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Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪早春賦・唱歌メドレー

テカポ湖の水面に春の息吹かな  北舟

拡大写真(2540x1000)403KB

A breath of spring on the surface of Lake Tekapo.

2001年7月16日制作

煌めくテカポ湖
煌めくテカポ湖(ニュージー早春の旅/ニュージーランド南島)

 

 




 

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2008年3月14日(金)

 平成20年(2008年)2月10日(日)から11日(月)にかけて大分県国東市(くにさきし)国東町成仏(じょうぶつ)に建つ天台宗龍下山(りゅうげさん)成佛寺(じょうぶつじ)(以下「成仏寺」と表記)で、国東半島の六郷満山(ろくごうまんざん)に伝わる修正鬼会(しゅしょう・おにえ)が開かれた。

タイレシの越中褌寒禊

Cold-water ablutions,
Ettyu loincloths
of torch carriers.

たいれしの えっちゅうふんどし かんみそぎ

谷川の闇に白褌寒の垢離

Cold-water ablutions,
White loincloths
in the darkness of mountain stream.

たにがわの やみにびゃっこん かんのこり

 「修正鬼会」は、僧と村人たちが一体となり、夜を徹して無病息災、五穀豊穣を祈る伝統の行事で、養老年間(717〜724)に仁聞菩薩(にんもん・ぼさつ)が国家安穏・五穀豊穣・万民快楽の諸願成就のため、六郷28ヶ寺の僧侶を集めて「鬼会式六巻」を授けて創始したといわれ、1300年ほど昔の仏教文化を今に伝える奇祭である。
 

タイレ衆の鬼の白衣や初御堂

 

First visit to the temple of the year,
White cloths of ogres
the torch carriers.

たいれしの おにのびゃくいや はつみどう

 この鬼会は、かつては六郷満山の天台宗の各寺で行われていたが、今では豊後高田市の天念寺(てんねんじ)と、国東市の成仏寺・岩戸寺(いわとじ)の三ヵ寺だけとなった。東満山の天念寺では毎年開催されるが、西満山の成仏寺と岩戸寺では隔年(西暦偶数年が成仏寺)で開催される。
 

初春や香水棒の僧踊り

 

Early spring,
Priests dancing
with Kozui sticks.

はつはるや こうずいぼうの そうおどり

 昭和52年(1977)に国から重要無形民俗文化財に指定された鬼会は「鬼を追い払う」のではなく、「鬼に姿を変えた仏を出迎える。」「鬼に出会うことは鬼籍に入って成仏した祖先に出会うことで、祖先と楽しく過ごす。」という国東半島独自の宗教観を持つ。
 鬼会は、厳しい儀式とともに、鈴鬼(すずおに)や荒鬼(あらおに)などの仏の化身が登場して、座って行う昼間の勤行(ごんぎょう)と夜の立役(たちやく)の作法が組み合わさって行われる。しかも、「オハヤシカタ」と称する楽師が奏する音律が経文の中に取り入れられ、いとも荘重である。
 

初御寺災払鬼の加持叩き

 

First visit to the temple of the year,
Saibara Ogre
exorcising evil by beating.

はつみでら さいばらおにの かじたたき

 鬼会は同時に火の祭りでもある。神前本堂前に供える4基の大松明(だいたいまつ)(オーダイ)は長さ6mもある。荒鬼は火のついた松明を持って参詣者を加持祈祷し、徹夜で成仏(じょうぶつ)の家々を訪問して祖先を崇拝し家内安全を祈祷する。
 

荒鬼の夜廻行脚加持始

 

A violent ogre,
Night wandering around the village
the first incantations for the year.

あらおにの よまわりあんぎゃ かじはじめ

 

正月や婆の手を取る鬼仏

 

The New Year,
Ogre the incarnation of Buddha
taking the hands of old woman.

しょうがつや ばあのてをとる おにぼとけ

 こちらのお宅では、高齢のお婆さんが出迎えてくれた。荒鬼に向かって手を合わせて拝んでいる。荒鬼は仏であり、ご先祖様の化身でもあるからだろう。
 荒鬼は、お婆さんの手をしっかりと握りしめ、無病息災と長寿を願って加持祈祷した。心温まる触れ合いだった。
 

初春の振舞酒や三鬼人

 

Early spring,
Hearty reception with sake
for three ogres of men.

はつはるの ふるまいざけや さんきじん

 最後の10軒目の訪問時刻は午前6時。このお宅で災払鬼(さいばらおに)・荒鬼(あらおに)・鎮鬼(しずめおに)の三鬼が落ちあい、加持祈祷のあと、心づくしのご馳走に舌鼓を打った。
 7時間半に及ぶ徹夜の祈祷廻りを終えた三鬼は、疲労困憊となりながらも、午前6時50分、無事本堂に帰着した。
 最後の〆は、鬼後咒(きごじゅ)。村から戻った鬼を引き倒 し、院主がオクワエ(鬼鎮(おんしずめ)の餅)をくわえさせ、おとなしくさせる。最後に松明結儀頌(たいまつけつぎしょう)を唱え、鬼鎮めをして終了する。
 

初春や襦袢脱ぎたる鬼の僧

 

Early spring,
A priest
took off under-kimono of ogre.
 

