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2010年1月31日改訂

今 日

昨 日

お江戸日本橋・早春賦・さくらさくら

 

白褌の放水天に出初式   北舟

 
拡大写真(1600x1280)345KB

New Year ceremony of fire brigades,
wearing white loincloths, splaying water to the sky.

2000年7月16日開設
纏舞で景気付けるはだか放水

加賀鳶はだか放水

纏舞で景気付けるはだか放水/金沢市消防出初式(金沢城公園 2007.1.7)

2010年の日記   1月
  2009年12月 1月上 1月下 2月上

目次


 
2010年1月31日(日)晴
 
 
■■■     「鐵砲洲寒中水浴'10」完成! ■■■
 
   本日、今年第4作(通算第413作)目の作品をアップした。

                     日本の裸祭り第106集/感動写真集第133集「鐵砲洲寒中水浴'10」

                                                    
撮影:星 宏幸 小林豊一 監修:和田義男

 
 

 
撮影 ・ 原作 :

 星 宏幸 ほしひろゆき

 

【 弥生会広報部 】

住居: 東京都

趣味: お祭りを楽しむこと、鉄道、山歩き、落語を聞くこと

日本の裸祭り第106集/感動写真集第133集 「鐵砲洲寒中水浴'10」

    平成22年(2010)1月31日 作品:第4作  画像:(大51+小21)  頁数:4  ファイル数:157  ファイル容量:33.0MB
    平成12年(2000)〜平成22年(2010) 
作品数:413 頁数:1,547 ファイル数:55,051 ファイル容量:7,817MB

 
 
  歳ひとつ重ねて白褌寒の垢離  北舟 

としひとつ かさねてびゃっこん かんのこり

Winter water ablution, white loincloth aging a year.

 
 

【編集子が選ぶ名作】                  三回目の水浴 11:26

三回目の水浴 11:26

拡大写真(1600x1130)391KB 撮影:小林豊一
 
 
寒中水浴の筋肉痛
 大声を出して叫び、気合いを入れて漕いだ鳥船のお陰で、私のみならず、殆どの参加者が上半身の筋肉痛を感じていると思われるが、寒垢離で筋肉痛になるのは、知らない人が聞くと奇異に感じることだろう。
和田義男
 中には声が嗄(か)れてしまった人もいた。これは、すべて道彦役を果たして頂いた篠直嗣・氷川神社宮司による完璧なご指導のお陰であり、見事な采配に心から感謝申し上げたい。
 篠宮司には、来年以降も道彦を続けていただき、全国区で認知されるようになってきた鐵砲洲寒中水浴の顔となって頂きたい。今回、他に例を見ないほどの気合いの入った素晴らしい寒禊を体験することができたことは、大きな喜びであり、自信となった。
 今年産声をあげたばかりの水浴和田グループは来年以降も更に改善しながら集団水浴を続けてゆきたい。今年の12月になれば、二期生を募集する予定であり、全国から多くの希望者を受け入れたい。

★☆★彡

謝  辞
 栄えある水浴和田グループ一期生の皆さん、寒中水浴を見事に完遂され、ご苦労様でした。初めての試みでしたが、事故もなく、成功裏に終わったことは、大変喜ばしく、皆様方のご協力の賜と感謝しております。来年もご友人を多数お誘い頂いて是非ご参加下さい。
 鐵砲洲稲荷神社と弥生会の皆様初め地元氏子の方々には大変お世話になり有り難うございました。お陰様で緩褌の身体に渇が入り、爽やかな気持ちで新年をスタートすることができました。これからもどうか宜しくお願いします。今年一年の皆々様のご多幸とご発展・ご健勝を衷心より祈念申し上げております。
 今年は、弥生会の星宏幸さんと小林豊一さんに加え、北海道から水浴和田グループに写真班として参加頂いた徳光善宜さんから写真を提供していただき、お陰様で、バラエティ豊かな作品となりました。文末ではありますが、心より御礼申し上げます。今回、星さんと小林さんは円形水槽の前後に分かれて撮影されたため、前方から撮影された小林さんの写真を沢山使わせていただきました。撮影者名の表示がないのが星さんの写真です。有り難うございました。 〈 拝 〉 2010.1.31 和田義男
 
 
  禊して白褌ひとつ寒詣  北舟 

みそぎして びゃっこんひとつ かんもうで

Winter visit to the shrine, wearing a white loincloth after ablutions.

 
 

【編集子が選ぶ名作】                水浴和田グループの参拝

水浴和田グループの参拝

拡大写真(1600x1067)271KB

撮影:徳光善宜

 
 
褌と厄落し
 正月は、褌一丁の裸形(地域によっては全裸)になって垢離(こり)を取る風習が全国に残っている。神道では夏越の祓(なごしのはらえ)と年越の祓(としこしのはらえ)の夏冬二回、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して罪や穢れを落とす行事があり、これを総称して大祓(おおはらえ)という。
 また、厄年(やくどし)には、更に入念に災厄を落とす厄落しと呼ばれる行事がある。筆者は還暦(60歳)の厄年に鐵砲洲稲荷神社で赤褌水浴を行った。 寒中水浴'08/赤褌水浴
 次の褌句は、子規らしい非常に分かりやすいもので、42歳の厄年(大厄)に身につけている褌を落として厄落しをする様を詠ったもので、褌に寄せる日本人の思いが彷彿としている。
和田義男
  四十二の古ふんどしや厄落し  正岡子規 

しじゅうにの ふるふんどしや やくおとし

An exorcism, old fundoshi loincloths of men 42 years old.

