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 旅紀行ジャパン

2003年8月20日改訂
BGM

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高野山金剛峯寺

2002年9月29日制作

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苅萱堂

苅萱堂

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 一の橋から300m西にある刈萱堂(かりかやどう)は、刈萱道心(かりかやどうしん)と石童丸(いしどうまる)の伝説ゆかりのお堂だ。
 今から800年余の昔、14歳の石童丸は出家した父の苅萱道心を慕って母千里(ちさと)とともに高野山への旅に出た。学文路(かむろ)の宿に母を残した石童丸は、まだ見ぬ父と御廟橋で出会うが、出家した父は生国と名前を聞き、「その道心は亡くなった」と親子の名乗りをせずに追い返した。
 泣く泣く山を下りた石童丸を待っていたのは母千里の死。石童丸は野辺の送りを済ませ、再び高野山をめざして出家した。親子は生涯名乗りあうこともなく、石童丸は苅萱堂で寂しくこの世を去ったという。
 この哀話は「石童丸物語」として高野聖により全国津々浦々に語られ、浄瑠璃にもなって、人々の涙をさそう国民的ロマンとなった。

 堂内にはこの物語を絵にした額がいくつも掛けられており、物語にまつわる親子地蔵と千里の墓が祀られている。 石童丸物語

一の橋

一の橋

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 御廟を後に、奥の院参道を引き返し、入口の一の橋から車道に戻った。一の橋は泉鏡花の高野聖(こうやひじり)で名高い。

法衣店

 歩道を西に向かって歩いていると、すぐ近くに法衣(ほうえ 僧侶の衣装)を販売する店があった。宗教都市・高野山にふさわしい光景だ。

法衣店

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 陳列棚に作務衣(さむえ)などが展示されており、珍しかったので中に入ってみた。真言宗に必要な装束を取りそろえており、水行用の越中褌(えっちゅうふんどし)まであり、1本380円で売られていた。
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金剛峯寺

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 金剛峯寺と観光パンフレットに書かれている建物は、金剛峯寺主殿や奥殿を指し、総本山金剛峯寺寺務所と高野山真言宗宗務所を兼務している。いわば真言宗総本山のオフィス・ビルが金剛峯寺である。

 更に西進し、高野町の中心街・先手院橋(せんじゅいんばし)付近の食堂で昼食に精進料理を食べたあと、金剛峯寺に行った。

金剛峯寺

 高野山内117の寺院の本坊であり、日本全国真言宗4,000寺、信徒1,000万人の総本山が金剛峯寺(こんごうぶじ)である。
 弘法大師が高野山を開創した当時は高野山全域を金剛峯寺と呼んでいたが、文禄2年(1593)に秀吉が亡母追善のため建立した青巌寺を応基上人の建てた興山寺と併せ、明治初年に金剛峯寺と改称した。以後金剛峯寺という場合は、このお寺を指すことになった。

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金剛峯寺境内

金剛峯寺境内

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 東西約45m南北63.5mに及ぶ主殿は、大玄関を入ると狩野探幽(かのうたんゆう)の襖絵がある。奥には歴代天皇の位牌を祀った持仏堂、左側には豊臣秀次が自刃した柳の間があり、狩野探斎(かのうたんさい)の絵が正面板戸に描かれている。

高野杉

高野杉

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 樹高:57.00m 直径:2.37m 根元周囲:9.00m

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日本一の石庭

日本一の石庭

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 本山貴賓室にあたるのが奥殿で、ヒマラヤの風物を描いた襖絵や二匹の龍を巨石で表した播龍庭(ばんりゅうてい)などがある。

蟠龍庭

蟠龍庭

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 奥殿の前にある蟠龍庭は、500余坪(2340u)に及ぶ我が国最大の石庭である。勅使門より眺めると雲海の中に左に雄龍、右に雌龍を配し、本来一つのものであるという意味の金胎不二(こんたいふに)を表しているという。
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襖 絵

襖絵 A

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資料

襖絵 B

 龍は四国産の青い花崗岩(かこうがん)140個、雲海には京都の白川砂が使われている。
 3連休の初日ではあっても金剛峯寺を訪れる人は疎らで、心ゆくまでじっくりと鑑賞することができる。別世界に来たような安らぎを覚える。

大広間

大広間

 赤い毛氈が敷かれた大広間。ここで無料のお茶が提供される。疲れた身体をしばし休ませることができた。

 多くの部屋には色々な襖絵が描かれ、ひとつひとつ見て回るのも楽しい。高野山は、冬季は降雪に見舞われ、厳寒の地となるだけに、襖絵にあでやかな絵が多いのも頷ける。犬の絵が描かれているのも興味深い。空海が犬に導かれて山上のこの地を見つけたという伝説を表しているようだ。
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霊宝館

 金剛峯寺の南東に、高野山の宝物館ともいうべき霊宝館(れいほうかん)がある。本山はじめ山内の各寺院に伝えられている130件2万点の国宝・重要文化財などを守るために大正10年(1921)に設立された。

霊宝館

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空海直筆の書・聾瞽指帰(国宝)

聾瞽指帰(国宝)

資料

 霊宝館に有名な空海直筆の聾瞽指帰(ろうこしいき)が展示されている。24歳の青年空海が発表した初めての著作で、上下巻あわせて長さ20mにもなる大作である。
 文頭から4行目に、空海本人がモデルとされる仮名乞児(けみょうこつじ)の文字が見える。
 聾瞽指帰は書の芸術としても高く評価されている。
 「弘法筆を選ばず」「弘法も筆の誤り」などの諺があるように、弘法大師空海は書道の天才であった。
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