はつはるや じゅばんぬぎたる おにのそう

「成佛寺修正鬼会」 2008.2.10-11

垢離を取るタイレシ

垢離取りを終えたタイレシ

拡大写真(1600X1350)325KB

院主による加持祈祷

院主による加持祈祷

拡大写真(1350X1000)281KB

二人の僧侶が香水棒で舞う「 開 白かいびゃく 」 22:20

二人の僧侶が香水棒で舞う「米華」

拡大写真(1600X1120)396KB
加持する 災払鬼さいばらおに

加持する災払鬼

拡大写真(1600X1200)347KB

お婆ちゃんの手を取って・・・

お婆ちゃんの手を取って・・・

拡大写真(1600X1200)281KB

三鬼揃った祝宴! 06:00

三鬼揃った祝宴!

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鬼の襦袢を脱ぐ

鬼の襦袢を脱ぐ

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2008年2月25日(月)

 平成20年(2008)2月9日(土)、一泊二日の日程で、雪国・新潟県長岡市(旧栃尾市)栃堀(とちぼり)に鎮座する巣守神社(すもり・じんじゃ)において9日夜開催された裸押合大祭を激写してきた。

千の火の雪燈籠の点る駅

A station,
Lighting
one thousand snow lanterns.

せんのひの ゆきどうろうの ともるえき

 遊雪まつり前夜祭の「雪灯りまつり」は、9日午後5時から開始された。丁度日が暮れ始め、薄暗くなってきた薄暮(はくぼ)にタイミング良く取材することが出来た。
 裸押合大祭が開かれる巣守(すもり)神社は、栃堀ふるさと交流会館から歩いて数分のところにある。旧栃尾市一帯には、標高1,537mの守門岳(すもんだけ)を祀る巣守神社や守門神社と呼ばれる神社が多い。同名の神社があるので、間違わないよう注意する必要がある。
 

雪の里毘沙門天の神社かな

 

A snow village,
A shrine set up
Bisyamonten God.

ゆきのさと びしゃもんてんの じんじゃかな

 御神体は、「守門(すもん)大明神」と崇められる守門岳であるが、記紀(きき)(古事記と日本書紀)に登場する神を祭神とすることで、形式上大和の神々の系譜に連なっている神社が多い。
 巣守神社も天香語山命(あめのかごやまのみこと)と刈谷田姫命(かりやだひめのみこと)を祭神としているが、本殿中央には「正一位守門(すもん)大明神」と書かれた神額(しんがく)が掲げられている。
 栃堀の東方約10kmに聳える守門岳(1,537m)は、袴岳を主峰とし、青雲岳、大岳中津又岳が一大山系を形作る連峰で、越後中部の名峰と讃えられる。大岳の頂上には守門大明神が祀られている。謙信がまだ幼少の頃、守門岳の山麓で狩りをして心身を鍛練したという言い伝えがある。
 

蝋燭を抱えて詣る雪参道

 

Snow-covered approach,
Going to worship
with candles in their arms.

ろうそくを かかえてまいる ゆきさんどう

 

雪道を草鞋で駈ける褌衆

 

A snow road,
Men of loincloth running
with straw sandals.

ゆきみちを わらじでかける ふどししゅう

 天正年間(1570年代)、戦国時代の武将・上杉謙信が守門岳(すもんだけ)の登山口の栃堀にある巣守神社に毘沙門天(びしゃもんてん)を祀り、戦勝祈願や五穀豊穣を願ったのが裸押合大祭の始まりといわれる。
 祭り当日、巣守神社本殿にある祭壇の中央には毘沙門天像が置かれる。毘沙門天は仏教における天部の仏で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、神仏混淆の名残が伺える。
 

雪の夜白褌の裸押し

 

Night and snow,
Jostling together
wearing white loincloth.

ゆきのよる しろふんどしの はだかおし

 午後7時丁度、先頭集団が一斉に走り出し、それに続く裸男たち全員が威勢良く巣守神社に向けて出発した。参道脇には、大勢の参拝客やアマチュア・カメラマンたちが立ち並び、裸男たちの勇壮な姿を見守っていた。
 

寒垢離や桶に浸りて裸押

 

Cold-water ablution,
Jostling
after bathing in the tub.

かんごりや おけにつかりて はだかおし

 午後7時5分頃、太鼓の合図で裸押合大祭がはじまり、裸男たちは午後8時半頃まで「押(オ)ッセ、押(オ)ッセ」「サンヨ(撒与)、サンヨ」などと大声で掛け声を掛け合いながら、火照(ほて)った身体をぶつけ合い、揉み合いを繰り広げ、巣守神社本殿は熱気に包まれた。
 裸男たちは、激しい裸押し合いで身体が火照(ほて)ると、石段を駆け下りて参道の途中にある禊場で垢離(こり)を取った。湧き水を利用した禊場は、一枚岩をくり抜いた立派な岩桶で、一度に何人も水浴することができる。水を掛け合ってはしゃぎ合う者、神妙に手を合わせる者など、人それぞれで、禊の作法は統一されていないようだった。
 

富籤の恵比寿大黒春隣る

 

The gods of Ebisu Daikoku
of the lottery,
Sprig approaching.

