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和田義男

 旅紀行ジャパン

2008年11月5日改訂

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♪巡礼 KasedaMusicLabo

 

秋の岳修験の径は霧の中   北舟

 
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Autumn mountain,
the path of Syugen Buddhists in a dense fog.

2008年11月5日制作

霧が流れてきた田ノ原天然公園の湿原

霧が流れてきた田ノ原天然公園の湿原(長野県木曽町)

木曽路秋の旅

王滝口

王滝口おうたきぐち

 王滝口の登山ルートは、御嶽山への車道としては最も高い7合目の田の原(2,180m)まで車で登ることが出来、剣ヶ峰へのアプローチが最も短く、片道3時間ほどの行程なので、日本で14番目の高山でありながら日帰り登頂も十分に可能となっている。
 途中の眺望にも優れており、登山口の田の原から王滝頂上までのコースは常に上から下まで見渡せる。山開きに相当する開山祭は7月1日に行われる。
王滝村(南東側)上空より見る

御嶽山おんたけさん

(再掲) 2005.1

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

王滝村(南東側)上空より見る御嶽山(再掲)

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フリー百科事典 Wikipedia

御嶽神社おんたけじんじゃ

 御嶽山を御神体とする御嶽神社の歴史は古く初めは修験道の場として栄え平安・鎌倉・室町の中世から仏教と民間信仰が結びつき御嶽独自の山岳信仰が生まれたという。中世以後厳しい修行を重ねた行者と称する人
々が登拝する風習が広く行われるようになった。
王滝口・木曽御岳山絵図

王滝口・木曽御岳山絵図

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資料

  天明4年(1784)、尾張の行者・覚明(かくめい)によって三岳村/みたけむら(現木曽町)の黒沢口が開かれ、寛政6年(1794)には武蔵国の行者・普寛(ふかん)によって王滝口が一般民衆に開放され、これを期に木曽周辺にとどまっていた御嶽信仰が全国的な信仰へと広がってゆき、こうした集団登拝は江戸時代の末期まで続いた。
御嶽神社里宮の入口

御嶽神社里宮の入口

 明治維新後国家神道を我が国の宗教とする政祭一致の政策が打ち出され神仏分離が進められるに至り、仏像を御神体とする神社や、仏像や仏具を社前に祭る神社から仏教色が取り去られていった。
御嶽神社の案内板

御嶽神社の案内板

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 御嶽神社もこれに習って菩薩像や権現号などの仏教文化が除かれていったが、もともと御嶽の信仰は、御嶽山そのものであったから、明治以後もその象徴である御嶽神社を中心とする信者の結束が崩れることはなかった。
御嶽神社里宮案内図

御嶽神社里宮案内図

 戦後、民主主義と信教の自由が保障されると、御嶽神社の神仏習合による宗教文化が復活し、宗派を問わず独自の講社として多くの信者を集め、修験道と仏教色の強い特異な山岳信仰を持つ神社として存続している。
昼なお暗き石段

昼なお暗き石段

御嶽の四門

   登拝や修業には時期順序方法行場などについて様々な定めがあるが、御嶽の四門は、修験道に関する決まり事で、四門とは、吉野の金峯山(きんぷせん)などで知られているように、発心(東)、修行(南)、菩提(西)、涅槃(北)を指す言葉であるという。  
龍の口龍神と不動尊

龍の口龍神と不動尊

 御嶽では御嶽山を中心にしてこの四門が定められ、北は鳥居峠、東は岩郷村(現木曽町福島)の神戸、西は飛騨街道筋の長峰峠、南は三浦山中の拝殿山を指す。いずれも木曽谷に入って初めて御嶽山を目にすることのできる場所であり、修験者にとっては修行の大切な場所として重視していたと考えられている。
豊富な

