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2004年10月31日改訂

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嘆きのセレナード:トゼッリ Serenata

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2000年7月31日開設

太陽を掴んだ神輿(大原はだか祭り)

大原はだか祭り(千葉県夷隅郡大原町 2004年9月23日)

10 月 〉

2004年10月31日(日)  宮嶋 茂   様より   タイの仏教文化シリーズ 

Re: 神輿一体走り 
和田様 お知らせいただき、ありがとうございます。早速アクセスしてみました。今日は幸いにも1時間ほどで、すべて拝見することができました。大変ラッキーでした。いやー、いいですね。こうして素晴らしい祭りが拝見できるのも、ちば様や和田様のお陰と感謝しております。

こんなにカラフルな褌での祭りは珍しいですね。赤褌は見ても他の色の祭り褌はなかなか見ることができません。やはり祭りはこうじゃあなくっちゃあね。そう思います。褌の素材は新モスでしょうか。もしそうだとすると、比較的新しい伝統でしょうか。でも、解説にもありましたが、子供たちもちゃんと褌姿ですし、観客も見ていますから、伝承にもいいですね。次の世代が確実に育っています。こういうところは、博多山笠と同じですね。

方々にもこういったいい祭りがまだまだ一杯あるのでしょうね。これからも素晴らしい祭りを見せてください。ご期待しております。ありがとうございました。

宮嶋 様  おはようございます。早々にタイからお便りをいただき、嬉しく拝見しました。昔から神道の神事は、裸で禊ぎをして、厳かに神と対峙する習わしで、水の豊富な日本ならではの伝統ですね。この衣装は、江戸時代以降、越中褌となり、400年ほどの長期にわたって今日まで継承されています。

神事は、清潔な白が基本で、越中褌も白でなければならなかったのですが、観光資源として組み込まれるようになると、カラフルなものも許容されるようになったようです。勝岡八幡神社の一体走りは、昔は白い越中褌に違いなかったと思いますが、今は色物の六尺褌も許容されています。これは意見が分かれるところですね。変質といえないこともないからです。でも、大きなコンセプトさえしっかり守っていれば良いと言えるのかも知れません。

川狩りは、昔ながらの純白の越中褌を頑なに守っているところが良いですね。頬被りはちょっと奇妙に思えますが、神への畏敬の念の表れなのでしょうか。長崎くんちも、パンツの上から褌を締めるという格好悪いことは止めて、これを見習って欲しいものです。

一体走りや川狩りは、一人の例外もなく、統一した衣装です。無形文化財に指定されると、このような統制の取れた美しい祭りが保存されていくことが確保されるわけで、嬉しいことですね。

2004年10月31日(日)  北の褌太  様より

Re: 神輿一体走り
  和田さん、いつも素晴らしい写真の掲載、ありがとうございます。今回のもいいですね!特に「越中褌の代わりに露出度満点の六尺褌を締めていた。前垂れ式六尺褌は、前から見ると越中褌と判別がつかない。赤い裸の集団はアッという間もなく朝日に向かって走り去った。」あたりは、ゾクゾクします。元気な若者たちの六尺姿って、ホントにいいですね!

子供神輿でも後姿のお尻がとっても可愛いし・・・ やっぱ、越中褌より、六尺褌でなくちゃ!でも、「川狩り」のずぶ濡れの越中褌のシースルー状態も、ジュルー(笑)ですが・・・ 今でも、田舎の伝統文化を見事に復活させたこんな祭りが残っているんですね!また、次の力作を期待します。和田さんの写真集に感謝!!

おはようございます。早々にちばさんの「神輿一体走り」をご覧いただき有り難うございました。伝統の裸文化は褌でないとさまになりません。北の褌太さんのように、裸祭りファンにはたまらない光景だと思いますが、このような祭りが当たり前のことだったのは、そんなに昔ではありません。行政も関与して、専用の施設を建設し、33年振りに復活した川狩りは、感無量ですね。女の子も、ふんどし、ふんどしと言いながら、お父さん方の晴れ姿を眺めている光景は、ほのぼのとした田舎の原風景そのものですね。

2004年10月27日(水)  宮嶋 茂   様より   タイの仏教文化シリーズ 

やっと拝見できました。 
お変わりありませんか。新潟では大変な地震で、一刻も早い復旧をお祈りするばかりです。こちらは地震が無いと言われていますので、災害国日本を思わざるを得ませんでした。

さて、やっとですが、『こっこでしょ、長崎くんち2004』を拝見することができました。色彩が実に豊かで、また大変な動きのある映像で、心ときめくものがありました。これには大庭様の腕の冴えもあることと思います。今まで「長崎おくんち」の名前だけは聞いていましたが、このように鮮明な映像で楽しませていただいたのは今回が初めてでした。どうもありがとうございました。

写真を拝見していまして、赤い前掛けとも、越中褌の名残なのかとも思える出で立ちがありましたが、あれはなんでしょうかね。祭りも時代と共に変化していると思います。できることなら昔の伝統を今に保ってもらいたいですね。今回、拝見していまして、これほどの出し物や、装束の維持管理だけでも大変なことだと思いました。祭りって、やはり大変なエネルギーの要るものなんですね。では、どうもありがとうございました。

こんにちは。お久しぶりです。「長崎くんち」は大庭さんの力作で、私も大いに認識を新たにさせて頂きました。ご指摘の赤い前掛けは、大庭さんが確認しておられます。前垂れ式六尺褌(赤褌)ということで、ガッカリしています。昭和の時代からそうだったということですが、センスのないことをしたものですね。いっそ、赤褌なぞない方がよほどすっきりします。
 
ご返事いただきありがとうございました。私も無粋なことだと思いました。中途半端は余計にいけませんね。ADSLに変えたいのですが、なかなかそうもいきません。では、今後ともよろしくお願いいたします。

2004年10月27日(水)  大森保武   様より  つれづれなるままに

船橋大神宮子ども相撲拝見しました 
ご無沙汰しております 台風23号、引き続き新潟県中越地震の大災害、異常気象なんでしょうか?船橋大神宮子ども相撲拝見しました 女子相撲可愛いですね 特に立会いのにらみ合い、目線が良いですね 31日、『灘のけんか祭り』アップします 纏まりの無いものになりましたが、ご覧になって下さい

ところでSKYPEというIP電話ご存知ですか? 全世界どこでもタダで話せるスグレモノです (ウイルスなどの心配はないとのこと?・・・・・・・) URLは http://www.skype.com/skype.ja.html です ここからダウンロードします もし安全が確認できましたら、1度お試し下さい(マイクが必要) ではまた

女子がまわしを締めて相撲を取るようになったのはいつ頃なのでしょうね。相撲大会の最後の挨拶で、女性が強くなったと感想を述べられた方がいました。今年は台風や地震など天変地異が続いていますね。うちの会社も事故が頻発しており、安全対策に躍起になっています。灘のけんか祭りは晴天に恵まれ、良い写真が撮れたのではないでしょうか。

SKYPEというIP電話は、初めて知りました。パソコンを起動してマイクで話すということは、ブロードバンドの普及で、音声をinternetでやりとりするようになったということで、チャットの進化した形だと思われます。文字が音声になっただけですが、無料で話せるのが嬉しいですね。

我が家では現在プロバイダのso-netのIP電話を使用しています。普通の電話機で普通にかかります。so-net加入者同士はタダで、相手が加入電話のときは、全国一律3分8.5円です。相手の加入電話からも私のIP電話の番号をダイヤルして頂ければ同様の条件でつながります。

2004年10月26日(火)  前田智彦  様より  神田倶楽部

Re:江戸フェスティバルの資料 
和田様 ご返信有難うございます。『四〇〇年目の江戸祭禮(まつり) その風景と情熱の人々』は現在、本文もすべて責了し、明日から印刷に入ります。週末には刷了の予定ですが、上製本のため製本の出来上がり予定は11日(木)になります。従いましてお手許に届くのは最短で12日(金)の予定です(何もトラブルが無ければ…ですが…)。昨日、責了前の確認の刷り出しをチェックしましたが、つくづく和田さんに写真の提供をお願いして良かったと思っております。

巻末にご協力者としてのお名前は無論載せさせて頂きましたが、この度の和田様のご恩に神田倶楽部としての敬意を表し、神田倶楽部会長田畑秀二による巻頭言「発刊のご挨拶」の文中に、特に「本誌の掲載写真には和田義男氏の力作を惜しみなくご提供頂きました。」の一文を入れさせて頂きました(もし6MBほどのPDFファイルの送信が可能であればこの頁お送り致します)。今回の本には神田倶楽部一同自信を持っております、是非貴HPにもご紹介頂けましたら幸いです。

お便り有り難うございました。「四〇〇年目の江戸祭禮(まつり) その風景と情熱の人々」のゲラ刷りや先日のPDFによる最終確認を見せていただきましたが、素晴らしい内容に仕上がっていると思います。私のつたない写真が多数採用され、何箇所かは一頁大に印刷されているのを見ると、本当に嬉しく思います。特に、私の住む青梅市の森下町が保有する武内宿弥は、青梅市の宝であり、ほれぼれする名作ですね。江戸時代につくられたこの人形が大きく紹介されているのを見て嬉しく思いました。

また、神田倶楽部田畑会長の巻頭言に私の写真提供に言及されておられるとのこと、身に余る光栄です。江戸開府400年に当たる2003年に千代田区で天下祭が再現され、その記録を永遠にとどめる今回の企画は、非常に貴重であり、今でも多くの方々により伝統の日本文化が受け継がれていることに深い感銘を覚えます。製本が手元に届きましたら、当サイトでも写真入りで紹介させていただきます。ありがとうございました。

2004年10月26日(火)  lee-soulyoo  様より

はじめまして 
突然のメールで失礼いたします。私、名古屋在住のL. S.と申します。在日韓国人の三世です(祖父が日本に渡ってきました)。日本の観光地等の風景写真を見るのが好きで、色々なホームページを見ているうちに和田様のHPに行き着きました。様々な写真を拝見し、そのすばらしさに感動致しました。

実は私、韓国の、あるインターネット書店のホームページ上に会員用の個人"書斎"という、HPに近いスペースを持っています。その個人"書斎"では主に、読書感想文と共に個人の時事に関する意見、写真なども自由に掲載することができるようになっています。もちろん、公序良俗に反しない範囲で、です。

私も今年4月頃から会員となったのですが、読書感想以外に日本のすばらしい観光地の紹介を、写真つきで掲載し続けて参りました。ただ、私、写真に関して技術があるわけでもなく、出張や観光で訪れた場所の写真をすべて持っているわけでもありません。そこで、色々なHPからコピーさせて頂いて掲載している状況です。主に"日本の写真集 デジタル楽しみ村"さんからお借りしています。http://www.tanoshimimura.com/ ところが、最近になって少し私の意図するような写真が見つからず、掲載も若干停滞気味になっている状態です。

