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 旅紀行日本の祭り

2006年12月28日改訂

♪祭囃子メドレー(祭太鼓・屋台囃子・神田囃子・竜頭囃子・佐原囃子)

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2005年9月10日制作

一番神輿・千石一の晴れ姿

一番神輿・千石一の晴れ姿(深川祭/東京・富岡八幡宮)

わっしょい!深川祭

永代橋

手古舞てこまい

 深川祭の神輿の先導役を務めるのが男装の手古舞の女性たち。はけ先を散らした男髷(おとこまげ)に片肌脱ぎの派手な襦袢(じゅばん)伊勢袴・紺足袋・草鞋を履き、首に手拭い、背に花笠をつけ、右手に鉄棒(かなぼう)を引き、左手に手持提灯(てもちちょうちん)を下げ、木遣りを唄って歩く。

手古舞の女性たち

手古舞の女性たち

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 手古舞は、木遣りなどで梃子を操作する役の梃前(てこまえ)や、重いものを大勢で運ぶときに、先頭に立って指揮する役の梃子前(てこまえ)の当て字で、江戸時代の祭礼の余興の舞だといわれる。

男髷の手古舞

男髷の手古舞

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   もとは氏子の娘の役であり、粋で華やかに練り、風流(ふりゆう)の一端を飾った。のちに芸妓(げいぎ)が扮するようになり、深川祭りでは辰巳芸者*(たつみげいしゃ)の十八番(おはこ)となった。  
  *辰巳芸者:深川芸者のこと。深川が江戸の東南(辰巳)に位置したためにそう呼ばれた。粋(いき)で気風(きっぷ)が良く、評判が良かった。  

一番神輿・千石一の晴れ姿 / 駒番一:千石一

一番神輿・千石一の晴れ姿 / 駒番一:千石一

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駒 番こまばん

 
   神輿連合渡御には54基の町神輿が参加する。駒番は神輿が並ぶ順番で、神輿頂部の駒札に書かれている。先頭の一番から順に番号が振られ、四番と四十二番を欠番としているので、最後は五十六番となる。  

放水トンネルを抜けてきた一番神輿 / 駒番一:千石一

放水トンネルを抜けてきた一番神輿 / 駒番一:千石一

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 神輿は各町会をブロックに分けた部会ごとに並ぶが、魁(さきがけ 先頭)は「宮元」、殿(しんがり 最後)は「深濱(ふかはま)」というルールがあった。ところが今年から抽選で駒番を決めることになった結果、今年の魁は「千石一(せんごくいっちょうめ)」が引き当て、殿は例年通り「深濱」となった。

降り注ぐ力水の中を行く神輿 / 駒番八:東陽二

降り注ぐ力水の中を行く神輿 / 駒番八:東陽二

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8.2km の巡行
 
   連合渡御は一番神輿が朝7時半に八幡宮前を出発し、半時計回りに氏子各町を一周する。その距離8.2kmの長丁場である。最後尾が八幡宮前に戻るのが午後4時頃となる。永代橋から八幡宮前までのコースが最大の見所で、一番が永代橋をスタートしてから五十六番が宮前を通過するまで、4時間近くかかる。  

現代風手古舞 / 駒番二:扇橋一

現代風手古舞 / 駒番二:扇橋一

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永代橋えいたいばし

 日本橋と深川を結ぶ永代橋は、元禄11年(1698)に隅田川の4番目の橋として現在の場所よりも上流約150mに架けられた。当時、対岸を永代島と呼んでいたことから「永代橋」と名づけられたというが、異説もある。

後ろ姿

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撮影:大庭靖雄さん

   江戸っ娘の法被鉢巻祭髪   北舟 

えどっこの はっぴはちまき まつりがみ

   当時諸国の廻船が航行していたため、橋桁を十分高く取ったので、「西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房・上総、限りなく見え渡り眺望よし」といわれたほど、橋からの眺めが良かったという。

永代橋に入る神輿 / 駒番三:石嶌

永代橋に入る神輿 / 駒番三:石嶌

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 永代橋が現在の場所に移されたのは明治30年(1987)のことで、わが国の道路橋としては初めての鉄橋に生まれ変わった。その後関東大震災で大破し、昭和3年(1928)に現在の橋に架けかえられた。

永代橋の神輿差し / 駒番三:石嶌

永代橋の神輿差し / 駒番三:石嶌

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   風渡る永代橋の神輿かな   北舟 

かぜわたる えいたいばしの みこしかな

   その姿は上流の清洲橋の女性的で優美な雰囲気とは対照的に、流線形のスマートさに加えて男性的な重量感溢れるフォルムをしており、隅田川の流れとともに広く都民に親しまれている。  

次々と永代橋を渡る神輿 / 駒番七:東陽一

次々と永代橋を渡る神輿 / 駒番七:東陽一

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佃 島つくだじま

 永代橋の下流(南)はかつての佃島で、リバーシティ21と名付けられた高層マンション群が見える。右の橋は中央大橋で、その下流に佃大橋と勝どき橋が架かっている。左には相生橋が見える。
   佃煮で知られる佃島は、元々隅田川の河口に自然に出来た洲(す)で、家康は幕府を江戸に置くに当たって、本能寺の変の際に世話になった摂津国(せっつのくに)佃村(現在の大阪市西成区)の漁民約30名を江戸に呼び寄せ、漁業権を与えて住まわせたのが始まりで、佃島と呼ばれるようになった。
   2005年8月5日〜8日の佃祭(つくだまつり 住吉神社例大祭)は、今年3年に一度の本祭で、規模は小さいが、深川祭とともに水掛祭として知られ、町内神輿の巡行のほか宮神輿の海上渡御が行われた。

高層ビルが建つ佃島(永代橋下流)

高層ビルが建つ佃島(永代橋下流)

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   ワッショイと神輿練りゆく隅田川   北舟 

わっしょいと みこしねりゆく すみだがわ

 

八棟型やつむねがた

神輿
 
   牡丹二三の神輿は、珍しい八棟型の神輿で2尺8寸、大正15年行徳・後藤作という。風格を感じる神輿である。  

永代橋を渡る八棟型神輿 / 駒番五十一:牡丹二三

永代橋を渡る八棟型神輿 / 駒番五十一:牡丹二三

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  撮影:志村清貴さん

 

深 濱ふかはま

 
   駒番五十六の殿を務める深濱の神輿は、町内神輿の中で最大の神輿である。現在深濱という漁師町はないので、余所から担ぎ手の応援を受けており、集めるのが大変という。この神輿を担ぎ続けるためには、千人以上が交代で担がないと担ぎきれないといわれる。若睦の巨大な深濱丸の大漁旗(たいりょうばた)がとても格好良い。  

永代橋を渡る大トリ神輿 / 駒番五十六:深濱

永代橋を渡る大トリ神輿 / 駒番五十六:深濱

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  撮影:志村清貴さん

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