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和田義男

 旅紀行ジャパン

2011年3月4日改訂

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2005年9月24日作成

国後島の夜明け

写真提供:羅臼海上保安署巡視船てしお

国後島の夜明け(北海道・羅臼町)
道東初夏の旅

知床旅情

 

はじめに

   2005年7月20日(水)21日(木)と一泊二日の日程で初夏の道東を旅した。初日は羽田から根室中標津(ねむろなかしべつ)空港に入り、知人の車で羅臼町(らうすちょう)に行き、羅臼温泉で一泊。二日目は羅臼から車で釧路まで行き、釧路空港から羽田に戻った。

 

世界自然遺産・ 

知床しれとこ

   2005年7月14日(木)、南アフリカ・ダーバンで開かれた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第29回世界遺産委員会で、北海道・知床(しれとこ)の世界自然遺産への登録が決まった。日本国内の自然遺産は、屋久島(鹿児島県)、白神山地(しらかみさんち)(青森、秋田県)に次いで3番目で、海を含んだ自然遺産は知床が初めてである。

知床半島・羅臼町

冬季、羅臼岳(らうすだけ)から吹き下ろす羅臼颪(らうすおろし)は凄まじいという。この日湿った風が吹き、雲が流れていた。

知床半島・羅臼町

パノラマ写真(2000X768)317KB  羅臼国後展望塔より撮影 2005.07.21 0855

 
知床半島
 北海道の北東端、オホーツク海に北東方向へくさび状に突き出した知床半島は、網走支庁斜里町(しゃりちょう)と根室支庁羅臼町にまたがる。基部の幅約25km、先端の知床岬までの長さ約65km。知床とはアイヌ語のシリエトク(地の果て)からついた名で、秘境というイメージが強い。
   その名のとおり、知床は道内最奥で地形が険しく、冬季の厳しい気象条件から国内で最も開発の及ばない地域で、陸路は東岸で相泊(あいどまり)、西岸で岩尾別(いわおべつ)までしかなく、知床岬には船で行くしかない。

羅臼中心部

羅臼中心部

パノラマ写真(2310X768)334KB  羅臼国後展望塔より撮影

 知床は、火山や海食崖(かいしょくがい)の雄大な景観が保たれ、動植物も多いため、昭和39年(1964)に知床国立公園となった。各火山の山麓に針葉樹のエゾマツ、トドマツ、広葉樹のミズナラ、ダケカンバの原生林がある。標高500〜900m以上はハイマツにおおわれ、シレトコスミレなどの高山植物群落もみられる。
   海食崖にはウミウ、ウミネコ、イワツバメ、オジロワシなどの鳥類が生息する。おもな観光地として、羅臼岳山麓の溶岩台地上に点在する火山堰止湖(かざんせきとめこ)の知床五湖、羅臼岳の登山口にあたる岩尾別温泉(純食塩泉、61℃)、羅臼川上流の羅臼温泉(純食塩泉、70〜90℃)などがある。
   昭和55年(1980)羅臼より斜里に至る知床横断道路(国道334号線)が開通して観光客が激増した。世界自然遺産の指定を受けて一段と観光客が増えたが、観光開発と自然環境保全との調和が大きな課題となっている。

近代化が進む羅臼漁港

近代化が進む羅臼漁港

拡大写真(1400x1050)317KB  羅臼国後展望塔より撮影

 

羅臼漁港

   約7千人が暮らす羅臼町は、知床半島東岸中央に位置する漁業の町である。知床では羅臼と宇登呂(うとろ)の両漁港を基地にして秋鮭(アキサケ)漁が行われる。羅臼の北東約15kmの知円別(ちえんべつ)から知床岬付近までの沿岸では、7〜8月に点在する番屋(ばんや)に泊まり込んで昆布を採取する。これが名高い羅臼昆布となる。
 羅臼漁港は2年連続秋鮭漁獲日本一となるなど陸揚げ・流通拠点である。しかし、盛漁期には鮭の定置網漁業と烏賊(いか)刺網や烏賊釣り漁業とが重なり、漁港内は非常に混雑するという。現在、港の最奥部に水揚場を建設中で、羅臼沖から汲み上げた無菌の深層水*を使い、環境・衛生管理型漁港として近代化が図られつつある。
  *深層水(しんそうすい):一般に水深200m以深の海水をいい、無菌でミネラル分が豊富。深層水で洗った魚は、鮮度が長く保たれるという。美肌効果やアトピーにも効くなどの話もあるがよく分かっていない。 知床深海の水

羅臼停泊中の漁船

羅臼停泊中の漁船

拡大写真(1400x1050)244KB  羅臼国後展望塔より撮影

 

羅臼灯台

 羅臼灯台は羅臼北方の崖の上に建つ灯台で、根室海上保安部が管理している。灯台までの急な坂道は舗装され、冬季以外は車で登ることができる。灯台の周囲は津波など災害時の避難場所を兼ねた公園として整備されており、眺めが素晴らしいという。 羅臼灯台から見たパノラマ画像(根室海上保安部)

知床沖のオホーツク海を照らす羅臼灯台

知床沖のオホーツク海を照らす羅臼灯台

拡大写真(1200x800)234KB  羅臼国後展望塔より撮影

 

しおかぜ公園

 

   流氷に追ひつめられし岬かな  戸川幸夫

 羅臼漁港の山手にしおかぜ公園があり、森繁久弥扮する「オホーツク老人」の銅像や知床旅情の歌碑が建つ。

森繁久弥の銅像が建つしおかぜ公園

森繁久弥の銅像が建つしおかぜ公園

拡大写真(1400x1050)306KB

 