そこで、大変あつかましいお願いですが、和田さんの"WADAフォトギャラリー"に掲載されている写真を使用させていただきたく思い、お願いのメールを差し上げた次第です。もし使用をお許し頂けるのであれば、その旨ご連絡等いただければ幸いに思います。なお、上で申し上げた私の"書斎"のHPは、長いですが以下です。
http://www.aladdin.co.kr/foryou/mypaper/mypaper.asp?CNO=731626123&UID=1458753135&PCID=39333&page=2&CType=1
上記はほとんどが韓国語ですので、説明文をお読みになる事は困難かと思います。でも掲載している写真をご覧になって頂ければ、悪意や商業目的でないことはご確認いただけると思います。なにとぞ、よろしくお願い致します。

おはようございます。お便り有り難うございました。韓国の方からお便りをいただくのは初めてで、嬉しく思います。最近の冬ソナブームで、家内もすっかりヨン様ファンになり、我が家でも韓国の話題が増えています。(^^

写真利用の件、了解しました。韓国の方々に日本の名所旧跡をご紹介頂ければ、日韓親善に役立つものと思います。できれば、写真のそばに「Photo by Wada Photo Gallery」とキャプションを挿入し、「Wada Photo Gallery」に「http://wadaphoto.com/」へのリンクを設定して頂ければ嬉しく思います。ありがとうございました。

2004年10月25日(月)  K. S.  様より  コニカミノルタフォトイメージング(株)

写真データを使わせていただけませんか? 
初めまして。コニカミノルタに勤務している者でK. S.と申します。実は、大成建設でインド駐在の丹下誠司君の高校の同級生なのですが、丹下君のインド通信を見ているうちに和田さんの事を知りました。

早速ですが、ひとつご相談があります。実は会社で使う年末のGreeting Card用の写真を探しているのですが、和田さんのweb上にある写真データを使わせていただけないかと思い、ご連絡させていただきました。

私の所属する部署は「高級インクジェット写真用紙」を製造販売するところなのですが、毎年会社から支給されてくる印刷のCardに飽き足らず、せっかくなので、うちの部署だけはインクジェット用紙を使ったオリジナルのCardを作ってはどうかという事になりました。用途は海外の取引先に送るGreeting Cardで、部数は多分100部程度だと思います。

まだ会社の人には相談していないので、写真を見せて気に入ってくれるかどうかも分からないのですが、私が拝見したところ、日本のよさを見せるすばらしい写真の数々があると感じました。このような内容なのですが、使用して構わないかどうかについて、ご返信をいただけないでしょうか?  敬具

初めまして。お便り有り難うございました。写真使用の件、了解しました。個人使用なのか、ビジネスユースなのかよく分かりませんが、いずれにせよ、丹下さんの高校時代の同級生ということでしたら、ご自由に使って頂いて構いません。できましたら写真の端っこに「Photo by Wa☆Da Photo Gallery」などと小さくキャプションを入れて頂ければ嬉しいです。難しければ結構です。お使いになる写真が決まりましたら、参考のため、お知らせ下さい。

オリンパスの方とは知り合いがあるのですが、コニカミノルタの方は初めてです。私のプリンターはエプソンで、かなり古く、先日不具合が生じて使えなくなりました。今日昼休み新宿西口のビックに行ってきたのですが、タイミング良くプリンタ・スキャナ・フォトコピー複合機のPM-A900が新発売になったばかりでした。説明を聞くと、狭い我が家にピッタリなのですっかり気に入り、購入することにしました。でも、用紙はどうしても純正品になってしまいます。用紙について、余り詳しくありませんので、ご指導頂けると幸いです。これを縁に宜しくお願いします。有り難うございました。
 
お忙しい中、早速のご返信をありがとうございました。ご無理を申し上げましてすみませんでした。ありがたく使わせていただきます。用途につきましては、ビジネスユースと言えなくもありませんが、Greeting Card作成にあたり海外の取引先に日本の良さを感じていただけるような写真が欲しいという事になります。少なくともうちの部署だけの手製というレベルなので大げさな話ではございません。

メンバーの意見を聞いて写真を決定するつもりですが、決まりましたらご連絡申し上げます。また作成したGreeting Card自体もお送りしますので、ご査収いただければ幸いです。「Photo by Wa☆Da Photo Gallery」の件も喜んで入れさせていただきます。

ところで、インクジェットにご興味がおありとの耳よりな情報をいただきました。よろしかったらサンプルをお送りしますので、是非試してみてください。

ここで弊社の宣伝をさせていただきますが、(旧)コニカは現在主流になっているような写真の印画紙を使った高級インクジェット用紙のパイオニアです。1997年に世界に先駆けて発売しました。おかげさまで国内の弊社ブランドのシェアはもとより、国内だけでOEM先は30社以上、海外に至っては無数です。弊社はもちろん自社生産です。プリンタメーカーはもちろん自社で生産は行っておりませんので、こう申し上げると弊社の価値が分かっていただけるのではないかと思います。

さしつかえなければお送りしますので、送り先をお知らせ願えませんか? こちらこそ、これをご縁になにかとお付き合いいただければ幸いです。

<会社>
〒163-0512
東京都新宿区西新宿1-26-2新宿野村ビル
コニカミノルタフォトイメージング(株)フォトビジネス事業部
 
今晩は。お便り有り難うございました。今日の昼休み、ビック新宿西口店でエプソンの主力機種PM-A900を買ってきました。売値は49,800円ですが、壊れたプリンタを持ち込み、2000円安くなり、処理費用3000円がビック持ちになりました。15%のポイントがつき、それでスペアインクとA4印画紙50枚を購入しました。

新しいプリンタで、私の作品を印刷し、傑作集を作る予定です。エプソンの純正の印画紙は、いわれてみればOEMなんでしょうね。とすればインクジェット用のフォトコピー紙は、みんなパイオニアであるコニカミノルタ製ということでしょうか。知りませんでした。ブランド名だけの純正品であれば、それと同等品で、値段が安いのであれば、これからずっとコニカミノルタ製にしたいと思います。(^^; 是非サンプルを使わせて下さい。自宅宛にお送り頂ければ幸いです。

同じ新宿で勤務とは奇遇です。しかも、新宿野村ビルと私のオフィスの新宿センタービルは隣どおしで、地下でつながっています。地下の薬局や本屋に良く行きます。今度、機会があれば、昼食でもご一緒しましょうか。これからもどうか宜しくお願いします。有り難うございました。

2004年10月24日(日)  ちばあきお  様より

力強い子ども相撲! 和田さん、こんにちは。国技である相撲を初めて取材されたとのことですが、楽しく拝見させて頂きました。木漏れ日の中での撮影は難しいものなのでしょうね。豆力士の表情を一瞬にしてうまく捉えておられ、さすがに凄いですね。投げ倒されたときの顔がゆがんでいる写真はその最たるものではないでしょうか。ところで、木漏れ日の土俵の写真に写っている塩らしきを入れた器が2つありますが、今回豆力士たちが塩をまくといったことはしなかったのでしょうか?

豪快な投げっぷり、真剣な眼差し、緩むまわし、そのときの観衆の笑顔、色々な情景を見ることが出来て、大作でありかつ傑作であると思いました。同じ年代でもかなりの体格差があったり、女子と男子の取り組みがあったりして、かなりのハンディもあることと拝見しましたが、いづれにしても力強い勝負事が直に伝わってきました。

また、400年前からの伝統相撲とのことですが、こだわりの褌(まわし)のところにあるように、パンツ姿は受け付けず、大相撲のようにまわし姿のみ受け入れているという船橋の人たちの心意気に私も感動しました。今回、雨で大人の部が撮影出来なかったとのことですが、7時間1500枚にも及ぶ「子ども相撲」の力作を拝見させて頂き本当に有り難うございました。

ちばさん、こんにちは。今朝子ども相撲を見直し、最後のページが物足りなく思い、1ページ追加して6ページとしました。これで会心作ができあがりました。(^^; 拡大写真を貼付しているのは60枚ですが、画像の数は165枚、22.4MBと、見るだけでも大変な大作です。ひょっとするとこれまでの最高記録かも知れません。

塩は最初に役員がまいただけで、子供たちは一礼のあと蹲踞から見合って立ち合うという流れですので、大相撲のようなセレモニーはありません。力水の桶も置いてありましたが、取り直しかなんかで、一度飲んだだけです。

今回の奉納相撲は、子供たちの表情や躍動感、熱気、緊張、涙など、被写体として申し分ありませんでした。欲をいえば、薄曇りであれば、もっと綺麗な写真が撮れたことでしょう。でも、太陽の下で裸で相撲を取るという健康的なイメージが表現できたので、白飛びがあちこちにあっても、心に残る写真になったのではないかと自負しています。有り難うございました。

2004年10月24日(日)  奔馬  様より

Re: 船橋大神宮子ども相撲
   澄んだ空 パソコンゲームは ここに無し

 木漏れ日に 汗で光るや 赤き肌

 体力不足、運動不足の子供たちが増えている現状、狭い日本では相撲は良いですね。そこで礼を知る。相撲は神に捧げる神事であると歴史を知る。 スポーツで体を動かす、勝負の楽しみを知る。男の体を知る。大切なことです。

天と地は 怒り狂いし まだ神願 

 それにしても今回NHKの放送を見ていて、”現地ですが、地震です”と新潟に直下地震が発生して、ここ埼玉に10秒後同じような揺れが来ていました。 新潟のまた全国の台風被害の後始末に追われております方々どうぞ、負けずに頑張って頂きたいですね。

こんにちは。早々に子ども相撲をご覧いただき有り難うございました。太陽の下で、裸で汗を流す相撲は、健康的で素晴らしい行事ですね。閉じこもってパソコンにかじりついている青白い顔の子供が増えていますので、先生方もパンツの上にまわしを締めるなら参加させるなどといわず、日本人として、伝統のスタイルで相撲をとるよう、啓蒙して欲しいと思います。何時の頃からか男女ともにまわしを締めて相撲を取るようになったようですが、裸の触れあいもまた素晴らしい体験になることでしょう。

新潟の地震は、大変な被害が出ていますね。被災者の方々には一刻も早く、平穏な生活に復帰できるよう、祈念しています。

2004年10月24日(日)  北の褌太  様より

Re: 船橋大神宮子ども相撲
  和田さん、いつもメールありがとうございます。実はオイラの実家が新潟県長岡市なんですが、今朝ようやく実家と連絡がとれまして、皆怪我はなかったとのことで、不幸中の幸いでした。ただ、大揺れのため、家財は散乱状態だそうです。

ところで、「船橋大神宮子ども相撲」も楽しく拝見させていただいています。太った男の子たちも、とっても可愛いですね!和田さんのおっしゃる
> 400年の伝統を受け継ぎ、日本の裸文化の華である相撲を変質させることなく
> 伝えている船橋大神宮氏子青年部の皆さんの熱意には心を打たれた。
は、正に同感です!

> まわしは直接肌に締めるものと決まっていた。
ですよね!前回の「こっこでしょ・長崎くんち2004」のように「ハンダコの上に前垂れ式赤褌を締める」なんてほんと伝統文化を歪曲するなにものでもないですね!

