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Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2009年2月2日改訂

今 日

昨 日

LARGO (Ombra MAi Fu ) /Händel ラルゴ

 

夏の川三角屋根の船着場   北舟

 

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A summer river, piers by the side of triangular roofs.

2009年2月1日制作

美しいトラヴェ川の船着場

美しいトラヴェ川の船着場(ドイツ・リューベック)

世界文化遺産

東北ドイツの旅・下

ドイツ国旗

ハンブルク

ハンブルク Hamburg
 175万人が住むハンブルクは、ヨーロッパでも一、二の荷揚げ量を誇るドイツ最大の港町として知られる。ブレーメンと同様、中世以来の自由都市としての地位を現代まで維持しており、ベルリン特別市に次ぐドイツ第二の都市である。ハンブルグと慣例的に表記されることもあるがドイツ語では語尾の"g"は濁らないため、正確な発音はハンブルクである。

ハンブルクの聖ミヒャエル教会の搭

ハンブルクの聖ミヒャエル教会の搭

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聖ミヒャエル教会 St. Michaeliskirche
 聖ミヒャエル教会は、ハンブルク港からひときわよく見える緑色の塔を持つバロック様式の教会である。塔の高さは132mあり、82mの高さに展望台があり、エレベーターで上がることができる。聖ミヒャエルは死者を天国へ運ぶキリスト教の大天使ミカエルのことで、塔には悪魔を倒した聖ミヒャエルの銅像がある。

悪魔を倒した聖ミヒャエルの像

悪魔を倒した聖ミヒャエルの像

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聖ミヒャエル教会の展望台からの眺めは素晴らしく、ハンブルク港やアルスター湖が手に取るように見渡せる。

聖ミヒャエル教会の尖塔から見たハンブルクの町並み(東北東方向)

聖ミヒャエル教会の尖塔から見たハンブルクの町並み(東北東方向)

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 ハンブルクは、6世紀にはエルベ川河口に港湾都市として存在しており、バイキングの襲来を受けた。 808年カール大帝によって前哨基地ハンマブルクの城塞が築かれ、811年にはキリスト教の布教を推進する目的で、砦の近くに大聖堂を建設し、ハンブルクとしての基礎が整えられた。

眼下の美しいマンション群

眼下の美しいマンション群

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   この大聖堂はまもなく北ヨーロッパのキリスト教文化の中心となったが、しばしば敵対する民族に攻撃された。
834年には大司教座がおかれたが、北方民族の略奪をうけたため、大司教座は848年にブレーメンに移された。
 

ドイツ最大のハンブルク港

ドイツ最大のハンブルク港

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 ハンブルクは1189年には神聖ローマ帝国のフリードリヒ I 世から船舶航行の特許状を受け、商業上の特権が認められた。 また、関税特権、経済特権を獲得したことで交易都市として発展し、1241年にリューベックと、1249年にブレーメンと防衛同盟を結んだ。

 これはやがてハンザ同盟の成立へとつながり、1410年、1510年、1618年の三度、神聖ローマ皇帝から自由都市の特権を与えられ、自治権を獲得維持して繁栄を続けた。

エルベ川の両岸に広がるハンブルク港

エルベ川の両岸に広がるハンブルク港

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 1529年には宗教改革をうけいれ、ルター派やカルバン派、ユダヤ人の避難場所となった。三十年戦争ではハンブルクの商業は大きな打撃を受けた。1783年にアメリカと通商関係を結んだことで短期間の再興をみたが、その繁栄もナポレオン戦争で終わりをつげ、1810年にはナポレオン I 世の軍隊に占領された。

 ナポレオンが没落すると、再び自由都市となり、1815年にドイツ連邦に加盟した。1842年に4日間にわたる大火で被害をうけ、1892年にはコレラの流行で8,605人もの死者を出し、第二次世界大戦の空襲で壊滅的な破壊を受けたが、そのたびに復興してきた。そのため、ドイツの中では古い建物が比較的少ない都市となった。

