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 旅紀行日本の裸祭り

2015年9月30日改訂

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♪ 大太鼓〜海に帰る〜巡礼〜海のアラベスク

黒褌の山の宮入おらが夏   北舟

 

Our summer, Yama going
to the shrine wearing black fundoshi loincloth.

2015年9月2日制作

小山市長を乗せて宮入りする北流/波折神社(福岡市福津市津屋崎) 2014.07.20

拡大写真(2400X1600)909KB

小山市長を乗せて宮入りする北流/波折神社(福岡市福津市津屋崎) 2013.7.21
  波折神社   祗園紋

津屋崎祗園山笠'15

概説

撮影 和田義男 辻竜二 吉田好幸

はじめに

 
 平成27年(2015)7月18日(土)19日(日)の両日、福岡県福津市(ふくつし)津屋崎(つやざき)に鎮座する波折神社(なみおり・じんじゃ)(麻生藤七宮司 55歳)で301年目の津屋崎祗園山笠(つやざき・ぎおんやまかさ)(福津市無形民俗文化財)開かれたので、津屋崎山笠保存会(中村周一会長)の協力を得て、全国連和田グループ第一期10名の代表として北流・西古小路(きたながれ・にしこしょうじ) に参加し、密着取材を行った。
 
                                                                               和田グループ募集広告:津屋崎祇園山笠のご案内
 
★☆★彡

この作品について

 本作品は、和田グループ専属写真班3名による本格的な密着取材を敢行した結果、Wa☆Daフォトギャラリー空前の感動巨編となったため、アニメーション( GIF animation ) を多用し、その中からロマンと感動あふれる名作や祭の説明上必要な画像を再掲した。
 
 編集に当たっては、津屋崎祇園山笠の全容を明らかにすべく、取材可能なシーンをすべて網羅し、今後、新人が和田グループに参加しても戸惑うことのないように配慮した。
 
 この作品は、和田グループ第一期10名が参加した北流主体の写真アルバムとなっているが、新町流や岡流の取材も可能な範囲で実施したほか、地元写真愛好家から提供された写真を追加し、全容を明らかにすべく配慮した。来年以降、北流以外にも密着取材を実施し、完成度を高めてまいりたい。

 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

福岡県福津市の位置

福岡県福津市の位置

Google Earth
福岡県福津市
▲▼ 玄海灘に面し人口約5.5万を擁する福津市(ふくつし)福岡県北西部の福岡地方に位置し福岡市と北九州市の中間に位置する。平成17年(2005)1月24日に宗像郡(むなかたぐん)福間町(ふくままち)と津屋崎町(つやざきまち)が合併して発足し、今年、10周年の節目を迎えた。  福津市公式サイト  
   「九州の鎌倉」とも呼ばれる津屋崎は、古くから大陸との交流で栄えた。江戸時代から昭和初期までは、塩の積出港として栄え、津屋崎千軒と呼ばれるほどの賑わいを見せ、夏には祗園山笠が盛大に催行された。明治34年(1901)創建の紺屋が「津屋崎千軒民俗館」として再生されているほか、美しい家並みは今も健在である。  
津屋崎祗園山笠が行われる波折神社の位置

津屋崎祗園山笠が行われる波折神社の位置

拡大写真(1400X425)345KB

Google Earth
波折神社
▼ 津屋崎の中心部に鎮座する波折神社(なみおりじんじゃ)は、地元の氏神である波折大神(なみおりのおおかみ)(瀬織津大神(せおりつのおおかみ)、住吉大神(すみよしのおおかみ)、志賀大神(しがのおおかみ)の三神を祀る。
波折神社参道

波折神社参道

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 その昔、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓を征し帰国してこの地に立ち寄った際この三神が現れたので河原崎の宮之本に神垣を造り、三神を斎祀したのが始まりという。神功皇后は、神垣を造り終え持っていた杖を地面に刺して休息したので、「杖刺し」が訛って「津屋崎」という地名が付いた。社伝によれば、承久3年(1221)に現在地に遷宮したという。
波折神社

波折神社

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 ある日、3人の漁師が沖合で釣りをしていると、急に海が荒れて遭難し、神に祈ると三神が現れ、荒波を折って鼓島に漂着し、食べ物を得た。波風が収まると舟に三つの石があったので、漁師たちはそれを持ち帰ってご神体とし、社(やしろ)を奉(たてまつ)り、波折宮と呼ぶようになったという。
波折神社拝殿内部

波折神社拝殿内部

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▼ 神功皇后が三韓を征し帰国してこの地に立ち寄ったという伝説があることから、拝殿には江戸時代の天保7年(1836)6月に奉納された三韓征伐を描いた色鮮やかな絵馬が今も飾られている。
三韓征伐を描いた奉納絵馬 / 天保7年(1836)6月

