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いざ出陣 |
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国際色豊かなどやどや
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午後3時15分、後半の部が始まった。寒さに備えてしっかりと準備運動をして身体を温めた生徒たちが、北門から元気良く飛び出してきた。
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裸の集団の中に青い眼の白人がいる。留学生なのだろうか。前半の部と同様、全員がふんどし姿だ。
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後半の部は、仏教系の学校法人・清風(せいふう)学園が経営する清風南海高校と清風高校(いずれも男子校)の生徒400名に教職員45名が出場。ふんどしを締めてどやどやに参加した人は、総勢約900名となった。
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祈除災招福 |
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一行は二手に分かれ、白組は園児が通った東側の参道から、赤組は六時堂の裏手から西側にまわり、亀の池の石橋南端で合流し、六時堂の正面に向かった。
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どやどやの起源
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毎年正月14日の修正会(しゅしょうえ)結願(けちがん)の日に、僧侶の儀式に平行して、鉢巻とふんどしを赤白に色分けした血気盛んな若者たちが、東西から六時堂前面の拝殿に押し寄せ、双方の代表者各4名が背中合わせになり、全員で左右から押し合い揉み合い、いずれかへ押し切った方が勝ちとなった。
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指揮棒を持つ先生
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牛王宝印楊枝 |
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資料
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スクラム行進 |
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東の白は生野方面の百姓、西の赤は阿倍野方面の漁師であった。このため現在も白組は東から、赤組は西から登場する。
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勝負がつくと同時に六時堂前に篝火(かがりび)がともされ、その後、数百の牛王宝印楊枝(ごおうほういんようじ)(柳の枝にはさんだ魔除けの護符)がお堂の梁の上から群集の中に投げ入れられ、それを取ろうとして裸の群れがひしめきあった。
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持ち帰った柳の枝を水田に立てておくと、害虫がつかず豊作になると信じられた。
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このようなことから、どやどやの行事は、もと天王寺村の農家が五穀豊穣を祈願した名残りだと見られている。
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牛王宝印楊枝を受けようと、どやどやと六時堂に群衆が集まることから、この習俗がいつしか「どやどや」と呼ばれるようになった。また、ドヤドヤ(どうだどうだ、これでも負けないか)と言って押し合ったからだともいわれる。
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昔は酉の刻(午後6時)から法要が始まり、牛王宝印楊枝を投ずるのは夜8時〜9時頃だったという。
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水を浴びて六時堂へ |
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現在は、混乱を避けるため、午後2時頃から始まり、参加者も特定の生徒・教職員に限定されている。また、事故防止の観点から、楊枝を止め、護符(御札)だけがばらまかれている。
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大きな水桶と柄杓
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肌が乾いていると、もみ合いの際、肌と肌がこすれて皮膚が剥けたり、火傷を負ったりするので、事故防止の観点から、裸の男たちに大きな柄杓(ひしゃく)で水をかける。水の潤滑作用を利用するというわけだ。撒水自体には、宗教的な意味合いはないという。
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