また、今回
> 大人の部は、台風23号の直撃により中止となったため、子ども相撲のみの作品となった。
のは、とても残念です。

是非また機会がありましたら、大人の部も取材してその写真を掲載してください。楽しみにしています。

こんにちは。新潟の地震、大変な被害が出ていますが、実家の皆様に怪我がなかったのは不幸中の幸いでしたね。

早々に子ども相撲をご覧いただき、有り難うございました。internetを検索すると分かりますが、奉納相撲でもパンツの上にまわしを締めているところがあちこちにみられるのは残念なことですが、400年の伝統を変質することなく守っておられる船橋の方々には頭が下がる思いです。大人の部をはじめ、これからも伝統の相撲にもカメラを向けてゆきたいと思います。有り難うございました。

2004年10月21日(木)  ASA  様より

祇園祭の撮影状況について教えて下さい。 
初めてお便りします。今春、葵祭の情報を検索中、Wa☆DAフォトギャラリーに行き当たりました。素晴らしい写真集で未知の観光地・祭事ばかりなのですが、高画質の写真を見ていますとその場に引き込まれるような魅力があり、以来、頻繁に当サイトを見させていただいています。

御用繁多の処恐縮ですが、小生2005/7の山鉾巡行撮影にトライするつもりですので、祇園祭の撮影状況についてご教示頂ければ有り難く宜しくお願い申し上げます。

1 写角が高い位置からの写真が多く見受けられますが、脚立か何か使用されたのでしょうか??。

2 四条河原町の辻回しの写真は阪急百貨店側からの様ですが、最前列で場所取りをして待ったのですか??。高島屋側から撮られた写真もあり、注連縄切り、くじ改めのショットを撮っていらっしゃるの で??。

3 祇園祭山鉾巡行は全て2002/7の(雨降り防備した)写真の様ですが、四条通(注連縄切り)、四条河原町の辻回し、河原町通り、新町御池の辻回しと全てお一人で撮影なされたのですか??。移動手段は徒歩で先回りしたのですか??、掲載されている写真が良いショットの写真ばかりですので見習いたくご教示願います。

4 使用レンズは望遠(ズーム)の場合、全て50〜200mmで撮られたのでしょうか??。作者プロフィールの私のカメラではワイド系2本の他には50〜200mmでしたので。

5 小生来年の祇園山鉾巡行では「四条河原町の辻回し」と「新町御池の辻回し」を是非とも撮影したいと思っており、場所取りが何の様な状況なのか、脚立持参が良いのか思案しています。アドバイスを頂ければ有り難く宜しくお願い申し上げます。  草 々

お便り有り難うございました。いつもご覧いただき有り難うございます。ご質問にお答えします。

1〜3、5: 祭りの撮影には、人垣の後から撮ることができるようにするため、脚立が必須です。それがないと人の頭しか写りません。私の脚立は、二段式のオリビア mini CC-60A で、重さ2kg の日本最軽量です。次のホームページで購入できます。  http://www.monotaro.com/cgi-bin/OBP.cgi?mono=6421204

場所取りをすれば、そこでは撮影できますが、その他の場所では写せません。祇園祭は注連縄切りの場所取りをし、そのあとは山鉾に合わせて移動し、人垣の後から脚立に乗って撮影しました。行列は何キロにもなりますので、場所によっては人垣のないところもあります。新町御池の辻回しは、人混みが多く、警察が人を入れないよう排除していましたが、何とかスペースを見付けて人垣の最後列に脚立をたてることができました。写している内に結構余裕ができ、四条河原町よりもじっくりと撮影できるところなので、お勧めです。

あらかじめ撮影計画を立て、あとはその順路で歩いて移動します。大量の見物客で歩道は埋まり、車道は通行止めになっていますので、当然ながら歩く以外の移動手段はありません。健脚を要する体力勝負になります。食事をする時間も惜しいので、リュックにペットボトルを入れ、マラソン選手のように水分補給をしながらの撮影行でした。(^^;

4: 撮影は、最後のページに表示しているように、 オリンパス CAMEDIA E-20 です。レンズ交換のできない4倍ズームカメラです。現在はE-1なので、もっとアップを狙えることができます。E-20 は全てシャープに写りますので、記録写真向きのカメラでした。

結論: 二ヵ所でしか撮影しない(もったいないことです)というのであれば、脚立を持参し、四条河原町で場所取りをして、十分に撮影した後、新町御池に移動するということになるでしょう。四条河原町でも場所取りの視点でしか写せませんので、矢張り移動して色々な角度から脚立に乗って撮影すると良いでしょう。(移動ができないほどぎっしりですが) 下町の風情のある新町に入ると観客も少なくて至近で撮影できますから、良い写真が撮れますよ。人混みの中の脚立の持ち運びは、他人に当たると怪我させる恐れがありますので、十分に注意してください。
 
早速の回答有難うございます。人気サイトのオーナーさんで回答頂けるのかなと思っていましたので回答いただき嬉しく思います。来年の祇園祭は既に宿を予約しましたので、ご意見を充分に吟味して良いショットの写真を撮りたく思います。取り敢えず御礼申し上げます。草 々

2004年10月20日(水)  奔馬  様より

素晴らしい 長崎くんち
  先ず傘鉾の姿、浴衣の配色が素晴らしい。そして若者の真剣な表情である。伝統を守ろうと若者の表情。そして、観客の一体となれる演出と効果。伝統ある日本のショータイムを夢見心地で見る思いがします。有難う御座いました。

実は大学生の次女が傍で見ていまして、途中でパソコンを取られたのですが、こちらのHPを大学の先生に紹介すると、久しぶりに親子の会話をしながら、拝見しておりました。親子の、世間を広げる当HP、羨ましくもあり、誇らしくもありです。今後ともよろしく御願いいたします。

おはようございます。早々におくんちのご感想をお寄せ頂き、有り難うございました。国の重要無形文化財に指定されているだけあり、鎖国時代にも外国に開かれていた長崎らしい異国情緒豊かな伝統文化が息づいていますね。大庭さんのお陰で、その様子を居ながらにして鑑賞できるのは、本当に有り難く思います。

親子の語らい、うちも同様の傾向にありますが、お役に立てて嬉しく思います。娘さんの大学でも見て頂ければ、旅行してみようかという人がいるかも知れませんね。有り難うございました。

2004年10月18日(月)  S. Y.   様より

帰宅して
 帰宅してすぐにパソコンの電源を入れ、和田様の世界へ飛んで来ました。もちろん写真も素晴らしいのですが、その音楽に聞きほれて一面から下へなかなか進めません。私は九州に住んでいますが、以前京都におりましたので京都、奈良の写真も懐かしく拝見しました。

 ところで、先月東北、平泉、角館に行って来ました。そこは、白川郷と同様に観光地であります。でも京都、奈良の本家よりもすごい感動を得ました。角館の武家屋敷には樹齢300年を越える木々がまるで山奥にしかないような巨木となっていました。代々守ってきた人々によって現代の自分たちは見ることができるのですが、人の命のはかなさをおぼえました。 是非和田様には、一度いってみてほしいところです。勝手なことを書きましたが、最後にファンの一人として、益々の御活躍とご健康をお祈りしております。

今晩は。お便り有り難うございました。私のホームページをいつもご覧いただき、光栄です。BGMが良いというお便りは初めてで、嬉しく思いました。写真にマッチするBGMを探すのが大変で、ときには半日を空費することもあります。それだけに良い曲が見つかれば、写真の詩情が倍加しますので、非常に大事だと考えています。

平泉や角館は有名な東北観光の定番のスポットですね。機会があれば是非訪れたいと思います。ご案内、有り難うございました。

2004年10月17日(土)  藤村恒人  様より  写真集 生きる  全日本写真連盟会員

白川郷朝から見ていますよ
 和田さん 白川郷に叉行きましたか 雪の季節を思いださせられました今の季節も良いですね、僕も行きたくなりましたよ。山に囲まれた白川郷の題名どうりすがすがしい風景ですね。展望台からでしょうね、私の行った時は大雪で撮れなかっただけに気になりました

このときは多勢のカメラマンと大雪で散々でした。和田さんも同じ日に同じ場所に居られたようですね。今度は秋でしたか?相変わらずのバイタリテーですね 題名 北舟 映しこみたる秋の水でしたか、良いところバッチリですね。僕も此処 この撮り方好きですね 一度行ってきます。今日は朝から和田さんの白川郷の足跡で癒されています。有難う御座いました。神代植物園の薔薇が綺麗そうなので、近く遊びに行ってきます。では叉

おはようございます。お便り有り難うございました。白川郷のご感想を嬉しく拝読させていただきました。旅をすれば必ず発見がありますね。紅葉にはまだ早かったのですが、秋の白川郷も刈田の風景が旅情をそそりました。今年の二月には藤村さんも同じ展望台でライトアップを待っておられたのですが、気が付きませんでした。今度どこかでお会いできると良いですね。ありがとうございました。

2004年10月15日(金)  ちばあきお   様より

秋の白川郷の感想
 和田さん、今晩は。「秋の白川郷」拝見しました。「人の住む世界遺産」というサブタイトルがいいですね。何か郷愁を誘いますね。実りの秋の様子や合掌造り集落と刈田、稲田の風景がのどかさを感じさせてくれます。明善寺は古い茅葺きの寺なんですね。合掌造りの民家を含め何百年もこの状態を保存するのには手入れも大変だろうし、そこに住む人達の苦労が伺われます。増してや冬は豪雪地帯でもあり、人々の生活の知恵と工夫がそれらの苦難を乗り越えさせ、かつ支えているのでしょうね。

終わりに書かれている「世界遺産と人々の生活」を読むと、何か複雑な思いを感じました。遺産保存と現代文明の相反する様子が痛々しく胸に突き刺さってきます。これからも世界遺産の白川郷が、いつまでも変わらぬよう後世に残っていって欲しいものですが、新築民家が出来て景観が壊れていくのを目の当たりにすると非常に残念です。でもそこには簡単に片付けられない問題があるのでしょう・・・・。

今回は、実りの秋から厳しい冬へと季節が移っていく白川郷の全体像を見せて頂き誠に有難うございました。

ちばさん、お早うございます。「秋の白川郷」のご感想をお送り頂き、有り難うございました。「人の住む世界遺産」というサブタイトルは、冬の「雪の白川郷」のときに、キーワードとして思いつきました。まさに、生活の場が世界遺産になっている特殊な世界です。遺産という過去の遺物と現在進行形の生活がどうやって共存できるのかと考えました。

日本には重要文化財や国宝の民家などがありますが、手を加えることもできず、不便を凌ぎながら生活しているという実態があります。展望台から新築の民家が合掌屋を隠している光景を見て複雑な思いでした。

2004年10月15日(金)  K. T.   様より

秋の白川郷を拝見して
 こんにちは Tです。久しぶりに秋晴れの明るい陽ざしに包まれて仕事をしています。秋の白川郷を拝見しました。刈り入れが終わった田んぼ、咲き誇るコスモスの花等の、のどかな風景は、冬の白川郷の厳しいい風景からは想像できない、安らぎを感じました。先週の瀬戸物の里とともに晩秋のふさわしい作品であると思います。ありがとうございました。

こんにちは。お久しぶりです。いつも作品をご覧いただき有り難うございます。東京もやっと秋晴れとなり、晴れ晴れとした気分です。先日は紅葉真っ盛りということで白川郷に入ったのですが、長い夏の影響で刈田を囲む山々はまだ緑のままでした。でも、刈田と合掌屋の風情から十分に秋を実感しました。そして、厳しい冬の到来を前に、豊かな実りの里があり、短い時間でしたが、長閑な安らぎを覚えました。

