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2009年9月26日改訂

今 日

昨 日

♪山伏/邦楽囃子
 

勢子衆の御影落しや鎮火祭   北舟

 

The fire extinguishing ritual,
Carriers drop the Mikage portable shrine.

2000年7月31日開設

御影落し 17:00

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  御影落し/北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市)
2009年の日記  

 

9月中
  9月上 9月中 9月下

目次


 
2009年9月25日(木)晴
 
 

■■■ 「見付天神裸祭/浜垢離」速報! ■■■

 
   
 平成21年(2009)9月23日(水)秋分の日、日帰りで静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の浜垢離(はまごり)を密着取材した。朝4時起きしてJR青梅線の一番電車で東京駅に出て新幹線こだまで浜松駅まで行き東海道線で磐田駅に着いたのが午前9時前。タクシーで見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよ・よういち)さん宅に行き、そこから福代さんに付きっきりで案内して頂き、素晴らしい写真を多数切り取ることができた。
 

見付天神・矢奈比賣(やなひめ)神社公式サイト  見付天神裸祭保存会公式サイト

 磐田市は、江戸時代に東海道53次の中の見付宿として栄えた宿場町で、国指定重要無形民俗文化財の見付天神裸祭は、毎年旧暦8月10日の直前の土日に行われる見付天神(矢奈比賣(やなひめ)神社)の大祭である。
 今年は9月26日(土)・27日(日)に本祭である御大祭(おたいさい)行われるが、その3日前に氏子たちの心身を清める行事が浜垢離で、見付天神の南方約8kmの遠州灘に面する福田海岸で行われた。今年、神輿を担ぐ輿番(こしばん)を務める地脇(じわき)町会のバスに福代さんと共に便乗し、祭会場には余裕を持って到着することができた。

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

松原放生会祭/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市) 2009.09.23 10:15

松原放生会祭/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市) 2009.09.23 10:15

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▲▼ 午前10時過ぎから遠州灘に面する磐田市福田海岸の松原に注連縄を張り巡らした斎場(さいじょう)で「松原の神事」と呼ばれる「松原放生会祭(まつばら・ほうじょうえ・さい)」が始まり、見付天神の氏子28ヵ町の総代と烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)姿の先供(さきとも)や宮神輿を担ぐ輿番(こしばん)たちが低頭するなか、見付天神に向けた祭壇の前で鈴木俊彦宮司による祝詞(のりと)奏上が行われた。氏子総代の玉串奉奠(たまぐしほうてん)のあと、神職と先供(さきとも)たちにより、近くの小川に命之魚(めのうお)と呼ばれる大きなへら鮒(へらぶな)が放流された。

先供による命之魚(へら鮒)の放生 10:25

先供による命之魚(へら鮒)の放生 10:25

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▼ 松原の神事が終わると氏子関係者たちは福田浜に移動し、海浜の修祓(しゅばつ)が始まった。鉾(ほこ)・天神・浜印(はまじるし)(先供と輿番の旗)が立てられた祭壇は遠州灘に向けられ、宮司の祝詞奏上が行われた。

鈴木俊彦宮司による祝詞奏上/海浜の修祓 10:45

鈴木俊彦宮司による祝詞奏上/海浜の修祓 10:45

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▼ 次に、参列者全員に20cmほどの竹串に紙垂(しで)を付けた小祓い(こばらい)が配られ、各自小祓いで身体を祓い清め、禰宜(ねぎ)による最後の祝詞奏上で、砂浜での修祓の神事が終わった。

海浜の修祓に立てられた鉾・天神・浜印(先供・輿番)に低頭する氏子たち 10:50

海浜の修祓に立てられた鉾・天神・浜印(先供・輿番)に低頭する氏子たち 10:50

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▼ 浜の神事が終わるといよいよ禊ぎに入る。神官と、輿番以外の氏子たちは、その場で脱衣して褌(ふんどし)一丁の裸形(らぎょう)となり、氏子たちは、小祓いに息を吹きかけ、祭壇のそばの砂浜に挿(さ)して厄を落としたあと、海に向かった。
 

小祓いを砂浜に挿す氏子たち 10:56

小祓いを砂浜に挿す氏子たち 10:56

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  小祓を浜に残して禊ぐ秋 北舟 

こばらいを はまにのこして みそぐあき

The autumnal purification, leaving a exorcising charm at the beach.