 出典は松山子規会叢書第12集の「子規歳時 改訂版」。同書には子規による次の解説文が載っている。
 節分の夜「犢鼻褌(とくびこん)の類を捨つるは厄年の男女其厄を脱ぎ落すの意とかや。それを手に持ち袂に入れなどして往きたるは効無し、腰につけたるまゝにて往き、懐より手を入れて解き落とすものぞ」などいふも聞きぬ。(墨汁一滴)
筆者訳:節分の夜「褌の類(男は褌、女は腰巻)を捨てるのは男女がその厄を脱ぎ落とすという意味があるらしい。それを(あらかじめ外して)手に持ったり袂に入れるなどして(神社に)往くのでは効果が無く、腰につけたままで往き、懐から手を入れて(褌の類を)解き落とすものだぞ」などと話しているのも聞いた。(墨汁一滴)
 直接下半身を包む褌などの下着は最も汚れる肌着であり、いつの間にか罪や穢れが乗り移るという考えが生まれ、それを捨てることで厄を落とすという風習が生まれたのだろう。元旦に新しい褌を締めるのは、このような風習に基づくものと思われる。
 厄落しは節分(立春(ほぼ旧正月元旦)の前日(大晦日)にあたる2月3日頃)の夜の習俗で、江戸時代には、江戸っ子たちは、褌に銭を包み、道端にわざと落として厄落しをしたという。それでは拙いので、落とすのは神社でということになったのかも知れない。井原西鶴の浮世草子(うきよぞうし)「日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)」によれば、430両を褌に包んで厄落しをした大名もいたというから驚きである。
  元旦やふどしたゝんで枕上  村上鬼城 

がんたんや ふどしたたんで まくらうえ

New Year's Day, a fundoshi loincloth folded by the pillow.

 「ふどし」とは「ふんどし」のことで、子規の門弟の村上鬼城(むらかみ・きじょう)という人が詠んだこの褌句は、「現代俳句歳時記」(昭和38年石田波郷・志摩芳次郎編/番町書房)、「最新俳句歳時記」(昭和47年山本健吉編著/文藝春秋)、「新撰俳句歳時記」(昭和51年秋元不死男編/明治書院)の「新年」に掲載されている有名なふんどしの句である。新年には新しい褌を締める習慣を詠んだもので、百事一新の願いをこめて元旦を迎える気分を真新しい褌をたたんで枕元においてある情景によってとらえたところが3人の歳時記編著者たちの評価を受けた。
 褌は、日本人男性のアイデンティティ(日本人らしさ)を強く感じる伝統衣装である。神道の精神は、常に身辺を清浄にしておくことで神々の御加護を受け、災厄から逃れて富と幸がもたらされるということである。これからも、気力体力の続く限り、鐵砲洲の寒中水浴から1年をスタートさせ、ロマンと感動を世界に発信してゆきたいと思っている。皆さんもごいっしょに如何ですか! 〈完〉 2010.1.31 鐵砲洲稲荷神社弥生会 会友 和田義男
 

 
2010年1月25日(月)晴
 
 

■■■ 「

玉前たまさき

神社大寒禊」速報! ■■■
 
   
▼ 平成22年(2010)1月24日(日)、千葉県長生郡一宮町(ちばけん・ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国(かずさのくに)一ノ宮「玉前(たまさき)神社」の大寒禊が九十九里浜一ノ宮海岸で初めて行われたので、鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会和田グループ一期生の3人と共に参加し、密着取材することができた。 玉前神社公式ホームページ
 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

「玉前神社大寒禊」募集広告

「玉前神社大寒禊」募集広告

資料:玉前神社社務所

▲▼ 大寒禊の会場は、JR外房線・上総一ノ宮駅から東方の一ノ宮海岸の地引網小屋のそばで、タクシーで5分ほどで行ける。集合時間の午前10時より小一時間ほど早く着いたため、まだ、テントが張られていなかったので、組立を手伝ったりして、神社関係者と交流することができた。
大寒禊の受付/九十九里浜一ノ宮海岸(千葉県千葉県長生郡一宮町) 2010.1.24 09:44

大寒禊の受付/九十九里浜一ノ宮海岸(千葉県千葉県長生郡一宮町) 2010.1.24 09:44

 
▲ 受付のあるテントで1000円を払って参加を申し込むと、越中褌、鉢巻、大祓詞(おおはらえ・ことば)、使捨てカイロの4品が手渡された。越中褌と鉢巻は、あとで回収されたので、貸与品だということが分かった。初回だったので、新品を使えたが、来年から使いまわすのだとすれば、モノがモノだけに抵抗を感じる人がいた。
テント小屋で貸与された褌・鉢巻に更衣 2010.1.24 10:26

テント小屋で貸与された褌・鉢巻に更衣 2010.1.24 10:26

拡大写真(1400X900)163KB

▲ 受付のテントの隣に白地のキャンバスで囲まれたテント小屋があり、男女2室の更衣室となっており、安心して着替えることができた。ちなみに、茨城県鹿嶋市に鎮座する 鹿島神宮の大寒禊 では、更衣室が用意されず、御手洗池(みたらしいけ)のそばの露天で衆目に晒されながら着替えなければいけないので、玉前神社の細やかな配慮は、とても有り難い。
 
 越中褌の締め方を指導しなかったので、褌を締めたことがない人は、どうしたらよいのか分からず、まごつく人が散見された。今回、アメリカ人が一人参加していたが、彼も初めてなので戸惑っており、居合わせた参加者が指導していた。

