2003年8月14日改訂 |
♪コッペリアのワルツ:ドリーブ Coppelia, Valse |
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王室礼拝堂 聖書の物語をモチーフにデザインされた彫刻の壁と、様々な大理石でおおわれた床。天井には豪華・華麗な天井画が描かれている。ロココ文化花開くこの礼拝堂で、ルイ16世とマリー・アントワネットは、華やかな婚礼式を挙行したのだったが...。 ロココ美術
フランス国王ルイ14世時代末からルイ16世時代初期まで、フランスにおこり、全ヨーロッパに及んだ装飾形式。ロココ rococo はさらに、この時代の美術、文化を指す名称として用いられる。 |
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ルイ14世は、当初はパリのルーブル宮殿を居城としていた。だが、ルーブル宮殿は建物の内外が汚物まみれになり、その不潔さに耐えられず、べルサイユ宮殿に引っ越してきたという。 |
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フランス国王ルイ16世の王妃。オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘としてウィーンに生まれ、1770年にフランスの王太子(1774年に即位してルイ16世となる)と結婚した。 |
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1792年8月に王政が廃止されたのちは、夫王や子どもたちとともに捕らえられ、夫王が処刑されたのち、彼女もまた裁判にかけられて、1793年10月に断頭台で処刑された。その運命は悲劇的であるが、嫁して夫を軽んじ、王妃でありながら国民を裏切った彼女にとって、それはむしろ当然の報いであった。 王室のベッド 絢爛豪華なベッドではあるが、予想外に小さい。写真ではよく分からないが、特に奥行きが短い。当時の人は、みんな足を曲げて寝たからだというのだが...。
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フィナーレを飾るのは、ルイ14世の居室として有名な鏡の間。1919年6月28日、第1次世界大戦の停戦条約であるベルサイユ条約の調印がここで行われたことで知られる。 |