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 感動写真集

2011年6月12日改訂

今 日

昨 日

♪ロシア民謡 トロイカ〜トロイカ(ハーモニカ)〜カチューシャ 〜黒い瞳

赤いサラファン 〜ともしび 〜カリンカ 〜モスクワ郊外の夕べ 〜行商人

 

裸の子エルミタージュのアモルかな   北舟

 

 

The boy in the nude, Amor of Hermitage.

2011年6月10日制作

古代絵画史の廊下 / 新エルミタージュ

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古代絵画史の廊下 / 新エルミタージュ(ロシア・サンクトペテルブルク

世界文化遺産

ロシア国旗

ロシア初夏の旅

エルミタージュ

サンクトペテルブルクの衛星画像

サンクトペテルブルクの衛星画像

拡大写真(1280x960)282KB Google Earth
 

エルミタージュ美術館 Государственный Эрмитаж

  ▲▼ ツアー最後の観光は、サンクトペテルブルクの都心に建つエルミタージュ美術館(ガスダールストヴェンヌィ・エルミターシ)の見学である。ネヴァ川と宮殿広場に挟まれたこの壮大な美術館は、ロシアの国立美術館で1990年にサンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群として世界文化遺産に包括登録された

宮殿橋から見たエルミタージュ美術館(世界文化遺産) / 大ネヴァ川

宮殿橋から見たエルミタージュ美術館(世界文化遺産) / 大ネヴァ川

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▲▼ 緑と白の壁に規則正しく並ぶ白い円柱と窓や壁に施された黄金の縁飾り、屋根の上に並ぶおびただしい数の像がエルミタージュ美術館の本館といわれる冬宮(ふゆのみや)の特徴である。
 エルミタージュ美術館は、ロンドンの大英博物館やパリのルーヴル美術館などと並ぶ世界最大級の博物館で、展示室の数は400以上、総面積は46,000m2(14,000坪)、部屋をつなげると長さは20kmを超えるという。

宮殿広場から見たエルミタージュ美術館

宮殿広場から見たエルミタージュ美術館

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   所蔵品は300万点にのぼり、1点1分ずつ見て、1日8時間かけるとしても17年以上かかるといわれている。尤も展示されているのはほんの一部に過ぎないが、一日掛けて見学するにしても歩くのに疲れてしまって、とても見切れるものではない。大英博物館やルーブル美術館でも同じようなことがいわれているがとにかく巨大な建物と膨大なコレクションには圧倒される。

エルミタージュ美術館正面

エルミタージュ美術館正面

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 エルミタージュ美術館の開設は、エカテリーナ II 世の命令で買い付けられた西洋絵画225点がサンクトペテルブルクに到着した1764年とされ、美術品の大量買い付けは、その後も歴代皇帝によって続けられた。女帝が西欧諸国から野蛮な後進国であると揶揄されていたロシアの評判を向上させた功績は、大きい。
エルミタージュ美術館の正面ゲート(冬宮)

エルミタージュ美術館の正面ゲート(冬宮)

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  ▲ 最大の建物は、歴代皇帝の冬の住居であった冬宮*建設1754〜1762)である。現在の冬宮が完成して最初の住人となったのは、即位したばかりのエカテリーナII世(在位1762-1796)であった。彼女はすぐ隣に別棟を建てさせ、フランス語で隠れ家を意味するエルミタージュと名付け収蔵品を飾って楽しんだ。これが小エルミタージュ(建設1764〜1775)である。  
  *冬宮:十月革命の後に美術館の一部に繰り入れられた。  
ロマノフ王朝黄金の紋章「双頭の鷲」

ロマノフ王朝黄金の紋章「双頭の鷲」

   その後、収蔵場所が足りなくなり、小エルミタージュの隣に旧エルミタージュ(建設1771〜1787)が建てられた。エルミタージュ劇場(建設1783〜1786)がその隣に建てられると、旧エルミタージュの宮殿広場側には新エルミタージュ(建設1784〜1864)が建てられ、美術館は5つの建物になり、渡り廊下でつなげられた。横から見ると細長く連なっているように見えるが、上から見ると中庭を囲んだ井形の建物であることが分かる。
   エルミタージュ劇場は、 宮廷人専用の劇場としてイタリア人建築家によって建てられた。古代ギリシアの劇場のように扇状に客席が配置されている。エカテリーナII世自らが制作・脚本した演劇が上演されたといわれている。現在では一般旅行者も観劇できるようになっている。美術館の見学者は、 劇場を除く4つの建物の1階から3階を巡り歩くことになる。  

