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 旅紀行ジャパン

2003年8月20日改訂
BGM

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高野山金剛峯寺

2002年9月29日制作

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大会堂に合掌

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大会堂(だいえどう)に合掌する僧侶。巨大な建物が威容を誇る。

弘法大師空海 弘法大師、俗に〈お大師さん〉と略称する。平安時代初期の僧で日本真言密教の大成者。真言宗の開祖。讃岐国(香川県)多度郡弘田郷に生まれた。  

 阿波の大滝嶽、土佐の室戸崎で求聞持法を修し、吉野金峰山、伊予の石排山などで修行した。この間の体験によって797年24歳のとき、儒教、仏教、道教の3教の優劣を論じた出身宣言の書《三教指帰(さんごうしいき)》を著した。このころから草聖と称されるようになった。
 804年4月出家得度し、東大寺戒壇院において具足戒を受け空海と号した。同年7月遣唐大使藤原損野麻呂に従って入唐留学に出発、12月長安に到着した。翌805年西明寺に入り、諸寺を歴訪して師を求め、青竜寺の恵果(けいか)に就いて学法し、同年6月同寺東塔院灌頂道場で胎蔵、7月金剛の両部灌頂を、8月には伝法阿闍梨位灌頂を受け遍照金剛の密号を授けられ、正統密教の第8祖となった。師恵果の滅後806年(大同1)8月明州を出発して帰国した。
 816年7月、勅許を得て高野山金剛峯寺を開創した。819年ころから《広付法伝》2巻、《即身成仏義》《声字実相義》《吽字義(うんじぎ)》《文鏡秘府論》6巻、820年《文筆眼心抄》などを著述して、その思想的立場と教理体系を明らかにした。
 835年(承和2)3月21日奥之院に入定。世寿62。857年(天安1)大僧正、864年(貞観6)法印大和尚位を追贈され、921年(延喜21)弘法大師の号が諡(おく)られた。宗教家としてのほかに文学、芸術、学問、社会事業など多方面に活躍し、文化史上の功績は大きく、それに比例して伝説も多い。

壇上伽藍

 金剛峯寺のすぐ西側に奥の院とともに高野山の二大聖地といわれる壇上伽藍(だんじょうがらん)がある。入口には大伽藍と表示されている。
 弘法大師が高野山開創に際し、密教の教義を立体的に表現するため最初に建立が進められた場所である。
 現在は、根本大塔(こんぽんだいとう)、金堂(こんどう)、西塔(さいとう)、東塔(とうとう)、御社(みやしろ)、山王院(さんのういん)、御影堂(みえどう)、准胝堂(じゅんていどう)、孔雀堂、愛染堂(あいぜんどう)、三昧堂(さんまいどう)、大塔の鐘(だいとうのかね)、大会堂(だいえどう)、不動堂、六角経蔵(ろっかくきょうぞう)などが建立されている。
 巨大な木造建造物の集合体のため、度々火災に遭遇。現在の形が完成したのは昭和になってからという。

壇上伽藍入口

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 奥の院は信仰の源泉であるが、壇上伽藍は修学の地である。伽藍とは僧侶が集い修業をする閑静清浄なところという意味で、高野山の大伽藍は、密教教理によってつくられた真言宗を修行する根本道場である。

 合掌して歩く僧侶

合掌して歩く僧侶

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 若い僧侶が一人、お堂を一つ一つ礼拝しながら巡り歩いていた。移動途中も合掌している。檀上伽藍が厳しい修行の場であることは、昔も今も変わらない。
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金堂

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御影堂

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金 堂

 高野山一山の総本堂である金堂(こんどう)は伽藍の中央にあり、弘仁10年(819)に創建された。現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932)に完成した平安様式の古風な入母屋造りである。
 本尊は高村光雲作の薬師如来、内部の壁画は木村武山画伯の筆による。主な法会(ほうえ)はここで行われる。

御影堂

 御影堂(みえどう)は、弘法大師の持仏堂、年誦堂とされる建物で、現在のお堂は弘化4年(1847)紀州徳川公が壇主として再建したもの。
 真如親王の筆による大師の御影が安置されてから、御影堂と呼ばれるようになった。堂内外陣には十大弟子の肖像が大師の御影を守護するように掲げられている。

達 筆

達筆

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 金堂の前で作務衣に身を包んだ若い僧が立て看板に字を書いていた。真言宗の僧侶は弘法大師を師と仰ぐだけあってなかなかの達筆だ。
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根本大塔

