現在の本堂と庫裏は、1884年(明治17年)に再建されたものである。本尊は薬師如来坐像で、胎内に862年(貞観4年)に作成された造像記があり、古代東北の仏教信仰を伝える貴重な作例となっている。薬師如来坐像は、1957年(昭和32年)国の重要文化財に指定された。
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蘇民祭
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蘇民祭はその名のとおり蘇民将来(そみんしょうらい)を祭り、五穀豊穰、家内安全を祈願する祭りである。岩手県には水沢市(現奥州市)のほかにもいくつもの場所で、この時期に蘇民祭が行われており、岩手県全体の蘇民祭が国の無形民俗文化財に指定されている。
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蘇民将来 護符の一種。晴明判(魔よけの星象吼)や〈蘇民将来子孫〉などの文字を記した六角柱または八角柱の短い棒で、房状の飾りや紐をつけて帯に結び下げるようになったものもある。正月に、牛頭天王(ごずてんのう)と縁の深い京都の八坂神社はじめ、信濃国分寺八日堂、愛知の津島神社、新発田の天王社など各地の社寺で配られる。また岩手の黒石寺薬師堂では、正月7日に蘇民祭といって数百本の六角形のヌルデの木が入った蘇民袋を裸の男たちが東西に分かれて奪いあう行事があり、これを得たものはその年幸運であるという。
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蘇民将来には、紙や板の札に〈蘇民将来子孫之門〉とか〈蘇民将来子孫繁昌也〉と書いて家の戸口に貼って魔よけとしたり、畑に立てて虫よけとする風習もある。《備後国風土記》には、旅に出た武塔神(素戔嗚(すさのお)尊)が宿を請うたところ、富裕な弟の巨旦(こたん)将来はことわったが、貧しい兄の蘇民将来は宿にとめ歓待したため、茅の輪(ちのわ)の護符を腰につけるように教えられ疾病を免れたと語られている。
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ふんどし奨励
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黒石寺蘇民祭の裸男たちは、みな白の六尺褌である。並幅(約35cm)の晒木綿を半幅に折り、前袋式に締めている。水褌(すいこん)と同じ長さの人もいれば、横廻しを幾重にも重ねている人もいて統一されていない。激しい揉み合いがあるので、西大寺会陽のように前垂れ式だと緩みやすいので、前袋式に締めるのが正解だろう。
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蘇民祭の創生期にはふんどしを締めていたが、激しい争奪戦で横廻しを強く引かれて内臓破裂で死亡した事故があり、それ以来素裸となったいきさつがあったといわれる。素裸の習俗は相当長く続いたようだが、明治になって素裸が禁止された。
現在、観光化されて多くの見物者が訪れるようになり、ふんどし着用が義務づけられている。 |
蘇民祭は、ふんどし男のほか、上半身だけ裸で下半身はズボンをはいている男もおり、かなりまちまちないでたちだ。足には黒足袋に草鞋(わらじ)か地下足袋を履いている。鉢巻はしていない。
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夏参り |
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拡大写真(553x709)90KB |
資料 |
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祭りの概要
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1 裸参り(夏参り又は祈願祭) |
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午後10時から厄年連中、一般祈願者、善男善女が角燈(かくとう)と呼ぶ提灯を持ち、雪を踏みしだいて瑠璃壺川(るりつぼがわ 山内川)に入り、水垢離をして身を浄め、「ジャッソー・ジョヤサ」の掛け声で、薬師堂、妙見堂を巡り、五穀豊穣、災厄消除の祈願を行う。 |
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これを三度繰り返す。ふんどしをしている人も三度目の水垢離にはふんどしを外すのが作法だった
らしい。 ジャッソーは「邪正・邪<よこしま ジャッ>を正<ただす ソー>」、ジョヤサは「常屋作・とこしえの住
まいを作る/家内安全」という意味だという。
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凍えるばかりの冷たさである。三個の桶を使って水垢離をとる間、カメラマンや観光客のシャッターがひっきりなしに切られ、ストロボが光り、裸体が闇に浮き上がる。寒くて体が震えている人もいる。
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