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旅紀行ジャパン

2002年6月28日改訂

BGM

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2001年11月13日制作
明石海峡大橋

明石海峡大橋 《世界最長の吊り橋》

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高田屋嘉兵衛旧邸跡

高田屋嘉兵衛旧邸跡

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高田屋嘉兵衛(1769〜1827) 1769年(明和6年)、ここ淡路島・都志(つし)本村(現在の五色町)で百姓の子として生まれた嘉兵衛は、18歳で大阪へ往復する瓦船に乗る。27歳で辰悦丸を建造して独立した嘉兵衛は、蝦夷地に新しい可能性を求めて翌年箱館を本拠地として本格的に海運業を始める。
 商人として、また船乗りとしての才を認められ、幕府の命を受けた嘉兵衛は、千島方面の航路を開き、択捉島や根室などに多数の漁場を経営し、これが昭和50年代末期まで隆盛を誇った北洋漁業の先駆となった。
 ロシアの南下政策が進められた1811年(文化8年)、ゴローニン事件をきっかけとして日露の対立が深まった際、国後島沖でディアナ号に捕らえられた嘉兵衛は、カムチャツカに連行され辛酸を舐めるが、獄中より両国を説得。折衝役として事件を解決し、日露関係の悪化を防いだ。商人として才があっただけではなく、大変な人格者であり、鎖国時代の日本では希にみる国際人であった。
 この物語は、司馬遼太郎の名作「菜の花の沖」に詳しい。全6巻の文庫本は、函館の「高田屋嘉兵衛資料館」で購入し、私の愛読書となっている。

 淡路島で一番行きたかったところ、それが高田屋嘉兵衛生誕の地だ。彼は江戸時代の都志(つし)本村で百姓の子として生まれた。現在も都志(つし)港という漁港があり、昔の地名が生きている。

高田屋嘉兵衛翁記念館

 野島断層の富島(としま)港から西浦海岸を約20kmほど南下すると都志(つし)港に至る。現在は五色町となっているこの地に、司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」の主人公・高田屋嘉兵衛の記念館がある。

嘉兵衛を生んだ五色町

 兵庫県津名郡五色町。淡路島の西側、播磨灘に面した町は、面積58Ku、人口11,500人。1956年(昭和31年)都志、鮎原、広石、鳥飼、境の5町村が合併して誕生した。
 嘉兵衛は、50歳の時、高田屋を弟・金兵衛に任し、郷里に帰り、都志川池井堰や都志港などの築造、都志八幡神社の随身門の建立など、惜しげなく私財を郷里のために使った。
 嘉兵衛の都志の屋敷は、敷地が543坪あり、本屋、裏座敷、西座敷、土蔵、納屋、厩などが建つ豪壮なものであった。現在、屋敷跡は公園として整備され、記念館や記念碑が建てられている。
 晩年の嘉兵衛は、菜の花の咲き乱れる都志の沖を行き交う船を眺めるのが何よりの楽しみだったという。
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高田屋嘉兵衛

高田屋嘉兵衛

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嘉兵衛の墓

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高田屋嘉兵衛公園

 高田屋嘉兵衛翁記念館の山側に、北方領土の開拓、日露民間外交に偉業を残した嘉兵衛を顕彰し、永く後世に語り継ぐための記念公園がある。

 ログハウスや温泉、全天候型多目的広場、オートキャンプ場、洋ラン温室、芝生広場、野外ステージ、テニスコートなど、目いっぱい楽しめる施設が揃っていて、その充実ぶりには驚くばかりだ。時間がある人は、ゆっくりと施設を楽しみながら、嘉兵衛の偉業を振り返ることができる。

嘉兵衛終焉の地

 この公園の片隅に、こんもりとした木々に囲まれて、高田屋の跡を継いだ弟・金兵衛とともに嘉兵衛がひっそりと眠っている。(写真左) 向かって右側が嘉兵衛の墓だ。高さ50p余りの墓石は、偉大な人生を送った嘉兵衛にしては意外に質素だ。
 嘉兵衛は、都志に帰って9年後の1827年(文政10年)4月に病死。遺体は茅生の隈(もよおのくま)に埋葬された。享年59歳。
 墓には長い石材を使った石室が造られていて、甕(かめ)に納められた遺体は、朱に漬けられているという。