1890〜1900年のハンブルク

1890〜1900年のハンブルク

拡大写真(1600x1150)293KB 写真:フリー百科事典 Wikipedia 

リューベック Lübeck
 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州に属するリューベックは、人口21万人を擁し、バルト海に面する北ドイツの代表都市で、13〜14世紀のハンザ同盟が栄えた頃、その盟主として殷賑(いんしん)を極めた。1987年に「リューベックのハンザ同盟都市」としてユネスコの世界遺産に登録された。

リューベックのホルステン門/世界遺産

リューベックのホルステン門/世界遺産

拡大写真(1800x1250)443KB

ホルステン門 Holstentor
 1469年から1477年にかけて造られたホルステン門は、リューベック旧市街の入口にあり、リューベックの象徴となっている。北ドイツ特有の煉瓦造りで、門の両端に立つ塔は現在は博物館として利用されており、17世紀当初の都市の姿を再現した模型などが展示されている。しかし、レンガの重みに耐え切れずに建物の一部が陥没し、塔が傾いている。

近くに立つと巨大さが実感できる

近くに立つと巨大さが実感できる

拡大写真(1600x1200)359KB

 ホルステン門の中央にはラテン語で CONCORDIA DOM I FORIS PAX (内に結束、外に平和を)という文字が掲げられている。ユーロ導入以前の旧50ドイツマルク紙幣の図柄に採用されていた。

黒煉瓦を多用したリューベック市庁舎

黒煉瓦を多用したリューベック市庁舎

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マリエン教会 Marienkirche
 リューベックのマリエン教会は、1250年から1350年にかけて建造されたゴシック様式の巨大な教会で、バルト海沿いの都市には、この教会を手本に建てられた教会が数多くある。また、8,512本のパイプを持つ世界最大級のパイプオルガンがあることでも知られる。

巨大なマリエン教会

巨大なマリエン教会

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 かつてバッハは、この教会のオルガニスト・ブクステフーデの演奏するオルガンの音色に感激して、無断で休暇を延ばしてこの教会に通ったという。
 第二次世界大戦では、1941年のイギリス軍の空襲で破壊され、戦後復元されたが、二本の塔の真下には、平和への願いを込めて、戦災で割れたままの鐘がそのまま残されている。

マリエン教会の内部

マリエン教会の内部

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  夏の川三角屋根の船着場  北舟 

なつのかわ さんかくやねの ふなつきば

A summer river, piers by the side of triangular roofs.

美しいトラヴェ川の船着場

美しいトラヴェ川の船着場

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撮影・原作:小池淳二 (こいけ じゅんじ)

住居:兵庫県明石市

昭和11年(1936)生まれ

趣味:音楽鑑賞 旅行 ウォーキングなどの運動

感動写真集第114集/特集!旅紀行第81集 「東北ドイツの旅・下」

 平成21年(2009)2月1日 作品:第6作 画像:(大61+小4) 頁数:5 ファイル数:139 ファイル容量:32MB
 平成12年(2000)〜平成21年(2009) 作品数:315 頁数:1,154 ファイル数:38,783 ファイル容量:6,211MB

あとがき

 ポツダム、ドレスデン、マイセン、ライプティッヒ、クベトリンブルクの旧東独の町々の美しさは、ゴスラー、ヒルデスハイム、ハノーファー、ブレーメン、ハンブルク、リューベックの西側の町にひけをとらず、毎日が予想外の夏日で晴天という満足の旅でした。
 
 たまたま和田フォトギャラリーの和田さんの南ドイツの旅と同時期になり、写真集の編集では、また和田さんに迷惑をおかけしました。この拙作が読者の方々のドイツ理解に多少なりとも役立てば幸甚です。

★☆★彡

旅を三度楽しむ

 旅をする度に思うことですが、事前に準備をして出発日を待ちわびていても終るのはアッと言う間です。それでも私にはまだ楽しみの続きがあるのです。以前に和田フォトギャラリーで「ネパール感動の旅」をアップしていただいた時に、「私は、現地で使いそうな簡単な言葉を手持ちの手帳にカタカナでメモしておき、ちょっとでも現地の人と交流するように心がけている。」と書きました。そうすることにより、その国の印象が強く残り、楽しみが残るからです。
 