2004年10月15日(金)  奔馬  様より

秋の白川郷を拝見して
 まだ行ったことはありません。が、画像を拝見していまして、残念ですが、行く気がなくなりました。こんなに観光化し、綺麗過ぎる合掌造りが立て込み、自然の息吹が聞こえてこないのです。何故でしょう?合掌造りの内部の太い柱や梁や囲炉裏から立ち上る煙など、見たかったですね。

きっともう人々も雪深さと戦っている表情も消えうせているのでしょうね。世界遺産も中途半端な過保護ですとこうなってしまうのでしょうか? いずれにせよ、これが現在の世界遺産である白川郷であることがわかりました。有難う御座いました。

こんにちは。早々に「秋の白川郷」をご覧いただき、ありがとうございました。合掌造りの内部や囲炉裏の風景は拙作「雪の白川郷」に載せています。解説もそちらに詳しいので、是非ご覧下さい。

雪の白川郷 http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/sirak.htm

最後に書きましたように、現在も世界遺産とともに暮らす人々がいます。殆ど江戸時代のままの設備です。庫裡の囲炉裏の間にはテレビはありませんでした。合掌屋にアンテナがあるのはおかしいのでしょう。 洗濯物も大っぴらには干せません。我々のように冷暖房完備の快適さからはほど遠い生活です。それでも、庄川の電源開発のお陰で、国道が整備され、世界遺産になってから、にわかに観光客が来るようになり、お陰で、地元の若者の就業機会が増え、典型的な過疎の村から一転して日本一美しく、そして豊かで希望のある村作りを目指すことができるようになりました。

私が行ったときに、建設中の民家が一軒ありました。 http://wadaphoto5.web.infoseek.co.jp/images/akisirak01l.jpg の写真中央に写っています。展望台から見ると、その新築の家のお陰で、うしろの合掌屋が隠れてしまっています。我々観光客は、遺跡のように、全く手つかずのままの景観を保存して欲しいと願いますが、地元住民に取っては、大変なことなのだと思います。新築中の家は合掌屋ではなく、普通の民家のようです。残念に思いますが、彼らにも現代文明の恩恵を受けた快適な生活を求める権利があると思います。だから建築許可が下りたのでしょう。観光客による俗化が問題ではなく、生活の場と世界遺産の保存という相反する命題をどう解決するかで、苦悩しているのだと思います。

観光化のお陰で、合掌造りの家屋が世界遺産として何とか保存され存続していることだけは間違いありません。あの真冬に、ライトアップのためにあのような秘境に大勢が押し寄せます。観光資源としての価値がなければ、誰からも見向きもされず、過疎化が進み、老人の村となり、貴重な合掌屋が朽ち果ててしまうところだったことを考えると、日本が世界に誇る人の住む世界遺産としてPRし、 世界中から多くの人々が白川村を訪ねてロマンと感動を新たにして欲しいと思わずにはいられません。
 
御返事を有難う御座います。文化遺産と地元の生活について、考えなければなりません。文化遺産は国民全員いや、世界遺産ですから世界中の人全員でですかね?守っていきませんといけません。管理人たる、地元の方々の責任は重いものがあります。

それには遺産そのものに対する先ず、地元の方々が愛することが出来なくてはなりません。地元上げての愛する遺産は歴史を重んじるヨーロッパに良く見られますね。そのために、色々な補助政策が国から援助されている筈ですね。逆に文化遺産と認定されていなくとも地元の方が愛するならば、もっと素晴らしい遺産がありますね。

この問題は祭事の歴史を守る問題にも同じ事が言えるのではないでしょうか?年々人々の生活様式が変わり、祭事の寄付も下がり(地元の人々が大事にしなくなってきた)文化遺産を守れなくなってきているのが現状です。そこで地元は現住民がヘソを曲げないよう、伝統を歪曲してしまう。祭事は昔は地元にとって政治以上に重要な位置づけを持っていたはずです。が、最近また不安な社会環境情勢から地元の(神社にとっては氏子の)結束力の必要性が再認識されてきたのではないでしょうか。そう願いたい。
 
奔馬さん、お便り有り難うございました。世界遺産に指定された以上、その保全に努めなければなりません。ご指摘のとおり、ヨーロッパでは街並み保全条例などが厳しく制定され、新しい建物を規制し、美観を保持しています。

しかし、日本ではその辺の厳しい視点が弱く、美観を損なう建物が建てられているのが現状です。特に、白川郷の場合は、世界遺産に指定されたのがとき既に遅く、五箇山では、10%しか合掌造りの建物が残っていないのです。荻町地区はまだ良い方です。中途半端な状況なので、新たな民家を規制しても大同小異に過ぎないという事情があるのでしょうね。

祭りなどの日本の伝統文化についても全く同じ状況です。この辺で食い止めないといけないというご意見は同感です。困難な状況にあるのはどんな大きな祭りでも同じで、地域のリーダーが誇りを持って伝統文化を守るよう地域住民を啓蒙する必要があると思います。

2004年10月15日(金)  K. I.  様より  けいじのアルバム

Re:秋の白川郷
 おはようございます

平素はご無沙汰ばかりで申し訳御座いません。いよいよカメラを持って気持ちよく出掛けられる絶好の季節がやって来ましたので私は昨日万博公園のコスモスを撮りに行ってきました。和田さんは早速奥様と秋の風情を楽しみに行かれましたのですね。

「秋の白川郷」拝見しました、雪の白川郷とまた違った味のある風景、稲を刈り取られた後の田圃に秋の色が感じ取られますね 紅葉には時期が少し早かったのですか山々はまだ緑が濃い感じですね 数々の茅葺の屋敷が、今年2月に行ったときの雪の残った茅葺の屋敷と当時の思い出が重なってとっても懐かしい気分で拝見させて頂きました。有難う御座いました。今後とも、よろしくお願いします。

おはようございます。お久しぶりです。立秋を過ぎても残暑が厳しく、台風も沢山やってきて大変でしたが、やっと涼しくなり、行楽シーズンが本格化してきましたね。今年は夏が長く、旅行会社に問い合わせると紅葉が見られるとのことでしたが、行ってみると白川郷もまだ紅葉にはなっていませんでした。旅行会社は当てにならないという教訓でした。(^^;

でも、白川郷は紅葉の名所ではありませんので、問題はありません。むしろ、天候が心配でしたが、前後に雨が続き、一泊二日の旅行日だけ晴天に恵まれました。本当にラッキーでした。絶好のシーズンです。どうか素晴らしい写真をお撮り下さい。ありがとうございました。

2004年10月14日(木)  S. Y.  様より

フォトギャラリーを拝見して
 あまりの画像の美しさと音楽にびっくりしています。私は今まで旅して撮りためた写真やフイルムを処分するわけにもいかず押入れにしまっています。そして重い写真集も部屋の隅に積んでいます。それがパソコンという機械の中に夢の中の世界を、和田様は創ってくださいました。撮影されるご苦労もさることながら、沢山の中から編集されること、音楽とどれほど大変なことだろうと思います。

 もう、4年にもなられるのですね。私は、パソコンを購入してまだ1週間にもなりません。このメールも届くかわかりませんが感動とこれからの益々の御活躍とご健康をお祈りしております。

おはようございます。お便り有り難うございました。私のホームページを気に入って頂き、大変嬉しく思います。Y さんも旅の写真を沢山撮り溜めておられるとのこと。是非、デジタル化されて永久保存されるとともに、ホームページで発表されることをお勧めします。こうして多くの方のお便りをいただくと励みになり、また、新たなファイトが湧いてきます。これからもどうかよろしくお願いします。ありがとうございました。
2004年10月14日(木)  青木 憲一    様より  夏の北アルプス縦走

涸沢(からさわ)の紅葉

涸沢の紅葉

拡大写真(800x600)108KB

涸沢の紅葉 こんにちは、青木です。先日上高地〜涸沢に入りました。

上高地〜横尾までは天気も良く良い写真があるのですが肝心の涸沢についたときに、曇ってしまい、ISO感度や彩度を上げたりと苦心したのですが、雑誌に見るような「涸沢の紅葉」とはいきませんでした。来年もリベンジする予定です。

 ではでは、また。

追伸、和田さん、登山にE-1はやはり重かったです。E-300が非常に気になります。

ただ、涸沢の2日目は雨の中の撮影でしたが、カメラが濡れても気にならないE-1は良かったです。 軽さと防滴加工、悩みます。 

青木さん、今晩は。CD届きました。早速見せて頂きました。会心作ではないとのことですが、紅葉が素晴らしいですね!今、候補作がかなり溜まっていますが、この秋本番の紅葉も是非作品にまとめたいと思います。各写真の簡単な説明と最後の総括コメントをお送り下さい。よろしくお願いします。(^^

2004年10月12日(火)  M. K.  様より

ホームページを拝見しました
 はじめまして。私は大学院で数学を研究している K と申します。偶然、和田さんのホームページ「WaDaフォトギャラリー」を見つけて感動したものです。

和田さんの趣味にも書いてありました「旅行」が私の趣味です。特に海外旅行が好きで(最近は時間がなくてあまりいけませんが)、1人で海外に行くのが好きです。そして、知らない人などと話したりすることや沢山の写真を撮ることが好きです。(和田さんが使われている立派なカメラとは違いますが・・・)特に好きな国はカナダで、素晴らしい景色や美味しいワインが堪能できます。

和田さんはテニスもされているようですが、現在活動を続けておられるのでしょうか。私は研究室の仲間と時々、プレイをする程度です。

和田さんのホームページを通して、時間を忘れてしまうぐらい写真を堪能することが出来ました。本当にありがとうございました。いつか、和田さんみたいな素晴らしい方とお会いしてみたいです。

こんにちは。お便り有り難うございました。一人で海外に行かれるのがお好きだとか。グループで行くと、日本人から抜け出せませんが、一人だと地元の人とサシの交流ができ、心底からロマンと感動が生まれます。本当はそれが理想なのだと思います。カナダはまだ行ったことがないので、是非行ってみたい国の一つです。テニスは、地元青梅市のサークルに加入していますが、取材旅行やホームページの運営が忙しく、おろそかになっています。(^^; いつかどこかでお会いできると良いですね。これからも疲れたときには、いらしてください。ありがとうございました。

2004年10月11日(月)  大庭 靖雄  様より  屋久島の森へ 神の島の祭り 博多祇園山笠

Re: 瀬戸物の里 ご無沙汰しています。瀬戸物の里、拝見しました。落ち着いた良い作品だと思いました。いつも有難うございます。また、アクセスが50万を超えたとき、お祝いを言おう言おうと思いながらつい時間を過ごしてしまいました。もう、54万5千ほどになったんですね。発展を続ける和田フォトギャラリーの成功に心よりお喜びを申し上げます。