とみくじの えびすだいこく はるどなる

 裸男たちによる激しい押し合いで本殿が熱気に包まれている間も、参拝客は途切れることがなく、本殿に向かって左の入口から祭壇の前に佇み、参拝する姿が見られた。
 祭壇の前に日の丸扇を持って坐っている恵比寿・大黒が初穂料を納めた人に富籤(とみくじ)を引いてくれる。この福引にも豪華景品が用意され、空籤(からくじ)無しで、本殿そばの福引景品引換所で景品と交換して貰える。恵比寿・大黒役は、厄払いを兼ねており、地元の42歳の本厄の男性が勤めている。
 

雪御堂六尺一本撒与札

 

Snow covered shrine,
Rokushaku sashes
and scattering plates.

ゆきみどう ろくしゃくいっぽん さんよふだ
 福窓から福札を撒与する烏帽子・白装束スタイルの神官は、氏子や各種団体の代表者がつとめているという。
 裸男たちは、福札の撒与役が交代で福窓に上がると、裸押し合いを中止し、両手を上げながら一斉に「サンヨッ、サンヨッ!」のサンヨ(撒与)コールを始める。この掛け声は、こちらに撒いてくれという要求だった。
 約1時間半に及ぶ裸押し合いと福札争奪戦は、かなり長く感じた。最後は、余った福札を纏めて撒く大盤振舞があり、270枚の福札全てがばらまかれた午後8時半頃、太鼓が打ち鳴らされて、裸押合大祭が終わった。
 

雪の里福札取りの白褌

 

A snow village,
White loincloths
for lucky plates.

ゆきのさと ふくふだとりの しろふどし

裸押合大祭を終えた裸男たちは、一斉に社殿を飛び出し、雪蛍の舞う道を駆け足で交流会館に帰っていった。
 男たちは石油ストーブで温められた支度部屋に戻ると、着替えを始めたが、濡れて固く結ばれた褌は一人で解くには難しく、世話役の助けが必要だった。
 

雪の径六尺一本草鞋がけ

 

A snow road running,
Wearing a rokusyaku sash
and straw sandals.

ゆきのみち ろくしゃくいっぽん わらじがけ

 ふるさと交流会館の玄関ホールの奥に「撒与景品交換所」が設けられており、裸男たちの着替えが終わってから3つのグループに分けて景品交換が始められた。
 最初に一等賞5万円の授与があり、今年の年札2008は足立区の新妻俊一さんが手にしていた。

「栃堀裸押合大祭」 2008.2.9

雪で作った 燈籠とうろう を覗き込む兄妹

雪で作った燈籠を覗き込む兄妹

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毘沙門天像

毘沙門天像

拡大写真(1650X2000)469KB

参道を進む裸男たち

参道を進む裸男たち

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押(オ)ッセ、押(オ)ッセ!

押(オ)ッセ、押(オ)ッセ!

拡大写真(1400X1200)294KB

一枚岩をくり抜いた禊場で火照った身体を冷やす

一枚岩をくり抜いた禊場で火照った身体を冷やす

拡大写真(1600X1200)438KB

毘沙門天びしゃもんてん

の祭壇前で 富籤とみくじ を引いてくれる恵比寿・大黒

毘沙門天の祭壇前で富籤を引いてくれる恵比寿・大黒

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ナイス キャッチ!

ナイス キャッチ!

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ジャンプして富札を追う

ジャンプして富札を追う

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雪蛍の舞う参道を走る

雪蛍の舞う参道を走る

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2008年2月16日(土)

 平成20年(2008)2月3日(日)節分の日、東京は大雪に見舞われたが、岐阜県大垣市(おおがきし)・宝光院(ほうこういん)(鈴木孝敬住職)において「節分会(せつぶんえ)はだか祭」が開催された。

追儺豆笑顔振り撒く心男

Exorcising beans,
Exorcist
scattering his smile.

ついなまめ えがおふりまく しんおとこ

 午前11時の豆打式は豆袋を手渡すやり方だったが、正午の豆内式は、今年の心男(しんおとこ)中山智史さん(32歳)が登場し、終始笑顔を振りまきながら茶色の紙袋に入った籤(くじ)入り福豆を大勢の観客にばらまいた。
 宝光院では、毎年2月3日の節分の日に厄除開運(やくよけ・かいうん)の節分会(せつぶんえ)が開かれ、その中で「宝光院はだか祭」、正確には「ひだりめ不動節分会はだか祭」が催行される。
 

節分会出陣式の手締かな   

 

A celebration for spring,
Hand-clapping
for the kickoff celemony.