函館をつくった嘉兵衛

 函館の護国神社前の大通りのど真ん中に嘉兵衛の大きな像が建っている。函館は、嘉兵衛がつくった町だ。函館市民は、今でも町の創始者を心から尊敬している。大阪の繁栄をもたらした尾張中村出身の太閤秀吉を大阪市民がこよなく愛する気持ちと共通するものがあるからだろう。
 淡路の人々は、郷土から出た偉人としての誇りがある。しかし、彼がやってのけた偉業は全て北海道に凝縮しており、函館に残した足跡は余りにも大きい。私は数年前、函館で2年間住んでいたが、嘉兵衛を尊敬し自慢する函館市民の気持ちは、出身地・淡路の人々に負けていない。
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鳴門海峡に架かる橋

鳴門海峡に架かる橋

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鳴門海峡

 淡路島の門埼と鳴門市の孫埼との間わずか1.3kmしかない鳴門海峡は、瀬戸内海の播磨灘と紀伊水道とを結ぶ海峡だ。別名、大鳴門(おおなると)とも呼ばれる。
 鳴門海峡は、強い潮流に伴い発生するうず潮で名高い。春と秋の大潮の際には、流速が時速20kmになることもあり、豪快な轟音をあげながら大小無数の渦をつくりだすさまは圧巻で、淡路島観光の目玉となっている。
 鳴門海峡の潮流は、イタリアのメッシナ海峡、北アメリカのセーモア海峡と並ぶ世界三大潮流のひとつに数えられている。

大鳴門橋(おおなるときょう)

 大鳴門橋は、鳴門海峡(大鳴門)に架かる橋長1,536m、中央支間長876mの吊り橋で、1985年6月に供用開始された。 
当初、本州四国連絡橋神戸・鳴門ルートは、明石海峡と鳴門海峡を通って関西から四国まで鉄道をひく計画だったため、大鳴門橋は、上部に6車線の自動車専用道路、下部に新幹線規格の鉄道を備えた2階建て構造となる予定だった。
空から見た鳴門海峡
大鳴門橋A 大鳴門橋B 大鳴門橋C 大鳴門橋D

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新幹線が通る予定だった大鳴門橋の下部

新幹線が通る予定だった大鳴門橋の下部

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 しかし、途中で鉄道の建設計画が中止されたため、大鳴門橋は、4車線の自動車専用道路となった。(将来、道路2車線と鉄道が追加できる余地を残している。) 
 橋の徳島側に大鳴門橋架橋記念館がある。潮待ちが必要なときには、見学するのも良い。

渦の道

 鉄道が通る予定だった大鳴門橋の下の部分に、渦の道がある。
 2000年春、徳島県は、この鉄道部分に目をつけ、若干改修するとによって人が通れるようにした。特に一部、床をガラス張りにし、足下に鳴門の渦潮を観察することができるようにした。 
 徳島側にある入り口で入場料500円を支払い、渦の道に入ると、長さ450mにわたって観光遊歩道が続く。鳴門海峡の雄大な長めを堪能しながら、海面上約40mの高さからうず潮を真下に見ることができ、人気スポットとなっている。
 全て徒歩で往復するが、車椅子の貸し出しもあり、お年寄りや足の不自由な人でも気軽に楽しむことができる。
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鳴門のうず潮

資料

渦の道からみた足下のうず潮

渦の道からみた足下のうず潮

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《 撮影 2001年4月末〜6月末 》 

オリンパス CAMEDIA C-3040ZOOM 300万画素

鳴門のうず潮

 鳴門のうず潮は、播磨灘と紀伊水道との潮位の差によって生じる現象で、海水が狭い瀬戸を通過するときに潮流が急になり、岩礁に遮られて大小の渦巻ができる。
 観潮には春と秋、新月か満月に近い頃が適している。大潮と呼ばれる最も潮の強いときには、海面の落差2m、流速10ノット(秒速5m)に達し、うず潮の直径が20mにもなるという。

うず潮の様子

 潮流の最も強い場所は、満ち潮(南から北への流れ)、引き潮(北から南への流れ)を問わず、大鳴門橋の下を通過したあとの下流域である。渦はこの激しい潮流の外側とよどみ水域との境目にできる。潮流に沿って右側には右巻き、左側には左巻きの渦が巻く。
 できた渦は、互いに合体しながら大きくなり、回りながら播磨灘(満ち潮)又は紀伊水道(引き潮)へ流れて消えていく。海底地形の関係などから、大鳴門橋の南の海域に大きなうず潮が多くみられる。

観 潮 船

 時間がたっぷりあり、うず潮を近くから見てみたい人は、観潮船がお薦めだ。最近は屋形船や水中観潮船、咸臨丸タイプの船(写真上)などが運航されており、ランチやディナーつきのクルーズもある。

 淡路島は、橋によって陸続きになった現在、手軽に大自然を味わうことのできる豊かな島だ。新たな出逢いや発見を求めて、是非一度足を運ばれることをお薦めする。(完)
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