三韓征伐を描いた奉納絵馬 / 天保7年(1836)6月

拡大写真(3000X2300)1.73MB

波折神社本殿

波折神社本殿

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祇園様を奉る境内社「須賀神社」

祇園様を奉る境内社「須賀神社」

拡大写真(2400X1700)1.14MB

須賀神社と祇園山笠を解説した説明板

須賀神社と祇園山笠を解説した説明板

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沿岸漁業基地・津屋崎漁港

沿岸漁業基地・津屋崎漁港

拡大写真(2000X1250)535KB

津屋崎祗園山笠

 
▼ 津屋崎祗園山笠(つやざき・ぎおん・やまかさ)は、今から301年前の江戸時代・正徳4年(1714)に櫛田神社(博多)から波折神社(津屋崎)に祗園社の神を勧請(かんじょう)して3基の山笠を奉納し、疫病、災害の退散を祈願したことに始まる。  
 山笠は、漁業中心の北流(きたながれ)、商業中心の新町流(しんまちながれ)、農業中心の岡流(おかながれ)の3つの流れがある。
 山笠のメイン・イベントである追い山は、かつては7月19日に奉納されていたが、現在では19日に近い日曜日となり、平成27年(2015)は7月19日に行われた。
平成27年(2015)津屋崎祇園山笠のポスター

平成27年(2015)津屋崎祇園山笠のポスター

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平成27年(2015)津屋崎祇園山笠日程表/北流

 
 6月20日(土) 19:00〜 北流全体会議(漁協二階)
 
 6月28日(日) 10:00〜 
厄払い(波折神社) テッポウ・ポテ作り

 7月1日(水) 08:00〜 
棒洗い、倉庫整理
 
 7月5日(日) 08:00〜 
棒締め、山小屋建て、たすき・ポテ作り

 7月11日(土) 13:00〜 
人形飾り付け(第七代津屋崎人形師・原田誠)
 
 7月12日(日) 08:00〜 
山笠飾り付け(全体完成)
     
     
三流れ勢揃い 18:00〜 お宮入り  (流れ舁き、棒の付き方勉強会)
 
 7月18日(土) 09:00〜 
(くじ)取り 本部役員・代表世話人3名(午前9時より神事)
         17:00〜 
山笠「しおさい通り」展示(18:00〜21:30 集団山見せ)
  
 
       裸参り 18:30  山小屋集合

       一番山 18:40〜お宮入り 19:00〜お宮出し
       二番山 18:45〜お宮入り 19:05〜お宮出し
       三番山 19:50〜お宮入り 19:10〜お宮出し

       
「サマーナイトインふくつ」(津屋崎千軒なごみ前)ゴール 21:30〜 山笠引き上げ
 
 7月19日(日) 07:30〜山小屋集合
     一番山 08:10〜お宮入り
     二番山 一番山入り次第お宮入り(08:17〜)
     三番山 二番山入り次第お宮入り(08:26〜)
 
     追い山 09:00〜 
波折神社〜追い山コース〜廻り留め 約2km(北流:17分で走破)


     流れ舁(各山各町内)09:30頃〜
     追善山(物故者がある場合)
     山解き 10:30頃〜
     更衣後直会
(なおらい)
11:30頃〜北流・西古小路(にしこしょうじ) 12:20頃〜)

津屋崎祇園山笠の由来

津屋崎祇園山笠の由来

拡大写真(2000X1330)372KB

保存会資料

お世話になった北流と津屋崎三流

お世話になった北流と津屋崎三流

拡大写真(1350X2000)543KB

保存会資料(津屋崎祗園山笠三百年記念記録誌)

津屋崎祗園山笠の組織図

津屋崎祗園山笠の組織図

保存会資料(津屋崎祗園山笠三百年記念記録誌)

山笠期間中の禁忌
1 不幸があった家は、山笠の参加を控える。 山笠は神事なので、喪中の人が鳥居をくぐれないのと同様、
 参加することができない。昔は1年間だったが、現在では四十九日を過ぎると参加しても良いことになっている。
2 女性は、山笠に触れてはいけない。 雰囲気としてあるだけで、厳密に禁止されている訳ではない。
3 直会では、きゅうりを食べない。 お祇園様の神紋・五瓜唐花(ごかにからはな)がきゅうりに似ているとの理由
 から。

山笠の部位説明

山笠の部位説明

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保存会資料(津屋崎祗園山笠三百年記念記録誌)

