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  Wa☆Daフォトギャラリー 特集!旅紀行Q

2007年11月14日改訂

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♪エパパ ♪タラキヒ(イナゴ) / マオリの歌 キリ・テ・カナワ

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風光る間欠泉のハカダンス  北舟

2007年11月13日作成

テ・プイアのポフツ(間欠泉)

テ・プイアのポフツ(間欠泉)(ニュージーランド北島)

 ニュージー早春の旅

ニュージーランド国旗

テプイア

 
テ・プイア Te Puia
 
 テ・プイアは、1963年にマオリ文化の伝承を目的に創設された総合観光施設で、ロトルアのファカレワレワ地熱保護区 Whakarewarewa Thermal Reserve にある。マオリのテーマ・パークであるが、マオリ工芸学校も併設されている。  

テ・プイア入口の彫刻

テ・プイア入口の彫刻

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マオリ Mãori
 
 マオリは、イギリス人が入植する前にアオテアロア(ニュージーランド)に先住していた人々で、千年ほど前にポリネシアからカヌーで渡ってきたといわれる。マオリとは、マオリ語で人間という意味で、それぞれの集落や身分によって異なる入れ墨を顔面や全身に施していた。  
   アオテアロアとは「白く長い雲がたなびく地」という意味で、最初にこの地を発見した伝説上の航海者クペの妻がこの島々を指して云った言葉とされ、「ニュージーランド」と並ぶ正式な国名となっている。  

かつてのマオリの装束

かつてのマオリの装束

資料
 考古学的にはタヒチが起源とされ、9世紀から10世紀頃までにアオテアロアに移住し、狩猟採集生活を送った。神話では、伝説的な航海者クペが「ハワイキ」から来航し、再びハワイキに戻って人々にアオテアロアの存在を教えたとされている。  

マントの貴婦人

マントの貴婦人

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 この「ハワイキ」はハワイの語源ともなっており、ポリネシア各地の土俗信仰に共通の「とこしえの地」を指す言葉である。その後、「大艦隊」と呼ばれる7隻の航海カヌー waka に分乗した人々が来航したとされる。  
 現在でもマオリの人々は、自分の家系が「大艦隊」のどの航海カヌーに乗って来たかを重視しており、一種の社会集団を形成しているという。

御世話になった丁髷のガイド

御世話になった丁髷のガイド

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 1840年、イギリス政府とマオリ諸部族との代表者がワイタンギ条約を締結し、マオリは主権をイギリスに譲渡した。現在は白人との混血が進み、1/8の血筋までマオリとして保護されている。  

煮え立つマッド・プール

煮え立つマッド・プール

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ンガモカイアココ・マッド・プール Ngamokaiakoko Mud Pool
 
 地熱地帯を象徴するマッド・プールは、日本の温泉地では地獄といわれる場所で、泥がブクブクと音を立てて煮立っている。温泉特有の硫黄臭が漂う。  

小さな泥の噴出口

小さな泥の噴出口

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マヌカ Manuka
 
 ニュージーランド特産のマヌカ・ハニーで有名なマヌカの花が咲いていた。マヌカは、ニュージーランドに広く原生するティー・ツリー tea tree で、古くからマオリたちは、高い抗菌力を持つ葉や樹皮を万能薬とし、花と葉をマヌカ茶として愛飲してきたという。マヌカ・ハニーの抗菌活性効果は科学的に実証されており、知る人ぞ知る人気商品となっている。  

マヌカの花

マヌカの花

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ポフツ・ガイザー(間欠泉) Pohutu Geyser
 
 ファカレワレワ地熱保護区のポフツ・ガイザーは、一日に10回以上も熱湯を吹き上げる間欠泉である。最高で30mも吹き上がるというから迫力満点で、木道から観察できるようになっている。  

間欠泉のそばを通る木道

間欠泉のそばを通る木道

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テ・プイアのポフツ・ガイザー(間欠泉)

テ・プイアのポフツ・ガイザー(間欠泉)

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  風光る間欠泉のハカダンス  北舟 

かぜひかる かんけつせんの はかだんす

The wind shining brightly, The geyser dancing Haka.

迫力の間欠泉

迫力の間欠泉

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キウィ・バード Kiwi Bird
 
 飛べない鳥・キウィ・バードを見せる小屋があった。ニワトリくらいの大きさで、翼は退化して小指の先ぐらいしかない。同程度の体格を持つ他の鳥類に比べてたくましい脚を持ち、速く走ることができる。天敵がいなかったため、ネコやネズミなどの移入動物の影響で個体数は減少傾向にあり、絶滅の危機に瀕している。  
 夜行性で、視力が弱く、昼間は樹の洞などに隠れている。夜、餌を求めて歩き回る。活動時間は4時間ほど。くちばしの尖端にある鼻孔とセンサーのヒゲを用い、鋭敏な嗅覚によって餌を探す。地面にくちばしを差し込んで地中にいるミミズや昆虫の幼虫、果実などを探し、食べている。

キウィ・バード小屋

キウィ・バード小屋

 日本では、キウィ・バードもキウィ・フルーツもキウィと呼ぶが、ニュージーランドでは、キウィというとニュージーランド人を指すので、注意する必要がある。「今朝、キウィを食べたよ」というと、人を食ったのかとキウィたちは驚くので、キウィ・フルーツを食べたと云わないといけない。  
 ちなみに、ニュージーランド特産のキウィ・フルーツは、元は中国原産の果物で、最初はチャイナ・フルーツといって売り出したが、チャイナというと天安門事件などの負のイメージがあるために売れなかったため、ニュージーランド・ブランドを表すキウィ・フルーツとして出荷したところ飛ぶように売れるようになったという。現在、キウィ・フルーツの栽培量は、イタリアに次いで世界第2位という。

餌をついばむキウィ・バード

餌をついばむキウィ・バード

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資料

 
集会所 Marae
 
 マラエと呼ばれる集会所は、マオリの地域社会の交流の場であり、冠婚葬祭が執り行われる神聖な場である。  

マオリの集会所マラエ

マオリの集会所マラエ

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マオリ工芸学校  New Zealand Maori Arts & Crafts Institute
 
 テ・プイアの一角にマオリの伝統工芸を伝える工芸学校があった。正式には「ニュージーランド・マオリ美術工芸学校」という。実習生たちが熱心に木彫りに打ち込んでいたが、マオリの血が1/8以上でないと入学できない。それ以上薄まるとマオリとしての保護が受けられなくなるという。  

マオリ工芸学校の実習

マオリ工芸学校の実習

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カヌー Waka
 マオリ工芸学校の前に、長大な航海カヌーが展示されていた。アウトリガーが付いていないので、一見不安定に見えるが、これがマオリ流のカヌーなのだろう。船首尾や舷側には、ハワイをはじめポリネシアに共通する浮彫やマオリ独特の文様が彫り込まれていた。  

マオリのカヌー

マオリのカヌー

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