大祓詞おおはらえことば

を持って海に向かう参加者たち 10:43

大祓詞を持って海に向かう参加者たち 10:43

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▲▼ 道彦(みちひこ)を勤めるのは千葉県君津市に鎮座する人見(ひとみ)神社の宮嵜慎(みやざき・ひろし)禰宜(ねぎ)禊の要領は鹿島神宮の大寒禊とほぼ同じだった。最初に、挨拶があったあと、服を着たまま川面流(かわづらりゅう)の鳥船などの準備運動の指導があり、全員水行衣に着替えたあと、砂浜で軽くランニングを行い、本番の鳥船などで十分にウォームアップし、午前10時45分ころ海に入り、道彦と共に大祓詞(おおはらえ・ことば)を斉唱(せいしょう)する大寒禊が始まった。
太平洋に向かって

大祓詞おおはらえことば

を斉唱 10:45

太平洋に向かって大祓詞を斉唱 10:45

拡大写真(2000X1450)461KB

▼▲ この日は殆ど風もなく、穏やかな冬晴れとなり、絶好の水行日和だったが、太平洋の冬の荒波が押し寄せる厳しい海象だったため、何回かに1回現れる大きな磯波に戸惑う参加者もみられた。
大波来襲!

大波来襲!

拡大写真(2000X1450)424KB

▲▼ 参加者たちは、大きな波が来襲する度に、波に流されないよう、足を踏ん張り、波を乗り越えながら斉唱していた。

磯波に揉まれながら斉唱

磯波に揉まれながら斉唱

拡大写真(2000X1050)351KB

▲▼ 大祓詞は、A4用紙に印刷されているだけなので、海水に浸かって破けたり、流出したりした。禊は、鐵砲洲方式のように、「祓戸の大~(はらえどのおおかみ)・・・」と唱えながら振魂(ふりたま)をするだけにすれば、波に煩わされることはないと思われる。波が砕ける前の海域まで行ってやればどうかという意見もあったが、写真で見てのとおり、100mほど沖合まで行く必要があり、危険が伴うことなので、実行に適さないだろう。

砕けた磯波!

砕けた磯波!

拡大写真(2500X1900)641KB

  海原の大寒禊九十九里  北舟 

うなばらの だいかんみそぎ くじゅうくり

Kujyukuri, purification of the coldest season in the ocean.

波に翻弄されながらのダイナミックな禊!

波に翻弄されながらのダイナミックな禊!

拡大写真(2000X1450)551KB

▲▼ 細かな点では、問題があったが、来年以降、改善されていくことと思われる。ともあれ、何処までも続く大海原に浸かりながら禊をするのは、とても晴れやかで、清々しく、心が広くなる。私も途中で海に入りたい衝動に駆られたほどだった。
 
 禊の時間帯は、太陽が南にあるので、太陽を背にして北側の防波堤に向けて撮影せざるを得なかったが、写真下のように南を向くと、九十九里浜が遠くまで続くダイナミックな景観となっており、素晴らしい環境での禊である。太平洋での禊は、今後は毎年夏と冬の2回行われるので、是非、参加することをお勧めする。

大海原から引き揚げる行者たち

大海原から引き揚げる行者たち

拡大写真(2000X1500)689KB

▲▼ 鹿島神宮の大寒禊 は、何度も復唱するので、禊の時間がかなり長いが、今回は、波が荒かったためか、7〜8分くらいで禊が終わり、再びテントのそばの砂浜で円陣を組み、鳥船などの整理運動が行われた。

輪になって鳥船の整理運動 10:51

輪になって鳥船の整理運動 10:51

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海辺の鳥船 10:53

海辺の鳥船 10:53

拡大写真(2000X1500)689KB

▼ 全ての行事が終了した後太平洋の大海原を背に道彦を囲んで全員の記念写真を撮らせて頂いた。記念すべき初回の大寒禊に参加し、実際に禊を行った人は、18人だった。うち女性が3人アメリカ人が1人いた。可愛い女の子は、家族で参加された権禰宜・久松広樹さんの愛娘である。アメリカ人は、デビッドさんといい、大学を卒業した5年ほど前に来日し、千葉県茂原市で働いているという。アメリカにいるときから日本語を学び、今はペラペラで、大祓詞もすらすらと読んでいたので、感心した。

第一回玉前神社大寒禊で海に入った18人の行者たち

道彦の宮嵜慎さん(君津市・人見神社禰宜)

  ←和田グループ3人→

第一回玉前神社大寒禊で海に入った18人の行者たち

拡大写真(2000X850)319KB

▼ 全ての行事が終わると、お湯を積んだ給水車で、お湯を被り、身体を温めながら塩抜きをした。これも神社側の細やかな配慮で、参加者は大喜びだった。みんな控え目に利用したため、お湯が余って捨てていたので、来年は、もっと使っても大丈夫だろう。和田グループの羽場さん、新尺さん、松本さんとも鐵砲洲の方が厳しかったとの感想。気分爽快なので、来年も是非参加したいとのことだった。

給水車によるお湯の出前で塩抜き 11:00

給水車によるお湯の出前で塩抜き 11:00

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▼ 大寒禊が終わったあと、11時半までに神社に集合とのことだったので、再度タクシーに乗り、駅の西にある玉前神社に行った。間もなく、拝殿でお祓いをうけ、道彦が代表で玉串奉奠(たまぐしほうてん)を行った。そのあと、御神酒を頂き、拝殿を後にした。

玉前神社拝殿にて参拝 11:44

玉前神社拝殿にて参拝 11:44

拡大写真(2000X1100)388KB

▼ 大寒禊一行は、斎殿(さいでん)に移動し、昼食会となった。最初に甘酒が振る舞われたあと、寒鰤や海老などの魚類や野菜がタップリ入った海鮮鍋とおにぎり、ソーセージ、鏡餅を砕いて炒ったと思われる霰(あられ)が出され、受付をされていたお二人に給仕して頂いた。私もご相伴にあずかったが、身体が温まり、美味しく頂けた。
 
