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旧市街の7つの丘の一つに位置するスレイマニエ・ジャーミー Süleymaniye Camii (スレイマニエ寺院)は、1557年に建造され、オスマン(トルコ)建築の最高傑作のひとつといわれる。 |
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金角湾から見たスレイマニエ寺院 |
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撮影:高久雅喜 |
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オスマン帝国第 X 代君主スレイマン I 世の命により、当時の宮廷建築家頭で、トルコ史上最高の建築家と呼ばれるミマール・スィナンが設計。1550年に着工し、7年の歳月をかけて完成した。 |
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オスマン帝国を象徴する・スレイマニエ寺院 |
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主礼拝堂( トルコ語 : ジャーミー cami )の建物は、前後59m、左右58m、直径27.5m、頂点の高さは地上53mに達する大ドームを中心としたドーム群に加え、4本の長いミナレットを持つ。 |
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寺院に入る前に手足を清める人たち |
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大モスクの立ち並ぶ旧市街の中でもひときわ大きく、丘の頂上よりやや北側の斜面に位置するため、旧市街北の金角湾方面から見て特に印象に残るモスクのひとつである。 |
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寺院の入口 |
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礼拝堂内部は、大ドームを支える小ドームや柱の工夫によって広く明るい空間を実現しており、イズニック・タイルやステンドグラスで飾られている。 |
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礼拝堂のほか、イスラム学院(メドレセ)、クルアーン読み書き学校、医学学校、病院、給食所、宿泊所、商業施設、ハンマーム(公衆浴場)など、多くの付属施設を持ち、複合施設群を形成している。 |
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トルコの女性たち |
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BGMに流れるピアノ曲は、ポーランドの生んだ「ピアノの詩人」といわれる作曲家フレデリク・フランチシェク・ショパン Fryderyk Franciszek Chopin(1810 〜 1849)が作曲した「ノクターン第2番op.9-2」。"Nocturn"(ノクターン)は、ラテン語の"Nox"を語源にもち、ローマ時代には「夜の神」という意味に使われていた。日本では夜想曲と訳される。 |
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ショパンは21曲ものノクターンを作曲しており、そのいずれもが和声的な伴奏に合わせて優雅な旋律が夢見るような夜の静けさを歌うスタイルになっている。この曲は、ノクターンの中で、最もよく知られているものである。 |
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巨大な中央ドーム |
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綺麗な石材を使って上品に仕上げられた内部装飾の美しさは、際だっている。広大な空間にもかかわらず、138の窓から差し込む光で、モスクの中はかなり明るい。東側の窓に配されたステンドグラスは、著名な作家の作品という。 |
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モスク東面のステンドグラス |
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建物は1660年に火災の被害を受け、メフメト IV 世によって修復されたが、バロック様式を取り入れた形状に改変された。19世紀の修復で創建当時の様式が復元されたが、第一次世界大戦中に武器庫に使われたのが原因で再び火災の被害を受け、1956年に修復されて元の姿を取り戻した。 |
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広大なモスクの内部 |
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礼拝堂の北側は墓地になっており、建設者スレイマン I 世とスレイマン妃の霊廟(れいびょう)があるほか、幾人かの皇族が眠っている。墓苑内には設計者スィナン自身の墓もある。 |
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絨毯の上を歩く |
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イスラム教では偶像崇拝が禁じられているので、モスクの内部は銅像や絵画などは一切無く、広大で清潔な空間が広がっている。礼拝堂の床は美しいトルコ絨毯が敷き詰められているので、靴を脱いで上がり、裸足か靴下で歩く。疲れたときは、そのまま絨毯の上に座り込み、休息をとることができる。 |
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モスクの絨毯で休む女性 |
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