せつぶんえ しゅつじんしきの てじめかな

 この日は大般若祈祷(だいはんにゃ・きとう)が終日行われたほか、何回かに分けて籤(くじ)の入った豆袋を撒(ま)く豆打式(まめうちしき)があり、それに並行して裸練り、みそぎ川(がわ)渡り、心男遷座(しんおとこせんざ)、福俵(ふくだわら)授与など午後3時頃まで盛りだくさんの行事があり、多くの信者や観衆で賑わった。
 はだか祭りには外来者も参加でき、宿と呼ばれる裸男詰所で記帳して申し込むと、無料で褌と鉢巻に福袋が添えられたセットが手渡される。また、午後1時半からの本番に備えて、宝光院入口右手の寺務所で昼食が支給される。
 

鬼やらひ湯気たちのぼる褌衆

 

Exorcism
Steam rising
from men of loincloth.

おにやらい ゆげたちのぼる ふどししゅう

 午後1時10分ころ、宿の土間で、リーダーから裸祭りの段取りが説明されたあと、出陣式の手締めが行われた。
 午後1時23分、裸の一行は宝光院の境内に入り、大勢の観衆を前にスクラム行進を繰り返して気勢を挙げた。
 一行は裸練りに引き続き、みそぎ川渡りのため土手の階段をのぼり、杭瀬川(くいせがわ)に向かった。
 

節分会白ふんどしの川渡

 

A celebration for spring,
River crossing
with white loincloth.

せつぶんえ しろふんどしの かわわたり

 裸男たちは、午後2時33分、杭瀬川の対岸から枯れススキをなぎ倒しながら入水し、身を切るような冷たい清水を浴びながら駆け足で川を渡った。
河床(かわどこ)は藻の滑(ぬめり)りがあり、足を取られて転ぶ姿が見られた。長いようでも川渡りは3分ほどだった。
 午後2時42分、心男の中山智史さん(32歳)が騎馬戦スタイルで登場し、本堂前の石段の上に特別に設けられた木段を下ってきた。
 心男は、ひだりめ不動尊の身代わりであり、座を遷(うつ)すことから遷座と呼ぶ。衆生(しゅじょう)(一般大衆)の前に現れ、胴上げされながら身体に触られることで厄を一身に集め、本堂に戻ってゆく。
 

節分や厄を身に受く心男

 

The day before spring,
An exorcist
gathers evil.

せつぶんや やくをみにうく しんおとこ

 心男の胴上げのあと、最後のイベントである福俵授与の時間となった。福俵の中には、籾殻(もみがら)が詰められており、その中に福袋に入っていたものと同じ赤い布に包まれた長さ10cmほどの利剣木(りけんぼく)が隠されている。午後2時47分、鈴木孝敬住職により福俵が投下され、裸男たちによる激しい争奪戦が繰り広げられた。

 利剣木を手にした男が今年の福男となり、一年間の福を授かるとあって、大勢の裸男たちが福俵に殺到し、全身籾殻にまみれながら俵を引き裂いて手を差し入れ、利剣木を奪い合った。
 

節分や籾殻まみれの争奪戦

 

The day before spring,
A contest dusted with rice husks.

せつぶんえ もみがらまみれの そうだつせん

 取り主が本堂に行って正規の利剣木獲得者と認定されると福男となり、利剣木に替えて清酒3本が渡される。

「宝光院はだか祭」 2008.2.3

豆を撒く 心男しんおとこ

中山智史なかやまさとし

さん(32歳)

豆を撒く心男・中山智史さん(32歳)

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出陣式の手締め

出陣式の手締め

拡大写真(1600X1100)358KB

肌も真っ赤に、たちのぼる湯気

肌も真っ赤に、たちのぼる湯気

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川みそぎで盛り上がる裸たち!

川みそぎで盛り上がる裸たち!

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心男しんおとこ の胴上げ

心男の胴上げ

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福俵ふくだわら

に入った 利剣木りけんぼく の争奪戦

福俵に入った利剣木の争奪戦!

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2008年2月1日(金)

 平成20年(2008年)1月13日(日)、大漁旗や日の丸、五色の紙をつけた笹竹、吹き流しなどで飾られた満船飾の宝来船(ほうらいせん)が桂川(かつらがわ)を遡(さかのぼ)る新年恒例の裸祭り「ホーランエンヤ」が大分県豊後高田市で開かれた。

櫂捌く漁師褌宝船

Treasure Ship,
Paddling fishermen
 wearing fundoshi sash.

かいさばく りょうしふんどし たからぶね

 大分県無形民俗文化財のホーランエンヤは、豊後高田市が島原藩(長崎県)の領地であった江戸時代中期から島原や大坂の蔵屋敷に年貢米を送る廻送船の航海の安全と豊漁を祈願する行事として行われてきた。

 かつては元旦の行事だったが、現在は日中満潮となる日曜日に催行される。去年は1月7日(日)だったが、今年は1月13日(日)となった。ホーランエンヤの語源は諸説あるが、「宝来栄弥(ほうらいえいや)」「蓬莱(ほうらい)へ蓬莱へ」という掛け声からきたといわれている。

宝船白ふんどしの初泳

  Treasure Boat,

First swimming for the year
wearing white fundoshi sash.

