ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の祭り

2009年9月9日改訂

今 日

昨 日

♪太鼓メドレー

秋気満つ結松明の火入かな   北舟

 

Full of autumn atmosphere, lighting a big torch.

2009年9月8日制作

金鳥居で大松明に火入れ

拡大写真(2000x1500)457KB

金鳥居で大松明に火入れ/北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市)
北口本宮冨士浅間神社神紋   北口本宮冨士浅間神社   北口本宮冨士浅間神社神紋

吉田の火祭り

結松明

▼ 御旅所の神事の途中で退出し富士みちに出てみると、既に世話人(せわにん)たちのサポートにより、大松明(おおたいまつ)の奉納主たちが次々に火を入れ始め、火祭り本番が始まっていた。
灯油をかけたヤニ木の束にマッチで点火

灯油をかけたヤニ木の束にマッチで点火

拡大写真(1400x1150)238KB

 二人の火付役は、点火用の竹竿の先の針金にヤニ木(やにぎ)と称する赤松の根の束を引っ掛け小瓶に入れた灯油を降りかけてからマッチで火を付け、それを松明の上部に置いて点火する作業を繰り返していた。赤松の根は、ヤニを含んで燃えやすいため、ヤニ木と呼ばれるのだろう。
竹竿を使ってヤニ木を結松明(大松明)の上に載せて点火 18:28

竹竿を使ってヤニ木を結松明(大松明)の上に載せて点火 18:28

拡大写真(1400x1050)190KB

▲▼ 竹竿で火のついたヤニ木を結松明(ゆいたいまつ)の頂上に乗せて松明に火が着くと、拍手喝采がわき起こる。三町の世話人たちは、それぞれの町内に立つ大松明に次々と火を付けてゆく。この作業は急を要するので、一番忙しい奉仕だが、最も重要な作業である。
松明の点火をサポートする世話人たち

松明の点火をサポートする世話人たち

拡大写真(1600x1200)288KB

▲▼ 写真上の大松明の頂上には竹竿の先端の針金に吊されたヤニ木が燃えている。大松明は77基あり1基の奉納料は11万円。奉納主名を墨書した木札が立っているので、広告塔を兼ねる。奉納主の代表者が点火したあと、点火した松明を背にして記念写真を撮る光景が見られた。
奉納寄進者たちの記念撮影

奉納寄進者たちの記念撮影

拡大写真(1400x1050)190KB

▼ 富士みちに面した各戸の前には、赤松や落葉松(からまつ)の薪(まき)を井桁に組んで高さ1.5mほどに積み上げた井桁松明(いげたたいまつ)が置かれており、次々に着火したヤニ木をのせて点火されていった。

井桁に組んだ薪の上にヤニ木が置かれて点火

井桁に組んだ薪の上にヤニ木が置かれて点火

燃え上がる井桁松明 18:30

燃え上がる井桁松明 18:30

拡大写真(1400x1100)240KB

▼ 大松明は高さ3m基部の直径90cm頂部の直径30cmの円錐形で巨大な筍(たけのこ)のような形状をしている。中には赤松などの薪(まき)が詰められ、杉や檜などを長方形に薄く削った経木(きょうぎ)で表面を覆い、藁縄(わらなわ)で束ねられている。その形状から結松明(ゆいたいまつ)とも呼ばれる。
井桁松明と結松明の競演 18:32

井桁松明と結松明の競演 18:32

拡大写真(1300x1600)308KB

▼ 金鳥居(かなどりい)交差点と金鳥居(かなどりい)の間に立ち富士の霊峰を背景に南方に延びる「富士みち」に並ぶ大松明(おおたいまつ)を見るのが最良のビューポイントで、この光景が地元のパンフレットに掲載されている。この日は曇天のため富士山を仰ぎ見ることができなかった
人気スポットの金鳥居で大松明に火入れ 18:40

人気スポットの金鳥居で大松明に火入れ 18:40

拡大写真(2000x1500)457KB

  秋気満つ結松明の火入かな 北舟 

しゅうきみつ ゆいたいまつの ひいれかな

Full of autumn atmosphere, lighting a big torch.

下町世話人たちの晴舞台 18:45

下町世話人たちの晴舞台 18:45

拡大写真(2000x1450)472KB

▲▼ 世話人たちは、この日を迎えるまで、ほぼ1年がかりで火祭の準備をしてきた。下町(下宿)の世話人たちが金鳥居を背景に記念撮影する姿は如何にも晴れがましい。一生一代の晴れ舞台である。
格好いいお父さんと記念撮影

格好いいお父さんと記念撮影

拡大写真(1600x1200)226KB

  ▼ 金鳥居(かなどりい)は、富士山北口一ノ鳥居といわれ、富士吉田市上吉田の下宿(しもじゅく)にある国道139号と137号の交差点、通称・金鳥居(かなどりい)交差点の南に立つ。高さ9.7m、柱間7mあり、扁額「富士山」は新田道純(にった・みちづみ)(寛政10年(1798) - 嘉永7年(1854))の書という。  
 この北側に脚立を持ち込み、数時間前から場所取りをしているアマチュア・カメラマンが大勢いて、このあたりで最良の撮影場所を確保するのは、至難の業だった。
金鳥居と結松明

金鳥居と結松明

拡大写真(1200x1600)228KB

Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2009 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク