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和田義男

 旅紀行ジャパン

2008年11月5日改訂

今 日

昨 日

メドレー「木曽節」

 

爽籟や昔を偲ぶ奈良井宿   北舟

 
パノラマ写真(2000x1000)420KB

Fresh sound of an autumn breeze,
 recalling the past of Narai station.

2008年11月5日制作

昔日の面影が残る奈良井宿

昔日の面影が残る奈良井宿(長野県塩尻市)

木曽路秋の旅

奈良井

はじめに

 平成20年(2008)10月11日(土)から13日(月/体育の日)までの3連休を利用し、家内と二人でプリウスに乗り、圏央道青梅インターから中央道を経由して木曽路を巡った。今回は旅行会社のツアーではないので、集合時刻を気にすることもなく、天候を勘案しながら思いつくままに中山道の木曽路を巡る気楽な旅だった。
内陸部を通る中山道

内陸部を通る中山道

資料

中山道なかせんどう

六十九次
   江戸時代の五街道*の一つである中山道は、東海道に次ぐ主要街道で、江戸の日本橋から北上し、山間部を通って中央アルプスの北側から西側を通過し、68次目の草津宿で東海道に合流して京都の三条大橋に至る。  
 江戸から草津までは129里(約507km)あり、江戸・日本橋と京・三条大橋の間に69箇所の宿場が置かれた。東海道とのダブりを除くと、67箇所である。現在の都府県でいえば、東京都・埼玉県・群馬県・長野県・岐阜県・滋賀県・京都府を通る街道で、「中仙道」とも表記する。
*五街道:東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道
木曾街道六十九驛(中山道69次) 一勇齋國芳画

木曾街道六十九驛(中山道69次) 一勇齋國芳画

木曽谷きそだに

 木曽谷(木曾谷)は、木曽川上流の渓谷を中心とする地域の総称で、木曽川の浸食により形成されたV字谷が約60kmにわたって続いており、その主線はおおむね北北東から南南西の方角に沿っている。東南方面に中央アルプス(木曽山脈)、西北方面に御嶽山(おんたけさん)がそびえ、木曽谷は高い山に挟まれた山中にあり、現在の長野県南西部に当たる。
木曽御嶽山と中央アルプスに挟まれた木曽谷 2006.11

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

木曽御嶽山と中央アルプスに挟まれた木曽谷

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フリー百科事典 Wikipedia

木曽十一宿きそじゅういっしゅく

   木曽路は、中山道のうち木曽谷を通る部分を指し、贄川(にえかわ)から馬籠(まごめ)までの約22里(86km)に設けられた11の宿を木曽十一宿と呼ぶ。  
 中山道六十九次の宿駅として木曽十一宿が指定されたのは、慶長6年(1602)で、その後、宿としての機能が整備され、本陣や脇本陣、宿屋、茶店などがおかれた。
 木曽路は、深山の難所続きの街道と思われがちだが、五街道が定められてからは、東海道とともに京都と江戸を結ぶ重要路線として整備され、今に残る石畳の道にその片鱗が伺える。厳しい山道の連続ではあるが、変化に富んだ美しい風景が随所に見られ、廣重はじめ多くの文人墨客の作品が今日に残されている。
木曾十一宿の案内図

木曾十一宿の案内図

資料

奈良井宿ならいじゅく

 最初に訪れたところは奈良井宿で、中山道69次の内の34次、木曽十一宿の北から二つ目の宿場町である。JR中央本線・奈良井駅そばの駐車場に車を置き、遅めの昼食に新蕎麦(しんそば)を食べてから散策した。
奈良井宿の説明版

奈良井宿の説明版

拡大写真(2000x1100)358KB

資料

奈良井川ならいがわ

 奈良井川は、長野県中信地方を流れる信濃川水系の一級河川で、中央アルプスの主峰・木曽駒ヶ岳の北にある茶臼山北壁(塩尻市楢川地区)に源を発し、分水嶺が入り乱れる中、中央アルプスの東側を南下する天竜川と西側を南下する木曽川に挟まれた中を北流し、奈良井宿と贄川(にえかわ)宿を流れ、塩尻市、松本市を貫き、梓川に合流する。
 奈良井川に架かる「木曾の大橋」は、全て樹齢300年以上の木曽檜(きそひのき)で築かれた太鼓型木橋である。
奈良井川に架かる「木曾の大橋」