 昼食会のホストは、栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司が自ら担当され、食事を頂きながら最後まで歓談させて頂いた。気さくな方で、私が会話を独占しないようにしたが、結局、水浴和田グループとの歓談が主となってしまって、反省している。写真下は、最長老76歳で参加された羽場さんと宮司との歓談風景である。
 
 記念すべき第一回大寒禊の道彦をつとめられた君津市・人見神社禰宜の宮嵜慎(みやざきひろし)さんは、ネクタイ・スーツ姿で宮司の隣に正座され、終始歓談に耳を傾けておられたが、奥ゆかしくも逞しい好青年で、来年以降も道彦を続けてゆかれれば、大寒禊の顔となるだろう。
 
 今回新たに大寒禊を始められた理由を宮司にお聞きしたところ、1年4ヵ月ほど前に着任されたときから町興しのことを考えておられ、夏に行っていた禊を冬もやろうということで始められたそうである。栗原宮司の素晴らしいアイデアで、この大寒禊が生まれ、やがて伝統となって次代に引き継がれていくことを想像すると、とても感動的で、上総一ノ宮の新たな歴史の1頁に記録される記念行事に参画できたことを嬉しく、また、光栄に思った。
 
 今回の禊には保険がかけられており、宮司の細やかな配慮に感服した。来年も必ず取材して、この新事業がどのように展開してゆくのかをフォローしてゆきたい。私の作品を見た人が全国から多数参加して、大きく発展してゆくことを祈念しながら神社を後にし、水行和田グループ4人は徒歩で上総一ノ宮駅に向かった。

栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司を囲んで和気藹々の昼食会/斎館 12:14

栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司を囲んで和気藹々の昼食会/斎館 12:14

拡大写真(1600X1200)360KB

 今回、愛機オリンパスE-30で1230万画素1070枚2.62GBを撮影した。後日、「玉前神社大寒禊」として完全版を作成し、原画を含め、すべての記録を玉前神社に奉納することにしている。
 
                                謝  辞
 
 栗原宮司はじめ玉前神社の皆様には、新たな歴史の一頁を飾る記念すべき貴重な神事に、快く密着取材させて頂いたことを心から感謝申し上げます。今後ともどうか宜しくお願いします。有り難うございました。〈 拝 〉 2010.1.25  和田義男

参加者の感想文

2010年1月26日(火)晴  松本高明  様より

玉前神社大寒禊の感想 松本です。玉前神社の大寒禊に参加できて、とても良かったです。ありがとうございました。澄み渡った青空の下、太平洋を前にしての禊。海水の冷たさは心配していたほどではなく、晴天に恵まれたこともあって、とても爽快な気分でした。雄健では、水平線まで届け!とばかりに大声を出せたと思います。終了後のタンク車による「湯」のサービスは嬉しいですね。そのあとは神社に参拝して食事しておしまいと思っていましたが、お祓いまでしていただけたのはとてもありがたいと思いました。

今回は、海ならではの試練?がありました。傾斜のある砂浜での褌ランニングと鳥船〜氣吹は、何度も砂に足をとられそうになり、姿勢をうまく保てず、ちょっと大変でした。海に入ってからは、ある程度の深さまでたどり着く前に、次々と押し寄せる波で何度もよろけ、立ち上がろうとしても岸から戻る海水の流れに足をとられてなかなか立ち上がれず、大祓詞の書かれた紙は破れ、いつの間にか波にさらわれてしまいました。文字通り、波に揉まれている間に禊が終わってしまった、という感じでした。朝、浜辺に着いたときは「波は穏やかだな」と思ったのですが、考えてみれば、サーファーが集まっている海の波が穏やかなはずがありませんよね。私は何を勘違いしていたのでしょう…。

褌と鉢巻が回収というのはちょっと残念でしたね。鉢巻は神社の名前が入っていましたので良い記念になる、と思っていたのですが。実は、受付のとき、私は褌を2枚もらっていました。何も説明がなかったので、受付の人が間違って2枚とってしまったのかも知れません。最初はまったくわからなかったのですが、褌一丁になる前にふと手元を見ると、あれ?紐が4本あるぞ?と気付き、2枚あることがわかったのです。そのうち1枚を締め、もう1枚はバッグの中に入れたままだったので、結果としてそのまま持ち帰ってくることになってしまいました。家に帰って寸法を測ってみたところ、褌の長さ115cm、幅33.5cm、紐の長さ145cmで、柔らかくて肌触りも良いな、と感じました。晒の一端に真田紐を縫い付けただけの簡素なものでしたが、もしかしたら、神社での手作りだったのでしょうか?褌鉢巻の回収も「持って帰りたい」という人がいることを想定していなかったのかもしれませんね。年配の人でも越中褌の締め方を知らない人がいたくらいですから「持って帰れ」と言っても参加者は困るだろうから回収しよう、と決めたのかな?と思いました。

慣れていない砂浜と海中での足の踏ん張りのせいか、その日のうちに筋肉痛が現れました。今回は、恥ずかしながら、波を受けるので精いっぱいでしたので、これから何回か海に通い、浸かり、砂浜歩きと波の勢いに慣れなきゃ、と思いました。鐵砲洲に続き、参加を続けたい行事がまたひとつ増えました。ありがとうございました。
 
