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 旅紀行日本の裸祭り

2012年10月27日改訂

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♪千年女王〜海のアラベスク〜海に帰る〜氷湖〜水の都〜精霊

颱風の白浪被る浜の垢離   北舟
 

Beach ablutions, being dashed the white waves of typhoon.

2011年9月19日制作

波の襲来! / 地脇町(西中区) 10:49

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波の襲来!/西中区地脇町(静岡県磐田市遠州灘)

国指定重要無形民俗文化財

神紋:八弁菊   矢奈比賣天神社   神紋:剣梅鉢

見付天神裸祭'11

地脇町

▼ 宮司ら神職たちの禊が終わると、長老を肩車に御輿先供係(みこしさきともがかり)と書かれた浜印(はまじるし)を持つ二人の旗手を先頭に、六尺褌一丁になった先供(さきとも)たちが氏子一番乗りで海に入った。渚には、白い綿のようなものが漂っているが、これは、荒波によって作り出された波の花である。
長老と子供を肩車して海に入る御輿

先供さきとも

係の氏子たち / 遠州灘・福田浜 2011.8.31 10:46

長老と子供を肩車して海に入る御輿先供係の氏子たち / 遠州灘・福田浜 2011.8.31 10:46

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▲▼ 保存会作成によるガイドブックの「裸祭のこころえ(平成23年版23頁)」によると、「禊(浜垢離)の身なりは町印手拭いのはちまき、晒布(さらし)の褌(ふんどし)とすること」と定められている。
波の花の中を行く!

波の花の中を行く!

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▲▼ 褌の種類や締め方までは規定されていないので、どんな褌をどのように締めるのかは自由であるが、神職以外には越中褌は見られず、神輿先供係の2名の旗手のように前袋式(まえぶくろしき)六尺褌、いわゆる水褌(すいこん)が殆どである。

浜印はまじるし

に続け!

浜印に続け!

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▲ 少数派であるが長老を肩車した人のように前垂式(まえだれしき)に締めている人もいる。東中区の片山千代三梯団長(ていだんちょう)も前垂派で、それぞれにこだわりがあると思われる。
海に向かって威勢良く!

海に向かって威勢良く!

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▲▼ ガイドブックが規定する禊装束は腹巻の規定がないので普通に読めば神職のように鉢巻と褌だけで腹巻は認められないと解するのが妥当だと思われるが、殆どの人は腹巻を締めている。
 布が貴重だった江戸時代のことを考えると海に入るのは褌一丁が当たり前で腹巻などはあり得ないと思われるが、白晒布の腹巻・褌は、御大祭の正装であることから、浜垢離でも容認されているのであろう。
我は海の子白浪の

我は海の子白浪の

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 問題は褌を締めるのを嫌がりハンダコや海水パンツで浜垢離する大人や子供が散見されることである。かつてはそれを認めた時期があったので、元に戻すには大変なことだとは思うが、神事である以上、禊は褌が当然であり、全員、 日本男児の象徴ともいえる褌を締めて美しい浜垢離を披露して欲しい。
 過去2回の作品では、ハンダコや海水パンツで禊する光景を掲載していたが、この三作目以降、褌姿以外は掲載しないことにした。事実に反するとの指摘を受けるかも知れないが、筆者のこだわりとして、御容認頂きたい。
超えて海原どこまでも!

超えて海原どこまでも!

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▲▼ 先供(さきとも)正式には「矢奈比賣(やなひめ)神社御輿御先供係」で、「お道具持ち」とも呼ばれ神事の催行に重要な役割を果たす。江戸時代の中頃御幣弓、矢、太刀などを神社に奉納し、神輿巡幸の際には奉納者がそれらを持ってお供をしたことに始まる。この役は、名誉職として、代々その家が世襲して奉仕している。
海は広いな大きいな!

海は広いな大きいな!

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▼ 先供たちは波を浴びて垢離(こり)を取ったあと荒波に洗われて丸くなった小石12個を拾い浜砂と海水を桶に汲み取った。浜砂と海水は大祭前日の「御池(みいけ)の清祓(きよはらい)」に、小石は大祭の「御輿出御祭」に使われる。
神事に使われる砂を採取

神事に使われる砂を採取

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輿番こしばん

地脇町じわきちょう

(西中区)の入水 10:48

輿番・地脇町(西中区)の入水 10:48

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▲▼ 続いて黒烏帽子・白丁上下・白足袋・草鞋姿の輿役(こしやく)たちが「御輿番・地脇」の浜印を掲げ、一体となって海に入り、心身を清めた。輿番だけは裸にならず、神輿を担ぐときと同じように上衣の袖を肩までたくし上げ、袴の股立ち(ももだち)を取った勇壮なスタイルである。

白丁はくちょう

姿のまま海に入る

白丁姿のまま海に入る

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▲▼ 今年輿番を勤める地脇町(じわきちょう)は、宿町(しゅくまち)、新通町(しんどおりちょう)、清水町(しみずちょう)、中川町(なかがわちょう)からも若干の応援を受けた東中区五町連合である。
海に向かってひた走る!

海に向かってひた走る!

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波の襲来!/

地脇町じわきちょう

(西中区) 10:49

波の襲来! / 地脇町(西中区) 10:49

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  颱風の白浪被る浜の垢離 北舟 

たいふうの しらなみかぶる はまのこり

Beach ablutions, being dashed the white waves of typhoon.

波をやり過ごす!

波をやり過ごす!

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童心に還る!

童心に還る!

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▼ ライフガード( 命を守る者 Lifeguard )は、プールや海水浴場、ウォーターパーク(水で遊べる遊園地)といった水辺でのレクレーションを楽しむ人々の安全を見守る緊急対処員である。日本では泳げない者や座っているだけのアルバイト高校生などもライフガードと呼ばれるが、本来は救命のプロをいう。
頼もしいライフガード

頼もしいライフセーバー

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肩車の子 / 輿番・地脇町(西中区)

肩車の子 / 輿番・地脇町(西中区)

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▼ 続いて一般の祭組の浜垢離となった。御大祭(ごたいさい)の堂入り同様、最初は、西区中央町(ちゅうおうちょう)の境松(さかいまつ)・月松社(げっしょうしゃ)である。
境松・

月松社げっしょうしゃ

の浜垢離(西区)

境松・月松社の浜垢離(西区)

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▲▼ 28の祭組は、見付天神から遠い地区から順に並んだ西区・西中区・東中区・東区の4つの梯団(ていだん)に所属し、それぞれ8・4・11・5の祭組で編成され、見付天神・拝殿でフィナーレの鬼踊りが行われる堂入りは、梯団毎の順番で行われる。浜垢離ではその不公平を是正するためか、二番目は東中区の新通町(しんどおりちょう)・龍宮社(りゅうぐうしゃ)だったが、強風で浜印が折れるという想定外のアクシデントに見舞われた。
台風12号の強風で浜印が折れた龍宮社(東中区)

台風12号の強風で浜印が折れた龍宮社(東中区)

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気を取り直して海に向かう龍宮社 10:54

気を取り直して海に向かう龍宮社 10:54

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▼ 東中区新通町(しんどおりちょう)龍宮社(りゅうぐうしゃ)の鉢巻を締めた長老は、小野田武さん。お年を聞くと、大正14年(1925)生まれの86歳だという。とてもお元気で、御大祭では、法被を着て警固をつとめられた。
元気の良い龍宮社の長老・小野田武さんの浜垢離

元気の良い龍宮社の長老・小野田武さんの浜垢離

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