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▼ 住吉神社では、大祭初日の8月4日(土)夕刻、神輿庫から八角神輿と呼ばれる宮神輿が拝殿前に出され、渡御の準備が始まった。この神輿は、昨年、新調されたが、本祭が今年に延期されたため、初渡御となる。 |
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新調された宮神輿「 |
八角神輿 |
」の準備/住吉神社 2012.8.4 16:00 |
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天保八角神輿 |
納渡御 |
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▼
平成22年(2010)8月8日、初代宮神輿は、老朽化のため、翌年二代目宮神輿にその任を譲ることになることから、担ぎ納めとして、この年の例祭(陰祭)で「納渡御」と称して最後の渡御が行われた。氏子たちは、百七十余年の間、多くの江戸っ子たちに担がれ、親しまれてきた天保八角神輿に別れを告げた。 |
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天保八角神輿 |
納渡御 |
【壱】 〜渡御前の神事〜 2010.8.8 06:30 |
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▲▼ この渡御は、佃住吉講の揃衣(そろえ)と今回特別に誂(あつら)えた限定揃衣を着ていなければ、八角神輿を担ぐことはできないという狭き門だった。 |
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天保八角神輿 |
納渡御 |
【弐】 〜揃衣の矢田美英・中央区長〜 |
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▲▼
芝大通り・万屋利兵衛が制作した初代八角本社神輿は、天保(てんぽう)9年(1838)に奉安されたもので、中央区民有形文化財に登録されている。八角形の神輿で、天皇即位・朝賀の玉座「高御座」を模したともいわれ、大正天皇ご即位の奉祝行事では、皇居二重橋まで参向した。 |
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天保八角神輿 |
納渡御 |
【参】 〜拝殿前の揉み上げ〜 07:05 |
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▲▼
天保八角神輿は、都内に残る神輿としては最古級のもので、昭和37年(1962)までは海中渡御が行なわれていた。そのため、神輿の内部まで漆塗りになっていて気密性が高められていた。 |
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天保八角神輿 |
納渡御 |
【四】 〜佃小橋での揉み上げ〜 08:05 |
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▼
翌平成23年7月24日、「3.11東日本大震災」により本祭が中止されたため、新調なった二代目宮神輿のお披露目が行われた。
初代の天保宮神輿とそっくりな新生宮神輿は、関東では珍しい八角形をしているため、氏子たちは
代々「八角」と呼び習わしている。 |
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新しく制作された八角神輿 2011.7.24 13:25
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▼ 再び今年の大祭初日に戻る。夕刻、宮元若衆夜警詰所では、宮神輿の夜警を務める講員たちが路上で腹ごしらえをする光景が見られた。 |
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路上の会食/宮元若衆夜警詰所 2012.8.4 16:15
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国指定重要無形民俗文化財「 |
若山胤雄社中 |
」の佃囃子/神集殿 19:54 |
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▼ 夕刻、佃住吉講の講員たちが住吉神社境内に参集し、午後8時から宮神輿に祭神の御魂を遷す宮神輿遷霊祭がおごそかに執り行われた。(遷霊時は撮影禁止) |
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▲▼
大祭初日の行事は、遷霊祭をもって完結した。午後10時ころ、境内に行ってみると、人影はまばらで、宮神輿の前で二人の不寝番が椅子に座り、交代で警固の任に当たっていた。 |
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▼ 大祭二日目の8月5日(日)、いよいよ新調なった二代目八角神輿の宮出(みやだし)の日がやってきた。佃住吉講の講員たちは、早朝、境内に集まり、午前5時半から始まった出社祭では、低頭して平岡宮司の読み上げる祝詞(のりと)を聞いた。 |
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八角神輿 |
宮出 |
【壱】 〜出社祭〜 2012.8.5 05:38 |
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撮影:鈴木猛夫 |
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大祭二日目・三日目に催行される神幸祭(宮神輿御旅所渡御)は、早朝、佃住吉講により八角宮神輿の宮出(みやだし)のあと、船渡御(ふなとぎょ)が行われる。
若衆により御座舟に安置された八角神輿は、佃から隅田川を下って勝どき橋をくぐり、豊海町の先、朝潮運河を経て佃島を一周し、佃に戻る。 |
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その後、宮神輿は約2km先の勝どき(かちどき)四丁目の御旅所まで渡御し、一旦休憩後、勝どきと豊海町(とよみちょう)を巡幸し、御旅所で一夜を過ごす。住吉神社から御旅所までの渡御は佃住吉講が行い、事前に道路に散水し、担ぎ手の手や足元に水がかけられる。住吉講が担ぐときには、神輿警護の「高張」や「弓張」への水掛けのみならず、宮神輿への水掛けも禁止される。また、女性も担ぐことができない。 |
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お旅所で一泊した神輿は、晴海・勝どき・月島・佃と氏子組織にリレーされながら佃に還御し、最後は佃住吉講に担がれて宮入(みやいり)する。住吉講以外の氏子たちが神輿を担ぐときは、女性も参加でき、神輿への水掛けも認められる。