▼ 明治時代に絶頂期を迎えた津屋崎山笠は、高さが10mもあったという。博多同様、津屋崎も電線が張り巡らされるようになると、背の高い山笠は、通過できなくなり、現在のようなサイズに変わっていった。 

高さが10mもあった明治時代の山笠

高さが10mもあった明治時代の山笠

拡大写真(1800X2400)798KB

保存会資料(津屋崎祗園山笠三百年記念記録誌)

▼ 藁葺き屋根の町並みをゆく北流の写真が保存されている。台上がりの長老は、水法被の上に網元の象徴である羽織をはおり、扇子を開いて鼓舞している。
 氏子たちは、江戸時代の名残だろうか、ほとんどが褌一丁である。(水法被を着るようになったのは、明治に入ってから。)すでに肩当てがあり、締込みは白が多い。漁師らしく精悍で、肥満はいない。

藁葺き屋根の町並みをゆく往時の北流

藁葺き屋根の町並みをゆく往時の北流

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写真提供:北流・西住成生

津屋崎祇園山笠300年!
 山笠は、江戸時代から明治、大正、昭和と続いていたが、第二次大戦中に中断し、戦後再開したが、昭和38年(1963)に再び中断昭和50年(1975)に復活して現在に至っている
 復活40周年となった昨年の平成26年(2014)は、丁度300年の節目に当たり、「津屋崎祗園山笠発足三百年復活四十周年記念特別展」や「今昔展」などが開かれたほか、津屋崎祗園山笠三百年記念記録誌が発行された。
 この記念記録誌は、福津市役所まちおこしセンター津屋崎千軒なごみ(通称「なごみ」)で1冊1000円で販売されている。(本作品の解説は、この記念記録誌を参考にしている。)
300年の節目を迎えた平成26年(2014)の祗園山笠-北流/桶狭間合戦

300年の節目を迎えた平成26年(2014)の祗園山笠-北流/桶狭間合戦

拡大写真(1950X2400)1.78MB

独自の進化を遂げてきた津屋崎山笠

 
▲▼ 津屋崎は、300年前の江戸時代に博多の櫛田神社から波折神社に祗園社を勧請し、祗園山笠を始めたので、当然ながら博多山笠とよく似ている。別名、「博多ならし」と呼ばれているが、300年の間に独自の進化を遂げてきたので、相違点もある。
主な相違点
1 博多では舁山笠の他に飾り山笠を別に立てる流が殆どだが、津屋崎では舁山笠が両方を兼ねる。
2 津屋崎では、色によって流れを区別している。
3 津屋崎では、追い山前日の夕刻、締込み(褌)一丁の裸形で7qの道を走り、波折宮、金比羅宮、宮地嶽宮を
  参拝する「裸参り」がある。
4 博多ではフィナーレの「追い山」の順番は毎年ずれてゆくが、津屋崎では毎年籤
(くじ)で決める。
5 博多では六本の舁き棒はすべて同じ長さだが、津屋崎では真ん中の二本が一番長く、外側に行くにつれて短
  くなり、棒番号が逆順になっている。外側を短くしたのは、狭い露地でも小回りできるという工夫である。
6 津屋崎では、肩当ての使用が認められている。
7 追い山で一番山笠が特権として唄う「祝い目出度」の節回しが違う。

棒のつき方

棒のつき方

保存会資料(津屋崎祗園山笠三百年記念記録誌)

原田誠・筑前津屋崎人形
▲▼ 山笠の制作は、三本とも地元・筑前津屋崎人形巧房の人形師・第七代原田誠(TEL 0940-52-0419)が担っており、桶狭間の合戦など有名な戦闘シーンや黒田八虎など歴史上の武将の飾り人形を制作している。
 津屋崎山笠では、大企業が多数協賛する博多山笠と違って、人形部分は筑前津屋崎人形巧房からの貸し出しという形を取っており、山解きでは、人形を解体せずに返還される。かつては、山笠だけで半年分の収入があったが、現在はそういうわけにはいかず、人形を再利用して制作費を抑えているのだという。
筑前津屋崎人形巧房

筑前津屋崎人形巧房

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▼ 山笠の図案は、各流の注文をうけて人形師がデザインする。原田家には、これまでの山笠のデッサン図(下絵)が残されているが、当代絵師の個性がにじみ出ている。
原田家に伝わる山笠の下絵

