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  Wa☆Daフォトギャラリー 特集!旅紀行

2001年6月17日制作

BGM
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タクシーのパレード(ベニス/イタリア)

タクシーのパレード(ベニス/イタリア)

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シェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル

ワイキキ・ビーチ
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ワイキキ・ビーチ Waikiki Beach

 ハワイのビーチといえば、誰でも思い浮かべるのがワイキキ・ビーチだ。なだらかに延びる白い海岸線。時には強烈に、時には優しく、太陽が浜辺を包んでくれる。

 光り輝く紺碧の海。海風 シーブリーズ sea breeze にそよぐ椰子の葉。椰子の木立の向こうに見え隠れする白いヨット。ここはハワイアン・パラダイス Hawaiian Paradise なのだ。

 ワイキキは、今ではハワイの一等地だが、昔は泥地で、観光用にモロカイ島から運ばれてきた砂で埋め立てられたのが始まりだという。

 写真(下)は、ワイキキにあるハワイで一番古いシェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテル Sheraton Moana Surfrider Hotel の2階に泊まったときのベランダから見た浜辺の風景 ocean view だ。1901年に建造されたこのホテルの中庭には、一世紀もの樹齢を誇るバニアン・ツリー Banyan Tree (菩提樹の一種)が今も涼しい小蔭をつくってくれる。この樹の下で1935年から37年間にわたって、1900回もの「ハワイ・コールズ」というラジオの生放送が世界中の600のラジオ局で中継され、それまでアメリカの片田舎に過ぎなかったハワイが、この番組によって一躍夢のリゾート地となった。

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ポリネシア文化センター

 
ポリネシア文化センター
Polynesian Cultural Center

 ホノルルからバスで1時間半、オアフ島北東ライエ Laie にあるポリネシア文化を体験できるテーマパークである。広大な敷地内にポリネシアの島々、ハワイ、サモア、タヒチ、フィジー、トンガ、マルケサス、ニュージーランドの7地域の村が再現されている。各地域の伝統文化や生活に関する展示はもちろん、ショーやイベントも盛りだくさんだ。

 ここは、モルモン教が運営しており、ここで働く人の多くは隣接するブリガム・ヤング大学の学生だそうだ。入園料の一部はここで働く学生達の奨学金として利用されているとのこと。モルモン教は禁酒を励行しており、我々観光客にもそれを押しつけていて、アルコール飲料を飲むことができない。持ち込みも禁止だ。今いち傲慢さを感じるが、しかし、ショー自体は掛け値なしに素晴らしい。

 センター内には小さな運河が掘られ、入場者は、双胴型のカヌーに乗船し、ムームー姿のガイドから説明を聞きながら、村々を巡ることができる。石橋をくぐるときには、頭を打たないように注意しないといけない。

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いくさ舟 battle boat 

 ポリネシアの戦士達 warriors は、村や国を守るために、大型のカヌーに乗り、櫂を操り、弓や槍を持って戦った。写真は、ニージーランドの原住民マオリ族の使用していたいくさ舟である。ポリネシアの世界では最強の舟だ。

ポリネシア Polynesia

 太平洋の島々のうち,北はハワイ,南はニュージーランド,東はイースター島を頂点とする一辺およそ8000kmの巨大な三角形に含まれる島々の総称。ポリネシアという言葉は,元来ギリシア語で〈多数の島々〉を意味する。

 ポリネシアの島々はニュージーランドが温帯圏に属するほかは,すべて熱帯もしくは亜熱帯に位置し,気温は南北両端の島を除き均質であり,年較差は小さい。一般に雨は赤道の北側では6〜10月に,南側では11〜4月に多いが,季節的にも,地理的分布においても多様である。

 ポリネシアの動植物は大洋での孤立によりそれほど豊富でなく,とくに脊椎動物は小さなトカゲ類と,人間の移動に伴ってもたらされたネズミやコウモリだけである。ヘビ類はサモア諸島にみられるが,それ以東には生息しない。また,マラリアを媒介するハマダラカもポリネシアにみられない。

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ワイキキ・ビーチ

ダイヤモンド・ヘッド

ダイヤモンド・ヘッド
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ダイヤモンド・ヘッド
 
Diamond Head

 ハワイ滞在中、「ナバティック・ディナー・クルーズ Navatic Dinner Cruise 」というオプショナル・ツアーに参加した。夕刻、双胴船に乗り、ホノルル Honolulu を出発。ワイキキ・ビーチ Waikiki Beach からダイヤモンド・ヘッド Diamond Head 沖を通り、ハナウマ・ベイ Hanauma Bay の近くまで往復。船上でディナーを食べながらフラ・ショー Hula Show を鑑賞。

 写真(下)は、太陽が丁度ダイヤモンド・ヘッドに沈み、絶好のシャッターチャンスとなった。時刻といい、船の位置といい、少しでもずれていれば左の写真は撮れなかっただけに、ラッキーだった。自然の荘厳さを感じた。 

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上 海 港

上海・旧祖開
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上海 Shng hi

 中国,中央直轄市の一つ。長江(揚子江)デルタの先端,黄浦江を少しさかのぼった左岸に中心がある。上海はアヘン戦争後に南京条約によって開港させられ,国際貿易港,中国第一の国際都市の地位を固めた。このような歴史を持つ上海は、日本の大阪のような立場にある。最近は上海のファッションも中国をリードする存在だ。北京はお上りさん風だが、上海では、美人の斬新なコスチュームに目を奪われる。豪華客船が着く上海港は、活気に溢れている。(写真上)

