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和田義男

 旅紀行ジャパン

2006年5月25日改訂

♪明日の翼 TAM Music Factory

   パノラマ写真(1400x950)356KB

朝桜山塔霞む利休雨  北舟

2006年5月20日作成

五重塔が建つ塔の丘

五重塔が建つ塔の丘(厳島神社/広島県廿日市市宮島町)

世界遺産

宮島の春雨桜

五重塔

 

大願寺だいがんじ

 
  大願寺は、厳島神社宝物館に隣接する真言宗高野山派の寺で、亀居山放光院とも称し、明治維新までは厳島神社の修理造営を司っていたという。その創建は明らかではないが、建仁年間(1201〜1233)に了海上人が再興したと伝わる。  
   明治の神仏分離政策により、厳島神社の仏像仏具は大願寺に移管され、現在、弘法大師(空海)の作といわれる薬師如来坐像や釈迦如来坐像など5点の国の重要文化財を所蔵、公開している。

厳島辯財天本堂のある大願寺

厳島辯財天本堂のある大願寺

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厳島辯財天いつくしまべんざいてん

 
   大願寺には厳島辯財天本堂に秘仏・厳島辯財天が祀らており、竹生島(ちくぶじま)宝厳寺(ほうがんじ)辯才天と江ノ島・江島神社(えのしまじんじゃ)裸弁天と並び、日本三弁財天のひとつに数えられている。秘仏のため公開されていないのが残念である。  琵琶湖竹生島(辯才天)  江の島天王祭(錫杖)  

厳島辯財天を描いた垂れ幕(左端)

厳島辯財天を描いた垂れ幕(左端)

資料

宝厳寺・辯才天/竹生島

江島神社・裸弁天/江ノ島

宝厳寺・辯才天/竹生島

★彡

江島神社・裸弁天/江ノ島

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御手洗川みたらいがわ

 

 厳島神社の裏手を流れる御手洗川は、その昔、神主が対岸の地御前(じごぜん)から船で宮島に渡り、神社前の川で手を洗い清めて神社に入ったことから、名付けられたという。宮島は下水道が完備しているため、清流が流れ、川端の桜が丁度満開を迎えていた。二頭の鹿が仲良く連れ添っている光景が微笑ましい。

神社裏手の御手洗川の桜

神社裏手の御手洗川の桜

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塔の丘とうのおか

 

 いずれも国の重要文化財に指定されている五重塔と千畳閣が建つこの地を「塔の丘」と呼ぶ。応永14年(1407)建立の五重塔は、戦後三回目の全面塗り替えが行われ、春雨に煙る鮮やかな朱色が素晴らしい。夜になると大鳥居とともにライトアップされる。

 

千畳閣せんじょうかく

   千畳閣は、天正15年(1587)、豊臣秀吉が千部経の転読供養をするために着工したが、10余年後に秀吉の死によって、未完成のまま今日に至っている。明治初年の神仏分離令により、千畳閣と改称して閣内に豊国大明神が祀られている。

五重塔と千畳閣が建つ塔の丘

五重塔と千畳閣が建つ塔の丘

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五重塔ごじゅうのとう

 

 応永14年(1407)建立の五重塔は、高さ28mあり、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の反りが大きいなど唐様の特徴と入口の板扉など和様の特徴を併せ持つ。建物の内部は完全な唐様で、彩色も鮮やかに残っている。

   明治元年(1868)の神仏分離令により、塔内の仏像は大願寺に移したものの、塔はそのまま厳島神社に残ったため、神仏混淆(しんぶつこんこう)の名残を色濃く留めている。
   普通、五重塔の心柱(しんばしら)は、基礎から最上階まで達しているが、この塔の心柱は二層で止まっており、上下支点のほかはこの柱に何も取り付けられていない。このため、三層、四層で柱を押してみると塔が揺れる柔構造となっている。600年も昔の匠の智恵に感動する。(国の重要文化財)

春雨に煙る厳島神社五重塔 2006.4.11.0740

春雨に煙る厳島神社五重塔

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 朝桜山塔霞む利休雨  北 舟 
 

藤い屋ふじいや

   広島土産の筆頭は、もみじ饅頭。明治時代に伊藤博文が宮島を訪れたとき、娘さんの可愛い手を見て「もみじのようなかわいい手」と言ったところ、それを聞いた女将がもみじの形をしたお菓子を作ってはどうだろうと考え、高津常助という人が製造したのが始まりといわれる。
 

 宮島で代々商いをしていた 藤い屋 は、大正14年(1925)もみじ饅頭の菓子屋を創業。爾来、もみじ饅頭の老舗として発展。宮島本店のほか、駅・空港などで販売している。広島県呉市出身の家内は、藤い屋のもみじ饅頭以外は買わないというこだわりを持つ。

もみじ饅頭の老舗・藤い屋本店

もみじ饅頭の老舗・藤い屋本店

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宮島の  

杓子しゃもじ

 

 宮島といえば杓子(しゃもじ)。寛政年間(1789〜1800)地元・浄土宗光明院の修行僧・誓真(せいしん)によって初めて作られ、教わった島民が土産物として売るようになったのがはじまりという。

 日清戦争が始まると、全国から兵隊が招集されて広島の宇品(うじな)港から出征するときに「敵をメシ取れ」との願掛けから、杓子に自分の名前を書いて厳島神社に奉納するようになった。その後、戦争勝利のお礼参りの際に宮島から杓子を持ち帰ったことから全国的に縁起物として重宝されるようになり、現在に至っている。
 
世界  

大杓子おおしゃもじ

   土産屋が並ぶ表参道商店街の途中に、長さ7.7m、幅2.7m、重さ2.5tonの世界一の大杓子が展示されている。宮島町が伝統工芸である宮島細工を後世に残すとともに、杓子発祥の地である宮島のシンボルとして製作したもので、平成8年(1996)12月に厳島神社が世界遺産に登録されたことを機に展示を始めたもの。

宮島の大杓子

宮島の大杓子

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