有名な「大使の階段」

有名な「大使の階段」

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  ▲ 見学者たちは、冬宮の玄関から有名な「大使の階段」をのぼって中に入る。外国の大使たちが皇帝に謁見(えっけん)するために使用された階段で、ロマノフ王朝の栄華を誇る豪華な装飾が施されていて、圧倒される。  

将軍の間

将軍の間

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アレクサンドルI世 Александр I

  ▲▼ 「将軍の間」の正面は、ナポレオン戦争で勝利したロマノフ朝第10代ロシア皇帝(在位:1801-1825)アレクサンドルI世の肖像画が飾られている。 ナポレオンと同じような馬上の姿は、救国の英雄にふさわしい。
   日本では、蒙古来襲で神風(台風)が吹き、国土が守られたが、ナポレオンの来襲では、冬将軍(寒波)によりロシアが守られた。幸運も実力のうちかもしれない。

アレクサンドルI世の 肖像画

アレクサンドルI世の肖像画

  ▼ 「ピョートル大帝の間」は、ピョートル大帝の栄誉を称えるために造られた小さな部屋である。玉座の後に掲げられた絵は、「ピョートルとミネルヴァ」で、ローマ神話の戦争や芸術の女神とピョートルとが並んで描かれている。  

ピョートル大帝の間

ピョートル大帝の間

  ▼ 「紋章の間」のブロンズ製のシャンデリアには、ロシア各県の紋章がデザインされている。かつては、戦士たちの絵も飾られていたという。現在は、銀器の展示がある。  

紋章の間

紋章の間

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大玉座の間(聖ゲオルギーの間)

大玉座の間(聖ゲオルギーの間)

  ▲▼ 「大玉座の間」 は、歴代皇帝の謁見(えっけん)の間である。大使の階段からこの部屋に案内された各国の大使たちは、こゝで皇帝に拝謁(はいえつ)した。正面のタペストリーや玉座には、ロマノフ王朝の紋章である「双頭の鷲(そうとうのわし)」が 刺繍(ししゅう)されている。正面の壁面には、ドラゴンを退治するロシアの守護聖人「聖ゲオルギー(еоргий)」のレリーフがあるので、「聖ゲオルギーの間」とも呼ばれる。  
ロマノフ王朝の紋章「双頭の鷲」の玉座

ロマノフ王朝の紋章「双頭の鷲」の玉座

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▲▼ 「パヴィリオンの間」は、エルミタージュの中で、格別に美しい部屋である。元は4つの部屋に分かれ、エカテリーナII世の愛人が暮らしていたという。

エルミタージュの中で格別美しい「パヴィリオンの間」

エルミタージュの中で格別美しい「パヴィリオンの間」

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その愛人のひとりポチョムキン(Потёмкин パチョムキン)がエカテリーナII世にプレゼントしたのが黄金のからくり時計「孔雀の時計」で、パヴィリオンの間の一角に飾られている。

黄金のからくり時計「孔雀の時計」 / パヴィリオンの間

黄金のからくり時計「孔雀の時計」 / パヴィリオンの間

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「ベヌアの聖母」
▼ 誰もが見たいのは、近代西欧絵画のコレクションであろう。エルミタージュ美術館の解説書が特筆するのが、イタリアのルネサンス期を代表するレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452-1519)の「ベヌアの聖母(花を持てる聖母)」(1478)と「リッタの聖母」(1490頃)。
 数少ないダ・ヴィンチの油絵がここには2点もあり、垂涎(すいえん)の作品である。「ベヌアの聖母」はダ・ヴィンチが26歳のときに描いた聖母子像。「1478年・・・私は2点の聖母マリアを描き始めた・・・」というダ・ヴィンチの手記があり、その2点のうちの一枚がこの作品。ベヌア家から購入したので、「ベヌアの聖母」と呼ばれる。

アルミタージュの至宝 レオナルド・ダ・ヴィンチ 「ベヌアの聖母」(1478)

