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はじめに |
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快晴の旅行日和に恵まれた平成22年(2010)1月2日(土)、家内と共にクラブツーリズムの日帰りバスツアーに参加し、成田山新勝寺、鹿島神宮、香取神宮の東国三寺社に初詣して、正月風景を切り取ってきた。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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三寺社の位置 |

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資料:Googleマップ
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平成20年(2008)4月に開基1070年を迎えた成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)は、千葉県成田市にある真言宗智山派の寺院で、同派の大本山である。正式名は「成田山金剛王院新勝寺」といい、本尊は不動明王。関東地方では有数の参詣人を集める著名寺院で、家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多い。寺名は一般には「成田不動」や「成田山」と呼ばれることが多い。 成田山新勝寺公式ホームページ |
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▼ 毎年警察が正月の初詣客数を発表しており、成田山新勝寺は、2006年は275万人だったが、2009年は298万人となって毎年増加しており、明治神宮に次ぐ全国第二位の初詣客を獲得している。 |
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資料:JP |
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▼ 開基1070年記念事業として2006年に竣工した真新しい総門は総欅造(そうけやきづくり)で、境内の入口に建つ。高さ15m、桁行14.2m、梁行6.3m。二階部には不動明王や千手観音、大日如来など8体の木製仏像が奉安されている。 |
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成田山新勝寺の総門 2010.1.2 10:05 |

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▼ 国の重要文化財の仁王門は、参道から大本堂へ至る急な階段の途中に建つ。入母屋造の八脚門で、文政13年(1830)の建立。横断幕で見えないが、東京・浅草寺(せんそうじ)の雷門(かみなりもん)のように大きな提灯が下がっている。 |
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仁王門への参道 |

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▼ 仁王門をくぐり、石段を上りきった正面に建つ、新勝寺の中心となる堂が大本堂である。本尊不動明王像を安置する。昭和43年(1968)に建立された入母屋造二重屋根の鉄筋コンクリート造で、間口95.4m、奥行59.9m、棟高32.6m。 |
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威風堂々たる大本堂 10:15 |

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はつもうで なりたふどうの やねふたえ |
First visits of the year, the double roof of Narita Fudo. |
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頭が良くなりますように! |

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▼ 成田山新勝寺は、平安時代中期に起きた平将門(たいらのまさかど)の乱の際、天慶2年(939)、朱雀天皇が鎮圧のため、寛朝大僧正(かんちょう・だいそうじょう)を東国へ遣わしたことに起源を持つ。 |
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寛朝は京の高雄山(たかおさん)神護寺(じんごじ)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、翌天慶3年(940)、海路にて上総国(かずさのくに)に上陸。平将門の乱平定祈願のため、下総国(しもつけのくに)で不動護摩の儀式を行った。新勝寺はこの天慶3年を開山の年としている。 |
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成田山初詣(大本堂) |

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乱平定後の永禄年間1566年頃、成田村の名主が不動明王を背負って現在の場所に遷座し、現在の成田市並木町(なみきちょう)にある「不動塚」付近に伽藍を建立したと伝えられ、そこが成田山発祥の地といわれている。「新たに勝つ」という語に因み、新勝寺と名づけられ、東国鎮護の寺院となった。その後は、戦国期の混乱の中で荒廃してしまい、江戸時代までは寂れた寺となっていた。 |
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江戸時代になると、江戸でたびたび成田不動の「出開帳(でがいちょう)」(秘宝特別公開)が行われた。元禄16年(1703)、富岡八幡宮の別当寺だった永代寺(えいたいじ)(現在の深川不動堂)で行われたのが初めで、江戸時代を通じて12回行われた記録がある。 |
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歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなどもあって、成田不動は庶民の信仰を集め、成田参詣が盛んとなり、今なお隆盛が続いている。 |
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境内は広く、新旧のさまざまな建造物が並んで、庶民の信仰の場の雰囲気を醸し出している。江戸中期~末期の建築である仁王門、三重塔、釈迦堂、額堂(がくどう)、光明堂(こうみょうどう)の5棟が国の重要文化財である。 |
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▼ 釈迦堂は、大本堂左手の広場に建つ入母屋造の仏堂で、安政5年(1858)建立の旧本堂。後述の光明堂(二代前の本堂)と似た形式になるが、規模はこちらの方が一回り大きく、屋根正面に千鳥破風を付けた点も異なっている。堂の周囲には二十四孝と五百羅漢の浮彫が施されている。 |
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▼ 大本堂と釈迦堂の間の広場に見事なハボタン(葉牡丹、英語:ornamental cabbage)が植えられていた。ハボタンは、アブラナ科アブラナ属の多年草で、園芸植物として鮮やかな葉をつける。 |
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▲ 名前の由来は、葉を牡丹の花に見立てたもので、 耐寒性に優れ、冬の公園を彩るほか、門松の添え物にも利用されるが、暖地では色づかず、寒地では屋外越冬ができないという。 |
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▲▼ 額堂(がくどう)は大本堂左裏の階段を上った先の平地に位置する。文久元年(1861)に建てられた入母屋造、建具や壁を造らない全面吹き放しの堂で、奉納額や絵馬を掲げるための建物である。 |
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▼ 光明堂(こうみょうどう)は、額堂のさらに先に建つ入母屋造の仏堂で、元禄14年(1701)に建立。釈迦堂が本堂になる前の本堂である。 |
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▼ 現在の本堂である大本堂のほか、かつての本堂だった釈迦堂や光明堂も参詣客で賑わっていた。これらの旧本堂は、いずれも国の重要文化財に指定されているだけあり、歴史と風格が備わっている。 |
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