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   旅紀行日本の花
2003年4月27日改訂

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姫路城

2002年6月26日制作

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MAP

姫路城のマップ

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(姫路鷺城ライオンズクラブ作成)

 

お堀の桜

お堀の桜

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姫路市 瀬戸内海の播磨灘に面し、気候温暖な風土に恵まれ、海の幸・山の幸の豊かな地である。645年の大化改新のあと播磨国の国府が置かれ、8世紀中ごろに聖武天皇の勅令で国分寺が建てられてから発展してきた歴史と伝統ある町だ。1993年(平成5年)国宝・姫路城が世界文化遺産に指定され、HIMEJIの名は世界的に有名となった。近年は、新日鉄、東芝、三菱電機などの大手工場が進出し、典型的な企業城下町となっている。姫路藩の奨励により始まった10月の秋祭りは、現在でもまわし姿の錬り子たちが屋台や神輿を担いで練り競う勇壮な祭りである。特に灘のけんか祭りは全国的に知られる。面積:274ku 人口:48万人 
● 詳しくは姫路市のホームページ →
姫路市の概要
 2002年(平成14年)4月2日は穏やかな晴天に恵まれた。姫路城の桜が満開だというので、午後から出かけた。

 JR三ノ宮駅から姫路まで、新快速で40分。駅から北方1km、徒歩15分ほどで姫路城の大手門(写真下)に着く。

 国宝・姫路城は、1993年(平成5年)我が国で初めて法隆寺とともに世界文化遺産に指定された。2001年(平成13年)には、国宝指定70周年、築城400周年を迎えた。この日本一といわれる名城は、姫路市のシンボルであり、市民のオアシスとなっている。
 姫路城はその長い歴史の中で、戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった、たぐいまれな城である。

追手門

姫路城

 兵庫県姫路市本町の姫山にある姫路城は、天守、櫓などの建築群を今に遺すことで名高い。1346年(正平1年/貞和2年)、赤松貞範(あかまつさだのり)が姫山に築城したことに始まる。
 近世の築城は、1580年(天正8年)に当時の城主黒田孝高(くろだよしたか 如水)が、毛利氏と戦うべく西下した羽柴秀吉にこの城を明けわたし、秀吉の居城として普請したのに始まる。 
 秀吉の後もその親族が城主であったが、関ヶ原の戦いの後、徳川家康はここに池田輝政を封じ、西国大名に備えた。輝政は大天守、小天守、渡櫓(わたりやぐら)などからなる天守群を1609年(慶長14年)までに完成させるなど、大規模な改修工事を行った。現存の天守はこのときのものである。
 大天守は秀吉時代の三重天守の位置に建てられ、小天守建造には古材も使われた。
 天守は外観5重、内部6階、地下1階で、完成当時の天守は江戸城を除くと最大規模であった。平面の中央部に2本の大通柱(とおしばしら)を立てた構造は、織田信長の安土城天主のやり方を模したものだといわれている。
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大勢の花見客

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姫路城の花見

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 天守をはじめ建築はすべて白漆喰(しろしっくい)の総塗籠(そうぬりごめ)で、屋根はいわゆる朝鮮瓦を用い、瓦の重なり目にも漆喰を塗っている。これは沖縄などの民家に今も見られるやり方である。
 家康死後の1617年(元和3年)に、池田氏に代わって本多忠政(ほんだただまさ)がここに封じられた。その際、忠政は西の丸を整備し、長男・忠刻(ただとき)とその妻・千姫(せんひめ もと豊臣秀頼の正室)の居館とした。 

さくら名所100選

しらさぎ城

 別名・しらさぎ城と称される由来は、屋根まで白い建築群の優美さによるものだという。また、白鷺城(はくろじょう)とも呼ばれる。

姫路の名の由来

 姫路の名は、播磨風土記に出てくる日女道丘(ひめじおか)からきているという。神代の昔、大汝命(おおなむちのみこと)は、その子火明命(ほあかりのみこと)があまりに乱暴者なので、海へ出た際、捨ててしまおうと島に置き去りにして船出した。
 ところが、船が出てゆくのに気づいた火明命は大変怒り、風波を起こして船を難破させてしまった。
 その時、船や積み荷などが流れ着いた場所に「船丘」「犬丘」「筥(はこ)丘」「琴丘」など14の丘の名が付けられたが、その一つ、蚕子(ひめこ)の流れ着いたところが「日女道丘(ひめじおか)」で、現在姫路城のある姫山であるとされる。「蚕子」は古語で「ひめじ」といった。
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姫路城の天守

姫路城の天守

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 地名としての「姫路」という呼び方は、江戸時代初期、池田輝政が姫路城を築き、城下町を整備した当時の文献に見られる。 
姫路城の桜

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 姫路城の大きさ

 姫路城は周囲4200m(1里23町)、面積230ha(70万7千坪)で、甲子園球場の60倍ほどの広さを持っている。南の中堀は今の国道2号線、外堀はJR姫路駅の近くにあった。
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