原田家に伝わる山笠の下絵

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▼ 福岡県知事指定特産民芸品の津屋崎人形は、約200年前の安永のころ、初代卯七とその子半兵衛が近くに産出する良質の陶土を用いて素朴な人形を作ったのが始まり。以後七代にわたって大小1500種ほどの古型が現在に受け継がれている。
津屋崎人形師・原田誠の代表作は「岩清」と名付けられた武将で、 安政6年(1859)の版を下に制作したもの。鮮やかな彩色といい、眼光鋭い武将の表情といい、見事というほかない。ショーケースの中に飾られていたので、撮影させて頂いた。
原田誠代表作・武将「岩清」 安政6年(1859)版

原田誠代表作・武将「岩清」 安政6年(1859)版

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▼ 筆者が気に入ったのは、漁師が赤褌の前垂(まえだれ)を栄螺(さざえ)に挟まれてしまった「さざえ男 9x6cm」。江戸時代の津屋崎の漁師たちは、前垂式の赤褌(あかふん)をしていたことが分かる。何とも長閑(のどか)な光景ではないか。
栄螺(さざえ)に褌を挟まれた赤褌漁師「さざえ男」

栄螺(さざえ)に褌を挟まれた赤褌漁師「さざえ男」

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後日、和田グループの活動拠点・民宿海の家「吉田屋」にて逗留中、朝の散歩途中の原田誠さんと津屋崎海岸で出会った。原田さんは、第七代津屋崎人形師として山笠を支えておられるだけでなく、福津市商工会会長の要職にあり、福津市のリーダーとして活躍されていた。
 ご子息の翔平さんが地元大学で教鞭をとっておられると聞き、人形師の後継者になられるのか尋ねたところ、現在修行中で、人形師一本でやっていくには厳しい環境にあり、二足の草鞋状態にあるという。津屋崎200年の伝統工芸が途絶えるのは忍びがたく、原田家八代目となる後継者が現れることを願っている。
津屋崎人形師・第七代原田誠氏 / 津屋崎海岸吉田屋前(アニメーション) 2015.07.22 07:25
津屋崎人形師・第七代原田誠氏 / 津屋崎海岸吉田屋前 2015.07.22 07:25
拡大写真(2400X1950)507KB
津屋崎祇園山笠の主な行事
集団山見せ
▼ 追い山の前夜には、レトロな情緒あふれる津屋崎千軒(つやざきせんげん)のしおさい通り「なごみ」前で前夜祭「サマーナイトインふくつ」が催され、午後6時から9時半まで三流の山笠を展示する「集団山見せ」が行われる。
集団山見せ/前夜祭 2014.07.19 18:40
三番山笠「北流」 一番山笠「新町流」 二番山笠「岡流」  

集団山見せ/前夜祭 2014.07.19 18:40

拡大写真(2400X1500)798KB

▼ 「サマーナイトインふくつ」では、金魚すくいや焼きそば、かき氷などの露店が並び、特設ステージでは、太鼓や踊り、バンド演奏、宝くじの抽選などが行われる。 
「第7回サマーナイトインふくつ」のステージ 2014.07.19 18:58

「第7回サマーナイトインふくつ」のステージ 18:58

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裸参り

▼ 追い山前夜の午後7時から9時半まで、集団山見せに並行して、裸参り(三社まいり)が行われる。氏子たちは褌一丁の裸形(らぎょう)で波折神社に集合し、波折神社〜金刀比羅神社(ことひら・じんじゃ)〜宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)〜「なごみ」前 の7kmを走破して追い山の安全を祈願する。

裸参りの順路

裸参りの順路

拡大写真(1539X926)270KB

資料作成:和田義男

▼ 幼稚園児までもが参加して走りきる裸参りは、かなりのスタミナが求められるが、ビルの谷間で繰り広げられる博多山笠では味わえない風情があり、とりわけ、夕日を浴びながら青々と茂る田園の中を裸で行進する姿は、古き良き時代のロマンと感動を蘇らせる。
田園の中を金比羅神社に向かう北流 2014.07.19 19:42

田園の中を金比羅神社に向かう北流 2014.07.19 19:42

拡大写真(2000X1334)383KB                          撮影:中島靖夫
宮地嶽神社で参拝する北流 2014.07.19 20:39

宮地嶽神社で参拝する北流 2014.07.19 20:39

拡大写真(2400X1600)686KB                          撮影:中島靖夫
裸参りを終えて「なごみ」前から山笠を山小屋へ運ぶ北流 2014.07.19 21:24

裸参りを終えて「なごみ」前から山笠を山小屋へ運ぶ北流 2014.07.19 21:24

拡大写真(3000X2000)980KB                          撮影:中島靖夫
裸参りを終えて「なごみ」前から裸のまま山笠を山小屋へ運ぶ新町流 2014.07.19 21:25