アルミタージュの至宝 レオナルド・ダ・ヴィンチ 「ベヌアの聖母」(1478)

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ラファエロの回廊
▼ 「ラファエロの回廊」は、ルネサンスを代表するイタリアの画家ラファエロ・サンティ( Raffaello Santi 1483-1520 )が描いたヴァチカンのフレスコ画を壁一面に模写した回廊で、エルミタージュの名所の一つとなっている。

ラファエロの回廊

ラファエロの回廊

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新エルミタージュ中央階段2階

新エルミタージュ中央階段2階

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   裸の子エルミタージュのアモルかな  北舟 

はだかのこ エルミタージュの あもるかな

The boy in the nude, Amor of Hermitage.

古代絵画史の廊下 / 新エルミタージュ

古代絵画史の廊下 / 新エルミタージュ

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オーギュスト・ルノワール 「小さな鞭を持った少年」
▼ エルミタージュには、フランスの印象派の画家オーギュスト・ルノワール( Francois-Auguste-Rene Rodin 1841-1919 )の油絵が5点収蔵されており「小さな鞭を持った少年」以外は女性を描いたものばかりである。この絵は、少女のように見えるが、少年なのだという。
 当時、フランスのブルジョワ階級で、この子のようにスカートを着せて育てるのが流行っていたらしい。モロゾフ・コレクションから、西洋近代美術館を経て、1948年にエルミタージュに入ったもの。

ルノワール「小さな鞭を持った少年」(1885) / 新エルミタージュ

ルノワール「小さな鞭を持った少年」(1885) / 新エルミタージュ

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パブロ・ピカソ 「面会」
▼ エルミタージュには、スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をしたパブロ・ピカソ( Pablo Picasso 1881-1973 )の油絵が27点も展示されている。ピカソ21歳のときに描いた「面会」の暗い青の色調は、この時期のピカソの全作品に共通しているものであり、「青の時代」と呼ばれていた頃のものである。
 2人の女性は、娼婦とそれを見舞う尼僧。ピカソは、知り合いの医者を通じて、娼婦が収容されるパリのサン・ラザール病院の中を見る機会を与えられ、しばしばそこの情景を描いている。
 ピカソ自身、無名で孤独であったこの頃、心をひきつけられたのは、こうした孤独で不幸な人生の敗残者たちであった。シチューキン・コレクションから西洋近代美術館を経て、1930年にエルミタージュに入ったという。

ピカソ青の時代の作品「面会」(1902)

ピカソ青の時代の作品「面会」(1902)

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの女」
  エルミタージュには、オランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホ( Vincent van Gogh 1853-1890 )の油絵が4点展示されている。ゴッホの「アルルの女」をinternetで検索すると、ニューヨークのメトロポリタン美術館蔵の「アルルの女(ジヌー夫人)」(1888 又は 1889)がヒットするが、この絵は、見当たらない。「ジヌー婦人」の「アルルの女」より、こちらの方がゴッホらしくて、良い作品だと思う。

ゴッホ 「アルルの女」

ゴッホ 「アルルの女」

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トロイカ  Тройка
 
   BGMに流れる「トロイカ」は、20世紀初頭から歌われているポピュラーなロシア歌曲。女性歌手のプレヴィツカヤによって広められた。作詞者は不明。原詩では、金持ちの村長に好きな女性を奪われた若者の悲しみが描かれている。
   「トロイカ」は、ロシア語で数字の3三つ一組のもの転じて三頭立ての馬車もしくは橇(そり)のこと。街道沿いに作られた宿駅で馬を替えて、旅や運送を行っていた。  
 

■ 原詩に忠実な歌詞


1. 走るトロイカひとつ 雪のヴォルガに沿い はやる馬の手綱取る
   馭者の歌悲し はやる馬の手綱取る 馭者の歌悲し

2. 何を嘆く若者 たずねる年寄り 何故にお前は悲しむ 悩みはいずこ
   何故にお前は悲しむ 悩みはいずこ

3. 去年のことだよおやじ 好きになったのは そこへ地主の奴めが
   横槍を入れた そこへ地主の奴めが 横槍を入れた

4. クリスマスも近いに あの娘は嫁に行く 金につられて行くなら
    ろくな目にあえぬ 金につられて行くなら ろくな目にあえぬ

5. 鞭持つ手で涙を 馭者はおし隠し これでは世も末だと  悲しくつぶやく
  これでは世も末だと 悲しくつぶやく

トロイカ Тройка

トロイカ Тройка

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■ 一般に知られている歌詞 (訳詞:楽団カチューシャ)