今年は台風の当たり年でしたね。九州は、16号、18号、21号と直撃3発でした。いずれも午前9時前後に九州に上陸した大型台風で、九州島内の鉄道、バス、船などはほとんど一日中全面的にストップしました。動いていたのは、福岡市内の地下鉄と、都市部のタクシーくらい。そういう対応でしたから、幸い、輸送中に客が災害に遭うという事態は避けられ、翌日には通常に戻りました。一昨日の9日(土)は、東京が台風22号で大変だったようですね。何十年ぶりかの強風が吹いたとか。

ところでその日、私は長崎くんちを見てきました。くんちは7日が前日、8日が中日、9日が後日ですが、8日の夜から長崎に行って後日の催しを見てきました。今年の踊り町は7町。各町が傘鉾を出すほか、曳き物として船が4つ、本踊りと獅子舞、そして担ぎ物として太鼓山(「こっこでしょ」という名が付いています。)が出ました。江戸時代から引き継いできた各町の催し、バラエティがあり、美しく、また面白い行事でした。写真を撮ってきたので後ほど送ります。またよろしくお願いしますね。

こんにちは。お久しぶりです。今年は台風の当たり年で、大変ですね。事前の対応が奏功し、輸送客が遭難する事態が避けられたとのこと、本当に良かったですね。これからが本来の台風シーズンですので、まだまだ気を許せませんね。

長崎くんちは、九州の大きな観光資源のひとつで、非常に有名な祭りですね。まだ見たことがなかったのでおおいに楽しみです。CDお待ちしています。有り難うございました。
 
こっこでしょ 長崎くんち2004 長崎くんちの写真、CDに入れましたので、送ります。長崎くんちは、異国情緒漂う豪華絢爛なお祭りなのですが、単にきらびやかなだけではありません。踊り場という限られた空間で激しく動くその動作を追っているうちに、観客は全て高揚してきます。そして、もってこーい、とか、よいやー、とか、しょもうやれ、とかけ声を掛けていくうちに踊り手と一体になっていくのです。

私は、13年ほど前に長崎県庁に出向していたことがあります。その時も長崎くんちを見ました。その年には、龍踊りや鯨の潮吹きという出し物はあったものの、こっこでしょをやる樺島町は踊り町に当たってはいませんでした。同僚の話ではよほど見応えのあるもののようでした。今年その出し物が出ることを知って、勇んで行ってきました。そしてその勇壮さ、豪快さ、緊張感に打たれました。そこで、このこっこでしょを中心に長崎くんちをまとめてみたのです。

長崎くんちが始まったのは江戸時代の初め。キリスト教を禁ずるという制度が導入され、その反面、長崎ではこの長崎くんちが称揚されたそうです。長崎では、幕府が貿易の利益を独占しましたが、年に二度、市民にその利益を配分する「かまど銀」と呼ばれる制度がありました。このような制度が、長崎のどちらかといえば派手な行事を発展させた面があるように思います。

なお、この写真の解説を添付しましたので、それもご覧下さい。
 
お便り有り難うございました。一太郎の解説文を読ませて頂きましたが、まだ写真を見ていないにもかかわらず、日本三大祭りのひとつといわれる長崎くんちの感動と興奮が伝わってきます。現在、秋の白川郷を編集しておりますので、それが終わり次第作業に入りたいと思います。感動の大作になるよう、全力を尽くしたいと思います。ありがとうございました。
2004年10月10日(日)  丹下 誠司    様より  インド通信

400万円の絵皿

400万円の絵皿

拡大写真(600x450)60KB

Re: 瀬戸物の里 焼き物好きの私に、瀬戸をありがとうございます。今、画面に入れました。うちのなくなったじいさんとかばあさんも、せともん、せともんと焼き物ことを言ってましたので、非常に親しみを持って読めました。

さて、今回は、うちの後輩のお宝をご紹介します。彼は、スリランカ勤務ののち、九州支店に来て、私と一緒に九州で頑張り、今は、また国際支店で一緒に仕事をしています。

この皿は、スリランカのお寺で、お坊さんから、10万円で買ったそうです。そうです、見事に、東インド会社のVOCの文字が。日本で作られ、たぶん、江戸時代の輸出でしょう。瀬戸もんでしょうか?あるいは、唐津もんでしょうか?
昨年ですか、日本のテレビで、なんたら鑑定団という奴に出品して、なんと、400万円の値がつきました。仲間内では、セイロンの坊主を泣かして騙してと、からかわれています。754KBで重いのですが、彼の幸運を笑ってもらおうと思って、送ります。

焼き物好きの私は、30万円なら、即金で買うと申し入れましたら、丹下さん、300万円ならと言われました。うっ・・ まだ独身なんで、おなごを、えさで、この皿を、30万円で、買い取ろうというのが、今の私の目論見です(笑)。

お早うございます。早速「瀬戸物の里」をご覧いただき、有り難うございました。開運なんでも鑑定団は時々見ていますが、400万円の鑑定がついた絵皿の写真、有り難うございました。私にはその価値が分かりませんが、江戸時代の骨董品ということで値打ちがあるのでしょうね。それにしても凄い掘り出し物でしたね。インドにもまだまだお宝が眠っているのではありませんか。いい話があれば、私にもお裾分け下さい。(^^;
 

この後輩は、まだ独身で、最近、新宿にマンションを買っていますが、早く、金に困る状態が来ることを、祈っている先輩です(笑)。当時、スリランカは、船交易の中継地ですので、何かの拍子で、お寺に保管されたものと思われます。それにしても、運の強い後輩です。当時の船旅に思いを馳せると、30万円も惜しくない先輩ですが、こちらのそういう想いを、300万円でなら・・ という優しい後輩です。う〜っ・・・

2004年10月10日(日)  A. A.  様より

インド通信を見させていただいて
  丹下 様  インド通信を拝見しました。皆さん、写真の出来が良いですね。

海外在住は計25年に達する小生ですが、インドは出張で通過しただけです。もう、30年近くも前でしょうか、ムンバイ(当時はボンベイと呼んでいました)に立ち寄ったことがあります。飛行場のフェンス一杯までスラムがビッシリと連なっていたのが最初の「ビックリ」でした。ホテルへ向かう道筋の歩道は雨に濡れてドロドロでした。そこに、大勢の無気力な人達が何をするのでもなくうずくまり、正直、目をそむけたくなる状態でした。そして、郊外に住む金持ち階級は別世界のような生活をし、自国の貧乏人を蔑視するような態度を見せていました。

今回の写真を見ますと、ごく普通の人達と見られる方々の着るもの、体格、それにマーケットに置かれた食品の新鮮さと豊富さで、随分と状況は良くなったのかと思いました。それとも、ムンバイへ行けば昔と同じなのでしょうか?

小生が数年を過ごした国で、その後生活レベルが大いに改善されたのがマレーシアとタンザニアです。こうした国々は何度でも訪れたくなります。実際にそうしております。

多くの方々が驚かれますが、イランもその一例なのです。山奥の村々を訪れると、パーラビー国王時代には無かった水道や電力線がまんべんなく引き込まれています。以前には4階級にも分かれていた工事現場の食堂も、今は差別なく、私たち外国人技術者も運転手も同じ食堂で同じ物を食べています。

余計なことまで書きましたが、丹下様の写真を見させていただいて、色々な事柄が胸を去来しました。立派な写真を見せていただき、有り難う御座いました。

お便り、ありがとうございました。私が海外在住がまだ10年の駆け出しですので、25年の大先輩からのお便り、大変、嬉しく思いました。インドは、このところの高度成長で、昔に比べると、格段によくなっているようですが、もちろん、都市部にはまだまだスラムもありますし、農村部に7億人(人口は10億2千万人と言われています)住む状態ですので、ほんと、まだまだこれからの国だと思います。また、インドには、カーストがありますので、この階級意識の差というのは、将来も埋めがたいかもしれません。

ムンバイももう1年ほど行っておりませんが、高層ビルが立ち並び、また、スラムもある状況で、Aさんが訪れた時代から、ムンバイも、進めてたところは進めたが、遅れたところは、昔のまんまという状況だと思います。うちの会社も世界的な展開を図る中で、こうした各国毎の差を認識して、うまく、日本の持つ良い差を出せるかが、海外工事での勝負所かなと思ったりしております。

和田義男さんが運営されている Wa☆Daフォトギャラリー に、報告の場をお借り出来る幸運にも恵まれましたので、今後も、引き続き、今のインド(現場のあるベンガルに偏りがちですが・・(笑))を、皆さんにお伝えしたいと思っておりますので、時折、覗いていただければ、嬉しいです。ありがとうございました。  インド丹下拝
2004年10月9日(土)   藤村恒人  様より  写真集 生きる  全日本写真連盟会員

乗鞍・あざみ池

乗鞍・あざみ池

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台風一過 和田さんよく降りましたね

名古屋瀬戸へいかれましたか、僕もs40年ごろ名古屋に赴任していました 東海北陸担当で瀬戸にも仕事の途中に行った事があり 懐かしく拝見しました

当時は和田さんのお便りの様な観察能力もなく珍しさだけの散策でした 若い時代を思い出す土地でした。ここでも裸がでましたか、

乗鞍岳は雨の三日間でしたが哀愁を感じさせる風景もあり楽しみました あざみ池の名残り紅葉を添付させてもらいます

今晩は。早速「瀬戸物の里」をご覧いただき有り難うございました。台風22号も土曜日だったので助かりました。都心は大変な混乱で、新宿に出勤していたら、いまだに帰宅できなかったと思います。青梅の方は被害もなさそうで、ホッとしています。

乗鞍のあざみ池の写真、有り難うございました。

2004年10月7日(木)  H. I.  様より

チベットの旅について
  丹下 様  インドの旅に感動しました、今度は表記の件ありましたなら拝見したいのですが?リアルに撮影されています。今後のご健闘お祈りします。

「雨季のヒマラヤ点描」は、撮影地が、ヒマーチャルプラデッシュ州でしたので、隣がすぐチベットでした。それで、現地踏破中も、チベット系の顔の人たち(日本人になんとなく似ています)をたくさん見かけました。

建設業者としても、水源豊かな、ヒマーチャルプラデッシュ州やチベットは、将来の水力発電予定地として非常に興味がありますので、チベット入りする機会が将来ございましたら、また撮影して、 Wa☆Daフォトギャラリー で、ご紹介させていただきたいと思っております。

また、同じく、 Wa☆Daフォトギャラリー に、「インド通信」の名前で、和田様に発表の機会を頂けておりますので、宜しければ、こちらも、今のインドということで、お楽しみ下さい。  インド丹下拝
2004年10月7日(木)   奔馬   様より

祭りとふんどし

拡大写真(563x516)87KB

祭りとふんどし 和田さんのお説の通り、腹巻もせず、野暮な半纏も捲くり上げ、向島、池袋、目黒と担ぎ上げてきました。神輿を担ぐのは神を崇拝するもの達の神聖な行為です。その神の御利益を町中の氏子へ配り歩く(神輿町内渡御)役目をになっていますので、清廉な体で、できるだけ体に余計なものはつけずに渡御するのを実行している訳です。

webだけでどう解いたとて、まだまだ小中学の修学旅行でパンツのまま風呂に入るようでは、神事への理解は程遠いものになりましょう。もし、文章だけで啓蒙するだけでなく、その文章を各大きな祭りのある宮司宛お手紙を差し上げて訴えるぐらいの行為をなさいませんと、行動は起こされませんでしょう。