石清水いわしみず

の里宮御神水

御嶽信仰の行者が伝授した神薬・

百草ひゃくそう

 「御嶽山の霊薬百種を採り集め、よく前じ詰めて薬を製せば霊験の如し、これを製して諸人を救え」。「百草」は、三岳黒沢ロを開いた尾張の行者・覚明(かくめい)と、王滝口を開いた武蔵国の行者・普寛(ふかん)によって伝授されたといわれ、御嶽信仰の普及とともに、「御神薬」として行者たちによって全国の信者に配布されるようになったと伝えられている。
石清水を集めた里宮御神水

石清水を集めた里宮御神水

 百草はキハダの樹皮に含まれる黄柏(おうばく)エキスが主成分で、御嶽の五夢草と呼ばれるコマクサ、オンタケニンジン、トウヤク、テングノヒゲにゲンノショウコ、ビャクジツなどの薬草が数多く配合されれ、胃腸薬として服用し、また切り傷や打ち身に塗布したり、眼病の洗眼に利用したりする。ちなみに黄柏エキスの主成分は、薬学的にもその薬効が確認されているという。現在も木曽路で百薬を売る店が散見される。
奈良井宿で百草を売る日野百草本舗(再掲)

奈良井宿で百草を売る日野百草本舗(再掲)

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石清水に咲く清楚な大文字草

石清水に咲く清楚な大文字草

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御嶽神社里宮おんたけじんじゃさとみや

 御嶽山の一合目にある里宮石鳥居より木曽五木の大木を左右に見て368段の石段を登ると、巨大な断崖の下に建てられた里宮の社殿に到達する。そばの石清水(いわしみず)から湧き出る御神水は霊験あらたかなものいわれ、多くの信者や住民たちがポリタンクを持参して持ち帰っていた。
里宮本殿拝殿

里宮本殿拝殿

田ノ原天然公園

 王滝口を車で上がると、行き着くところが田の原で、御嶽山7合目の標高2,160mに広がる木曽御嶽自然休養林の中に田ノ原天然公園がある。着いた頃から雲が広がり、間もなく御嶽山の姿は雲の中に隠れてしまった。
車道の終点・7合目の田ノ原天然公園(2,180m)

車道の終点・7合目の田ノ原天然公園(2,180m)

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 園内の湿原には木道が整備されているが、「夏にはキバナシャクナゲ、コバイケイソウなどの高山植物が咲き誇る」というガイドブックの内容はかつての話。現在は湿原が乾燥し、高山植物は熊笹などに駆逐されて殆ど見あたらない。
新築の御嶽神社田の原社務所

新築の御嶽神社田の原社務所

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 御嶽神社は山頂に奥社があり、山麓に里社、王滝村上島に三社、三岳黒沢に若宮と本社があり、毎年夏の山開きから秋にかけて白衣姿で参拝する講社と呼ばれる信者たちの団体で賑わっている。
名古屋心山講の人たち

名古屋心山講の人たち

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 御嶽神社田の原社務所のそばに御嶽山登山道の入口がある。石鳥居の扁額には御神体である「木曽御嶽山」の文字が刻まれている。信者たちはこの鳥居をくぐり、片道3時間ほど歩いて、大宝2年(702)の創建といわれる御嶽山王滝口頂上に鎮座する頂上奥社に巡礼する。
社務所のそばにある御嶽山登山道入口

社務所のそばにある御嶽山登山道入口

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 御嶽神社の頂上奥社まで行けない人のために、石鳥居から600mほど入ったところに頂上奥社遙拝所がある。
 六根清浄と墨書した頭陀袋(ずだぶくろ)を下げた修験者を思わせる信者とすれ違った。これから頂上を目指すには時間が足りず、遙拝所に行くものと思われたが、雲が垂れ込めて視界が悪くなり、我々は諦めて引き返した。
登山道を行く信者たち

登山道を行く信者たち

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  秋の岳修験の径は霧の中  北舟 

あきのたけ しゅげんのみちは きりのなか

Autumn mountain, the path of Syugen Buddhists in a dense fog.

霧が流れてきた田ノ原天然公園の湿原

霧が流れてきた田ノ原天然公園の湿原

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