 旧イギリス租界

 改革開放政策により、経済特区に指定された上海は、近年めざましい経済発展を遂げている。イギリス租界時代の重厚な建物と、近代的なビルとが混在するエネルギッシュな街並みが港に沿って続く。(写真下)

租 界 z ji

 解放前の中国に存在した外国特殊権益の一つ。アヘン戦争後に締結された南京条約や虎門寨追加条約によって外国人は開港場における居住貿易権と家屋建造権を獲得した。ついで1845年(道光25)にイギリスは上海道台と土地章程を取り結び,これを土地貸借の法的根拠として上海にイギリス租界を開設した。これが中国における最初の租界である。

 租界は土地取得のしかたによって,コンセッション concession とセツルメント settlement に分類される。コンセッションは外国政府が中国政府から永久租借した土地を各国領事を通じて個人に払い下げるもの,セツルメントは外国人が中国人の地主から直接に租借するものである。また租界は形態上,一国が管轄する専管租界と複数国が管轄する共同租界に分けることもできる。例えば,上海のイギリス租界はセツルメントであり,1863年(同治2)にアメリカ租界と合併されて共同租界となった。

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福州港

 何の変哲もない港の風景。日本の港だといっても誰も疑わないだろう。土運船は、建設用土を山盛りに積んで、これから工事現場に向かうのだろう。対岸には火力発電所が見える。

 福州港も上海同様、港勢の進展が著しい。茶色に濁った海面は、深刻な汚染を物語っている。発展途上国は、どうしても環境保全対策が遅れがちだ。

福 州 F zhu

 中国,福建省の省都。人口132万(1994)。南京条約で開港され,イギリス人により造船所や埠頭が建設され,植民地都市として拡大したが,近代的港湾施設には不適当なため南東の馬尾を外港とした。

 解放後,消費都市から近代的な工業都市に変貌し,鉄鋼,機械,自動車,化学肥料,化学繊維,農薬,絹織物,食品,製紙,木材加工などの工業が発達した。伝統工芸品では堆朱,木彫,石刻,木画,象牙細工,陶磁製品などが有名。山地で生産される福建茶,福州杉,クス,竹材,かんきつ類,リュウガン,レイシなどがここに集められ各地に送られる。名所,旧跡も多く,市街東方の江岸には名勝鼓山があり山中に寺院が多数ある。また市街北西の風光明美な西湖は公園になっている。

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神戸港
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神戸市 兵庫県南東部にある県庁所在都市。大阪湾北西部に位置する世界有数の港湾・貿易都市でもある。1889年市制。人口142万3830(1995)。1956年政令指定都市となり,9区がおかれている。六甲山が急傾斜の断層崖で大阪湾に落ちこむ山麓に細い帯状の平地が発達し,東西20kmにわたって市街がのびているが,南北は幅の広い所でも4kmしかない。このうち山手は住宅地,浜手は港湾や工場で,中間部が商業地区に利用されている。面積では市全体のわずか1/8のこの区域に人口の約6割が集中している。昭和30年代に入って山を削って海を埋める大事業が始められ,現在では市街地は六甲山地の西や北に広がる一方,ポートアイランドや六甲アイランドの海上都市が誕生した。1966年から15年の歳月を経て完成したポートアイランドは面積436ha,人口2万人の人工島で,ホテル,国際会議場,ファッション関係の業務施設などが立地し,周辺はコンテナ船バース等の港湾施設を配置している。約10年遅れて着工した六甲アイランドは面積580ha,人口3万人を目指す人工島で,やはり中央部には都市的施設,周辺部に港湾施設を配置している。

阪神・淡路大震災
 1995年1月17日の阪神・淡路大震災で大型岸壁239バースのほとんどが被災し,とくに主力であるコンテナバースは潰滅的打撃を受けた。その後2年余りで施設の復旧は完了したが,国内外の港にシフトした貨物を取り戻すに至っていない。この大震災により神戸は死者4567人,全半壊家屋12万3000棟,全焼7000棟,被害総額約6.9兆円という大きな被害を受けた。震災後2年で道路,港湾,生産施設などはほぼ復旧したが,人口がなお10万減少したまま回復せず,再開発や区画整理などによるまちづくりもなかなか前途が見えない現状にある。

 
神戸港 Port Kobe

 最後に、作者が住んでいる神戸港を紹介して、この特集を締めくくりたい。

 神戸港は、現在、メリケンパークや神戸ハーバーランドなどの広大なウォーター・フロントが整備され、多くの観光客や若者で賑わっている。港を大事にする神戸市の情熱は、並々ならぬものがあり、6年前の阪神・淡路大震災がウソのように見事に復興している。(写真)

 幅僅か4kmしかない褌(ふんどし)のように細長い街・神戸。神戸市は、後背地の六甲の山を削り、その土を埋め立てて、海と山に平地を創り出した。一石二鳥の大プロジェクトだ。沖合には、ポートアイランドと六甲アイランドと命名された2ヵ所の広大な埋め立て地が陸岸と橋で結ばれ、新しい街が生まれている。現在、更にポートアイランドの沖合を埋め立てて、2,500mの滑走路を有する神戸空港を建設中で、2005年の開港に向けて順調に工事が進んでいる。

日本一の入港隻数

 昨年、神戸港の入港隻数が52,000隻を数え、2位横浜の44,000隻、3位水島の43,900隻を大きく上回り、日本一になった。(海上保安庁調べ) 一昨年、神戸港は44,100隻で3位だっただけに、大きな躍進だ。神戸空港の工事関係船舶の増加が大きな原因だという。震災以来、日本一から遠ざかっていた神戸だけに、市民にとって誠に喜ばしい話題である。(完) 

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