 それ以外にも旅の前には、旅先の国の歴史、風俗、地理、産業、文化などを本で勉強し、土地の音楽を聞いて楽しみます。今回は、歴史などの本以外にトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」や「マリオと魔術師」を読みました。旅先のリューベックがマンの生まれ育った場所だからです。音楽はライプティッヒゆかりの大バッハのオルガン音楽、ハンブルク生まれのブラームスのヴァイオリン・コンチェルト、メンデルスゾーンなどを聞いていきました。これにより旅への期待は大きく膨らみます。
 
 旅を楽しんだあとは、写真の整理です。私のデジタル・カメラ暦は短いのですが、銀塩カメラ時代からもアルバム製作を楽しんでいました。写真の説明や土地の印象などを残すのも楽しみです。バッハの「トッカータとフーガ」などを聴きながらアルバムを見るのも楽しみです。
 
 いつも同行する妻は「お父さんは、旅の楽しみが長くていいわね。」とひやかしますが、旅の記憶も妻の3倍くらいはあるでしょう。和田フォトギャラリーで紹介されるようになって楽しみは更に増加しました。
  緑陰に木組みの家の白きあり  北舟 

りょくいんに きぐみのいえの しろきあり

A timberwork house being white in the shade of trees.

【編集子が選ぶ名作】

緑の中の白い家

緑の中の白い家

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ドイツの旅によせて
 2008年の初夏、偶然にも我々夫婦が南ドイツを旅しているとき、小池ご夫妻も東北ドイツを旅されるという幸運が重なった。そのお陰で、ドイツ編は主な観光地を殆ど網羅し、「南ドイツの旅/上・中・下」と「東北ドイツの旅/上・下」をあわせると27頁・画像424枚という空前の大作となった。
 小池さんのこの作品は、前作の「ネパール感動の旅」に続く大作で、オリンパスの一眼デジを駆使し、素晴らしい光景を多数切り取っておられ、一段と腕を上げておられる。
 特に、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる和田流を実践して頂き、同じ被写体のそばを通る毎に何度も撮影されておられるので、最初は逆光で、「これでは・・・」と思っていても、次に良いものがあり、中にはどれを採用するか迷うものもあった。
和田義男
 ドイツ編を終わって感じたことは、名所旧跡となると、圧倒的に教会が多く、町に入るたびに似たような教会が登場し、しまいにはうんざりしてくる。世界遺産やエピソードのあるものは採用したが、そうでないものは適宜割愛させていただいた。
 小池さんもそれを感じておられ、川や港、子供たちや自転車といった観光対象ではないものにもカメラを向けておられる。それを採用することで、多少なりとも変化をつけることができた。
 ドイツはどこを旅しても旧市街の中心にラットハウス(市庁舎)が建つマルクト広場(市場)があり、清潔な石畳の舗道の両側にカラフルな木組みの美しい家が並んでいる。ドイツ人は科学技術が優秀であるだけでなく、秩序だった美しさを愛する感性にも優れたものがある。
 宮廷や教会、社交界などの活躍の場と貴族や資産家の支援があるお陰で、ベートーベンやバッハといった巨匠と呼ばれる音楽家たちが多数輩出した背景もよく分かった。戦乱に翻弄されながらも逞しく生きてきたドイツ人の歴史と現実に僅かでも触れることが出来たことを嬉しく思う。 〈 完 〉 平成21年(2009)2月1日 和田義男
  千年の薔薇の涼しき大聖堂  北舟 

せんねんの ばらのすずしき だいせいどう

A great church, roses of one thousand years look like cool.

【編集子が選ぶ名作】

聖マリア大聖堂に咲く樹齢千年の薔薇(野バラ)

聖マリア大聖堂に咲く樹齢千年の薔薇(野バラ)

拡大写真(1200x1600)464KB

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