たからぶね しろふんどしの はつおよぎ

 宝来船に乗り組む裸衆は13人。内訳は、本方(ほんかた)と呼ばれる指揮者1人と片舷6丁の櫓(ろ)に付く漕ぎ手の12人である。45歳までの年齢制限があるという。
 
 宝来船は、褌姿の若者と笛や太鼓の囃し方、踊り子などの関係者が乗り込み、磯町区公民館近くの船着場を出発し、一旦河口に下った後、桂川をジグザグに漕ぎ上り、上流の若宮八幡宮を目指す。途中、観客からお祝儀が差し出されると、漕ぎ手の若者が厳寒の川の中にザブンと飛び込んで受け取りに行く。宝来船からは紅白の祝い餅が大量に撒(ま)かれる。

 岸辺に泳ぎ着いてご祝儀を受け取った漕ぎ手たちは迎えに来てくれた供舟(ともぶね)に乗り、宝来船に戻ってくる。

船初ふんどし衆のダイビング

  First sailing for the year,
 Men of fundoshi sash
diving.

ふなはじめ ふんどししゅうの だいびんぐ

 海の男たちの逞しい健康美を見ると、とても羨ましい。大都会で暮らす現代人は、頭でっかちでひ弱になりがちだが、ここに躍動する男たちの素朴な姿に郷愁を感じるのは私だけではないだろう。現代人が忘れかけている大自然の中で生きる本来の人間の姿がここにはある。

「ホーランエンヤ'08」 2008.1.31

出航した宝来船

出航した宝来船

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初泳ぎした4人の裸衆

初泳ぎした4人の裸衆

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次々に飛び込む裸男たち

裸男たち次々に飛び込む

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撮影:清原 浩
 


 





 
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2008年1月27日(日)

 平成20年(2008)1月4日(金)夜、大分県宇佐市(おおいたけん・うさし)の鷹栖観音寺(たかすかんのんじ)で褌(ふんどし)草鞋(わらじ)姿の男衆が駅館川(やっかんがわ)を渡り、対岸の鷹栖観音堂一帯で「どんど」を焼き、松明(たいまつ)の火の粉をまき散らす火祭り「鷹栖観音鬼会(たかすかんのん・おにえ)」が開催された。

初春や夜川に栄ゆる褌の白

The New Year,
White loincloths
 noticeable to the night river.

はつはるや よかわにはゆる こんのしろ

 鷹栖観音寺が建立されてから始まったという鬼会(おにえ)は、宇佐市から無形民俗文化財の指定を受けており、正月会(しょうがつえ)の最後に当たる1月4日の夜に勤修(ごんしゅう)される。
 地元の青年や県外から飛び入りの参加者たち数十人が鷹栖観音寺に集まり、読経のあと裸になって寺宝の赤鬼、青鬼の面を持った2人を先頭に長さ約2mの松明をかざしながら極寒の駅館川(やっかんがわ)を渡り百間岩(ひゃっけんいわ)の鷹栖観音堂に参拝して無病息災を祈る。
 松明(たいまつ)の白い煙が流れる中、紅蓮(ぐれん)の炎に照らされて赤く輝く川面を渡る裸たちの行列は、他に例のない独特の雰囲気があり、古き良き時代の祭礼を彷彿とさせるロマンがある。
 

どんど焼く褌衆の鬼会かな

 

Burning Dondo fire,
Exorcism
by the men of loincloths.

どんどやく ふんどししゅうの おにえかな

裸男たちは、対岸に着くと、入口の慈眼堂(じがんどう)の脇に松明を置き、石段を登って鷹栖観音堂に参拝した。
   鷹栖観音堂で参拝を済ませた男たちは、再び松明(たいまつ)を持ち、「どんど」焼きが行われる駅館川の河川敷に向かった。
 裸男たちは、石垣の下に青竹などを束ねてつくられた高さ約10mの「どんど」に松明で火を付けると、やがて白煙とともにメラメラと炎が立ち上り、大きな火塊となって夜空を焦がした。
 「どんど」を囲んだ裸男たちは、暖をとりながら浄火を炊きあげた。
 午後8時半を過ぎると、男たちは「どんど」を後にし、松明を持って鷹栖観音堂前の参道に上がり、赤鬼組と青鬼組の二組に分かれ、二列になって松明を打ち合わせ始めた。
 竹を束ねた長さ2mほどの松明はパチパチと音を立てながら火の粉を散らし、邪悪や厄を打ち払う浄火となる。火の粉を被った参観者は、今年一年の無病息災が叶うという。
 

初春や松明行列火の禊

 

The New Year,
 Fire purification
by the torchlight processions.

