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▼ やがて乱舞する群衆をかき分けて神輿を担ぐ輿番の白丁たちが拝殿を横切り、宮神輿が安置されている幣殿に雪崩れ込んできた。 |
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鬼踊りの最中に拝殿から幣殿に乗り込む輿番たち 23:37
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▲▼ 拝殿と幣殿を分ける厩栓棒(ませんぼう)と呼ばれる丸太の仕切り棒を足袋草鞋の土足のまま乗り越えるさまは圧巻で、脚立の上からその精悍な姿を捉えることができた。 |
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▼ 輿番が堂入りしたあと、午後11時40分過ぎに東区三番觸が最後の堂入りを果たし、拝殿は4梯団の裸っぽたちで埋まり、見付天神裸祭は佳境を迎えた。 |
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東区三番觸も堂入りし四梯団による最高潮の鬼踊り 23:50
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▼ 二番觸の赤い鈴が振り合わせのあと下げられ、三番觸の緑の鈴が主役となり、それを手にしようと、緑のリストバンドをつけた腕が何本も空中に延びた。東区は最後の堂入りのため、裸練りの時間が少なく、焦る気持ちは十分理解できる。 |
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鈴に殺到する裸っぽたち/東区(三番觸) 23:52
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三番目に堂入りした東中区梯団は、11ヵ町という最大勢力の祭組を擁するが、觸鈴を持たない唯一の梯団である。御瀧(おんたき)、川龍(せんりゅう)、清水(しみず)、竜宮(りゅうぐう)と水に因んだ名が多いのは、当時は、海や入江や沼があったところらしく、馬場と東坂を加えて生まれた親町の宿町(しゅくまち)は、150年ほど前に誕生したという。 |
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既にそのときは、觸鈴を持つグループは3梯団とされ、神事が定型化されていたために、觸鈴を持てなかったのではないかと見られている。最大勢力の東中区の氏子たちが晴れ舞台で觸鈴を持てないのは気の毒であり、また4梯団に割り振られた祭組の8・4・11・5という数のバラツキも気になるが、今となっては、これまでの慣行を改めることは難しいという。 |
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▼ 輿番たちは、神事が始まるまで幣殿に立ったまま、鬼踊りの様子を伺っていた。厩栓棒(ませんぼう)に土足で上がっていた裸っぽたち6名は、注意を受けて降ろされた。神輿が通る中央の厩栓棒は、既に外されている。 |
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幣殿の輿番と拝殿の裸っぽたち/見付天神 2009.9.27 00:00
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▼ 午前零時を過ぎて御大祭(ごたいさい)は二日目に入った。まもなく、大きな榊を手にした集団が堂入りしてきた。〆切役を担う元門車(げんもんしゃ)の氏子たちである。暗闇の中で〆切の任に着くため、黄色い襷を掛け、頬被りをして仲間の識別を行っている。そのため、頬被りをして堂入りができるのは、彼らだけの特権である。 |
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〆切役を担う元門車(富士見町)が榊を持って堂入り/東区 00:02
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▼ 午前零時過ぎ、拝殿で躍動感溢れる鬼踊りの真っ最中に、その奥の幣殿では、宮司ら神職、先供、輿番一同が本殿の前に据えられた神輿を取り囲んで整列し、渡御奉告祭(とぎょほうこくさい)が始まった。 |
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▲▼ 浜垢離で先供が波打ち際から持ち帰った12個の小石が神輿の周りに置かれ、鈴木宮司の祝詞奏上が行われた。常識では鬼踊りを止めて行うべき神事が並行して催行される不思議。 宮司の祝詞は、鬼踊りの大音響に打ち消されて全く聞こえない。静と動の同居する奇妙な神事である。 |
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この後、明かりが全て消されると、輿番たちが神輿の担ぎ棒を抱え、暗闇の中で鬼踊りに興ずる裸っぽの間を割って、拝殿から境内に下り、全てが闇に閉ざされたなか、拝殿〜参道〜旧東海道〜御旅所の総社まで約900mの道中を神輿を担いで渡御することになる。地元ではこれを「おわたり」と呼んでいる。 |
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消灯されると、フラッシュ撮影ができず、移動もおぼつかなくなるので、幣殿での撮影を早めに切り上げ、福代さんに誘導されて幣殿の西木戸から境内に出て、二番觸の松本さんと合流。以後、松本さんの案内で、次の神事が行われる山神社(やまじんじゃ)に向かった。 |
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▼ 山神社で宮司一行を待っていると、間もなく、先導する先供(さきとも)たちが現れた。まだフラッシュ撮影は大丈夫だと松本さんに云われたので、撮影を続けた。 |
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▲▼ 午前零時10分過ぎ、不燃性のネットで燃え滓(かす)が落下しないように工夫された松明(たいまつ)を持つ白丁に続いて鈴木宮司が現れ、そのあとに神職たちの姿が見えた。 |
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▼ 宮司たち神職一同の到着を待って、六ッ石のそばの山神社で、提灯と松明の明かりを頼りに、山神社祭(やまじんじゃさい)が執り行われた。白い切り麻(ぬさ)が空中を舞い、大気が浄められるなか、白衣正装の鈴木宮司による祝詞奏上があり、一番觸、二番觸、三番觸の儀が行われた。 |