建立の記

   知床半島に冬が本格的にやって来た。吹雪は荒れ狂い雪と氷は半島のすべてを氷結させた。生きてゆくことの辛さと、生きてゆけることの有難さと尊さとを同時に思い知らされるのは、こうした原始の世界にたった独りでとり残されたればこそであった。老人はその中で生きた。
   戸川幸夫さんの小説「オホーツク老人」が森繁久弥さんによって「地の涯に生きるもの」として映画化されたのは、昭和三十五年で当地に於てロケが行われた。その時森繁さんが作られた歌「知床旅情」は全国津々浦々で愛唱され、映画と共に広く知床を知らしめた。
   昭和三十九年知床が国立公園に指定されたのもこれらの作品が大きな力となっており、知床の発展に多大の貢献をしている。ここに森繁さんの扮した「オホーツク老人」の面影を再現し、末永くその功績を讃え顕彰の像を建立する。      昭和五十三年十月 
 

北海道目梨郡羅臼町/森繁久弥顕彰像建立協賛会    制作 北海道教育大学教授 長谷川工

森繁久弥扮するオホーツク老人

森繁久弥扮するオホーツク老人

拡大写真(1120x1200)232KB

知床旅情

しれとこの岬に 浜なすの咲く頃
思い出しておくれ 俺たちのことを
のんでさわいで 丘にのぼれば
はるか國後に 白夜は明ける

              森繁久彌

知床旅情の石碑

知床旅情の石碑

拡大写真(1400x980)298KB

羅臼の浜なすの花

羅臼の浜なすの花

拡大写真(1400x980)298KB

 

国後島くなしりとう

 羅臼漁港の防波堤の東に国後島が横たわる。視界が良いときは、はっきりと肉眼で見ることができる。距離にして約25km、目と鼻の先である。北方四島の一つで、早期返還が地元民の長年の悲願である。

羅臼の漁船と国後島

羅臼の漁船と国後島

拡大写真(2000x1200)283KB

   知床半島の東にある国後島は、ロシア名をクナシル島という。人口7500人(1992)。千島列島最南端の島で北東には択捉島(えとろふとう)が連なる。南東には歯舞諸島(はぼまい・しょとう)が平行して並んでいる。面積1498.56 km2で、本土4島を除くと面積では第2位の島。活火山が多く、一部は噴気をあげている。

北方領土のかえる日平和の日

北方領土のかえる日平和の日

   第二次世界大戦の前までは昆布・鮭・蟹などの漁獲高が多く、缶詰の製造で栄えた。現在、ロシア連邦の実効支配下にあり、日本の施政権は及ばない。中心地はユージノ・クリリスクで、日本名は古釜布(ふるかまっぷ)

冬季、羅臼港から見た国後島

羅臼港から見た国後島

                         拡大写真(1200X900)175KB

写真提供:羅臼海上保安署巡視船てしお

 

白夜びゃくや

 昭和45年(1970) 、森繁久弥作詞・作曲の「知床旅情」を加藤登紀子が歌い、ミリオン・セラーとなって知床ブームが起こった。歌詞には「はるか国後に白夜*は明ける」とあるが、実際には夏至になっても白夜にはならない。しかし、夏の夜は短く、夜明けには荘厳な自然のドラマが演出される。
  *白夜:北極または南極に近い地方で、夏、日没から日の出までの間、散乱する太陽光のために薄明**を呈すること。「はくや」とも。
**薄明(はくめい):日の出前または日没後見られる天空のほのかな明るさ。地平線下にある太陽の光が、上層大気または浮遊微細物によって散乱されて生ずる。

国後島の夜明け

国後島の夜明け

                        拡大写真(1200X900)100KB

写真提供:羅臼海上保安署巡視船てしお

 

マッカウス洞窟

羅臼灯台が建つ岩山の羅臼側に北海道指定天然記念物「羅臼のひかりごけ」が自生するマッカウス洞窟がある。

「羅臼のひかりごけ」が自生する洞窟

「羅臼ひかりごけ」が自生する洞窟

拡大写真(1200X900)279KB
ヒカリゴケ Schistostega pennata (Hedw.) Web.et Mohr
   「羅臼ひかりごけ」は暗くて撮影できなかったので、代わりに長野県は浅間山・鬼押出しの岩間(いわま)に群生しているヒカリゴケを紹介する。ヒカリゴケはヒカリゴケ科の蘚類(せんるい)でヨーロッパ、北アメリカ、シベリア、日本に分布している。日本では一般に冷涼な地に生じ北海道や本州の山岳地域で見かけられる。  
   洞穴や岩隙(がんげき)など暗い場所の土上に生育し、微かに黄緑色に光る。これは原糸体の細胞が平面的に配列し、それぞれの細胞がレンズ状をなし、弱い光を細胞の奥に偏在する葉緑体上に集光、反射するためである。  

浅間山・鬼押出しのヒカリゴケ

岩間のヒカリゴケ

拡大写真(1200X700)239KB  撮影:2004.8.12

   原糸体自身が発光しているのではないので、反射光をとらえる一定の角度から眺めないと光らない。茎や葉は白緑色で光らない。長野県佐久市の「岩村田ヒカリゴケ産地」、埼玉県比企郡吉見(よしみ)町の「吉見百穴のヒカリゴケ発生地」、東京都千代田区の「江戸城跡のヒカリゴケ生育地」は国の天然記念物に指定されている。  

蛍光色を発するヒカリゴケ

蛍光色を発するヒカリゴケ

拡大写真(1200X560)179KB  撮影:2004.8.12

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