おはようございます。日曜日は、お疲れ様でした。長文の感想文、有り難うございます。初めての太平洋での大寒禊でしたが、気に入って頂けたようで、光栄です。宮司主宰の昼食会まで用意されており、至れり尽くせりでした。

海に入るとき、我先に走っていった若者たちがいましたが、道彦はゆっくりと歩いて海に入りました。参加者たちは、道彦の後に続いて、整然と海に入るべきで、道彦の説明が足りませんでした。若者たちは、元気が良いのはいいとして、興味本位ではしゃいでおり、最初に、神事であることを説明し、マナーについてキチッと指導すべきでしょう。松本さんは走る必要はなかったのですが、走られたのですね。

貸与された越中褌は、デパートなどで販売されている廉価品のように、布テープの紐を縫いつけ、前垂れの先端を縫っただけで、病院の売店で売られている使い捨てのT字帯と同じものでした。鐵砲洲の方もデパートなどで販売されているものですが、木綿の袋縫いの紐でしたので、下着として使えます。袋に入っておらず、そのまま手渡されましたので、二枚がだぶっていたようです。袋入りを渡すとゴミになるので、わざわざ袋から出していたとすれば、細かな心配りだと思います。一枚記念に持ち帰れて良かったですね。

来年もご一緒したいと思いますので、宜しくお願いします。有り難うございました。
 
2010年1月27日(水)晴  松本高明  様より

大寒禊の補足 松本です。早速のお返事、ありがとうございます。ランニングの件について、補足させていただきます。

鐵砲洲で神社周辺の公道ランニングがあったように、先日の玉前神社大寒禊でも、最初の鳥船の前に、砂浜に立てられた看板(鳥船の中で唱和?する和歌の書かれた看板)の周りを2周する、道彦主導のランニングがありました。先日のメールに書いた「褌ランニング」は、この準備運動的なランニングのことです。言葉が足らず、申し訳ありません。現在の私の足の状態では、押し寄せる波に駆け足で挑むことなど、とても無理です…。

ランニングの途中、何回か足が砂の中に「ズボッ」と入ることがありました。その際、つま先に無理な力がかかったのか、帰宅して靴下を脱いだら、右足の親指の付け根の周辺が内出血していまして、2日経ってもまだ引いていません。ですが、痛みや歩行への支障はありませんので、大丈夫です。次回の禊のために、少しでも砂浜に慣れておこうと思います。
 
おはようございます。補足説明、有り難うございました。最初にランニングがあり、和歌の看板を2周されたんですね。そのときは、ギャラリーが多く、どのようにして撮影すべきか考え中で、見ていたにもかかわらず記憶にありませんでした。(^^; 

乾燥した砂浜を裸足で駆けるのは不安定で、足の局所に負担がかかりますので、松本さんのように親指に内出血するアクシデントが生まれたんですね。むしろ波打ち際の砂浜は、波に洗われて平坦になっていて、海水に濡れて締まっていますので、走っても大丈夫です。来年からは、乾いてでこぼこの砂浜は、走らない方が良いでしょう。無理をしない方が賢明です。貴重な教訓、有り難うございました。
2010年1月26日(火)晴  羽場左近  様より

「玉前神社大寒禊」深謝。 この度の玉前神社大寒禊、大変お世話様になりました。行事へのお誘い、往復のご同行、タクシ−手配等々有り難う御座いました。お蔭様で、初めての海での行に安心して参加専念できました。また、新尺様 松本様もご一緒で大変心強く、何かとお力添え頂きました。和田様 さぞ、お疲れだったことでしょう。
 
 以下に気付いたことを認めます。御嶽神社、鉄砲洲稲荷神社、今回と参加してみましたが、禊の方法は異るものの、本質は、当然のことながら同じですね。神への感謝を通して自身を省み、新たな出発点とすること、でしょうか…。初回で事故も無く、非常に有意義な禊だったと思います。
 
 道彦も慣れた方々で、指導も大変よかったと思います。ただ、大波に対峙しての大祓詞の斉唱は、祈りへの集中心を削ぎました。無我夢中で所要時間も非常に短かく感じました。諳んじているなら兎も角、「祓戸大神」と連呼しながらの合掌で充分です。隣の外国人青年の流暢な日本語での朗読に驚き、わが身を恥じました。祝詞は、準備運動の前にやればよいでしょう。

 事後の社務所での神事・鍋会の参加者の半減は、主催者にお気の毒でした。現地の交通事情、指示の不徹底で多くが、其の儘帰ったものと思われます。鍋会は、甘酒・ぶり煮込鍋・お握り等々美味しく量も充分でした。関係者の方々のご苦労が偲ばれ、感謝の念にかられました。会食中、参加最高齢者とのことで、朝日新聞のインタビユ-を受けました。身に余る光栄と快諾致しました。後日、送付下さる由、さて、如何なる記事か楽しみです。 
 
 健康に留意し、次回も是非参加したいと思っております。なにとぞ、宜しくお願い致します。遅ればせながら、御礼申し上げます。厳寒のみぎり、ご自愛下さい。

≪追伸≫ 先刻電送頂きました当日の記録写真、楽しみに鑑賞させて頂きます。重ねて御礼申し上げます。ロ頑張ってダイエットしようと思っています。しかし、本日新聞の発送が完了したので、夕飯は鍋で祝杯をあげてしまいました。
 
おはようございます。先日はお疲れ様でした。長文の感想文、有り難うございました。玉前神社にとっては初めての寒中禊だったので、説明不足などがありましたが、来年は改善されていかれることと思います。みなさん、真摯に取り組んでおられ、とても好感が持てました。海中禊のそばにはサーフライダーたちが波乗りを楽しむ姿があり、違和感がありました。禊場をもう少し南にすれば、サーフィンに煩わされることがないのではないかと思われました。