担ぐものとしましては、ふんどしが許されないような祭事には参加しないことです。(来年の深川はどうしようかと思っていますが。一人の力ではどうしようにもありません)

今晩は。お便り有り難うございました。褌を締め、楽しく神輿を担いでおられる奔馬さんの写真、良いですね。深川の祭りが褌禁止とは本当に理解に苦しみます。おっしゃるように、そのような祭りをボイコットすることもひとつの方法でしょうね。直接主催者に抗議することも有効だと思います。実は、私はメール作戦を既に実行しており、「宮島玉取祭」についても町長にメールを出しています。残念ながら返事は来ていませんが、これからも折に触れ、意見を開陳したいと思っています。

参考: 宮島町 佐々木雄三町長 様

はじめまして。私は、ロマンと感動を伝える世界の旅の写真館「Wa☆Daフォトギャラリー」を主催する和田義男と申します。世界21ヵ国の世界遺産、名所旧跡、山岳、祭、花などをホームページで紹介しています。

Wa☆Daフォトギャラリー  http://wadaphoto3.web.infoseek.co.jp/index.htm

このたび、私の仲間が2004年8月21日に宮島で行われた玉取祭を取材し、その模様を作品にして過日ホームページに発表させていただきました。

宮島玉取祭  http://wadaphoto5.web.infoseek.co.jp/miyat1.htm

400年前から伝わる古式豊かな玉取祭は、福岡県の筥崎宮の玉取祭「玉せせり」とも違い、海中で繰り広げられる宝珠争奪戦は見事で、ほかに例がなく、世界文化遺産の宮島ならではの素晴らしい海の祭典であると思いました。この作品は多くの読者に感動を与えています。

しかし、気になる点がひとつあります。それは、祭りの参加者の大半が海水パンツ姿であるということです。本来、厳島神社の神事であってみれば、参加者は古来の装束である褌を締め、禊ぎを行った後、神事に臨むはずで、海水パンツを容認されておられる点が、この祭りの品位を著しく下げていると思います。どうみても地域住民の娯楽を主体とした祭りであり、遠来の客に見せる祭りではありません。

この祭りを見てガッカリした人は少なくありません。ほかの多くの裸祭り、とりわけ神事として行われる祭祀であれば、このような衣装の乱れや変質はほとんど見られません。世界文化遺産の文化という範疇に玉取祭が除外されているとは思われません。玉取祭自身も日本が世界に誇る文化遺産であるべきです。

参考 日本の裸祭り  http://wadaphoto.web.infoseek.co.jp/index3.html

改善策は簡単で、次回から「参加者は白色の六尺褌に鉢巻姿とする」などと決めればよく、褌を持ってこなかった人には、白晒を切って配付すれば、大した費用はかかりません。神事である以上、褌の色は、神奈川県の江島神社天王祭のように白で統一すべきでしょう。たったこれだけのことで、古来の伝統文化を期待してやってくる国内や海外の観客に多くの感動を与える素晴らしい祭りになると思います。

参考 江の島天王祭  http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/eten1.htm

(老婆心ながら褌の締め方も指導する必要があります。褌で参加した人は、六尺褌を前垂れ式に締めている人が殆どですが、写真のなかにはゆるんでいたり、はみ出ていたりしているものがあり、勿論没にしましたが、昔の水褌のように前袋式にキッチリと締めないとだらしない格好になります。)

厳島神社のサイトがみつからないので、宮島町にメールしました。ご検討頂ければ幸甚です。家内の出身地・広島県と宮島町の今後益々のご発展を祈念します。  東京都青梅市 和田義男 57歳
 

こんばんわ 御返事を有難う御座いました。男の復権と本来の神事の復権をかけまして、粋な神事を望むものとしまして、和田様の活動に励まされます。添付いたしました深川大祭の画像ですが、町内によってはふんどしを許しているところもあるのだという証拠写真です。

もう一枚は鳶の頭の粋な先導隊です。先頭のめがねをかけた頭は本も出版されている方です。(名前失念『とんびのたわごと』、ごめんなさい絶版ですので諦めた経緯があります)でも、祭事にふんどしを絶対であるとする、説得は大変難しいと思います。

個人でなく連署(署名書き集)でないと(政治力またはマスコミ力があれば良いですが)訴追力が薄くはないですか。僕は両方ともにないので、実践してアピールしているのです。今のところ、どこからもクレームはないですね。時代がまた変わって、ふんどし復活の気配さえ感じられます。今後も何らかの形で、復活に向けて(博多山笠に負けずに)頑張って行動する積りです。
 
更に貴重な写真をお送り頂き、有り難うございました。深川祭りでも褌を許容しているところがあるのですね。安心しました。(^^; おっしゃるように個人の力は僅かなものですが、何もしないよりも何かした方がよいでしょうね。奔馬さんが実践派なら、私は写真と投書でアピールしてゆきたいと思います。有り難うございました。
2004年10月6日(水)   南光 優   様より  アマチュア山岳写真家

天狗池の逆さ槍

天狗池の逆さ槍

拡大写真(332x480)34KB

報告 こんばんは。E-300についていろいろの情報有難うございました。ところで、当方先週土曜日から火曜日にかけて槍ヶ岳の傍の南岳(3033m)に登頂してきました。南岳に登る途中にある天狗原という所に槍の姿が映るという有名な池があり、それを写真に収めることと紅葉の撮影が初期の目的でしたが、今回は運悪く低気圧の停滞ということで雨の天気予報の中、事実雨に遭いましたが、ラッキーにもそれなりに目的を果たすことができました。

特に天狗池での写真はあきらめて昼食の準備をしていたところ、ガスが一瞬消え槍が姿をあらわし、瞬く間に消え、その後雨が降り出しましたので本当に超ラッキーの一枚でした。でも、その後高度600mぐらいの登りは雨と風の中結構寒い思いをさせられました。そして山小屋に入ってのTVの天気予報では二日間にわたって雨という事でしたが翌日は太陽が顔を出し雨に遭わずにすみ晴天下の紅葉もカメラに収めることが出来ました。しかし、昨日は上高地までの3時間、完全な雨の中。しかし朝6時半ごろ出発しましたので道中靄のかかった幻想的な山景色を楽しむことが出来、又例の明神池にも寄って来ました(何回も歩いておりますが今までに雨にあったことがなかった?)。ということで傑作写真までには至りませんでしたが今回もラッキーが重なりました。取り敢えずその一部を添付いたします。ご参覧ください。  南光

今晩は。私も家内と一泊二日で乗鞍高原や白川郷、飛騨高山を旅し、先ほど帰宅したところです。今日の白川郷は天候に恵まれ、良い写真が撮れました。「秋の白川郷」と題して、作品に仕上げたいと思っています。

素晴らしい写真をお送り頂き、有り難うございました。早速紹介させて頂きます。天狗池の逆さ槍は素晴らしいと思います。もし、ひとつの作品に纏まるようでしたら、感動写真集にご登場頂ければ幸いです。短編でも構いませんので、ご検討いただければ幸いです。有り難うございました。

2004年10月5日(火)  T. F.  様より

初めまして、KマガジンのFと申します
 サイトの方、拝見させて頂きました。Kマガジンという出版社の、実話マッドマックスというアウトロー、祭り雑誌を発行させていただいていまして、岩手の蘇民祭という奇祭を次号にて特集したいと思っております。岩手のあらゆる新聞社へ、写真を借りようとしたのですが、どうしても全裸写真は保存していないと言われてしまい、出来ましたらサイトに掲載されている、蘇民祭の写真をお借りできないでしょうか?もちろん、お金も支払わせていただきます。

連絡お待ちしております。今締めきり前なので、できるだけ早く連絡をいただければ幸いです。よろしくお願いします。

お便り有り難うございました。当サイトの写真をご希望ですが、今回は次の理由により、辞退させて頂きます。

1 匿名の方のビデオからキャプチャーしたもので私のものではないこと。
2 画像が小さいので、印刷に堪えるものではないこと。
3 編集内容によって、名誉毀損に触れると困ること。

以上、申し訳ありませんが、ご了解下さい。有り難うございました。

2004年10月5日(火)  M. K.  様より

はじめまして
 和田様こんにちは。はじめてメール致します。祭の光景や絶好の景色等いつも楽しみに拝見しております。和田さんのHPは、作成者の方のご意見だけではなく、閲覧者の意見も拝見することができ、双方向な内容になっているのがよいですね。写真についても、臨場感あふれる物ばかりで非常に興味深いです。

さて、このところのページには大原のまつりや宮島のまつりなどについてのご意見が掲載されていますが、それについても面白いですね。確かに、ふんどし姿が祭本来の装束なのに、多数の人がカラフルな水着で現れると興ざめですね。また、水でぬれた下からカラフルな柄のパンツが現れると無粋です。−ただこの場合、水でぬれた下から男性自身がありありと浮かび上がるのも問題だとは思いますので、褌を締めるのがいちばんよいと思いますが。

常々、和田さんは日本固有の裸文化といった記載をされますが、日本は漁業の国であり、漁師町ではごく最近まで作業は、全裸が正装だったということからそのように表現されるのでしょうか?確かに、三重県尾鷲市のように漁師町では今も全裸で禊をする祭がありますよね。漁師町と裸祭のルーツ等も調べてレポートしてもらえるとうれしいです。私が住む愛知県の尾張部にも国府宮裸祭という有名な祭があります。しかし、あまり詳しくは、知りません。できれば、それについてレポートしてもらえればありがたいです。

今晩は。お便り有り難うございました。いつも私のサイトにお越しいただき、嬉しく思います。なかでも裸祭りがお好きなようですね。日本は元来が瑞穂の国といって農業国です。今でも春になると天皇陛下が田植えの儀式をされるほどです。海に囲まれていますから、漁業も盛んです。いずれにせよ、高温多湿の裸文化は、農業、漁業に関係なく、昔からあるものです。

漁業も房総のように藁しべスタイルもあれば、褌スタイルもあります。私の育った高知の漁師は褌スタイルです。暑い国ですから、昔は冬を除いて陸も海も労働着は裸に近い格好でした。

三重県尾鷲市の全裸の禊ぎは初めて聞きます。どういうお祭りでしょうか。愛知県の国府宮の裸祭りは、有名ですね。去年は確か死者が出たと記憶しています。機会があれば取材したいと思っています。有り難うございました。
 
ご返事ありがとうございました。 こんにちは。裸祭の特集がたくさん組まれていますが、和田さんも裸祭についてご関心がおありなのでしょう。裸祭のどんなところに関心を抱きますか?