 
 

鈴木俊彦宮司(左端)ら神職の浜垢離 10:57

鈴木俊彦宮司(左端)ら神職の浜垢離 11:00

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  ▲ 最初は神官たちの禊ぎで、午前11時頃、西(左)から越中褌一丁の裸形となった鈴木宮司、2人の禰宜、権禰宜(ごんねぎ)の4人が並び、遠州灘に向かって柏手(かしわで)を打ち、拝礼したあと、海に入って寄せ来る波を被り、身体を清めた。  
 

長老を肩車に海に向かう一番乗りの氏子たち/御輿先供係 10:58

長老を肩車に海に向かう一番乗りの氏子たち/御輿先供係 10:58

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  ▲▼ 宮司ら神官たちの禊ぎが続くなか、長老を肩車に御輿先供係(みこしさきともがかり)と書かれた浜印(はまじるし)を持つ旗手を先頭に、六尺褌一丁になった先供(さきとも)たちが氏子一番乗りで海に入った。波を浴びて垢離(こり)を取ったあと、荒波に洗われて丸くなった小石12個を拾い浜砂と海水を桶に汲み取った。浜砂と海水は大祭前日の「御池(みいけ)の清祓(きよはらい)に、小石は大祭の「御輿出御祭」に使われる。  
 

海水・浜砂・浜石12個を採取する御輿先供係

海水・浜砂・浜石12個を採取する御輿先供係

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  秋分の澄みし光や浜の垢離 北舟 

しゅうぶんの すみしひかりや はまのこり

The beach purification, clear sunlight of the Autumnal Equinox.

 
 

浜印を掲げて海に向かう御輿番/地脇 10:59

浜印を掲げて海に向かう御輿番/地脇 10:59

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  ▲▼ 続いて黒烏帽子・白丁上下・白足袋草鞋姿の輿役(こしやく)たちが「御輿番・地脇」の浜印を掲げ、一体となって海に入り、心身を清めた。神輿を担ぐときと同じように上衣の袖を肩までたくし上げ、袴は股立(ももだち)を取った勇壮なスタイルである。  
 見付天神の氏子たちの垢離取りは、粛々と行うのではなく、波をかぶりながら押し合い、腕を振り上げ、「オイッショ、オイッショ!」の掛け声と共に地団駄(じだんだ)踏んで汐に練り込むという、さながら本祭の深夜に拝殿で行う鬼踊りを思わせる勇壮な垢離取りである。これを見ると、浜垢離から既に天神様の裸祭りが始まったといえよう。
 

白丁たちの汐練り込み/地脇 10:59

輿番たちの汐練り込み/地脇

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  ▼ 続いて、待ちきれずに浜印と鈴を持って海に走り込んいったのは一番觸(いちばんぶれ)(一番町)の氏子たち。28の町会から成る祭組は、西区・西中区・東中区・東区の4つの梯団(ていだん)に所属し、それぞれ8・4・11・5の祭組で編成される。堂入りなどの裸祭りのイベントは、梯団毎の順番で行われる。浜垢離もその順番に添っているらしく、西区梯団に所属する一番觸が真っ先に海に入った。  
 

海に向かう一番觸

海に向かう一番觸

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  ▼ 輿番の垢離取りと同様押し寄せる波に揉まれながら鈴を打ち鳴らし大いに盛り上がった海中禊ぎが繰り広げられた。  
 

一番觸の浜垢離/遠州灘

一番觸の浜垢離/遠州灘

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  白褌の波に洗わる秋の垢離 北舟 

びゃっこんの なみにあらわる あきのこり

The autumnal purification, white loincloths being washed by the waves.

 
 

子供たちの浜垢離/水陣

子供たちの浜垢離/水陣

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  ▲ 祭組単位で次々に海に入り、大騒ぎをしながら楽しい浜垢離が続く。見付天神裸祭保存会の祭り規約に従い、全員褌一丁を徹底し、ロープに囲った子供たちを連れて海に入ったのは、西区の梯団に所属する水陣(すいじん)(水堀町)である。しっかりした指導者がいるようで、見ていて惚れぼれするほど、勇壮で美しい禊ぎだった。  
   沖合に見えるウエット・スーツ姿の人は、ライフ・セーバーで、万一、引き波で沖に流されたとしても救助してもらえるので、安心して子供たちを参加させることができる。祭典主催者のきめ細かな配慮が見えないところでも光っている。  
 

28町会が次々に海に入る 11:20

28町会が次々に海に入る 11:20

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  ▲ 祭り衣装は、野球のユニフォームと同じで、揃っていないと美しくない。残念ながら祭組によっては、パンツや大正時代に発明されたハンダコを容認しているところが見られた。また、褌の解釈の違いで六尺褌一丁の人と腹巻・六尺褌の人が混在していた。保存会の資料を読む限りでは、前袋式六尺褌のみの水褌(すいこん)スタイルが推奨されているが、水陣は腹巻・褌スタイルで統一していた。その方が褌に馴染みやすい面もあり、許容の範囲かもしれない。  
   中には、恥ずかしいのか、腹巻を下げて臀部を隠している人がいたが、これは見苦しいので止めて欲しい。東京・浅草の三社祭でもそのようなスタイルが見られ、残念に思っている。国の重要無形民俗文化財というタイトルを保持するのは、神社ではなく保存会であり、文化財を守るためにきちんと指導すべき義務と権限が与えられている。どうか、褌・腰蓑(こしみの)という見付天神独特の衣装統一を果たして頂きたい。  
   最近は全国何処でも褌を締めるのが恥ずかしいという子供たちや母親が増えている。磐田市でも同様で中学生を中心に子供たちの参加が減ってきているという。そのために衣装違反を黙認するという風潮が全国に見られるが見付天神裸祭は全国に例のない素晴らしい裸祭りであり一度その文化が崩れてしまえば永遠に取り返すことができない。私はこの祭を先祖から受け継いだ人たちはとても幸運であり羨ましく思う。裸祭りは大相撲を頂点とする国技の相撲と同様に日本が世界に誇る素晴らしい伝統文化である。どうか胸を張って、江戸時代に確立された裸褌文化を変質させることなく、子々孫々に受け継いでいって頂きたい。  
 