奈良井川に架かる「木曾の大橋」

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中山道の杉並木

 奈良井宿には中山道の杉並木が残されており、当時の面影が偲ばれる。胸高直径50cm以上の杉が17本あり、道幅はかなり狭くて、箱根八里で唄われた「昼なお暗き杉の並木」そのものである。
中山道の杉並木

中山道の杉並木

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二百地蔵にひゃくじぞう

 
 杉並木の奥の地蔵堂の前には、聖観音をはじめ十手観音、如意輪観音などの観音像が200体近く合祀されている。明治期の国道開削や鉄道敷設の際に奈良井宿周辺から集められたもので、二百地蔵と呼ばれている。
杉並木のそばの200地蔵

杉並木のそばの200地蔵

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風化した地蔵観音の群像

風化した地蔵観音の群像

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英泉が描いた奈良井宿

 日本橋から64里1町47間(252km)京へ71里30町13間(255km)、鳥居峠(とりいとおげ)に登り切る手前に数軒の茶屋があり、英泉はこの茶屋の一軒を奈良井の名産「お六櫛」を売る店に仕立て、また、峠から見えた御嶽山(おんたけさん)も近くに引き寄せて一緒に描いた。
 お六櫛を商う店には櫛の材料が陰干しされていたり、後ろ向きになって櫛の目を刻む職人の姿が見え、当時の仕事振りを知ることが出来る。
岐阻(木曾)街道 奈良井宿 名産店之圖 英泉画

岐阻(木曾)街道 奈良井宿 名産店之圖 英泉画

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   國芳も奈良井の名物・於六くし(お六櫛)の店を描いている。昔、妻籠に住んでいた「お六」という娘がひどい頭痛に悩まされていたが、御嶽山(おんたけさん)に詣でてお告げを受け、朝夕に髪を櫛で梳(す)いていたところ頭痛が治まったという伝説がある。白木の黄楊(つげ)の素朴な梳櫛(すきぐし)で、江戸時代から広く愛用されている。  
木曾街道六十九次之内 奈良井おろく善吉 國芳画

木曾街道六十九次之内 奈良井おろく善吉 國芳画

 天保14年(1843)で人口2,155名、総家数409軒本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠(はたご)5軒。奈良井は、戦国時代に武田氏の定めた宿駅となっており、集落の成立はさらに古いといわれる。
昔日の面影が残る奈良井宿

昔日の面影が残る奈良井宿

パノラマ写真(2000x1000)420KB

  爽籟や昔を偲ぶ奈良井宿  北舟 

そうらいや むかしをしのぶ ならいじゅく

Fresh sound of an autumn breeze, recalling the past of Narai station.

漆を売る

湯筒屋ゆとうや

漆を売る湯筒屋(ゆとうや)

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 江戸時代から曲げ物、櫛、漆器などの木工業が盛んで、旅の土産物として人気があった。現在の奈良井の就業人口約2,000人の半数が400年の伝統を誇る木曽漆器にかかわっているという。
名産の漆器を売る店が並ぶ

名産の漆器を売る店が並ぶ

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 二階が少しせり出した出梁造り(だしばりづくり)や千本格子など奈良井宿にしか見られない古い造りは江戸時代の建築様式がそのまま残された貴重な文化財で、奈良井宿は昭和53年(1978)に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
道幅の広い宿場町

道幅の広い宿場町

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 奈良井宿は木曽路の中で最も高い海抜940mの位置にあり、木曽谷中最大の難所といわれていた標高1,197mの鳥居峠*(とりいとおげ)をひかえて「奈良井千軒」といわれるほどの賑わいをみせていたという。
*鳥居峠:木曽川(南流)と奈良井川(北流)を分ける分水嶺

横水水場よこみずみずば

横水水場

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 奈良井宿は、江戸寄りから下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間に鍵の手がある。水場は、山側に6箇所設けられ、旅人たちの渇きを癒す大事な施設であった。
鍵の手の不動堂

鍵の手の不動堂

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