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 特集!旅紀行

2014年5月23日改訂

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♪花祭り

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2006年4月30日制作

石畳の道を行く母子

                        石畳の道を行く母子(オリャンタイタンボ/ペルー)

ペルー世界遺産

ペルー国旗

インカ帝国の夢

聖なる谷

第9代皇帝パチャクテ

 
 
サクサイワマン Sacsayhuamán
   サクサイワマンは、クスコ北西1.5kmの丘にある要塞跡で、その建設は、第9代皇帝パチャクテの時代にはじまり、1460年頃に完成するまで、1日3万人が働いて80年かかったといわれる。使用された岩石はクスコ郊外だけでなく、遠くはクスコの南西88kmにあるオリャンタイタンボからも運ばれてきたという。
 

   1536年5月、スペイン人に反逆を企てたマンコ・インカは、この要塞に2万の兵士と共に陣取った。しかし、夜は戦わないインカ兵は、そのスキを突かれて敗退。高さ20mあった城壁もその上にそびえていた円塔も殆どが破壊されてしまった。

インカ帝国の土木技術の高さを現すサクサイワマンの遺跡

巨大な石組みが360mも続くサクサイワマンの遺跡

パノラマ写真(1950x800)397KB

 サクサイワマンの遺跡はインカの土木技術の高さを物語るもので、三層の巨石が22回折り返すジグザグを描きながら360mにわたって続いている。その中に高さ5m、約360tonもの巨石が使われているところがある。

巨石が360mも並ぶサクサイワマンの遺跡

巨石が360mも並ぶサクサイワマンの遺跡

拡大写真(1400x1240)318KB

太陽の祭りインティ・ライミ Inti Raimi

 毎年6月24日に行われるアンデス地方で最も盛大な祭りがインティ・ライミ(太陽の祭り)である。リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)とオルーロ(ボリビア)のカルナバルとともに南米三大祭りに数えられている。

サクサイワマンのインティ・ライミ

巨大で精巧な石組み

資料

 インティとは太陽の意味で、その年に収穫されたトウモロコシ Choclo から作ったチチャという酒を黄金の瓶に入れて太陽に捧げる。この太陽の祭りの月は、インカ時代には休息の月で、農民は1年の疲れを癒し、飲んだり踊ったりして毎日を送ったという。現在、この祭りはサクサイワマンで執り行われる。

巨大で精巧な石組み

巨大で精巧な石組み

ケンコー Qenqo
 サクサイワマンの遺跡から東に歩いて15分のところに、石を削って造られたケンコーの遺跡がある。ケンコーとはケチュア語でジグザグの意。インカ帝国の祭礼場であったといわれる。
 ピューマが浮き彫りにされた6mの巨石を中心に、座席の役を果たす襞(ひだ)が半円状に広がる。上に登ると、生け贄の血を流して占いをしたというジグザグの窪みがあり、岩全体がモニュメントになっている。

祭礼場と考えられているケンコー

祭礼場と考えられているケンコー

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El Humahuaqueñoエル  ウマウアケーニョ 

 花祭り
 
 BGMは、アンデスのフォルクローレ「エル・ウマウアケーニョ」。日本では、「花祭り」や「春祭り」と呼ばれ、「コンドルは飛んでゆく」とともにアンデスのフォルクローレを代表する曲として親しまれている。
 「ウマウアケーニョ」とは、スペイン語で「ウマウアカの人や物」という意味で、ウマウアカはアルゼンチン北部にある町の名前である。この町にはアルゼンチンでは珍しいアイマラ族が多く住んでいるため、ウマウアケーニョはアイマラ族の本拠地・ペルーやボリビアのフォルクローレとして紹介されることが多い。
 「ウマウアカの谷にカーニバルが来るよ、チョリータ*さん」という内容の歌詞が、チャランゴや縦笛のケーナ、大太鼓のボンボといったアンデス・フォルクローレを代表する楽器による軽快なメロディに合わせて歌われる。
  *チョリータ:18世紀頃からスペイン人の服装を真似て着飾るようになったインディヘナの女性。  
   この曲はカルナバリート carnavalito と呼ばれる種類の曲であるため、CDなどの曲名にはカルナバリートと記載されることも多い。また、スペイン語で Fiesta de la primavera (春の祭り)と紹介されることもある。  