朝日新聞の記事が送られてきましたら、お知らせ下さい。羽馬さんは理想的な体格ですので、ダイエットは不要ではないでしょうか。(^^ これからも宜しくお願いします。今年のご発展、ご健勝を祈念しております。有り難うございました。
2010年1月27日(水)晴  新尺俊勝  様より

上総一ノ宮大寒禊 いつもお世話になっております。群馬の新尺です。 連絡遅くなりました。当日は羽場様と共に千葉駅からご同席、ありがとうございました。

 当日は快晴の九十九里。真っ青い空に彼方まで続く白い浜は言葉にならない開放感がありました。禊ぎ神事は鳥舟、雄健、雄詰、息吹行事と進んだ後、いよいよ寒禊ぎ・海へ。波打ち際は以外と波の力が強く、しっかり立っていないと波頭に押し返されるのですが、道彦の先生が居られるあたりは胸までの深さがあり、以外としっかり立っていることができました。ただ先生に会わせて大祓詞を最後までしっかりと唱えることができなかったのが残念でした。来年は暗記する程度まで練習しておく必要がありますね。

 終わった後は、潮を拭き取るのに水を用意していたのですが、タンク車のお湯が準備してあるとはとてもありがたかったです。まるで銭湯にでも入っているかのよう。浜で銭湯とは、準備された方々一人一人にお礼を言いたいほど感激でした。その後の神事・直来では、やはり直接帰られた方がおられたのは残念でした。海鮮鍋はとても美味だったのにもったいないですね。

 ところで、玉前神社の宮司さんはもしかしたらすごい方かなと思います。宮司さんは「玉前神社の神様はいつもお考えをイメージで伝えてこられるんです。私の体調がすぐれなくてはっきり言葉でわからないのが口惜しい...」とのこと。いつも神社・神と氏子や上総一ノ宮の街のことを第一考えておられる、そして何度も脳内出血ぎりぎりの生死の境?を経験された人だけが経験できることなのでしょう。本当に頭が下がります。

 それともう一つびっくりしたのは、御神体の鏡の台になっている波の彫り物。南総には江戸時代「波の伊八」と呼ばれる有名な彫刻師がいたと聞いています。もしかしたら本人か、またはその一門が彫ったものではないでしょうか?

 今回の禊ぎは、自分の心身の鍛練など、比べにならないほどとても大切なものを見つけた神事でした。和田様、本当にありがとうございました。
 
おはようございます。お便り有り難うございました。日曜日は、ご苦労様でした。素晴らしい感想文、じっくりと読ませて頂きました。海浜禊のポイントは、なるべく沖に行き、砕け波を受けない場所を見つけることでしょうね。波に備えて身体を踏ん張ったりする必要があり、斉唱に専念できなかったというのが、共通の感想のようです。しかし、爽快感も共通の感想なので、素晴らしい大寒禊であったことは間違いありませんね。来年も大いに期待したいと思います。

栗原宮司は、とても気さくな方で、普通、挨拶程度で終わるのですが、昼食会のホスト役を買って出られたことに驚きました。最後まで、話が弾み、鍋物を頂きながらの歓談を楽しませていただきました。おっしゃるように、神の啓示でしょうか、夢告というのでしょうか、インスピレーションを感じた体験談をお話頂きました。オルレアンの少女ジャンヌダルクが神のお告げを聞き、フランスを救ったという実話を思い出しましたが、何かのきっかけで新しい歴史が生まれるのは、素晴らしいことですね。

拝殿の鏡台の彫り物は、素晴らしいですね。玉前神社の名品といえるものではないでしょうか。来歴を調べ、宣伝すれば、参拝者も喜ばれることでしょう。

旅に出れば、必ず出会いや浪漫、感動がありますね。今回、4人で参加して本当に良かったですね。来年も宜しくお願いします。有り難うございました。

 
2010年1月23日(土)晴
 
 
■■■     「豊後正月裸祭」完成! ■■■
 
   本日、今年第3作(通算第412作)目の作品をアップした。

              感動写真集第132集 「豊後正月裸祭」 / 撮影・原作:清原 浩 監修:和田義男

 
 

撮影・原作:清原 浩 きよはらひろし

住居:宇佐市(出生:豊後高田市)

昭和36年生まれ

趣味:写真、流木アート

若宮 秋季大祭 川組後援会 役員

あとがき
 平成22年元旦、今年も除夜の鐘を聞くまもなく取材に出かけました。
 
年が明けた午前1時、大分県国東町に鎮座する『小松神社』で行われる裸参りから私の1年が始まりました。昨年は、一番の見せ場である垢離取りの撮影が出来なくて、何とも拍子抜けしたものになりました。今年こそはと、意気込んで挑みましたが、ほんの2,3分で氏子は上がり数枚撮るのがやっとでした。思い通りの撮影は
出来ませんでしたが、これで裸参りは完結となりました。
 
2日は家で寝正月をして、3日は豊後高田市の『ホーランエンヤ』の取材に出かけました。今年も舟からの撮影を考えておりましたが、風が強く、今回は陸からの撮影に切替ました。しかし、宝来船の動きが速く追いつくのがやっとで、体力のなさを痛感させられました。やはり日頃の運動不足が祟ったのですね(*_*)
 