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大日如来像

大日如来像

資料

読経

根本大塔

 根本大塔(こんぽんだいとう)は世界で初めて建設された木造多宝塔であり、数度の焼失にもかかわらず再建が繰り返されてきた。
 高さ48.5mの現在の塔は、昭和11年(1936年)の造営で、鉄筋コンクリート造りとなっている。
 真言密教の象徴として建立されたことがその名の由来である根本大塔は、内部に胎蔵界大日如来像と金剛界四仏が並び、壁面は堂本印象(どうもといんしょう)による極彩色の仏画が描かれ、密教思想を表現した立体曼陀羅の世界が広がり、高野山のシンボルとなっている。 
 また、阿弥陀三尊像は、国宝に指定されている。

国宝・阿弥陀三尊像

拡大図

資料

国宝・不動堂

国宝・不動堂

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 建造物で高野山現存最古となる国宝・不動堂は、13世紀に創建された一心院の本堂であったもので、国内でも貴重な平安貴族の寝殿風の建築である。屋根の勾配のゆるい桧皮葺(ひわだぶき)である。
 地味な建物であるためか、観光パンフレットの主な見所に入っていないので、見落とし勝ちである。

国宝・八大童子立像

 不動堂には、不動明王に仕える八体の童子たちの像が収められている。国宝の八大童子立像(はちだいどうじりつぞう)である。
 最も傑作とされているのが運慶作と伝えられる制多迦童子(せいたかどうじ)である。また、恵光童子(えこうどうじ)は快慶作と伝える。いずれも仏教美術史上特に有名な作品である。
八大童子立像 制多迦童子 恵光童子
八大童子立像
制多迦童子
恵光童子

資料

西 塔 東 塔 六角経蔵
西塔 東塔 六角経蔵

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西 塔 西塔は大伽藍境内の西北の隅に位置し、仁和2年(886)大師が書いた御図記に基づいて建立された多宝塔で、現在の建物は天保5年(1834)に再建されたもの。高さは27m。本尊は重要文化財の金剛界大日如来で創建当時のものとされており、胎蔵界の四仏とともに塔内に奉安されている。 西塔
東 塔 白河法皇の御願により大治2年(1127)に落慶した。江戸時代の再建の塔が、天保14年(1843)に焼失後、140年を経て昭和58年(1983)に現在の塔が再建された。
六角経蔵 美福門院(鳥羽上皇の皇后)寄進の一切経を収めるために平治元年(1159)に建てられたが、昭和の初めに焼失し、その後再建したもので、まだ新しい。現在一切経は霊宝館に移されている。一切経は大蔵経ともいい、仏教聖典を総集したもの。
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善女竜王社

 蓮池の丸い島に社(やしろ)がある。島の向こう側に橋が架かる。

善女竜王社

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和田義男

《 撮影 2002年9月21・22日 》
 
オリンパス CAMEDIA E-20 500万画素 720枚  900MB
テレ&ワイド・エクステンションレンズ使用

蓮 池

 国宝不動堂のすぐ下に蓮池がある。池の中に善女龍王(ぜんにょりゅうおう)が祀られている。善女龍王は天竺(インド)の山奥に住み、雨を降らす竜の化身だという。弘法大師は、干ばつで皆が苦しんでいるときに7日間祈祷し続けて善女龍王を呼び、3日3晩雨を降らせたという。

一休さん?

6時間余の巡礼の後、金剛峯寺近くの歩道で居眠りをしている小僧さんに見送られて、高野山を後にした。

 実は、この写真は2日間に渡って撮影したものだ。初日は晴天で強烈な日差しのため、昼なお暗い森の中では日差しの部分が白飛びになってしまったり、国宝を写していなかったりと、回復できないミスがあったため、曇天の翌日、もう一度同じコースを歩いた。お陰で高野山についてより詳しく知ることができ、曇り空の柔らかい光のお陰で良い写真が撮れた。
 弘法大師空海の真言密教の世界を自分なりに切り取ってみたいと思い立ち、3連休を利用して高野山に行った。事前準備として、司馬遼太郎の「空海の風景」(中公文庫 上下2巻)を読んでいたので、予備知識は十分にあった。また、インターネットでどういうコースを辿ればいいのかも調べ、奥の院から逆コースを辿るのが最善と知った。この旅行記もその順番に取りまとめている。
 しかし、真言密教の教義は余りにも難しく、大勢のお遍路さんとともに大師信仰の方に力点が行ってしまったように思う。1200年前とまったく変わることなく生き続ける仏教文化の奥深さや、千年杉の下を歩く人間の小さな存在を思うとき、人の一生や生き方について考えさせられる旅であった。(完)
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