はつはるや たいまつぎょうれつ ひのみそぎ

 裸男たちは、右手に手木(てぎ)(木剣)を持ち、悪魔払いをしながら、松明を抱えて参道を駆け回った。白い煙が一面に立ちこめ、祭りはクライマックスに達した。

撮影:清原 浩

「鷹栖観音鬼会」 2008.1.27

松明たいまつ

を手に

駅館川やっかんがわ

を渡る裸男たち

松明を手に駅館川を渡る裸男たち

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紅蓮ぐれん

の炎を上げて燃えあがる

紅蓮の炎を上げて燃えあがる

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参道を駆ける男たち

参道を駆ける男たち

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2008年1月22日(火)

 昭和22年(1947)丁亥(ひのとい)の年に生まれた筆者は、平成19年(2007)3月6日に満60歳の還暦を迎えた。心身を一新して二巡目の人生を健康で明るく過ごしたいと思い、平成20年(2008)正月13日(日)に東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で還暦記念の寒中水浴をして、厄払いをした。

初春の柏手響く稲荷かな

The Inari shrine,
Sounds of clapping hands
 in the early spring.

はつはるの かしわでひびく いなりかな

 午前11時、川面流旭会(かわづらりゅう・あさひかい)の道彦(みちひこ)・小杉與四郎(こすぎ・よしろう)さんの指導で一般参加者36名を含む約60人が裸(女性は白衣)になって寒中水浴が始まったが、今年から水浴する前に全員拝殿に上がり、中川宮司のお祓いを受け、新年の平穏無事を祈願した。
 参拝後、裸男たちは、拝殿の前に据え付けられた直径10mの円形水槽の周りに並び、道彦の指導で準備運動である鳥船(とりふね)が始まった。
 

初春や鳥船漕の裸の輪   

 

The New Year,
A ring of naked men,
performing Torifune ship exercises.

はつはるや とりふねこぎの はだかのわ

 水浴開始時刻:午前11時26分、終了時刻:同11時28分。わずか2分間の水浴だったが、とても長い時間に思われた。
   今年から裸で拝殿に上がり、お祓いを受けるというイベントが新たに付け加わったので、水浴までに30分も裸でいなければならない。私は、拝殿に座っている間に既に左太ももに震えがきて、止まらなかった。
 

寒垢離や我慢強さの競ひ合ひ

 

Cold-water ablutions,
 Competing endurance
to the cold.

かんごりや がまんづよさの きそいあい

 日本には、古来より、満60歳の還暦を迎えた人に還暦祝いとして赤い頭巾やチャンチャンコなど赤色の衣服を贈る風習がある。かつては魔除けのために赤子の産着(うぶぎ)に赤色が使われていたため、赤子と同じ赤い装束を身に着けて生まれ変わった気持ちで長寿を全うしてほしいとの願いが込められている。
  赤い褌(ふんどし)を「あかふん」と呼ぶが、丹後地方などでは42歳の厄年に着物の下に赤褌を締めて神社参りをする風習があり、「赤褌(あかふん)行事」と呼ばれている。また、全国的には60歳の還暦祝いに赤褌が贈られ、赤褌を締めて禊をし、厄落としをする風習がある。 高良大社へこかき祭 は、還暦に赤褌で水浴する神事である。私もこの伝統に従い、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴に続いて赤褌を締めて還暦記念水浴を行った。
 皆が待ってくれていたので、二回目の水浴は急いで赤褌に締め替えてすぐに始めた。11時41分入水。長い時間と戦ったように思ったが、終わってみれば約70秒の水浴だった。
 

還暦の赤褌水浴初神楽

 

Kagura for the New Year,
Cold water ablutions
wearing red loincloth
at sixtieth birth year.

かんれきの あかふんすいよく はつかぐら

 水を出ると足に感覚が無く、突っ張ってしまって思うように歩けなかった。みんな身体が真っ赤になっていた。水から上がると風があり、水中にいるよりも寒くなると聞いていたが、外の方が楽で、裸でいても皮膚がチクチクする程度で、辛さは和らいだ。

初春や肌刺す水に身を沈む

The New Year,
Sinking myself
into the cold water.

はつはるや はださすみずに みをしずむ

 今年は入船湯で暖を取ったが、浴槽の湯は熱すぎでとても入れず、温めのシャワーを交代で使いながら身体を慣らして最後に湯に浸かった。やがてしびれが切れていたのが直るように、手足がジンジンしながら感覚が戻ってくると、温めの湯だったことが分かった。冬になると野生の猿が温泉に浸かりに来るが、極楽とはこのことだと思った。

撮影:小林豊一/星宏幸

「鐵砲洲寒中水浴'08」 2008.1.13

玉串奉奠たまぐしほうてん

玉串奉奠

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鳥船とりふね

の輪

鳥船(とりふね)の輪

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お囃子をバックに寒中水浴

お囃子をバックに寒中水浴

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祈 り

祈り

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限 界

限 界

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2008年1月18日(金)

 平成20年(2008)1月7日(月)午後八時半から福島県河沼郡柳津町(かぬまぐん・やないづまち)圓蔵寺(えんぞうじ)福満虚空蔵尊(ふくまん・こくぞうそん)の本堂・菊光堂(きくこうどう)に於いて、奇祭「七日堂裸詣り(なのかどう・はだかまいり)」が行われた。

初春や夕日に染まる七日堂

Early spring,
Nanoka-do temple
being dyed by the setting sun.