4日は宇佐市の鷹栖観音鬼会の取材に出かけました。今年は若宮八幡の裸祭り保存会の山田会長他3名が参加して、盛り上げておりました。
 
この日も対岸へまわるのに全力疾走で、足がガグガグ、息はゼイゼイ(>_<)で、結果的にはベストショットに間に合わず、泣くに泣けませんでした。やはり、単独取材では限界がありますね。それと今年も去年同様、場違いな参加者が居てパーティーで付ける面を被って出てました。幾ら自由参加といっても、やはり見るに堪えがた
いものであり、座元、及び関係者の取り組みをも批判したい所でした。
 
確かに、継承するには避けられない事情はあるとは思いますが、この様な乱れが行事全体の価値を下げるものだと思いました。
 
今年の抱負としては、新規開拓、撮影技術の向上、体力作り(^^ゞに努め、少しでも多くの方に感動して頂ける取材をしたいと考えております。和田様を始め視聴者皆様のご多幸とご健勝をお祈り申し上げると共に、今年一年宜しくお願い致します。有難うございました。

感動写真集第132集 「豊後正月裸祭」

  平成22年(2010)1月23日 作品:第3作  画像:(大47+小10) 頁数:3  ファイル数:116  ファイル容量:23.8MB
  平成12年(2000)〜平成21年(2010)
作品数:412 頁数:1,543 ファイル数:54,863 ファイル容量:7,656MB
 
 
  元旦や褌外して垢離を取る  北舟 

がんたんや ふどしはずして こりをとる

New Year's Day, performing water ablutions taking off loincloths.

 
 

【編集子が選ぶ名作】

褌を外して初禊 01:07

褌を外して初禊 01:07

拡大写真(2000X1500)274KB

 
 
佳境に入った正月の裸祭
 今年の第3作は、清原さんの16作目となる意欲作である。冬の中でも特に正月は、裸祭の佳境に入る。「小松神社裸参り」「ホーランエンヤ」「鷹栖観音鬼会」は、これまで個別に発表していたが、今年は「豊後正月裸祭」というタイトルを付けて一本の作品にまとめた。
 「小松神社裸参り」は、新年早々に寒禊を行って心身共に清らかにして神社に参拝する祭礼で、日本全国で今なお行われている正月行事である。
和田義男
 全裸の禊は、かつては珍しいものではなかったが、現在では殆どが消滅しており、小松神社のように未だに継続されているところは珍しい。800年という歴史と伝統の重みを担う次代の若者たちが長老の指導のもとに過酷な水行を行うさまは、まさしく清潔で美しい日本の素朴な伝統文化の鏡といえよう。

★☆★彡

 ホーランエンヤは、宝来船が川を遡るために、満潮時にあわせて催行されており、今年は元旦が満月だったことから、3日に実施された。桂川といっても海水が遡上しているので、海の行事といっても良い。瀬戸内海には各地に水軍の本拠地があり、女装の踊り子や水褌(すいこん)一丁の漕ぎ手たちが櫂(かい)を漕ぐありさまは、神出鬼没の櫂伝馬(かいでんま)を駆使して制海権を誇示していたかつての水軍の文化が見て取れて、興味深い。清原さんによると、櫓(かい)なのに櫓(ろ)と呼んでいるようなので、この誤りは、是正して欲しい。

★☆★彡

 「鷹栖観音鬼会」は、当サイトでお馴染みの新尺俊勝さんの姿もみられるように、川を渡り、火焔の中を裸の男たちが駆けめぐる素朴で美しい夜祭りだが、装束の乱れが気になる。清原さんが危惧されているように、去年の裸ネクタイ姿に続き、今年は仮面舞踏会の面をつけていた人がいた。祭りのリーダーが出発時に点検して衣装統一を図れば、そのような不心得者は淘汰されるはずである。去年は褌だった少年が、今年はパンツの上に褌をしていたのも残念だった。六尺褌の上に越中褌を重ねている人も写真に写っている。鷹栖観音鬼会では、鉢巻・腹巻・越中褌・足袋草鞋という統一された衣装が定められており、それが乱れて低俗な娯楽に変質してしまわないよう、お互いに注意し合いたいものである。〈 完 〉 平成22年(2010)1月23日 監修 和田義男
 
 
  年新た褌新たに初泳  北舟 

としあらた ふどしあらたに はつおよぎ

The New Year, the first swimming wearing a new loincloth.

 
 

【編集子が選ぶ名作】

次々に飛び込む裸たち

次々に飛び込む裸たち

拡大写真(2200X1400)717KB

 

 
2010年1月21日(木)晴
 
 
■■■     「東国三寺社初詣」完成! ■■■
 
   昨日、今年第2作(通算第411作)目の作品をアップした。

                旅紀行ジャパン第119集 「東国三寺社初詣」 / 撮影・制作:和田義男

 
 

和田義男

   
 
撮 影


2010年1月2日
 


OLYMPUS E-30 
E-310 
 
 
9-18mm 12-60mm

1230万画素 670枚 1.70GB
 
 

 古来より日本人は、広く土着の神々を含め神仏習合の文化に親しんできた。明治維新の際には、革新政権の廃仏希釈運動により国宝級の仏像や仏閣が破壊され、神仏分離が推進されたが、日本人のDNAに深く刻み込まれた神仏をともに崇拝するという日本人特有の文化を抹殺することはできなかった。
 先の敗戦で国家神道が廃れ、信教の自由を保障する民主主義の世の中になり、神仏を共に祈願する光景が復活した。特に、正月三が日の初詣は、日本人の一大行事であり、益々隆盛の一途にあることは喜ばしい。
 今年は、関東の有名寺社の初詣をしようと思い立ち、手軽に参加できるバスツアーを利用した。昔と比べると、和服姿が殆ど見られなくなったのは残念だが、毎年、大勢の参詣客がお寺や神社に出向き、年始めの祈願とともに御守札を受ける光景を見ると、日本人のアイデンティティ(日本人らしさ)を強く感じる。
 
