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 旅紀行日本の裸祭り

2017年10月9日改訂

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♪津屋崎祇園山笠

山笠のセピア写真や藍の家   北舟

 

Sepia-colored photograph of Yamakasa at Indigo House.

2017年10月5日制作

昭和37年(1962)以前の宮入り / 藍の家(福岡県福津市)

拡大写真(3000X2250)1.16MB

昭和37年(1962)以前の宮入り / 藍の家(福岡県福津市)

  波折神社   祗園紋

津屋崎祗園山笠'17

藍家

撮影 和田義男 辻竜二 吉田好幸

はじめに

 
▼ 平成29年(2017)7月15日(土)16(日)の両日福岡県福津市(ふくつし)津屋崎(つやざき)に鎮座する波折神社(なみおり・じんじゃ)(麻生藤七宮司 57歳)で303年目の津屋崎祗園山笠(つやざき・ぎおんやまかさ)(福津市無形民俗文化財)が開かれたので、津屋崎山笠保存会(中村周一会長 74歳)の協力を得て、全国連和田グループ(和田義男代表 70歳)第三期6名が北流に参加し、密着取材を行った。  
福岡県福津市の位置

福岡県福津市の位置

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福岡県福津市
▲▼ 玄海灘に面し人口約5.5万を擁する福津市(ふくつし)福岡県北西部の福岡地方に位置し福岡市と北九州市の中間に位置する。平成17年(2005)1月24日に宗像郡(むなかたぐん)福間町(ふくままち)と津屋崎町(つやざきまち)が合併して発足し、今年、12年目を迎えた。  福津市公式サイト  
   「九州の鎌倉」とも呼ばれる津屋崎は古くから大陸との交流で栄えた。江戸時代から昭和初期までは、塩の積出港として栄え、津屋崎千軒と呼ばれるほどの賑わいを見せ、夏には祗園山笠が盛大に催行された。明治34年(1901)創建の紺屋が「津屋崎千軒民俗館」として再生されているほか、美しい家並みは今も健在である。  
津屋崎祗園山笠が行われる波折神社の位置

拡大写真(1500X1450)436KB

Google Earth
大峰山から望む津屋崎海岸 2017.07.14 08:20

拡大写真(3000X1900)1.27MB

津屋崎海岸の一等地にある和田グループの定宿「吉田屋」

津屋崎海岸の一等地にある和田グループの定宿「吉田屋」

拡大写真(4000X2300)1.82MB

旧津屋崎地域

旧津屋崎地域

拡大写真(1800X2400)878KB

保存会資料(津屋崎祗園山笠三百年記念記録誌)

沿岸漁業基地・津屋崎漁港 〜中心部付近(西岸)〜

                        ↓津屋崎漁協                 ↓市場              ↓お魚センター         ↓福岡県立水産高校

沿岸漁業基地・津屋崎漁港 〜中心部付近(西岸)〜

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沿岸漁業基地・津屋崎漁港 〜津屋崎橋より漁港入口(北)を望む〜

西    ↓福岡県立水産高校                                                              大峰山↓  

沿岸漁業基地・津屋崎漁港 〜津屋崎橋より漁港入口(北)を望む〜

パノラマ写真(3600X1300)772KB

波折神社
津屋崎の中心部に鎮座する波折神社(なみおりじんじゃ)は、漁師たちの守り神であり、地元の氏神である波折大神(なみおりのおおかみ)(瀬織津大神(せおりつのおおかみ)、住吉大神(すみよしのおおかみ)、志賀大神(しがのおおかみ)の三神を祀る。
波折神社参道

波折神社参道

拡大写真(2000X1350)617KB

 その昔、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓を征し帰国してこの地に立ち寄った際この三神が現れたので河原崎の宮之本に神垣を造り、三神を斎祀したのが始まりという。神功皇后は、神垣を造り終え持っていた杖を地面に刺して休息したので、「杖刺し」が訛って「津屋崎」という地名が付いた。社伝によれば、承久3年(1221)に現在地に遷宮したという。
波折神社拝殿 2017.07.16 07:30

波折神社拝殿 2017.07.16 07:30

拡大写真(3000X1900)725KB

 ある日、3人の漁師が沖合で釣りをしていると、急に海が荒れて遭難し、神に祈ると三神が現れ、荒波を折って鼓島に漂着し、食べ物を得た。波風が収まると舟に三つの石があったので、漁師たちはそれを持ち帰ってご神体とし、社(やしろ)を奉(たてまつ)り、波折宮と呼ぶようになったという。
波折神社拝殿内部