はつはるや ゆうひにそまる なのかどう

 只見川東岸(右岸)の崖の上ある臨済宗(りんざいしゅう)の禅寺・霊厳山(れいがんざん)圓蔵寺(えんぞうじ)は、およそ1200年前に徳一大師によって開創された古刹で、古来より丑・寅の守り本尊・柳津福満虚空蔵尊として信仰を集め、会津柳津は、温泉のある門前町として栄えてきた。

 柳津の福満虚空蔵尊は、茨城県東海村の大満虚空蔵尊、千葉県天津小湊町の能満虚空蔵尊と共に日本三大虚空蔵尊の一つに数えられており、圓蔵寺よりも虚空蔵尊としての
知名度が高い。

 「虚空蔵さまに年3回お詣りするとお金に不自由しない」といわれ、年間約100万人の参拝客が訪れるという。

七日堂鉢に飛び込む寒の垢離

Nanoka-do temple,
A man jumped into the washbasin
for winter purification.

なのかどう はちにとびこむ かんのこり

柳津の手水を浴びる七日かな

Seventh day of the New Year,
Bathing in the washbasin
of Yanaizu.

やないづの ちょうずをあびる なのかかな

 午後8時半丁度に一番鐘が打ち鳴らされると、下の道路で待機していた裸男たちが除雪されて滑り止めの籾殻(もみがら)が撒(ま)かれた113段の石段を裸足(はだし)で駆け上がってきた。

 石段を駆け上がって来た裸たちは、七日堂にあがる前に手水舎(ちょうずしゃ)で冷水を浴び、身を浄める。手水鉢の柄杓(ひしゃく)などは取り外されている。寒禊をした男たちの身体からは、白い湯気がたちのぼる。

鰐口に登る裸の七日かな

Seventh day of the New Year,
Naked men climbing
to the wooden drum.

わにぐちに のぼるはだかの なのかかな

初春や白ふんどしの綱のぼり

Early spring,
Rope climbing
wearing white fundoshi sash.

はつはるや しろふんどしの つなのぼり

 七日堂に入った裸たちは真新しい麻綱(あさづな)を奪い合い、互いに押しあいながら威勢良く鰐口登りを始める。

 鰐口は、仏堂正面の軒下につるされている扁円・中空の音響具で、参詣者は、打ち綱(うちづな)を振り動かして打ち鳴らし、堂内を浄めるためのものである。

 鰐口登りの打ち綱には、滑りにくい麻綱(あさづな)が使われている。一本の綱に何人もの裸たちがぶら下がるので、かなりの強度が要求されるが、この太さで大丈夫だという。
 麻綱をよじ登る男たちが威勢良く競り合うことによって、一年間の無病息災、祈願成就、招福が叶うという。

 堂内は、もみ合いながら打ち綱をよじ登る男たちの熱気が立ちこめ、見物人たちは寒さを
忘れて見入っていた。

柳矢の牛王法印寺年始

A charm of willow arrow,
New Year calls
to the temple.

やなぎやの ごおうほういん てらねんし

 午後9時半、七日堂の入口で裸男たち一人一人に牛王の矢が手渡された。寺では、毎
年、牛王法印の護符を挟んだ柳の木の芽の矢を365本用意している。昨年同様、今年も約300本が交付された。

 かつては、護符を撒いて男たちが奪いあっていたが、怪我人が出て危ないため、今の方式に切り替えたという。

年の酒褌衆の福の籤

Sake for the New Year,
A lottery
for fundoshi men.

としのさけ ふんどししゅうの ふくのくじ

 113段の石段を下った裸男たちは、福引きのため、表参道入口の川寄りに建つ観光案内所で長蛇の列を作った。

 抽選機を廻して、黄玉が出ると大当たりの清酒1升がもらえる。緑玉は4合瓶、紫玉は2合瓶で、空くじはない。

 裸男たちは、福引きの後、無料休憩所で甘酒などを飲んで冷え切った身体を温め、三々五々引き揚げていった。

柳津や大盃巡る囲炉裏端

Yanaizu town,
The huge sake cup
passed around the fire.

やないづや たいはいめぐる いろりばた

 「民宿そめや」では、96歳のお婆ちゃんや奥さんが炬燵(こたつ)を囲炉裏(いろり)にして帰りを待っていた。

 長谷川グループは「そめや」の風呂で暖を取ったあと、囲炉裏端で車座となり、朱塗りの大盃で清酒を廻し飲みして新年を祝った。我々もご相伴にあずかり、夜遅くまでつきない話題に花が咲いた。

「七日堂裸詣り」 2008.1.7

夕日の圓蔵寺本堂

夕日の圓蔵寺本堂

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手水鉢に浸かる!

手水鉢に浸かる!