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▼ 「一番觸」の声がかかると、世話方より觸榊(ふれさかき)が御山役(おやまやく)に渡され、野次(やじ)と呼ばれるお付きたちとともに觸番(ふればん)が觸鈴(ふれすず)を打ち鳴らしながら山を下り、「いちばーんぶれー」と連呼しながら総社まで走って神輿渡御が近いことを知らせる。 |
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幸い、まだ、フラッシュ撮影が許されていたので、出発する一番觸の姿をうまく撮し取ることが出来た。御山役は、素手で觸榊を持ってはならず、上衣の袖を使って保持しているのが分かる。赤襷の警固長は、大島秀敏さん。 |
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御山役 |
觸番 |
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さきぶれの すずのねさやか みつけじゅく |
Mitsuke Stage, the refreshing tinkle of a bell by a herald. |
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「二番觸」が出発すると煙火(はなび)が上がり、それを合図に神輿渡御の道筋の照明が全て消された。ここからはフラッシュ撮影ができないので、二番觸の松本さんに手を引かれながら二番觸の二列目に付き、「にばーんぶれー」と連呼しながら小走りで総社に向かった。 |
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街道に出ると、一つ残らず灯火が消されて暗闇が広がっており、露店の姿も暗くて見えない。神輿渡御の際は、煙草の火さえつけてはならないという厳しい掟が厳守されていた。これが国の重要無形民俗文化財に昇格した理由の一つである。 |
背景燈火の影響で、沿道には神輿渡御を見送る観客が並んでいるのが分かり、我々が前を通過すると拍手がわき起こった。祭を進める人と声援を送る人たちとの触れあいが心地よく、走りながら感動を覚えた。私の後ろには白丁姿になった新尺さんがいたことを後で知った。この機会を与えて頂いた西中区梯団長の鈴木さんのご配慮に心からお礼申し上げたい。 |
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▲ 総社入口を示すため、暗闇の街道に唯一西中区(二番觸)の舞車(まいぐるま)の提灯1個が点灯していた。その前を右に折れ、総社の参道を走って行くと、鳥居のそばに庭燎(にわび)と呼ばれる篝火(かがりび)が焚かれ、石段を照らしていた。 |
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見付天神では、二番觸出発の煙火の合図で明かりが消され、暗闇の中を神輿が拝殿を下り、山神社まで近づくと、三番觸が出発。神輿が離れないよう、ゆっくりと走り、「さんばーんぶれ」と語尾を延ばさないように注意しながら連呼する。 |
私が二番觸とともに総社にやってきたのは、篝火の明かりを頼りに神輿渡御を撮影するためである。デジカメの感度を最大限に上げ、1/30秒のフリーハンドで撮影したのが上の写真。鮮明とは言い難いが、暗闇の参道を神輿を担ぎ、「オッシ、オッシ」と掛け声をかけながら石段を駆け上がる輿番たちの勇姿を切り取ることができた。総社入口を示していた舞車の提灯が神輿の後に続いていた。 |
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暗闇の中でも鬼踊りに興じていた裸っぽたちは、神輿が拝殿を出ると、踊りを終えてその後に続く習わしとなっている。ハイテンションになっている裸っぽが神輿を奪ったり、担ぎ棒に上がったりと、狼藉をはたらかないように神輿の後ろをガードする〆切(しめきり)を務めるのが先ほど頬被りで堂入りしていた東区(三番觸)の元門車(げんもんしゃ)(富士見町)である。今年輿番を出した東中区では、参道で待機している頬被りの〆切に引き継ぐまでの間、拝殿から〆切部隊を配置して神輿をガードした。 |
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昭和2年(1927)頃撮影された暗闇の神輿渡御(おわたり)
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写真:見付天神裸祭保存会 |
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▲ 写真上は、昭和2年(1927)頃撮影された暗闇の神輿渡御(おわたり)をフラッシュ撮影したもので、参道を下る様子が見事に撮し取られている。当時、おわたりを記録するために許可を得て撮影されたらしく、現在発見されている資料の中でこれ一枚しかない貴重な記録写真である。 |
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2本の曳索に曳かれた神輿は現在も同じだし、輿番の装束も変わりない。境内を下ったばかりのようで、神輿を脇の下に抱える「お掻込(かいこ)み」の状態で、これから肩を入れて担ぐのだろうか。後ろには、鉢巻をした裸っぽが続いているが、沿道にも裸っぽが沢山いて、行列を見送っている。 |
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▲ 神輿が御旅所の総社に到着すると、煙火(はなび)が上がり、それを合図に町内は光を取り戻した。ここから再びフラッシュ撮影が可能となった。神輿が総社拝殿に安置されたあと、白丁たちが見守る中、神輿総社着御祭(みこし・そうしゃ・ちゃくぎょさい)が執り行われた。 |
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こしみのを おさめてふどし よわのあき |
Midnight autumn, a loincloth after taking off a straw apron. |
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▲ 総社で神事が行われている一方で、神輿渡御にお供してきた裸っぽたちは、総社の西(左)の注連縄(しめなわ)に囲まれた納所(おさめどころ)で腰蓑納めをしたあと、三々五々帰途に着いた。腰蓑だけでなく、草鞋も脱いで納める人もいた。 |
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