裸参りを終えて「なごみ」前から裸のまま山笠を山小屋へ運ぶ新町北流 2014.07.19 21:25

拡大写真(3000X2000)1.05MB                          撮影:中島靖夫
フィナーレを飾る追い山
▼ 祭の最終日には、山笠が波折神社をスタートして古い町並みの狭い路地を勢いよく駈け廻り、「ウオズミ洋服店」前の廻り止めまでの約2kmを駆け抜ける追い山が行われる。
 津屋崎の追い山は、博多山笠のようなタイムレースではなく、「いかに良く廻ったか」を競い合う。換言すれば、「山笠を地面に引きずらない」「曲がり角で止まらない」「他の流れと比べて速いと感じる」といった勇壮さと卓越した技を競い合うことにある。

追い山(青線約2km)と流れ舁きのコース

追い山(青線約2km)と流れ舁きのコース

拡大写真(3000X1800)739KB

保存会資料(津屋崎祗園山笠三百年記念記録誌/一部修正)

▼ フィナーレの追い山は山笠同士がぶつかり合うことも度々で「喧嘩祭り」とも呼ばれ、水法被(みずはっぴ)に締込みと呼ばれる褌(ふんどし)をきりりと締め込んだ男たちの勇壮で美しい夏祭が繰り広げられる。

小山市長を乗せて宮入りする北流 2013.7.21 08:21

                福津市・小山達生市長

小山市長を乗せて宮入りする北流 2013.7.21 08:21

拡大写真(2400X1600)909KB                            撮影:魚住一廣
  黒褌の山の宮入おらが夏 北舟 

くろふんの やまのみやいり おらがなつ

Our summer, Yama going to the shrine wearing black fundoshi loincloth.

波折神社に到着した北流

波折神社に到着した北流

拡大写真(2600X1850)1.1MB

力水を浴びながら疾走する北流の追い山 / しおさい通り 2014.07.20 09:17

力水を浴びながら疾走する北流の追い山 / しおさい通り 2014.7.20 09:17

拡大写真(3000X2250)1.6MB                         撮影:中島靖夫
流れ舁き
▼ 追い山は、各山とも20分前後で2kmを走破するので、あっという間に終わる。廻り留めの駐車場で休憩後、午前9時半ころから山笠を各流に持ち帰り、1時間ほど自分たちの町内を練り廻る流れ舁きが行われる。
 追い山ほど殺気だっておらず、和やかな雰囲気で、交互に肩を入れながら、順路に従って進む。次代を背負う子どもたちにも台上がりの機会が与えられ、冒険と感動を分かち合う社会教育の場となる。狭い路地を巧みに進み、技を磨き、経験を積み重ねた後、終点の山小屋に帰還する。
廻り止めから町内の流れ舁きに向かう北流 2014.07.20 09:30

廻り止めから町内の流れ舁きに向かう北流 2014.07.20 09:30

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流れ舁きで町内を祓い清める岡流 2014.07.20 09:36

流れ舁きで町内を祓い清める岡流 2014.07.20 09:36

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山解き
▼ 円陣を組み、〆の手締めを終えると、山解き(山崩し)が始まる。1ヶ月かけて作り上げた山笠もみるみるうちに解かれ、午前中には片付けまで終わってしまう。
 山笠の飾り(波しぶき、岩、波など)は、山笠を担いだ人や寄付をした人、直会を用意した人たちに魔除けとして配られ、玄関などに飾られる。中でも番旗は各流とも一つしかないので非常に重宝され、その年の功労者に渡される。
北流の山解き / 津屋崎漁協駐車場 2014.07.20 11:00

北流の山解き / 津屋崎漁協駐車場 2014.07.20 11:00

拡大写真(3000X2000)1.00MB                         撮影:中島靖夫
山笠談義に花が咲く直会
▼ 山笠の後片付けが終わり、各流の安全確認などが済むと、直会(なおらい)が始まる。新町流の直会は、氏子全員が一堂に会して行われるが、北流と岡流の直会は祭町会ごとに行われる。
 山笠が安全に廻ったことを喜び、お互いの労をねぎらう。共に山笠を担いだことによって戦友のような達成感と一体感が生まれる直会は、本当に楽しいひとときである。
 ただ飲んで騒ぐのではなく、今年やこれからの運営、舁き方などの反省点や改善点などが話し合われる。山笠に参加した子どもたちも大人に混じって直会に参加し、料理を食べながら山笠の知識経験を身につけてゆく。
祭町会ごとに開かれる北流の直会(アニメーション) 2014.07.20 PM
祭町会ごとに開かれる北流の直会(アニメーション) 2014.07.20 PM
拡大写真(2400X1600)522KB                         撮影:中島靖夫
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