ただし、氏子以外の部外者は参加することができない。 |
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八角神輿 |
宮出 |
【弐】 〜平岡好朋宮司による祝詞奏上〜 |
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▼
午前6時ころ出社祭が終わると、獅子頭宮出と同じように、神社正面の大鳥居の外で待機していた鉢巻・揃衣(そろい)・白足袋の若衆が真っ先に宮神輿に取り付くべく、鉢巻に差していたお捻り(おひねり)を投げつけながら勢いよく走り込み、境内で神輿練(みこしねり)が行われた。 |
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八角神輿 |
宮出【参】 〜お捻りを投げつけながら我先に神輿に走り込む講員たち〜 2008.8.2 06:00 |
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神輿の担ぎ方
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神輿の担ぎ方には、様々なやりかたがある。代表的なものとしては、鐵砲洲大祭のように「わっしょい、わっしょい」の掛け声をかけて、並足で揺らさない平担ぎが全国で一番多いといわれている。 |
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私の経験では、「エッサ、エッサ」が比較的最近増えてきた掛け声で、これは同好会の影響である。軽妙な「エッサ エッサ エッサホイ サッサ お猿のかごやだ ホイサッサ」という童謡「お猿のかごや」が復活したものか。(笑) |
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「セイヤ」「ソイヤ」は昭和50年(1975)代から一気に広まったが、最近はむしろ少なくなっている。「オイサ」「オリャ」は、私が物心ついた昭和40年(1965)代からあった。年長者の話によると、戦後のかなり早い時期に「わっしょい」から「オイサ」「オリャ」に変わったらしい。珍しい担ぎ方としては、湘南地方の「ドッコイ、ドッコイ」と声を掛ける湘南どっこい神輿がある。 |
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八角神輿
宮出【四】 〜拝殿前の |
神輿練 |
〜 06:02 |
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▲▼ 佃祭の神輿の担ぎ方はかなり特徴的で、「おりゃ、おりゃ」の掛け声で神輿を上下に揉まない独特の「平担ぎ」と呼ばれるものである。摺り足に近い感じなので、神輿がゆらゆらと左右に揺れて見える。掛け声の「おりゃ、おりゃ」は、他の江戸祭で聞かれるものよりもテンポの早い「おりゃ、おりゃ」である。 |
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▲▼ 揺らすときは地面すれすれまで降ろして上下に揉むときで、写真のように、降ろしてから一気に差し上げる。担いだ状態から差し上げる神輿差しなら普通だが、一旦下まで降ろすので、大変きつい作業で、佃ではこの動作を「揉み上げ」と呼んでいる。 |
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▲▼ かつては許されなかったことだが、佃神輿を高層階から見下ろすと、ときどき後棒(あとぼう)の人で後ろ向きに(神輿に背を向けて)担いでいる人がいることに気付く。昔の江戸下町では全員が前を向いて担ぐのは「弔い担ぎ」と云って縁起の悪い担ぎ方だとされており、祭で神輿を担ぐときは、神輿に背を向けて担ぐのが良いとされたそうで、これは、浮世絵などにも描かれている。 |
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八角神輿 |
宮出【七】 〜佃担ぎアニメーション〜 06:05 |
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▼ 平成23年(2011)に新調された二代目宮神輿は、若衆(わかいし)に担がれ、境内で十分に練り上げられた後、初の船渡御に向かって宮出(みやだし)され、神幸祭が始まった。 |
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八角神輿宮出【拾】 〜佃囃子と出御神輿〜 06:18
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以前は、写真下のように神輿が隅田川に入る海中渡御が行われていたが、防潮堤ができたことと、川の汚染が進んだため、昭和37年(1962)を最後に海中渡御は中止となった。 |
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しかし、石川島播磨重工業(現・IHI)跡地の再開発事業により大川端リバーシティ21が建設され、区立佃公園から隅田川テラスに下りることができるようになったため、平成2年(1990)に船渡御が復活した。船渡御の御召船は下図の●の位置に離着船し、反時計回りに佃・月島・勝どき・豊海・晴海の祭礼区域を一周する。(●は、臨時の船着場で、普段は殆ど使われていない。) |
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資料:Google地図 |
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↓佃大橋 |
八角神輿の船渡御【壱】
〜隅田川の御座船で揉み上げ〜 2012.8.5 06:32 |
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▲▼
潮位が高いと橋をくぐれないため、年によっては宮出の時間を調整したり、宮出してからすぐに船に載せず、先に宮元町内を1時間ほど担いでから船渡御を行なうこともある。幸いにも今年は6時に宮出を開始してすぐに船渡御に向かうことができた。 |
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↓佃大橋 |
八角神輿の船渡御【弐】
〜船着場を出発して隅田川を南下〜 06:53 |
↓中央区湊三丁目. |
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パノラマ写真(2400X1250)984KB |
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▼ 鐵砲洲寒中水浴でお馴染みの和田グループ世話役の三木芳樹さんが観光客を引率して佃祭の見学に来ていた。大手旅行代理店を退職後、江戸人(えどびと)の衣装で都内の名所旧跡を廻るボランティア・ガイドとして活躍中で、詳しく丁寧な語り口で評判が良く、ガイディング・マイクが良く似合っていた。 |