松原で盛り上がる裸っぽたち/水陣 11:50

松原で盛り上がる裸っぽたち/水陣 11:50

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  ▲ 海から上がった後も、砂浜や松原で本祭の鬼踊りの練習を兼ねているのか肩車をし押し合いへし合い「オイッショ、オイッショ!」の掛け声も勇ましく、地団駄踏んで裸練りが繰り返し行われた。写真上は水陣の氏子たちによるもので、どうしても私のカメラが向いてしまい、とことん激写させてもらった。  
▼ 下の裸練りも意気軒昂で熱気に包まれ「シャン、シャン、シャン」と歯切れの良い鈴の音を響かせながらの裸練りは、見付天神独自のもので、素晴らしいものがある。パンツを止めて全員に褌を徹底させれば、世界中、何処に出しても恥ずかしくないハイクオリティの裸祭りになり、全国屈指の裸祭りのひとつとして評価されることは間違いない。
 できれば、福田浜や松原での裸練りは、運動靴やサンダルは止めて、鉢巻・褌・裸足とするなどの規約を設け、時間を決めて催行すれば、取材に便利だし、より美しい姿を披露することができよう。
 

父と子の触れ合い 12:25

父と子の触れ合い 12:25

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  ▼ 写真下、福代さんが所属する東中区梯団の御瀧車(おんたきぐるま)(宿町(しゅくまち))の鉢巻姿の裸っぼ3人は、Wa☆Daフォトギャラリーの紹介で大阪などからやってきた飛び入り参加者たちである。地元氏子の方々のお陰で、とても素晴らしい体験ができたと大喜びで、本祭にも参加したいとのことだった。これを嚆矢(こうし)として、年々部外者の参加が増え、全国に知られる裸祭りになるよう、今後とも応援させて頂きたい。  
   写真左端は西中区梯団長、二番觸(にばんぶれ)(二番町)の鈴木亮司さん。裸の3人の右が東中区梯団長、御瀧車の片山千代三さん、右端が保存会副事務局長で二番觸の松本直希さん、片山さんの後ろの白シャツの方が保存会事務局長の福代陽一さんである。  
   この後、この宿町の御瀧車のテントの下で、おにぎりをはじめ野菜や肉類の煮込みなど、お袋の味がする郷土料理のご相伴にあずかったがとても懐かしく、美味しかった。何より、地元氏子の方々に歓待して頂き、心温まる交流をさせていただいたことが嬉しく、祭り談義や褌談義に花が咲いた。  
 

飛び入り参加者との交流 12:55

飛び入り参加者との交流 12:55

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  ▼ この日は曇りがちだったが、穏やかな行楽日和に恵まれ、松原のあちらこちらで、28ヵ町会の和やかな直会(なおらい)を楽しむ光景が見られ、年に一度の家族全員で楽しむピクニックのようだった。今年は秋分の日の祭日だったが例年、小中学校は臨時休校になるという。町会単位で借り切った大型バスは50台にのぼり、約2,000人が参加した。保存会の手配で、近隣の中学校から仕立てたバスも見られた。浜垢離単独でも十分に楽める裸祭りだった。  
 

松原での楽しい直会/二番觸 13:50

松原での楽しい直会/二番觸 13:50

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   午後2時頃、輿番・地脇町のバスに乗せてもらい、町内に戻ったあと、福代さんと松本さんの案内で、見付天神から山神社、大鳥居、見付宿場通り、御旅所の総社まで実地踏査を行い、撮影時刻や場所など、何時何処で何をどういうふうに撮影するか、入念に取材計画を立てることができ、午後4時過ぎ、おいとました。  
 明日・明後日の大祭は、素晴らしい天候が予想され、速報版を編集しながらも、既に心は磐田市にある。当日のフィナーレを飾る鬼踊りの撮影のために、白丁上下・白足袋草鞋姿になって拝殿奥の幣殿に上がり、全ての行事を最適位置から激写することが許されており、今からワクワクしている。明日は、東京駅新幹線ホームで御大祭に参加する群馬の新尺俊勝さんと落ち合い、行動を共にする予定である。乞うご期待! 2009.9.25 23:50   和田義男
  9月上 9月中 9月下

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