波折神社拝殿内部

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祇園様を奉る境内社「須賀神社」

祇園様を奉る境内社「須賀神社」

拡大写真(2400X1700)1.14MB

須賀神社と祇園山笠を解説した説明板

須賀神社と祇園山笠を解説した説明板

拡大写真(2000X1350)492KB

津屋崎祗園山笠

 
津屋崎祗園山笠(つやざき・ぎおん・やまかさ)今から302年前の江戸時代・正徳4年(1714)に櫛田神社(博多)から波折神社(津屋崎)に祗園社の神を勧請(かんじょう)して3基の山笠を奉納し、疫病、災害の退散を祈願したことに始まる。  
 山笠は、漁業中心の北流(きたながれ)、商業中心の新町流(しんまちながれ)、農業中心の岡流(おかながれ)の3つの流れがある。
 山笠のメイン・イベントである追い山は、かつては7月19日に奉納されていたが、現在では19日に近い日曜日となり、平成29年(2017)は7月16日に行われた。
2017年津屋崎祇園山笠のポスター

2017年津屋崎祇園山笠のポスター

拡大写真(1700X2400)884KB

福津市・原崎智仁市長を表敬訪問

 
2017年7月18日、津屋崎祗園山笠全国連和田グループ第三期代表として福津市長に表敬訪問し市長室で30分ほど歓談した。光栄にも市長室で原崎智仁市長に全国連和田グループの法被を着ていただき、記念写真を撮ることができた。市長は、福津市の古墳群がユネスコ世界遺産に登録されたことを大変喜んでおられた。  市長プロフィール
原崎智仁・福津市長と記念撮影 / 福津市長室 2017.07.18 09:00

原崎智仁・福津市長と記念撮影 / 福津市長室 2017.07.18 09:00

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▲▼ 原崎市長は、今年2月の市長選で現職の小山達生市長を破って福津市長になった若手のホープ。福津市福間出身だが、ここ15年以上北流に参加されていると聞き、山笠談義に花が咲いた。そのお陰で、流によって担ぎ方が違うなど新たな知識を得ることができた今年の宮入りは新町流だったので来年は北流が(再開)40周年を迎えるので、是非、北流に乗って頂きたいとお願いした。
津屋崎祗園山笠について熱っぽく語る原崎市長 / 福津市長室

津屋崎祗園山笠について熱っぽく語る原崎市長 / 福津市長室

拡大写真(2400X1750)610KB

初対面で意気投合!

初対面で意気投合!

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津屋崎山笠保存会・中村周一会長を表敬訪問

 
▼ これより先7月14日午後福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」に設置された「津屋崎山笠」本部に行き、中村周一会長始めお世話になる本部役員に表敬訪問して挨拶すると共に、密着取材の許可を得た。
「なごみ」に設置された津屋崎山笠保存会事務所

「なごみ」に設置された津屋崎山笠保存会事務所

拡大写真(3000X1900)1.02MB

津屋崎山笠保存会・中村周一会長と歓談する全国連和田グループ第三期和田義男代表 2016.07.14 12:25

津屋崎山笠保存会・中村周一会長と歓談する全国連和田グループ第三期和田義男代表 2016.07.14 12:25

拡大写真(2400X1650)695KB

津屋崎山笠保存会・中村周一会長と記念撮影 / 「なごみ」前の岡流山小屋 12:27 

津屋崎山笠保存会・中村周一会長と記念撮影 / 「なごみ」前の岡流山小屋 12:27 

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三流れの山小屋

 

今年も光線の具合を見ながら西から東に並ぶ北流・新町流・岡流の山小屋を訪ね山笠を撮影した。

 

山小屋の位置

山小屋の位置

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保存会資料(津屋崎祗園山笠三百年記念記録誌/一部修正)

【壱】 北流の山小屋 〜表「合戦三方ヶ原」〜

【壱】 北流の山小屋 〜表「合戦三方ヶ原」〜

拡大写真(3000X2200)1.31MB

津屋崎人形

▲▼ 津屋崎山笠の制作は、三本とも地元・筑前津屋崎人形巧房の人形師・第七代原田誠(TEL 0940-52-0419)が担っている。博多山笠と違うところは、飾り人形の数が表が三体、見送りが一体と決まっていることだ。

 今年の北流山笠の表は、「合戦三方ヶ原」。昨年は、銀玉の飾りが左右だけでなく前にもあり、これが人形や馬の顔を隠していたが、今年は改善されている。
【弐】 北流の山小屋 〜表「合戦三方ヶ原」〜