鎌倉の荒行についてのレポートもありますが、全国各地には荒行もたくさんあるようです。裸祭とは別枠でこれも設けて頂けるとうれしいですね。裸祭についても、知らないものばかりです。もっと充実して頂くことを期待しています。

昨日、大阪へ赴いた折に大阪城へ行ってきました。残念ながら、時間の都合上、天守閣内部等詳しく見ることはできませんでしたが、とても大きな城郭だなと実感できました。

各地の城郭は、戦時中戦争施設だったため、米軍の攻撃が激しく、重要な建物を多く失いました。また、焼失しなかったところでも戦争の傷跡が残っていることを発見しました。

大阪城の天守閣の東北側というのは、天守台の石垣がぼこぼことずれています。これは、空襲によるものだそうですね。ゆっくり見学をすることはできませんでしたが、看板の記載でそれを知り、そこだけは見てきました。 2004/10/07
 
お便り有り難うございました。裸祭りの魅力は、ふんどし談義にも書いていますように、日本人男性のアイデンティティともいえる粋で鯔背な褌姿です。世界を眺めてみても、これだけ多彩な裸文化は存在しません。今の若い方は、すっかりアメリカナイズされてしまい、高温多湿の裸文化を恥ずかしいと思う感覚が強いようで、残念です。

裸祭りというジャンルは、大衆の面前で裸で行う祭祀として考えていますので、公開される荒行は裸でおこなわれるなら立派な裸祭りです。裸でない祭りも高尾山薬王院の火渡祭のように公開される荒行は祭祀ととらえて、取材の対象にしています。私の知らない荒行がありましたら、教えて下さい。機会があれば取材したいと思っています。

大阪城は、鉄筋コンクリートの城となってしまったのが残念ですね。

2004年10月3日(日)  吉岡 實  様より   素晴らし八ケ岳 

褌談義
 こんにちわ、やっと秋らしくなりましたね。お便りコーナーの褌論議、懐かしい思いでした。

私が子供の頃、夏の親父は家族などの前ではフリースタイルが平気で人前では越中褌というスタイルでそのナニを見るのはかなり苦痛でした。私は夏休みに船のスクリューに絡んだ海草を5円で取るアルバイトの時友達はフリチンでした。私はパンツが無くて泳げないのが悔しく母の水着を裁断して貰いましたが泳いでいる途中脱げてしまい・・・皆と同じフリースタイル。

一度だけ高学年で海でフリースタイルで泳いだ事がありますが何とも落ち着かない何か言い知れぬ不安感なんですよね、判りますよねこのブラブラーっとした感じ。思えば親父だけではなく皆金が無いから単純にパンツを買う金が無かっただけの事で神や国は関係なく、だからと言って彼らを責める気持ちは毛頭ありません。当時大人で泳いでいる人は余程のひとで皆明日の飯の事で手一杯だったと思います。

今やカネさえあれば何でも手に入る確かにそう、人の心以外はなんでも。でも故郷の海は汚染で泳げない・・・、一体我々は何十年もかけて何をやって来たのだろうと思いますよ。どこで間違ったんだろう?

こんにちは。お便り有り難うございました。フリースタイル談義、楽しく拝読しました。フリースタイルは低学年では気になりませんが、成長するに連れてブラブラ感が増します。褌はサポーターだったんですね。今でも温泉や銭湯でそれを実感します。(^^;

瀬戸内もひと頃に比べて海は綺麗になりましたが、日本海の隠岐ではまだ泳げないところがあるのでしょうか。高度経済成長で豊かになった日本ですが、埋め立てや汚染により、白砂青松の豊かな自然が失われてしまったのは、残念ですね。これから成熟した世の中になって行くことでしょうが、みんなが貧乏だった昔の自然環境を取り戻したいですね。有り難うございました。

2004年10月2日(土)  奔馬  様より

Re: 玉祖神社・占手神事
 こんばんわ 奔馬です。イチローの活躍で日本中は沸き立っていますね。経済効果は如何なものでしょうか、と日本のジャーナリズムに汚されている自分がおかしいようです。

さて占手神事を画像及び説明文を拝見いたしておりまして、あれ?と思いましたのは、『呪術的儀礼に富んだこの神事は、山口県の無形民俗文化財に指定されている。』と冒頭の説明がありましたが、
1.無形民俗文化財
2.呪術的儀礼
である。と、だと致しますと、民俗文化財と我々との結びつきは?呪術的儀礼が歴史上どういう意味付けがあるのか、まったく、私の勉強不足でぴんと来なかったのです。で、便利になりました。急いで図書館に駆け込まなくとも、webという一つの単語で、集約されていて調べ、確証することができますね。

 1.神事の古式の習俗をよく伝え呪術的儀礼(先ず、この一点がポイントであると思います。古の政(まつりごと)の実態がわかります)
 2.本来神が降臨する夜中に行われたこと。(やはり、まつりごとは夜中であったことの確証)
 3.ふんどし一本の裸で剣を納めるのは天皇に対して従順であることの証明(現代の相撲の土俵入りが理解できます)
 4.相撲のかたちをとるのは戦いの吉凶を占うこと(現在の相撲が神事であったことが解ります)
  で、はじめて、疑問に思っていた2点が理解できました。

このような理解のきっかけを作ってくださったことに真に感謝しております。

今晩は。色々とご意見を賜り、有り難うございます。呪術的儀礼は、現在の宗教に充ち満ちています。広辞苑によると、「呪術(じゅじゅつ)とは超自然的存在や神秘的な力に働きかけて種々の目的を達成しようとする意図的な行為。未開・文明を問わずあらゆる社会に見られる。」とあります。高尾山薬王院・大火渡り祭や長勝寺の寒の荒行などのいわゆる加持祈祷がそうですし、安全祈願祭でも宮司が御幣でお祓いをするのはまさにこれにあたります。知らないうちに日本の伝統文化と呪術的儀礼は、神道や密教、自然崇拝の土俗の宗教などと密接不可分の関係にあると思われます。この神事もその典型ではないでしょうか。

ご紹介いただいた説に対して、一点だけ同意できない点があります。すなわち、褌一本で剣を納めるのは天皇に柔順とのことですが、今回の神事は、天皇が軍士という使者を派遣して、神に戦勝祈願の占いをしているのですから、従順たる対象は神社であり、神であると思います。軍士が額ずいているのも、相手は天皇ではなく神です。
 
こんばんわ 奔馬です。ストリー的に観て、剣を納める行為は、まず使者が天皇の前に、まったく、天皇に何の敵愾心もないと証明するための行為ではなく 、神にたいする行為であったのですね。此方もうなずけます。が、この行為は目上の方々、この場合、使者が、天皇か、神かに対し、政では良く行われた行為であると文献に良く現れますね。

占手神事は大衆とかけ離れた神事であり(最近は五穀豊穣との説もありますが)、解りにくく、じみな祭事でありましたので、その意味付けを自分の中に納得させるのに苦労したわけです。しかし、このようなご紹介の重要性も十分に理解できた今回は私にとって、財産となりました。ありがとうございました。  10月3日
 
お便り有り難うございました。天皇の存在は昔から変わっていませんが、明治維新の後、天皇の現人神(あらひとがみ)という神格性が強調されるようになりました。明治政府が天皇のカリスマ性を強めて統治に利用したためです。国家神道という新しい理論構築がなされました。土着の神や自然崇拝、仏教など神仏混淆の文化を否定し、廃仏毀釈という政策を打ち出し、寺や仏を破壊して、神社を統治に組み込みました。明治の法難で、バーミヤンの石窟の破壊のような無謀なことをしたのは、その最大の汚点です。

過激な明治政府の以前は、天皇の力は弱く、幕府や仏教勢力が権力を握っていました。明治維新はその反動です。そのために、西洋の文化を取り入れ、これまでの文化を否定することにより、存在意義を高めました。

現在、神前結婚が続いていますが、これは明治政府の政略で、明治になってから始まった儀式で、新しいものです。以前は各地方のしきたりで行われており、神前などではなかったのです。

明治政府は、神社の文化も統一しようとしました。拝礼も二礼二拍一礼で統一するなど、地域の伝統文化を破壊しています。終戦後、地方の独自性が復活し、出雲大社では「ニ拝四拍一拝」に戻しています。

終戦後、天皇は現人神から普通の人になり、憲法では日本の象徴と位置づけられました。長い歴史を見ると、天皇が神のように扱われるのはほとんどなく、我々の先祖は自然崇拝や土着の神と対峙してきたといえます。 10月3日

2004年10月1日(金)  M. S.  様より

ありがとうございました
 連続してのメールありがとうございました。仕事でしばらく日本を離れており、返事が遅くなりましたことをお許し下さい。どちらも写真が素晴らしく迫力がありますね! 確かに水法被の下の柄パンはいかがなものかと思いますが、個人的にはもろ出しのお祭りは、何となく露出好きな人の自慰行為の空気が感じられ、あまり好きではありません。すぐにゆるんでだらしなくならないものが好きです。せっかくなのですからきっちりと締めて欲しいものですね。2つ目のお祭りは、締め方に特徴があってとても新鮮でした。あんなお祭りもあるのですね。

いつもありがとうございます。和田さんのおっしゃるように、ぞくぞくと新しいデジカメが発表され、まだ決めかねている状態です。またよろしくお願い致します。失礼します。

今晩は。お便り有り難うございました。褌一丁の祭りは、余りお好きではないとのこと、残念です。日本の裸文化は、もろ出しが原点です。私は、高知の田舎で育ったせいで、もろ出しに慣れ親しんだ方ですので、違和感がないばかりか、むしろ郷愁を感じる世代です。(^^;

デジカメは、コンパクト機が一応行き着くところまできましたが、一眼レフ・デジカメの方は、戦国時代到来です。コンパクト機に満足しない方が移行する市場で、フィルムカメラが滅びて、その後継機としてかなり大きな市場になることが予想されます。これから高性能化し、低価格化してゆきますので、ひと頃のパソコンと同じで、買う時期を決めかねるかも知れません。大型液晶テレビではありませんが、標準ズームレンズ付きで、10万円を切るのが、ひとつのメルクマールではないでしょうか。今はまだ高いと思います。
 
なるほどです お返事ありがとうございます。

> 褌一丁の祭りは、余りお好きではないとのこと、残念です。日本の裸文化は、もろ出しが原点です。
> 私は、高知の田舎で育ったせいで、もろ出しに慣れ親しんだ方ですので、違和感がないばかりか、
> むしろ郷愁を感じる世代です。(^^;

いえいえ、褌には全く抵抗はないです。すぐ緩む締め方をするのは何となく緊張感に足りない気がするだけなんです。緊褌ともいいますし、ピシッとしていて欲しいだけなのです。さて、もろ出しが標準でしたか(汗)。これは大きな発見です。

僕はそういう地域はとても希で、しかもその地域の中でも、その「非日常さ」と言うものをしっかり認識した上でのハレ行事だと思いこんでいました。しかしそうではなく、地元の人間にとってはごくごく当たり前の事で、むしろ日常的な風景だったのですね。とても勉強になりました。 

逆に言うと、今トランクスなどの上に褌を締めている若い世代は、本当は褌の下には何も着けてはいけない事は承知しているが、気恥ずかしいからはいてはいる。けれども、パンツと褌同時着用はみっともないと言う事を認識していて、祭りに参加しながらも何となく小さくなってしまう・・・ と言うことは全くなく、「何か恥ずかしいから両方つけました」 とそれだけなのかも知れないですね。

そうだとすると、誰かの鶴の一声で変わるという物ではなく、案外根が深い問題なのかも知れないですね。僕は東京出身なので、あまり他を知ろうともせずに、褌が標準、裸は露骨、などと決めつけていただけだったようです。反省しています。

