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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年8月20日改訂

♪甘夏 TAM Music Factory

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2005年8月12日作成

輝きはじめた函館の街

函館山の夜景(北海道函館市)

函館初夏の旅

夜景

  金 森 夜 景 教 会 啄 木 五 稜 聖 母 和田義男
 

高田屋嘉兵衛たかたやかへい

   高田屋嘉兵衛(1769〜1827)は、江戸時代後期の海商で、箱館の町を創った人として知られ、司馬遼太郎の名作「菜の花の沖」の主人公である。私の愛読書「菜の花の沖」全6巻は、金森倉庫街の近くにあるこの資料館で購入したもので、資料館特製のカバーにくるまれて本棚に収まっている。  「高田屋嘉兵衛」フリー百科  

函館高田屋嘉兵衛資料館

函館高田屋嘉兵衛資料館

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函館護国神社

   護国神社は各県に建立され、その県出身の戦死者などを日本国に殉じた英霊として祀っている。東京では靖国神社が護国神社に当たり、A級戦犯が合祀されていることから、総理の参拝などを巡って政治問題化している。
   函館護国神社には、箱館戦争で戦死した薩長官軍の兵士を祀った墓が50基程立ち並び、函館に散在する旧幕府軍の墓と対照的に手厚く葬られている。5月11日が官軍勝利の日として祭日になっており、花見を兼ねた参拝客が訪れる。

函館護国神社

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   函館山の山裾に鎮座する護国神社の静寂な境内からは、街並みや石川啄木が愛した大森浜が眺められる。海の向こうに湯の川温泉のホテル群も見える。参道中央の緑地帯に、護国神社を背にして津軽海峡を見下ろす高田屋嘉兵衛像が建っている。

護国神社からの眺望

護国神社からの眺望

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嘉兵衛の波瀾万丈の生涯

 明和6年(1769)、淡路島・都志本村(つし・ほんむら)(現在の兵庫県津名郡(つなぐん)五色町(ごしきちょう))で百姓の子として生まれた嘉兵衛は、18歳で大阪へ往復する瓦船に乗った。27歳で辰悦丸(しんえつまる)を建造して独立したあと、蝦夷地に新しい可能性を求め、翌年、まだ未開の箱館を本拠地として、本格的に海運業を始めた。

高田屋嘉兵衛像

高田屋嘉兵衛像

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高田屋嘉兵衛の似顔絵
(高田屋嘉兵衛翁記念館/淡路島)

高田屋嘉兵衛の似顔絵

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  商人として、また船乗りとしてその才を認められ、幕府の命を受けた嘉兵衛は、千島方面の航路を開き、択捉島(えとろふとう)や根室(ねむろ)などで多数の漁場を経営し、これが昭和50年代末期まで隆盛を誇った北洋漁業の先駆となった。
 ロシアの南下政策が進められた文化8年(1811)、ゴローニン事件をきっかけとして日露の対立が深まった際、国後島(くなしりとう)沖でディアナ号に捕らえられた嘉兵衛は、カムチャツカに連行され辛酸を舐めるが、獄中より両国を説得。折衝役として事件を解決し、日露関係の悪化を防いだ。
 商人として才があっただけではなく、大変な人格者であり、鎖国時代の日本では希にみる国際人であった。
 この実話は、司馬遼太郎の「菜の花の沖」に詳しい。
 2001年に淡路島を探訪したとき、嘉兵衛の生誕地や墓をめぐり、淡路島紀行に発表した。   淡路島紀行2/2
 

太刀を腰にした海商・高田屋嘉兵衛像

   この銅像は昭和33年(1958)函館出身の彫刻家・梁川剛一の作。ロシアのリコルド艦長と会見する際、刀を帯び、羽二重の羽織、仙台平の袴で正装した嘉兵衛をイメージしたものという。
   右手に松前奉行の文書を握り、左手は正装に着替えた際に脱いだ衣装を持つという。昭和33年、函館開港100年記念に函館山・護国神社への参道(高田屋通り)に建てられた。

(名字帯刀を許された嘉兵衛なのに、この像は二本差しでない点が気になる。また、丁髷が武士のようである。)

太刀を腰にした海商・高田屋嘉兵衛像

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 嘉兵衛は一代で財をなし、50歳のとき、高田屋を弟・金兵衛に任せて、郷里・都志に隠居した。
   嘉兵衛の尽力で北方問題が解決し、幕府直轄領だった蝦夷地が松前藩に戻されると、高田屋はロシアのスパイ容疑をかけられ、事実無根であったが、幕府に協力した高田屋に恨みを持つ松前藩に取り潰されてしまった。  

函館山ロープウェイと展望台

ロープウェイを利用すると、山麓ステーションから僅か3分で山頂(334m)の展望台に着く。  函館山ロープウェイ

函館山ロープウェイと展望台

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函館山の夜景

 昼頃函館空港に到着したときには、函館山に雲がかかっていて、夜景は駄目かと思ったが、その後雲が切れたので、午後9時10分函館駅バスターミナル発のツアーバスで函館山に登った。参加者は5名で、運転手とバスガイド二人による1時間半のツアーは素晴らしかった。
   聞くところによると、6月〜7月は北海道の観光シーズンなのに雨が多く、函館は先の土日に雨が降り、夜景は全く見えなかったということで、超ラッキーだった。

輝きはじめた函館の街

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輝きはじめた函館の街

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  夏きざす函館山の夜景かな   北舟
 

世界三大夜景

 世界三大夜景は色々な説があるが、函館では、函館山の夜景に香港のビクトリアピークからの夜景とナポリの夜景をあわせて世界三大夜景と呼んでいる。この写真を見ればそのとおりだと思うし、少なくとも函館山の夜景が日本一であることは間違いないと思う。

津軽海峡で操業するイカ釣り漁船の幻想的な漁り火

近いものだけでなく、遠くのものもすべて漁り火(いさりび 集魚灯)。強力な灯火で空が明るくなっている。

津軽海峡で操業するイカ釣り漁船の幻想的な漁り火

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 夜景といえば、神戸の六甲山(ろっこうざん)から眺める大阪湾沿岸の「100万ドルの夜景」がよく知られている。神戸に単身赴任していた3年ほど前に六甲山から夜景を見た。100万ドルの夜景は今はインフレで1000万ドルの夜景と呼ばれているが、確かに素晴らしい夜景である。

日本一の函館山の夜景

日本一の函館山の夜景

パノラマ写真(3000x1000)508KB

  見下ろせば街の煌めき夏夕べ   北舟
   しかし、左右の海の中を奥地に延びる立体的な函館市街の夜景と、煌々たる漁り火が津軽海峡に浮かぶ幻想的な夜景とが、360度のパノラマの中に広がる函館山の夜景には、1000万ドルの夜景といえども勝ち目はない。

夕闇に包まれた函館の街

夕闇に包まれた函館の街

パノラマ写真(3600x1050)444KB

  夏の夜珠宝の光海渡る   北舟
   函館の礎(いしずえ)を築いた嘉兵衛。彼がたった3分のケーブルカーで函館山の山頂に立ち、この素晴らしい夜景を前にして何と言うだろうか。これほど立派な都市になるとは夢にも思わなかったことだろう。

夕闇に包まれた函館の街(中心部を再掲)

夕闇に包まれた函館の街(中心部を再掲)

パノラマ写真(3600x1050)444KB

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