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  Wa☆Daフォトギャラリー 特集!旅紀行

2001年6月5日制作

BGM
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オンフルールの人々(フランス)

オンフルールの人々(フランス)

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ニース
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ニース Nice

 世界のおのぼりさんが押し寄せるのがパリなら、世界中の金持ちが集まるのがニースだ…といわれている。昔、ピーター・メールが書いた「プロバンスの12カ月」がヒットし、これで南仏が有名になったとか。プロバンス Provence 地方の東側がコート・ダジュール Côte d'Azur (紺碧海岸)であり、その中心地・ニースは、カンヌとともにイギリス人が作った町である。ニースには、豪華客船や豪華ヨットが似合う。

  ニースは、北にアルプスの山々を控え、地形上、南仏特有の強風(ミストラル)から守られ気候は温暖である。ニースはナイスと書き、Nice is nice. という言葉もあるように、ニースはフランス5番目の都市だが観光はパリに次いでフランス2だ。人口は45万人。元々ニースは冬のリゾート地として発展。サンクト・ペテルブルグのロシア皇帝もニースに来て病気を治したことから有名になり、19世紀には王侯貴族や文化人たちが来るようになった。その後夏のリゾート地へと発展。夏のバケーションを楽しむ高級リゾート地となった。

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モナコ
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モナコ Monaco

 正式名称=モナコ公国 Principaut de Monaco 面積=1.95km2 人口(1996)=3万人 首都=モナコ Monaco (日本との時差=−9時間) 主要言語=フランス語 通貨=フラン Franc

 ヨーロッパ南部、地中海に臨む小公国。南はコート・ダジュールに接し、世界第2の小国である。国土はアルプス前地の山が海岸に迫った、幅200〜500m、長さ3kmの細長い沿岸部を占める。住民の内訳はいわゆるモナコ国民が1割強で、大部分はフランス人、その他イタリア人、イギリス人などの外国人で構成される。気候はきわめて温暖で、風光明美な土地柄と合わせて避寒地として発達、観光・保養地となっている。公国はモナコ市、ラ・コンダミーヌ、モンテ・カルロ、フォンビエイユの4地区に分けられている。

 岬が取り囲むモナコ湾は天然の良港で、2万m2の広さをもつ港内には豪華ヨット、ボートが停泊している。

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アヴィニョン Avignon

 アヴィニョンは、フランス南東部、ボークリューズ県の県都。人口8万9000(1990)。ローヌ川右岸にあり、河口から約70km上流で、ローヌ川が河口にちかい平原に入る地点にひらけた町で、商業・文化の中心地だ。

 中世の一時期、法王がローマではなくアヴィニョンに住んだことがある。「法王のバビロン捕囚時代」といわれるているが、当時はフランスの町アヴィニョンが法王庁の役割を努めていた。アヴィニョンにある法王庁 Palais des Papes はその時の名残だ。それは教会というより城砦であり、かつ法王の宮殿であった。堅固な外壁は今も威嚇するような感じでそびえ立っている。丘の上に建つ法王庁からローヌ川に向けて下っていくと、川の途中でプツンと途切れてしまった橋に出る。「輪になって踊ろう」の歌で有名なアヴィニョンの橋 Pont d'Avignon こと、サン・ベネゼ橋である(写真上)。神のお告げを聞いたベネゼという牧人が、変人扱いされながらも村人からお布施を集めて、その一生を捧げてつくった橋だ。

 アヴィニョンの橋の上からローヌ川の上流に向かって撮影したのが、写真(下)である。ローヌ川は、悠久の昔から豊富な水量を誇り、今も変わらぬ佇まいである。アヴィニョン側の岸に設けられたポンツーンには、モーターボートや交通艇などが川上に向かって係留されていた。

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オンフルール
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オンフルール Honfleur

 オンフルールは、大西洋に注ぐセーヌ川の河口にある古い漁港の町。15世紀の百年戦争には、要塞の拠点として歴史にその名をとどめたが、今は色とりどりに並んだヨットの眺めが目を楽しませてくれる静かな港町だ。

 印象派の画家たちも平和な港の風景を愛し、繰り返しキャンバスに描いた。今でもキャンバスに向かってせっせと港の風景を描いている画家やアマチュアの人たちが目につく。絵に描いたように美しい街、それがオンフルールだ。オンフルールのヨットのある風景は、日本でもよくカレンダーの写真に登場する。ギッシリと並んだ古めかしいのっぽビルは、カラフルで、微妙に歪んでいるところがまた味わい深い。ヨットとの組み合わせが、世界のどこにもない情緒を醸し出している。どの角度から眺めても絵になるから不思議だ。

  歩いてサント・カトリーヌ教会 Eglise Ste-Catherine に行った。丁度パイプオルガンの生演奏をしていた。荘厳な音楽が敬虔な雰囲気を醸し出していて、興味深かった。教会の天井が船底の形をしており、バイキングの文化が残されていた。

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オンフルールの漁船 (1)
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オンフルールの漁船 (2)

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オンフルールの漁船

 一方の漁港には、小型の底引き網漁船が沢山いた。潮が引いていたのか、海面が岸壁よりもかなり低く、梯子を使って乗り降りしなければならない状態だ。

 面白かったのはどれも胴体が短く、ずんぐりむっくり型だったこと。船体の塗色は、白が多いが、緑や青、黄などもあり、非常にカラフルだ。ところ変われば何とかで、ここではそれが当たり前なのだろう。こんなに船体が短いと、保針性などの操縦性能が悪いと思われるが、どうだろうか。

 背景の木々に丸いものが引っかかっているように見える。良く見ると、宿り木だ。大木に寄生する植物をこんなに沢山見るのは初めてで、興味深かった。

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底引き網

 近寄ってみると、底引き網漁船は誠に可愛い。漁具もおもちゃのように小さい。しかし、網口開口板があり、袋網の部分にはすれ止めがついている。れっきとした底引き網である。この船の漁船登録番号は、FG4219と表示されている。船橋の天井には救命浮環が備えられている。法定備品なのだろう。

 後部甲板には漁獲物を選別して入れるアルミ製と思われるトレーがキチッと積み上げられていた。船内は清潔そのもの。金属類も綺麗にペンキで塗装されていて、サビは見あたらない。オンフルールの漁師は、何と勤勉できれい好きなのだろう!

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冬のモスクワ川
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冬のモスクワ川

 モスクワ市内を流れるモスクワ川は、オカ川の支流であり、最終的にはボルガにつながる。流れがあるためか真冬の1月でもこの付近の水面は凍結していない。左岸のポンツーンに白色のモーターボートが接舷している。無風・曇天のモスクワの冬は、思ったよりも寒くなく、時がゆったりと流れていた。

 オカ川は、ロシア連邦、ヨーロッパ・ロシアのほぼ中央を流れるボルガ川右岸の支流。長さ1500km、流域面積24万5000km2、中央ロシア台地に源を発し、カルーガから北東にむかい、モスクワの南約80kmの地域を東に流れ、リャザンの東方を経てニジニ・ノブゴロドでボルガに合流する。多くの支流があり、モスクワ市内を流れるモスクワ川もその一つ。冬季の結氷期(10月末〜4月)をのぞき、カルーガの上流まで航行可能で、主要な港はカルーガ、ジェルジンスク、リャザン、ニジニ・ノブゴロドなどである。

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