デジカメは「待ち」ですか。でもどうせ新しいiMacやWINノートも欲しかったので、ちょうど良かったのかも知れません(笑)。

本当にお返事ありがとうございました!これからも頑張ってください。応援しています。 10月3日
 
お早うございます。土佐の高知は、夏の暑さが厳しく、昔は今のようなエアコンもなく、裸になっても暑いのです。叔父の家に行ったとき、叔父が越中一本で昼寝していましたが、下着の用をなしていませんでした。水褌のように前袋式できっちりと締めていれば乱れませんが、越中にしろ六尺にしろ、下着は前垂れ式ですから、殆ど緩みます。褌とはそういうものだと思っています。

私の子供の頃は、大人は越中ばかりで、六尺は見たことはありません。海水浴の水褌(すいこん)だけです。夜の宴会も越中一本ですから、あぐらをかいたり膝を立てたりして興じている大人を見ると、もろみえです。(^^; 銭湯ではタオルで前を隠すような女々しい光景はなく、堂々とした丸裸ですから見慣ています。宴席でお盆で隠した全裸の裸踊りが披露されましたが、殆ど差がないのです。(^^;

私も小学校低学年はフリチンで泳いでいましたし、たまに黒猫(イドクイと呼んでいました。オイド(尻)に食い込むからでしょうか。)でした。高温多湿の裸文化で育ったのです。

大原のはだか祭りで最後に書いていますが、房総の漁師は藁しべ一本の全裸でした。今年の6月30日に九十九里浜という小関与四郎の写真集が発売され、評判になっていますが、裸の文化が赤裸々に記録されています。

相撲にしろ、祭りにしろ、そのような裸文化がそのまま反映されています。明治の文明開化により、裸は野蛮だとする西洋のキリスト教文化を鵜呑みにした明治政府により、今のように肌や尻を露出するのは恥ずかしいということになってしまいました。今は相撲や祭りにその片鱗が残されているだけなので、残念に思います。

富岡八幡宮の深川祭りでは、褌が禁止されているということですが、日本の伝統文化をないがしろにする祭り主催者のセンスの悪さには驚くばかりです。リオのカーニバルのように女性のTバックは問題ないのに、男性の六尺褌はなぜだめなのか、理解に苦しみます。国重要無形民族文化財の博多祇園山笠を見習って欲しいものです。 参加者の自発性に待つのではなく、博多山笠のように主催者が褌でないと参加できないというような強い姿勢を打ち出さないと、日本の裸文化の継承は難しいと思います。 10月3日

2004年10月1日(金)  松本浩文  様より

ご無沙汰しております。
 防府市には何度か訪れた事がありますが、玉祖神社に占手神事という歴史ある神事があること、初めて知り興味深く拝読しました。拝見する限り決して派手とは思いませんが、地元の方々によって千数百年もの間に引き継がれている事に歴史と地元民の誇りを感じました。あの夏目雅子が眠っている山口県防府市は妻が住んでいた事や知人がいる理由から何度か訪れた事がありますが、次回訪れた際には是非とも玉祖神社に参拝したいと思います。

 最後に岡山から遥々取材に出掛け、この様な作品を提供して頂いたちばさんに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

お久しぶりです。お便り有り難うございました。占手神事については色々な方から情報があり、先ほど、宮司さんに確認の上、解説を訂正しました。玉祖神社は、ホームページの多くが「たまそじんじゃ」とありましたが、これは間違いで、「たまのおやじんじゃ」というそうです。(^^; 外にも誤字があり、冷や汗をかきました。現在は間違いありません。internet上のどのサイトよりも正確です。(^^ 有り難うございました。

2004年10月1日(金)  H. N.  様より  青梅だるま市保存会

青梅だるま市のサイトを拝見して
 私は青梅だるま市保存会の役員をしているものです。来年のだるま市の準備を始めていますが、市民の方々等ののご意見が伺えるのではないかと青梅だるま市について書かれているのサイトを検索してあなたのサイトを拝見することができました。すばらしい写真でだるま市の雰囲気が表されており、厚く感謝申し上げます。

一点気になることがありましたので、長くなりますが参考にしていただければ幸いです。それはだるま市と住吉神社の関係です。だるま市は青梅で室町時代から続いてきた、毎月2と7のつく日に6回開かれた六斎市のなごりです。ですから青梅のだるま市は高崎のだるま市とは違って神社仏閣とは何の関係もありません。

年初の1月2日と7日には市が開かれず、12日に歳のはじめの市が開かれ、「まゆ玉」などの縁起物が売られたのが始まりです。だるまが売られるようになったのは、はっきりした年代はわかりませんが、江戸時代の終わりか明治になってからといわれています。私の子供の頃(昭和30年代)までは「だるま」以外の縁起物を売る露店も「だるま」と同じくらいありました。

だるま市は青梅の市がもとですので、以前は江戸時代からの青梅宿の中心、上町・仲町・下町の青梅駅前から青梅坂下付近にかけて行われていました。千ヶ瀬バイパスができ、自動車の通行規制ができるということで、現在の住江町から青梅市民会館までの区間で行われるようになりました。それまでは住吉神社はだるま市と何の関係もありませんでしたが、古いだるまをどうしたらいいのかという声があり、住吉神社の境内でお焚き上げげを行うようになりました。

だるま市開催に当たっては交通規制が行われるなど近隣住民をはじめ市民の方々にご迷惑をおかけすることになります。保存会は、500年も続いた青梅の市の伝統を守らなければという思いでだるま市を開催しています。そのために昨今お祭りなどが土日曜日に開かれるようになっていますが、12日開催を続けたいと思っています。ぜひ、市民の方々のご理解とご協力をいただきたいと思っています。

余計なことですが、(青梅だるま市に限ったことでなく各地で行われるお祭りなどでも同じ悩みを抱えているようですが)最近はゴミが多くなりその処理方法と、多額になる処理費用の捻出に苦労しています。露店には持ち帰りを徹底していますが、だるま市にいらっしゃる方にもゴミを持ち帰っていただくなどご協力をいただきたいと思っています。

来年のだるま市にいらっしゃるようでしたら、保存会本部(場所未定)にもお立ち寄りいただければ幸いです。

こんにちは。長文のお便り有り難うございました。青梅だるま市保存会の役員をされておられるとのこと、青梅だるま市の変遷についての素晴らしい解説、嬉しく拝読させて頂きました。

勉強不足で、多摩川紀行・青梅だるま市の解説に誤りがあった部分を改訂させていただきました。どうかご確認いただければ幸いです。

青梅だるま市  http://wadaphoto4.web.infoseek.co.jp/oume.htm

だるま市のゴミの問題がどこでも大変苦労されているとのこと、お察し申し上げます。古いだるまはメーカーの責任で回収すべきですし、露店での飲食の後かたづけも露店がすべきであり、客も自分のゴミは持ち帰るというマナーを守ることが大切ですね。

来年のだるま市には、保存会にも顔を出したいと思います。青梅の住民として、微力ながら地元の歴史文化の存続に貢献できれば幸いだと思っています。これからもどうかよろしくお願いします。有り難うございました。

2004年10月1日(金)  Y. H.  様より   夢幻探訪記 

はじめまして
 H と申します。色々な方の旅行記を見ていたときに貴サイトにたどり着きました。もう大感動です!!私が見に行くことの出来なかった巾着田の曼珠沙華。和田様のホームページでこれでもか!というぐらい堪能させていただきました。実は私もつい一月前にサイトを開設したばかりです。まだまだ薄いサイトですが、これからも頑張っていきたいです。和田様もサイト運営頑張ってください!

こんにちは。お便り有り難うございました。新しく解説された「夢幻探訪記」拝見しました。歴史を感じる街並みが好きな H さんの旅日記とのこと、個性豊かなサイトとしてご発展されますよう祈念しています。有り難うございました。

2004年10月1日(金)  南光 優   様より  アマチュア山岳写真家

待望のE-300発表!
 早速にご連絡いただき有難うございました。当面レンズとのセット販売ですが、レンズ、ボディと両方軽くなって使い勝手は良いと思いますが、レンズの方が値段もかなり安くなっておるようで、明るさはやむを得ないとしても 今のレンズと画質が変わらなければと思っております。ボディだけの場合来年5月とか、現行レンズで800万画素や他の利点を確認しようと思ってもできないわけで何かの販売戦略かもしれませんが、、、、。

尚、レンズで重いズームばかりで、なぜ単眼の広角レンズが出ないのかも疑問です。私の場合、スペイン旅行の時にカメラ盗難の可能性が高いということで、E−1をあきらめ、D-100に20mmのレンズ(実質30mm)一本で行ったわけですが、結果はカメラも軽く、画像も事後のトリミング処理でそれなりにうまく処理できた実績があります。ズームの広角より単眼の写真の方が画像も良く、高画質で撮っておけば、画像を如何様にもトリミングできるデジタル処理の時代に早く出した方が喜ばれると思いますが、、、。こちらも気を長くして待っています。では、またE-1の500万画素とE-300の800万画素の一長一短が分かりましたらお教えください。

南光さん、今晩は。オリンパスからE-300のカタログを入手しました。カタログにあるアドレスからE-SYSTEMの専用サイトがありました。

esystem  http://www.olympus-esystem.jp/

E-300  http://www.olympus.co.jp/jp/news/2004b/nr040928e300j.cfm

交換レンズ  http://www.olympus.co.jp/jp/news/2004b/nr040928e300j.cfm

これらの情報の方がカタログよりも詳しいようです。

今回、800万画素の軽量ボディに、ZUIKO DIGITAL 14-45mm (35mm換算で28-90mm)と 40-150mm(35mm換算で80-300mm)、それに外部フラッシュ FL36 が新発売になります。ボディとレンズ2本の合計重量を計算すると、E-1と比べるとE-300は875gも軽量となり、小型化されていますので、このモデルは旅の写真を撮る私のために作ってもらったような錯覚を覚えます。40-150mm は425g と、E-1の標準ズームよりも軽いんです!

 E-1からE-300にそっくり乗り換えれば、旅が楽になると思いますが、今のところ、E-1のボディに40-150mm の軽量ズーム(EC-14コンバータが使えれば420mm)、E-300のボディにE-1の標準ズーム 14-54mm を付け、二刀流で行こうかと考えています。これなら現場でレンズ交換が不要で、シャッターチャンスを逃しません。

でもタムロンの新製品28−300mm(35mm換算で43-465mm)420g にはかないません。きっとタムロンもオリンパスEシリーズ用にいつかこのような小型高性能のレンズを出すと思います。

タムロン新型ズームレンズ  http://www.rbbtoday.com/news/20040802/17845.html

あとは、操作性や画質がどうかということですね。こればかりは試してみないと分かりません。

おことわり

 私宛の e-mail をこのページに掲載することについては、お便りをお出しいただいた方々に事前のご了解をいただいていませんが、ホームページを通じて多くの方々と素晴らしい出会いや交流が生まれたことをお伝えしたいために、問題のない方法で掲載させていただいています。 もし問題の箇所があればお知らせ下さい。直ちに訂正させて頂きます。どうかよろしくお願いします。
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