【弐】 北流の山小屋 〜表「合戦三方ヶ原」〜

拡大写真3000X2250)1.65MB

【参】 北流の山小屋 〜表「合戦三方ヶ原」〜

【参】 北流の山小屋 〜表「合戦三方ヶ原」〜

拡大写真3000X2250)1.89MB

【四】 北流の山小屋 〜表「合戦三方ヶ原」〜

【四】 北流の山小屋 〜表「合戦三方ヶ原」〜

【五】 北流の山小屋 〜見送り「猛将紹運」〜

【五】 北流の山小屋 〜見送り「猛将紹運」〜

拡大写真(3000X2250)1.92MB

【六】 北流の山小屋 〜見送り「猛将紹運」〜

【六】 北流の山小屋 〜見送り「猛将紹運」〜

北流の山笠が通る道筋

北流の山笠が通る道筋

拡大写真(2400X1900)839KB

【壱】 新町流の山小屋 〜表「今山の戦い」〜

【壱】 新町流の山小屋 〜表「今山の戦い」〜

拡大写真(3000X2200)1.21MB

【弐】 新町流の山小屋 〜表「今山の戦い」〜

【弐】 新町流の山小屋 〜表「今山の戦い」〜

拡大写真(2150X2400)1.87MB

【参】 新町流の山小屋 〜「今山の戦い」の解説〜

【参】 新町流の山小屋 〜「今山の戦い」の解説〜

津屋崎祗園山笠の由来

津屋崎祗園山笠の由来

拡大写真(2400X1650)744KB

【四】 新町流の山小屋 〜見送り「名将直政」〜

【四】 新町流の山小屋 〜見送り「名将直政」〜

拡大写真(2400X1850)1.68MB

【五】 新町流の山小屋 〜「名将本直政」の解説〜

【五】 新町流の山小屋 〜「名将本直政」の解説〜

津屋崎祗園山笠の立て看板 / 「新町流」本部

津屋崎祗園山笠の立て看板 / 「新町流」本部

拡大写真(2050X2400)963KB

【壱】 岡流の山小屋 〜表「山崎の合戦」〜

【壱】 岡流の山小屋 〜表「山崎の合戦」〜

拡大写真(2700X3000)1.53MB
【弐】 岡流の山小屋 〜表「山崎の合戦」〜

【弐】 岡流の山小屋 〜表「山崎の合戦」〜

拡大写真(3000X2250)2.19MB

【参】 岡流の山小屋 〜「山崎の合戦」の解説〜

【参】 岡流の山小屋 〜「山崎の合戦」の解説〜

【四】岡流の山小屋 〜見送り「仁将隆景」〜

【四】岡流の山小屋 〜見送り「仁将隆景」〜

拡大写真(2400X1800)1.22MB

【五】岡流の山小屋 〜見送り「仁将隆景」〜

【五】岡流の山小屋 〜見送り「仁将隆景」〜

原田誠・筑前津屋崎人形
▼ 山笠の制作は、三本とも地元・筑前津屋崎人形巧房の人形師・第七代原田誠(TEL 0940-52-0419)が担っており、桶狭間の合戦など有名な戦闘シーンや黒田八虎など歴史上の武将の飾り人形を制作している。
 津屋崎山笠では、大企業が多数協賛する博多山笠と違って、人形部分は筑前津屋崎人形巧房からの貸し出しという形を取っており、山解きでは、人形を解体せずに返還される。かつては、山笠だけで半年分の収入があったが、現在はそういうわけにはいかず、人形を再利用して制作費を抑えているのだという。
安永創業の筑前津屋崎人形巧房

安永創業の筑前津屋崎人形巧房

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▼ 山笠の図案は、各流の注文をうけて人形師がデザインする。原田家には、これまでの山笠のデッサン図(下絵)が残されているが、当代絵師の個性がにじみ出ている。
原田家に伝わる山笠の下絵

原田家に伝わる山笠の下絵

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▼ 福岡県知事指定特産民芸品の津屋崎人形は、約200年前の安永のころ、初代卯七とその子半兵衛が近くに産出する良質の陶土を用いて素朴な人形を作ったのが始まり。以後七代にわたって大小1500種ほどの古型が現在に受け継がれている。
津屋崎人形師・原田誠の代表作は「岩清」と名付けられた武将で、 安政6年(1859)の版を下に制作したもの。鮮やかな彩色といい、眼光鋭い武将の表情といい、見事というほかない。
原田誠代表作・武将「岩清」 安政6年(1859)版