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ガイディング・マイクを使ってボランティアガイドをする |
江戸人 |
三木芳樹さん 07:20 |
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▼ 今年は潮時(しおどき)が良く、午前6時半過ぎに出発した御召船はタグボートに引かれ、随行船を伴って隅田川を下り、晴海(はるみ)沖で海上祭を行った。御召船には、カメラを手にした神職一人が乗船していたが、取材陣は乗れないらしく、ケーブルテレビの取材班や住吉神社のホームページ制作者も同行していなかった。 |
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八角神輿の船渡御【参】
〜佃島を一周して北上する渡御船団/コーシャタワー佃11高層階より〜 07:52
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佃島→ |
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↑相生橋 拡大写真(3000X2000)1.05MB 撮影:木切倉朗 |
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▲▼
佃祭では、20年くらい前まで脚立の上から宮神輿を撮ってもいけないというくらい厳しかったが、今は高層マンションが沢山建ってしまったので、そんなことも言っていられなくなった。
しかし、御召船からの写真は見たことがないので、厳しい規制がまだ残っているのだろう。 |
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八角神輿の船渡御【四】 〜台船に鎮座した渡御神輿〜
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拡大写真(3000X2000)1.27MB |
撮影:木切倉朗 |
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▲▼
ちなみに、この一連の海上渡御の写真は、大川端リバーシティ21の南東部に建つコーシャタワー佃11の高層階から望遠レンズで撮影したもので、船に乗らなくても手に取るようによく分かる。(写真下は300mmで撮影) |
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御召船に同行することが許されるのは、世話人と大若衆(おおわかいし)だけで、若衆(わかいし)の姿は見えない。 |
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だいせんで わたるみこしや すみだがわ |
Sumida
River, the mikoshi cruising on a barge. |
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八角神輿の船渡御【五】 〜相生橋の下を通過〜 07:55
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拡大写真(2400X1600)839KB |
撮影:木切倉朗 |
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▼ 「佃折本」と書かれた随行船の上では、海上渡御中、御召船に向かって若山胤雄社中(わかやまたねお・しゃじゅう)による佃囃子が奉納されていた。 |
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拡大写真(2400X1600)746KB |
撮影:木切倉朗 |
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八角神輿の船渡御【六】 〜佃島北東岸を北上する渡御船団 |
↑北 |
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拡大写真(2400X1600)746KB 撮影:木切倉朗 |
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八角神輿の船渡御【七】 〜佃島大橋上流でUターン〜 08:04
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佃大橋 |
聖路加タワー |
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拡大写真(2400X1800)760KB |
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▲▼
佃島を反時計回りに一周した御召船は、出発して約2時間後に無事出発地点に戻ってきた。一旦行き過ぎてから佃大橋の上流でUターンしたのち、着桟した。 |
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八角神輿の船渡御【七】 〜
船着場に戻ってきた宮神輿〜 08:06
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拡大写真(2000X2400)725KB |
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八角神輿の船渡御【八】 〜御召船上で揉み上げ〜 08:19
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拡大写真(2400X1650)817KB |
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▲▼ 同行を許されなかった若衆(わかいし)が乗船し、宮神輿を担ぎ上げ、御召船上で揉み上げたあと無事上陸。直ちに佃一丁目町内の渡御に移った。その後、宮神輿は、佃一丁目から二号地の御旅所に向かう。 |
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ちなみに「二号地」とは、現在の「勝どき」のことで、月島を一号地、勝どきを二号地 ・・・、臨海副都心は十三号地という具合に東京湾の埋立地に付けられた名称である。普段はお年寄りしか使わない呼び方だが、祭のときは神輿を担ぐ単位としてこの呼び方が復活する。勝どき町会には、立派な二号地神輿がある。 |
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八角神輿の船渡御【九】 〜上陸する宮神輿〜 08:20
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