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 感動写真集

2012年6月15日改訂

 

 

 

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♪島の祭り KasedaMusicLabo

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         観音に差し上ぐ神輿江戸の粋  北舟

2006年6月23日作成

観音堂の花道

観音堂の花道(淺草寺/東京都台東区)

淺草神社神紋「三葉葵」   淺草神社神紋「三網」   淺草神社神紋「左三巴」

江戸っ子!三社祭

裸神輿

連合渡御の発進

 午後零時半、西部の駒札「西一番」堤町会が発進し、連合渡御が始まった。西浅三北町会は西部各町の殿(しんがり)で、駒札「西十三番」。その後、南部、東部の順にスタートする。
 西部13ヵ町は、観音裏広場から淺草神社に宮入し、拝殿前で参拝後、鳥居から右折し、観音本堂正面で神輿を練り上げた後、花やしき通りから各町会に分散帰路する。

観音堂(手前)に進む神輿

観音堂(手前)に進む神輿

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男の晴れ舞台

 西浅三北神輿は、淺草神社の境内では担ぎ棒には立たず、参拝後、鳥居前から定番のフォーメーションを組んで観音堂正面に進み、お先棒(おさきぼう)に5人が立ち、神輿練りを披露。大勢の観客が見守る晴れ舞台で見せた神輿差し*(みこしざし)は最高のパフォーマンスで、何度も盛大な拍手喝采を浴びた。
*神輿差し:「差せ!」の号令で神輿を高々と差し上げること。神輿練り最高のパフォーマンス。

観音堂正面の神輿差し!

観音堂正面の神輿差し!

撮影:K. I.

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 観音に差し上ぐ神輿江戸の粋 北舟 

かんのんに さしあぐみこし えどのいき

 写真上下は、友人の 氏子 K. I. さんが撮影された傑作である。神輿正面からこれほどまでに肉薄して撮影した写真を私は知らない。この位置でシャッターを切ることは観客では不可能であり、氏子でも至難の業である。

もう一本!

もう一本!

撮影:K. I.

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 裸の男たちが担ぎ棒の前後に上がり、笛と扇と身をもって担ぎ手を鼓舞し、祭りを盛り上げるのが我が町会の真骨頂である。この光景が東京下町の三社祭を代表するもので、それを期待して来られる観客も多い。

観音堂の花道

観音堂の花道

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ふんどし
 褌は、高温多湿の気候風土から生まれた日本独特の下着で、江戸時代から伝わる庶民の肌着であり、祭り衣装である。最近、褌がブームになっており、三越や大丸など大手デパートや褌屋などinternet の販売店でよく売れている。一口に褌といっても種類があり、デパートが扱うのは下着に使う褌で、越中褌を褌と呼んで販売している。

五重塔を進む神輿

五重塔を進む神輿

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祭 褌まつりふんどし
 三社祭をはじめ、神田祭や深川祭など江戸下町の祭りで褌姿が目に付くようになった。東京の祭褌は、全て前袋式に締めた六尺褌である。祭礼であるために白が基本であるが、色柄ものも見受けられる。半纏を尻からげした姿や褌一丁の裸形(らぎょう)は、鯔背(いなせ)で格好良く、江戸の男粋を今に伝えるものである。
 前袋式六尺褌は、肌の露出度が最も高く、激しい動きにも乱れが少ないので、江戸っ子の好む祭褌である。

神輿後部で盛り上げる白褌の男たち

神輿後部で盛り上げる白褌の男たち

撮影:和田義男

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入 墨いれずみ
 入墨は、皮膚に創傷をつくり、色素を沈着させて図形や文字をあらわす方法で、 文身(ぶんしん)・もんもん・がまん・彫り物・刺青(いれずみ)など色々な名称で呼ばれている。
 江戸時代、名奉行・遠山の金さん*の例を出すまでもなく、庶民の間で人気があった。当時、入墨(刺青)は受刑者に施されたものを指し、庶民に流行ったものは彫物(ほりもの)といって区別した。現在では入墨(刺青)という語が一般的に使われる。
*遠山の金さん:江戸町奉行・遠山左衛門尉景元(とおやま・さえもんのじょう・かげもと)(遠山金四郎)(1793 - 1855)を主人公にした時代劇の主人公。桜吹雪の彫物で有名。

土煙の中の裸神輿 / 観音裏広場

土煙の中の裸神輿 / 観音裏広場

撮影:和田義男

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浮世絵に見る 彫物ほりもの
 下の浮世絵を見ると、神輿のそばで男粋を競い、四天王と評された色男はみんな彫物をしている。江戸時代、女性にもてるためには、彫物は必須のアイテムだった。それほどまでに彫物は江戸っ子の人気を集めていた。

当世四天王 / 浮世絵

当世四天王 / 浮世絵

提供:村野公一

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山王祭さんのうまつり 江戸っ子
 次の浮世絵は、天下祭(てんかまつり)といわれた山王祭(さんのうまつり)の鯔背(いなせ)な江戸っ子で、歌舞伎役者の風貌を彷彿とさせるが、昇り龍の彫物に赤褌姿である。背景は一目で天下祭と分かる山車人形。

山王御祭禮・團七九郎兵衛/ 浮世絵

山王御祭禮・團七九郎兵衛/ 浮世絵

提供:村野公一

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小舟町こぶなちょう 天王御祭禮
 下は小舟町天王祭*1の瓦版。「祭礼六月十日小舟町一丁目の御旅所へ神幸なり十三日帰輿(きよ)なり」「行列は大傅馬町と同じ」などの説明書きがある。神輿に群がる担ぎ手たちは、彫物・赤褌姿が多く見られる。江戸時代は今と違って、六尺褌を前垂れ式に締めていたことが分かる。
*1小舟町天王祭:現在は日本橋小舟町の八雲神社天王祭(本祭は4年毎)。天王三社は「江戸の三天王*2」とも「祇園三社」とも云われ、毎年6月各宮の祇園会が行われ、天王祭と称された。江戸・魚河岸の代表的な町として知られる小舟町が三之宮の祭禮を斎行するようになったのは寛文6年(1666)、小伝馬町より受継ぎ「小舟町持」となり、宮元として小舟町天王祭を斎行したことにはじまる。
*2「江戸の三天王」:一之宮 南伝馬町天王(江戸神杜) 祭神・須佐之男命(俗に大政所) 二之宮 大伝馬町天王 祭神・五男三女(俗に八王子) 三之宮 小舟町天王 祭神・奇稲田姫(俗に本御前)

小舟町天王祭の氏子たち

小舟町天王祭の氏子たち

提供:村野公一

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