 世界同時不況の下でデフレスパイラルが懸念される新年は、明るい見通しが見いだせないが、こういう厳しい時代であればあるほど、神仏の御加護を祈念する心情が湧いてくるのは人情というもの。初詣は、気分を一新して新年に臨む絶好の機会として不可欠の行事となっている。今年一年の平安を祈りたい。〈 完 〉 2010.1.20 和田義男

旅紀行ジャパン第119集 「東国三寺社初詣」

撮影・制作 : 和田義男

   平成22年(2010)1月20日 作品:第2作  画像:(大42+小15) 頁数:4  ファイル数:93  ファイル容量:21.5MB
   平成12年(2000)〜平成21年(2009)
作品数:411 頁数:1,540 ファイル数:54,807 ファイル容量:7,682MB
 
 
  初詣燃ゆる不動の成田山  北舟 

はつもうで もゆるふどうの なりたさん

First visits of the year, Naritasan the burning Fudo.

 
 

【編集子が選ぶ名作】

二階明王殿に安置された巨大な憤怒の不動明王/平和之大塔

二階明王殿に安置された巨大な憤怒の不動明王/平和之大塔

拡大写真(2000X1500)777KB

 

 
2010年1月18日(月)晴
 
 

■■■ 「

木古内きこない

寒中みそぎ」速報! ■■■
 
   
平成22年(2010)1月15日(金)北海道函館市の西方約40kmの津軽海峡・木古内湾(きこないわん)に面した木古内町(きこないちょう)「みそぎ浜」において若者4人の行修者(ぎょうしゅうしゃ)が極寒の海に飛び込み、「海中みそぎ」を行って御神体を潔(きよ)める「木古内町寒中みそぎ祭り」が開催され、感動写真集同人の上平明さんが一部始終を激写し、メールで写真をお送り頂いたので、速報版として以下にとりまとめた。今後、原画の到着を待って「木古内寒中みそぎ」として作品化したい。
 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

雪中の

佐女川さめがわ

神社(北海道木古内町) 2010.1.14

雪中の佐女川神社(北海道木古内町) 2010.1.14

拡大写真(1600X1063)315KB

▲▼ この祭礼は、北海道上磯郡木古内町(かみいそぐん・きこないちょう)に鎮座する佐女川(さめがわ)神社による神事で、毎年行修者(ぎょうしゅうしゃ)と呼ばれる若者4人が1月13日から佐女川神社本殿にこもり、極寒の中、昼夜の別なく数時間おきに水垢離(みずごり)を取り、15日に「みそぎ浜」にてご神体を潔め、1年の豊漁豊作などを祈願するもので、天保2年(1831)から催行されており、今年は第180回の記念すべき年であった。
深夜の水垢離/

佐女川さめがわ

神社 2010.1.13

深夜の水垢離-佐女川神社 2010.1.13

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▲ 初日(参籠報告祭)となる13日には、神社の境内で褌一丁の4名の行修者が木製の桶で真水の冷水を浴びせられる水垢離が行われ、行修者たちは立ち膝で腕組みをし、背中に打ちつけられる冷水を耐え忍んだ。

水垢離みずごり

に向かう 行修者ぎょうしゅうしゃ

水垢離に向かう行修者

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▲▼ 4人の行修者は、心身ともに壮健で穢れのない氏子男子から毎年1名ずつが選ばれ、最初の年は「弁財天」を担い、次の年から「山の神」、「稲荷」、そして4年目は最高位の「別当」の役を務めて終わる。行修者にとっては、北の大地で極寒の一月に、4年連続3日間昼夜の別なく水ごりを行う命がけの苦行であるが、これまでの長い歴史の中で1人の離脱者も出ていないという。
雪中の

水垢離みずごり

雪中の水垢離

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▼ 15日には神社から「みそぎ浜」まで4名の行修者と共に関係者が参列する「みそぎ行列」が執り行われ、海上には数隻の船が浮かんだ。4名の行修者は白い装束に包まれた御神体を1体ずつ抱いたまま津軽海峡の木古内湾に入り、海水を掛け合って御神体潔め(ごしんたいきよめ)を行った。
寒中海に入って御神体を前に合掌する裸の若者たち/津軽海峡

木古内湾きこないわん

  2010.1.15

寒中海に入って御神体を前に合掌する裸の若者たち/津軽海峡木古内湾 2010.1.15

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  寒垢離や四人行者の褌の白  北舟 

かんごりや よにんぎょうじゃの こんのしろ

Winter water ablution, white of the loincloths of four ascetics.

▲▼ 北海道の厳寒の海で行われる裸形の若者たちによる神事は、神々しく、多くの参拝者の心を打った。海中禊が終わると、行修者は行列に参列した一行とともに神社に戻り、無事に御神体を潔め終えたことを祭神に報告し、これを「本祭」として祭りを終えた。

御神体潔め/津軽海峡木古内湾

御神体潔め/津軽海峡木古内湾

拡大写真(1600X1152)257KB

 日本の冬は、本格的な裸祭のシーズンである。Wa☆Daフォトギャラリーの100編を超える裸祭りシリーズに北海道の冬祭りが登場するのは、2月の立春の夜に行われる 登別湯かけ合戦 があるが、伝統と格式ある神事として行われるのは、この「木古内寒中みそぎ」が初めてである。寒さをものともせず、先祖伝来の神事に臨む道産子たちのひたむきな態度や逞しさを存分に切り取った完成版をご期待頂きたい。〈 完 〉

  2009年12月 1月上 1月下 2月上

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