1. 雪の白樺並木 夕日が映える 走れトロイカ ほがらかに  鈴の音高く

2. 響け若人の歌 高鳴れバイヤン 走れトロイカ かろやかに 粉雪蹴って

3. 黒い瞳が待つよ あの森越せば 走れトロイカ 今宵は 楽しい宴


 
   原作は、金持ちに恋人を奪われた若い御者の悲しみを歌った哀切な歌である。一般に知られている日本語詞は、明るい歌詞となっているが、この曲に最初に日本語の訳詞を付けたハバロフスク地区の日本人捕虜による楽団「カチューシャ」が間違えてブラーホフ作曲のトロイカを訳したため、日本ではこのような歌詞が定着した。  

モスクワのカチューシャ / グム百貨店

モスクワのカチューシャ / グム百貨店

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カチューシャ Катюша
 
 
   「カチューシャ」は1938年ワレンチナ・バチシェワによってヴィクトル・クヌシェヴィツキー率いるジャズ・オーケストラとの共演で初演され、好評を博したロシア歌曲である。兵役に出て行った恋人を想う少女カチューシャの切ない思いを歌う。日本でもロシア民謡を代表する一曲として広く親しまれている。  
   「カチューシャ」( Katyusha )は、エカテリーナEkaterina)の縮小辞で、「エカテリーナちゃん」、「可愛いお嬢さん」という意味がある。  
 
Катюша

 カチューシャ  (訳詩)

Расцветали яблони и груши,
Поплыли туманы над рекой;
Выходила на берег Катюша,
На высокий берег, на крутой.

Выходила, песню заводила
Про степного, сизого орла,
Про того, которого любила,
Про того, чьи письма берегла.
咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に


カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙
Ой, ты песня, песенка девичья,
Ты лети за ясным солнцем вслед,
И бойцу на дальнем пограничье
От Катюши передай привет.

Пусть он вспомнит девушку простую,
Пусть услышит, как она поёт,
Пусть он землю бережёт родную,
А любовь Катюша сбережёт.
おお 歌よ 乙女の歌よ
太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ
遠い国境の若き兵士の元へ
カチューシャの想いを届けるのだ


彼は思い起こすか 純真な乙女を
彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を
彼は愛すべき祖国の地を守り抜き
カチューシャは愛を強く守り抜く
Расцветали яблони и груши,
Поплыли туманы над рекой;
Выходила на берег Катюша,
На высокий берег, на крутой.
咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に

 
   「カチューシャ」は1941年6月に独ソ戦(ロシアでは大祖国戦争)が始まると、戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌として定着した。替え歌も多く生まれ、「女性兵士カチューシャ」や「看護兵カチューシャ」など、亜種が多様に歌われるようになった。当時赤軍によって使用されたロケット砲がカチューシャの愛称で呼ばれるようになったのも、この歌の流行による影響だといわれる。  
   戦後になると、国民が団結した戦時下に流行した誰もが知っている歌として、共産主義を褒め称えるという政治的な意味合いを付加されて歌われるようになった。モスクワの鉄道各駅の発車メロディーにも採用された。  
   日本では、戦後になっていわゆるロシア民謡を代表する一曲として「ともしび」などとともにうたごえ運動の中で広く歌われた。1959年の第10回NHK紅白歌合戦では、初出場の森繁久彌がこの歌を歌った。現在日本で一般に知られている日本語詞は関鑑子らによる訳詞である。  

        ■ 九日目/7月1日(土):サンクトペテルブルク空港 13:45 〜SU842便 〜モスクワ SU575便  ■

 

        ■ 十日目/7月2日(日):〜10:00 成田国際空港(解散)

 

★☆★彡

 
 7月1日11時30分、ホテルを出発し、空港へ。13時45分発のエロフロート・ロシア航空SU842便でサンクトペテルブルクを離れ1時間45分の空の旅ののちモスクワ・シェレメーチエヴォ空港へ。19:20 SU575便でモスクワを出発し、機中泊ののち、翌7月2日朝10:00、成田国際空港に無事帰国した。

【編集子が選ぶ名作】

リザパラジェーニヤ教会の美しいクーポル(クレムリン)

リザパラジェーニヤ教会の美しいクーポル(クレムリン)

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  夏空やクレムリンの葱坊主 北舟 

なつぞらや くれむりんの ねぎぼうず

The summer sky, onion heads of Kremlin.