路上販売の土産品とケンコーの遺跡

路上販売の土産品とケンコーの遺跡

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タンボ・マチャイ Tambo Machay
 サクサイワマンから北方4kmほどにあり、聖なる泉と呼ばれ、雨季・乾季を通じて常に同じ水量の水が湧き出ている。インカ時代は、沐浴場だった。かつて、水源を探るべく川や池に色素を流して調べたというが、分からなかったという。サイフォンの原理を利用して、遠方から水を引いてきているというのが最有力説。

年中水量が一定のタンボ・マチャイ

年中水量が一定のタンボ・マチャイ

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インカの聖なる谷 Valle Sagrado de Los Incas
 6,000m級の山々に囲まれたインカの聖なる谷は、クスコだけでなく、サクサイワマンをはじめ、インカ帝国の中枢をなした遺跡や村落が広がる地域である。ユカイやオリャンタイタンボなどには設備の整ったホテルが充実している。クスコよりも低地で高山病になりにくいため、日本人ツアー客の宿泊地として人気が高い。

緑溢れるインカの聖なる谷

緑溢れるインカの聖なる谷

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ピサック Pisaq
 クスコから北へ30kmにある小さな村だが、火・木、日曜に市が立ち、朝早くからインディヘナたちが食料品や日用品を携えて集まってくる。村のプラザを中心に広げられる市 Feria は、この日ばかりは活気づく。

ピサックの民芸品市場

ピサックの民芸品市場

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 日本と違って、小さな子供たちも土産物の販売に一役買っている。屈託のない少女の笑顔が忘れられない。

バスに土産物を売りに来た女の子たち

バスに土産物を売りに来た女の子たち

ユカイ Yucay
 山々に囲まれたユカイは、クスコの北方77kmの綺麗な小川が流れる閑静な農村。人々はとても素朴で、立派な教会と、かつての修道院を利用したホテル Sonesta Posada del Inca Yucay があり、この日はこゝに宿泊した。

昔の修道院を利用したユカイのホテル

昔の修道院を利用したユカイのホテル

オリャンタイタンボ Ollantaytambo
 翌3月9日(木)、ユカイのホテルからクスコの南西88kmにあるオリャンタイタンボに行った。聖なる谷のほぼ中心に位置するこの地は、インカ帝国時代の宿や要塞があったところ。タンボは、ケチュア語で旅籠の意味。  

オリャンタイタンボの遺跡

オリャンタイタンボの遺跡

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 1536年、スペインの征服者に反旗を翻したマンコ・インカは、インカ軍を率いてオリャンタイタンボに潜み、やがてやってきたスペイン人たちを撃退した。しかし、インカ軍は何故かオリャンタイタンボから撤退し、更に奥地に潜んでしまったという。  

アンデスに咲く向日葵

 

草を食むアルパカ

アンデスに咲く向日葵 草を食むアルパカ

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 オリャンタイタンボの遺跡は、オリャンタイタンボ村の背後にある。斜度45度はありそうな斜面に段々畑が造られ、畑の脇の階段を300段(150m)登り詰めると広場に出る。その周辺には、美しいインカの石組みが見られる。  

煙の上がるオリャンタイタンボ村

煙の上がるオリャンタイタンボ村

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石畳の道を行く母子

石畳の道を行く母子

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インカ道 Camino del Inca
 
 また、この村は、クスコからマチュピチュに至る全長90kmのインカ道が通っており、トレッキング客などの休息や食料調達の場となっている。宿泊施設もあるため、夏場の観光シーズンには、このひなびた村も活況を呈する。  

アンデスの田舎家

アンデスの田舎家

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