(スケトウダラ)を漁獲し、昆布(コンブ)を採取する。
 北部は知床国立公園に含まれ、羅臼温泉(食塩泉、70〜90℃)、瀬石(せせき)温泉(食塩泉、75℃)などがあり、海岸からは国後(くなしり)島が望める。バスが通じ、羅臼〜宇登呂間には観光船が就航する。

羅臼岳 らうすだけ

北海道東部、知床半島のほぼ中央に位置する成層火山。標高1660m。知床火山群の主峰であるが、現在は活動していない。山頂付近は安山岩からなる溶岩円頂丘をのせ、火口を埋めている。山頂に近い羅臼平には高山植物におおわれたお花畑がある。南東麓の羅臼温泉、北西麓の岩尾別温泉は羅臼岳の登山口にあたり、夏季は観光客でにぎわう。知床国立公園に属する。

巡視船てしおに続く漁船群

羅臼沖で操業して帰港中の地元スケトウダラ刺網漁船が密集した流氷に阻まれて航行困難に陥ったため、巡視船てしおが出動し、羅臼漁港まで誘導した。

巡視船てしおに続く漁船群

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写真提供:巡視船てしお

氷海を進む巡視船そうや

2001年2月21日 紋別沖のオホーツク海

北の海では、巡視船そうやを抜きにしては語れない。そうやは、海上保安庁唯一のヘリコプターを搭載した砕氷型巡視船で、巡視船てしおと共に北の海を守っている。

氷海を進む巡視船そうや

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写真提供:巡視船そうや

巡視船そうや

巡視船そうやは、昭和52年(1977)、日本が領海12海里と200海里漁業水域を設定したことに伴い建造された船で、ヘリコプター搭載型巡視船としては元南極観測船宗谷に次ぐ2隻目である。宗谷の代替船であることから、3ノットの速力で1m、ラミング航法で最大1.5mの厚さの海氷を砕く本格的な砕氷能力を持つ。釧路海上保安部に所属し、巡視船てしおとともに流氷期の救助体制になくてはならない砕氷型巡視船である。

巡視船そうやの要目  総トン数:3139ton 全長:99m 幅:15.6m 深さ:8m

巡視船そうやのホームページ

宗 谷

 南極観測のため昭和31年(1956)11月から昭和37年(1962)4月まで6回にわたり海上保安庁によって運用された砕氷船。ソ連向けの耐氷貨物船として建造が開始され、1938年に竣工したが建造途中で注文は破棄され、民間の地領丸から海軍特務艦宗谷(測量艦兼運送艦)、戦後は海上保安庁灯台補給船となる。南極観測のため昭和31年(1956)満載排水量4200トン、4800馬力に改装され、その後も改装が続けられた。
 砕氷能力の不足から、第1次観測では氷にとじこめられ、ソ連の砕氷船オビ号の救援を受け、第2次観測では悪天候のため基地に近づけず越冬観測を断念するなどのトラブルに遭った。南極輸送後は改装を受け巡視船として北方海域でのしょう戒や観測に従事したが、昭和53年(1978)10月任務を巡視船そうやに譲り退役した。この頃宗谷保存の声が高まり、昭和54年(1979)5月1日から東京港海上公園に係留保存されている。

氷海の夜明け

氷海の夜明け

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そうや近影

アイスパトロール

2003年2月10日、 紋別沖のオホーツク海に巡視船そうやの勇姿があった。今年は例年になく流氷が厚く、苦労が偲ばれる。ご健闘を切に祈念する。

アイスパトロール 1/2

アイスパトロール 2/2

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写真提供:巡視船そうや

羅臼港から見た国後島

防波堤の向こうに見える国後島を望遠レンズがとらえた。視界が良いときは、はっきりと肉眼で見ることができる。距離にして約25km、目と鼻の先である。早期返還が地元民の長年の悲願である。

羅臼港から見た国後島

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写真提供:巡視船てしお

国後島 くなしりとう

北海道の東方、千島列島南西端にある島。面積約1500ku。南西から北東方向に長い軸をもった細長い島で、長さ約120km、幅7〜29kmである。島の北東部には秀麗な二重式円錐火山爺爺(ちゃちゃ)岳(1822m)、北端にはルルイ岳(1486m)などの火山がある。
 南端部の泊湾から根室湾に至る海域は、水深20mの浅瀬が広く分布し、ホタテガイやフジコ(ナマコ)の絶好の生息地で、第二次大戦前まではこれらの水産物が島の経済を支えていた。また、タラバガニの缶詰工場もあって、毎年多くの出稼者が東北地方からも入ってにぎわったという。第二次大戦終了までは日本領であったが、戦後ソ連が占領し、現在その帰属をめぐって係争中である。

国後島の夜明け

昭和45年(1970) 森繁久弥作詞・作曲の「知床旅情」を加藤登紀子が歌い、ミリオン・セラーとなって知床ブームが起こった。彼女は「はるか国後に白夜は明ける」と歌ったが、実際には夏至になっても白夜にはならない。しかし、夏の夜は短く、夜明けには荘厳な自然のドラマが演出される。

国後島の夜明け

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写真提供:巡視船てしお

プロフィール(2003年1月2日)
撮影・原作:上平 明 (かみひら あきら)

住居:北海道根室支庁目梨郡羅臼町(現函館市)

趣味:パソコン(インターネット)、温泉巡り、スキー

 
 大鷲や尾白鷲は、昔は羅臼町の住人約7000人と同じ程の数が飛来し、町中の至る所にいたという。最近は数が減ったとはいうものの、このシーズンになると、流氷とともにやって来るスケトウダラを狙って、かなりの数が現れる。
 この時期の鷲は、体力の消耗する”狩り”はやらず、もっぱら漁船から揚網時などにこぼれる魚を狙っている。地元漁師の中には、市場に出しても価値のないものは、鷲の餌として流氷の上に置いてくる人もいるという。もちろん沸いてくるようにスケトウがとれた往時には、鷲たちは直接魚を捕っていた。
 流氷と鷲を眺める毎日。大鷲、尾白鷲とも飛翔している姿は本当に雄大であり、まさに鳥類の頂点に立つ海の王者といって良く、いつ見ても感動する。流氷と鷲は、羅臼の冬の風物詩となっている。
 しかし、地元漁民にとっては、操業を妨げる流氷は歓迎できない贈り物である。厳しい北の冬場で操業する漁船の安全を守る砕氷型巡視船「てしお」と「そうや」の活躍は、漁業に依存する地元民の大きな支えとなっている。(完)
 

知床倶楽部 羅臼町 オホーツク流氷館 流氷科学センター オホーツク・流氷 オホーツク流氷物語

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