クスコの松井さん

拡大写真(1400x1200)338KB
 
 
撮影 ・ 原作 : 
 

松井公代まつい きみよ

 
住居:愛知県刈谷市

現在の楽しみ:旅行・60の手習いで始めたパソコン・
         お友達とのちょっと贅沢なランチ

あとがき

 和田様が取材予定されていた夏祭りが中止となり、楽しみになされていたお祭りファンの方々は、がっかりされていることと思います。
 
 取り上げていただいた“ロシア旅行”は2006年6月に参りましたので、些か 記憶もうすれてきましたが、絢爛豪華なエカテリーナ宮殿や水の宮殿ピョートル大帝の夏の離宮、エルミタージュ美術館などなど、ロシア ロマノフ王朝の栄華の都サンクトペテルブルグは感動でした。
 
 白夜の季節でしたので、夜遅くまでネフスキー大通りは人であふれ、若いお嬢さんたちは美人ぞろいで、、、楽しい街歩きでした。
 
 すぐあと7月初め サンクトペテルブルグで開催されるサミットに備えて、空港には銃を持った兵隊さんがいっぱいで、びっくりしたことを思い出しました。(日本からは小泉首相が出席されました。)
 
 その後5年間、日本は総理大臣が次々変わり、大震災に見まわれ、先の見えない不安な状態に覆われていますが、早く 苦難の中にも明るさが感じられるようになってほしいものと 願うばかりです。 2011.6.10

★☆★彡

感動写真集 第161集 / 特集!旅紀行 第104集 「ロシア初夏の旅」

撮影・原作: 松井公代    監修: 和田義男

 平成23年(2011)6月10日 作品:第17作  画像:(大139+小40) 頁数:8 ファイル数:416 ファイル容量:132.5MB
  平成12年(2000)〜平成23年(2011) 作品数:406 頁数:1,580 ファイル数:66,581 ファイル容量:10,513MB
  夏の空パステルブルーの御殿かな 北舟 

なつのそら ぱすてるぶるーの ごてんかな

The palace of pastel blue, under the summer sky.

【編集子が選ぶ名作】

エカテリーナ宮殿と庭園/サンクトペテルブルク

エカテリーナ宮殿と庭園

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初夏の美しい 「ロシア」に乾杯!
 
 本日感動写真集同人の松井公代さんの第8作となる「ロシア初夏の旅」が完成した。今回はロシアの誇る世界文化遺産を巡る贅沢な旅で編集にも熱が入り松井さんの名ショットのお陰で、8頁179枚という感動巨編となりロシアの旅の決定版といえる作品に仕上がった。
 ロシアといえば、ソルジェニーツィンの「収容所群島」のように、ソ連邦時代の寒くて暗い国というイメージを持つ人が多いと思うが、実際に行ってみると、カラフルなクーポルで美しく彩られた聖堂や綺麗なパステルカラーの建物が沢山あり、街行く人々の表情も明るく、豊かな感性と文化に溢れた明るい国であることがわかる。
 また、世界遺産を見ようとすると、どうしても寺院や宮殿など、建物ばかりになって、うんざりして
和田義男
くるが、街角でロシア美人のカチューシャや子供たちの姿を切り取ってくることを忘れない松井さんのお陰で、話題の豊富で、多彩な作品にになったのが嬉しい。
  ロシアという大国を扱う大きなテーマのため、波乱に富んだ歴史と音楽やバレーなどの素晴らしい芸術に出会うたびに解説を加えるという作業を余儀なくされたため、「解説は2〜3行」という方針では、説明仕切れなくなり、長くなってしまったところもあるので、興味のないところは読み飛ばして頂きたい。
 この作品の全文をじっくり読んで高精細画像の隅々までゆっくりと鑑賞するなら、何時間もかかるだろう。時間がたっぷりあるときに、ごゆるりとご覧頂ければ有り難い。飽きが来ないよう、解説には万全を期したので、半月に及ぶ編集作業が必要だった。途中からは、楽しみながら作業を進めることができ、今は達成感で一杯である。今宵は愛するスコッチ・グレンフィディックで乾杯しよう。 オーチン・ハラショー。 スパシーバ。  ザ・ズダロービイェ
         Очень хорошо0
. Спасибо. За здоровье!  /  Very good. Thank you. Toast to your health!
  夏空に尖塔聳ゆヤーチャイカ 北舟 

なつぞらに せんとうそびゆ やーちゃいか

A steeple rising into the summer sky, I am a sea gull.