原田誠代表作・武将「岩清」 安政6年(1859)版

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▼ 筆者が気に入ったのは、漁師が赤褌の前垂(まえだれ)を栄螺(さざえ)に挟まれてしまった「さざえ男 9x6cm」。江戸時代の津屋崎の漁師たちは、前垂式の赤褌(あかふん)をしていたことが分かる。何とも長閑(のどか)な光景ではないか。
栄螺(さざえ)に褌を挟まれた赤褌漁師「さざえ男」

栄螺(さざえ)に褌を挟まれた赤褌漁師「さざえ男」

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▼ 二年前の2015年7月、和田グループの活動拠点・民宿海の家「吉田屋」にて逗留中、朝の散歩途中の原田誠さんと津屋崎海岸で出会った。原田さんは、第七代津屋崎人形師として山笠を支えておられるが、当時、地元の大学で教鞭をとっておられたご子息の翔平さんが八代目の人形師として修行中とのことで、津屋崎200年の伝統工芸が次代に継承されて行くことが分かり、とても嬉しかった。
津屋崎人形師・第七代原田誠さんと第八代目となるご子息の翔平さん 2017.07.15 10:45
津屋崎人形師・第七代原田誠さんと第八代目となるご子息の翔平さん 2017.07.15 10:45
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津屋崎人形師原田親子と記念撮影
津屋崎人形師原田親子と記念撮影
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津屋崎千軒民俗館「藍の家」

 
▼ 津屋崎は古くから大陸との交通交易の要衝として栄えた町で、江戸期には「津屋崎千軒」と呼ばれていた。「千軒」とは、「人家が千軒もあるほどに繁栄している町」という意味の言葉で、往時の津屋崎は、各種物産や年貢米などの集散港として、五十集船(イサバ船)と呼ばれる運搬船が行き交い、活況を呈していた。  
 この藍の家は、明治34年(1901)に建てられた商家で、津屋崎千軒当時の面影を残す古い町並みの一角にある。「棟札」から建築年代が明確で改造が少ないことや、かつての「町屋形式」を残す貴重な建物として、平成6年(1994)から保存することになり、津屋崎千軒民俗館「藍の家」の愛称が選ばれた。
 津屋崎町街並み保存協議会が運営にあたり、地域文化情報の発信基地として地域に根ざす各種展覧会や一人芝居、ミニコンサートなど、多彩な催しが行われている。
今昔展が開かれている津屋崎千軒民俗館「藍の家」

今昔展が開かれている津屋崎千軒民俗館「藍の家」

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津屋崎山笠衣装の展示

津屋崎山笠衣装の展示

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岡流の山笠親子を描いた作品

岡流の山笠親子を描いた作品

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記念の扇
記念の扇

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【壱】 セピア色の風景 〜昭和9年の北流 / 足下は足袋草鞋〜

【壱】 セピア色の風景 〜昭和9年の北流 / 足下は足袋草鞋〜

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【弐】 セピア色の風景 〜昭和38年の裸山笠 / 北流の当番元北本町〜

【弐】 セピア色の風景 〜昭和38年の裸山笠 / 北流の当番元北本町〜

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【参】 セピア色の風景 〜昭和初期の山笠 / 新泉岳寺から天神へ向かう〜

【参】 セピア色の風景 〜昭和初期の山笠 / 新泉岳寺から天神へ向かう〜

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▼ 半世紀以上も前に撮影されたこの写真は、岡流が波折神社に宮入りする迫真のシーン。この角度から撮影するには、木に登る方法しか考えられず現在ではドローンで撮影する以外不可能なアングルである。写真には褌一丁の担ぎ手が多数混在しており、江戸時代の風情を偲ばせる。
   山笠のセピア写真や藍の家 北舟 

やまかさの せぴあしゃしんや あいのいえ

Sepia-colored photograph of Yamakasa at Indigo House.

【四】 セピア色の風景 〜昭和37年(1962)以前の宮入り〜

【四】 セピア色の風景 〜昭和37年(1962)以前の宮入り〜

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▼ NHK福岡放送局制作、松田翔太主演の平成26年度福岡発地域ドラマ「ここにある幸せ」は、古くから海上交易と製塩で栄え、風情ある平屋の家並みが残るここ福津市津屋崎が舞台だった。宮本信子が演じた花田福子のモデルが藍の家保存会・柴田富美子代表である。

藍の家保存会・柴田富美子代表

藍の家保存会・柴田富美子代表

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