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次々と鰐口に登る裸衆

次々と鰐口に登る裸衆

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柳の木の芽の矢に挟んだ

牛王法印ごおうほういん

の護符を拝受

柳の木の芽の矢に挟んだ牛王法印(ごおうほういん)(護符)を拝受

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黄玉の清酒一升

黄玉の清酒一升

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深夜まで続いた交歓の囲炉裏端

深夜まで続いた交歓の囲炉裏端

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2008年1月1日(火)

初夢や遠き異国の旅枕

First dream of the New Year,
Lodging
at the foreign country
far away.

はつゆめや とおきいこくの たびまくら

 昨年は約200句を発表し、当面の目標である1,000句も遠い夢ではなくなりました。

 今年は、昨年以上に気力体力が充実していますので、地球の裏側まで足を運び、遠き異国を巡りつつ、駄作を量産したいと思います。どうか宜しくお願いします。

白褌の放水天に出初式

New Year ceremony of fire brigades,
wearing white fundoshi sash,
 splaying water to the sky.

びゃっこんの ほうすいてんに でぞめしき

 

新年明けましておめでとうございます。

 

「加賀鳶はだか放水」 2007.1.7

謹賀新年/加賀鳶はだか放水(金沢市)

謹賀新年/加賀鳶はだか放水(金沢市)

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2007年12月29日(土)

 平成19年(2007)11月21日(水)、JR博多駅前の博多駅交通センターから西鉄定期観光バスに乗り、「太宰府(だざいふ)半日コース」に参加した。

観世音秋桜揺るる散歩道

Kanzeon temple,
Cosmoses trembling
along the walking path.

かんぜおん しゅうおうゆるる さんぽみち

 北部九州は地理的に東アジア世界に最も近く、古くから交易で栄えてきたが、7世紀になると国防上の必要性から太宰府に太宰府政庁が置かれ、軍事・外交の重要拠点となった。。
 現在、7万弱の人口を擁する太宰府市は、太宰府天満宮をはじめ、豊富な観光資源に恵まれた観光都市として発展し、平成18年度には732万人もの観光客が訪れたという。
 「府の大寺」といわれた観世音寺は中大兄皇子(なかの・おおえの・おおじ)(天智(てんじ)天皇)が母・斉明(さいめい)天皇の菩提を弔うために発願した寺院。斉明天皇は唐・新羅連合軍に滅ぼされた百済を助けるために九州に下ったが、661年朝倉橘広庭宮(あさくらの・たちばなの・ひろにわのみや)(朝倉市)で亡くなった。
 

天高し畑の中の戒壇院   

 

The high sky,
Kaidan-in temple
amid the field.

てんたかし はたけのなかの かいだんいん

 奈良時代、仏教は国家仏教として発展した。僧尼(そうに)は戒檀院で戒(かい)を受けなければ正式の僧尼と認められず、高僧にもなることはできなかった。その戒壇は、奈良の東大寺、太宰府の観世音寺、下野(しもつけ)(栃木県)の薬師寺の三箇所しかなかった。
 観世音寺は、戒壇院を持つことで、西海道(さいかいどう)(九州)の全ての僧尼や寺院を管轄下に置き、名実ともに「府の大寺」として君臨した。戒壇院は、中世には廃れたが、江戸時代に再建され、観世音寺から分離独立して禅寺となった。
 

太宰府や水面に深む秋の空

 

Dazaifu province,
The deepening sky of autumn,
reflected in the water.

だざいふや みずもにふかむ あきのそら

 福岡県太宰府市の北部に鎮座する太宰府天満宮は、天神様と愛称される祭神・菅原道真(すがわらみちざね)が死亡した延喜(えんぎ)3年(903)に菅聖廟安楽寺天満宮(かんせいびょう・あんらくじ・てんまんぐう)として創建された神社である。初詣には、九州はもとより全国から毎年200万人以上の参詣者があるという。
 

秋日和梅ヶ枝餅のかうばしき

 

A clear autumn day,
Savory smell
of Umegae rice cakes.

あきびより うめがえもちの こうばしき

 本殿の奥(北)に進むと梅園があるが、その入口に梅ヶ枝餅(うめがえもち)の茶店(ちゃみせ)がある。西鉄観光バスに乗ると、ここで、お茶と梅ヶ枝餅の無料接待を受ける。
 梅ヶ枝餅は、主に福岡県太宰府市で販売されている餅菓子の一種。 【うめがやもち】ともいわれる。 小豆餡を餅でくるみ、鉄板で焼き、軽く梅の焼き目をつけたもの。

「太宰府秋の旅」 2007.11.21

戒檀院全景

戒檀院全景

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観世音寺の秋桜と宝蔵

観世音寺の秋桜と宝蔵

拡大写真(1200x900)342KB

心字池しんじいけ

にかかる太鼓橋

心字池にかかる太鼓橋

パノラマ写真(2000X970)524KB

梅ヶ枝餅を焼く職人

梅ヶ枝餅を焼く職人

拡大写真(1400x1050)230KB

 

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭

東京 2007年1月2日 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。

東京 2003年8月16日
 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。

神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.

広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 

稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 see haiku here

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