【編集子が選ぶ名作】

ネヴァ川から望むペトロパヴロフスク要塞/サンクトペテルブルク

ネヴァ川から望むペトロパヴロフスク要塞

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「ロシア民謡」に乾杯!
 
 今回BGMには特に力を入れた。全8頁にトータル24曲を流している。そのうち、最初の3頁にロシア音楽の巨匠チャイコフスキーのクラシック音楽9曲を載せ残る5頁にロシア民謡15曲を掲載しているそして各頁の末尾には、その頁に流れる歌曲の解説を加えた。8頁24曲の解説を書くだけで、日曜の丸一日を費やした。
 
 ソ連との冷戦時代を長く経験した我々団塊の世代は、「ロシアは近くて遠い国」というイメージが強かったが、BGMにロシアのフォークソングを使おうと探してみると、日本ではロシア民謡というジャンルがあり、とてもすてきな曲が多く、小学校から聞き覚えた歌が沢山あることに気付いた。
 そしてまた、ロシア語の歌は、無伴奏の合唱が殆どであることを知った。これは、ロシア正教が楽器を使わずに、いわゆるアカペラで賛美歌を歌う習慣があるためであった。そのハーモニーの素晴らしさと、地底からわき起こるような澄んだ美しい肉声の何と素晴らしいことだろうか。
 この作品に流れるロシア民謡のアカペラ曲は、ロシア国立室内合唱団とアレクサンドロフ赤軍合唱団による歌曲である。前者の指揮者は、戦後世代のワレリー・ポリャンスキーで、モスクワ音楽院の出身で、現在、ロシアで最も評価の高い合唱指揮者であるという。また、後者のレパートリーは約2000曲、ロシアを中心に古今東西の作曲家の作品や民謡、民俗舞踊などを得意としている。これまでに40ヵ国以上の国々で公演を行い、絶賛を博しているという。
  ロシア人の諺に 「明日できることは、今日するな」というのがあり、ロシア人の性格とお国柄をよく表しているが、歌に関して調べてみると、「おとぎ話はつくりもの、歌はほんもの」、「心中するのはばかげている。だが歌とならばかまわない。」というのがあった。歌好き、踊り好きのロシア人の特性を良くあらわしている。
 いわゆる日本でいうロシア民謡(ロシアの伝統的歌曲)が世界の歌の宝庫のひとつであるといわれているのは、独創性があるからで、イタリアなどの民謡が独唱的で高い美声を聞かせるように作られているのに対し、ロシア民謡は、合唱的であり低音のバスが重要な役割を担っていることに特徴があるという。ロマと呼ばれるジプシーなどの少数民族の独特の歌い回しが溶け込んでロシア民謡に彩りを添えていることも指摘されている。
 音楽は政治に関係なく国境を越え美しい曲は本当に美しく感動的である無垢な子供のときに耳にしたロシア民謡が未だにヴィヴィッドに蘇るのはロシア民謡の素晴らしさと音楽の普遍性からきているからだろう今回は日本語訳を調べ原詩の内容を理解することができるようにした日本語訳と原詩とが乖離(かいり)している曲もあって面白かった。 ロシア民謡は、これからも多くの人々の琴線に響き渡るに違いない。〈 完 〉
                                                   2011.06.10 監修 和田義男
   ピョートルの噴水今に夏離宮  北舟 

ぴょーとるの ふんすいいまに なつりきゅう

The Summer Imperial Villa, Pyotr's fountains even now.

【編集子が選ぶ名作】

ピョートル大帝「夏の宮殿」前の大滝と20mの噴水 / 下の公園

ピョートル大帝「夏の宮殿」前の大滝と20mの噴水 / 下の公園

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