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 旅紀行日本の裸祭り

2013年10月18日改訂

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昨 日

♪山伏/邦楽囃子
 

太陽を背負ひし今日の土俵入  北舟

 

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Today's sumo ring performance,
carrying the sun on their backs.

2010年10月1日制作

三役揃い踏み(西方)
 

三役揃い踏み(西方)/和田乃神社(東京都青梅市)

鐵砲洲稲荷神社神紋   和田乃神社   鐵砲洲稲荷神社神紋
 

奉納相撲

五人抜

一番勝負

 
▼ いよいよ子供たちにとって最後の取組となった。一番勝負は、三役以外の子供たちが取る相撲で低学年から順に10組の対戦が行われた。  
   写真下は颯乃龍(はやのりゅう)こと安部颯人(あべ・はやと)くん(2年生)の土俵入り。 練習の成果があらわれていて美しい。  
颯乃龍はやのりゅう こと 安部颯人あべはやと くん(2年生)の土俵入り 15:27

颯乃龍こと安部颯人くん(2年生)の土俵入り 15:27

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大丈夫?

大丈夫?

三役揃い踏み

 
▼ 一番勝負のあと、呼出しにより東西の小結・関脇・大関の三役が呼び出され、三役揃い踏みが披露された。  
力士の呼出し 15:41

力士の呼出し

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▼ 和田乃神社の御本社に向かって奉納する相撲は、直射日光に晒され、最初からカメラマン泣かせの逆光となった。力士の顔は真っ黒になり、前垂れの四股名でしか判別がつかないほどであった。特に、三役揃い踏みの頃になると、太陽は西に傾き、力士たちは低い太陽光線に晒された。  
   そのため、画像編集ソフトのフォトショップV6のトーンカーブを調整して、ハイトーンの階調を和らげデジタル写真家を標榜する筆者の持てる技術を最大限に駆使して鮮明な画像を作り出した。その成否の判定は、ゲストの皆さんにお任せしたい。  
三役揃い踏み(東方)

三役揃い踏み(東方)

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  太陽を背負ひし今日の土俵入  北舟 

たいようを せおいしきょうの どひょういり

Today's sumo ring performance, carrying the sun on their backs.

三役揃い踏み(西方)

三役揃い踏み(西方)

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三役相撲

 
三役相撲の最初は東方・海都(かいと)こと山崎海都(やまざき・かいと)くんと、西方・歩虎(あゆとら)こと深沢歩樹(ふかざわ・あゆき)くんの小結同士の対戦。五年生5人抜き優勝を果たした海都(かいと)が土俵際で見事な投げを見せて有終の美を飾った。  
小結の対戦 / 海都かいと - 歩虎あゆとら

小結の対戦 / 海都-歩虎

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▼ 続いて、東関脇・朋希龍(ともきりゅう)こと野村朋希(のむら・ともき)くんと西関脇・輝龍(きりゅう)こと榎戸大輝(えのきど・だいき)くんの対戦。熱戦の末、輝龍(きりゅう)の外掛けが見事に決まった。  
輝龍の番付表の紹介:五年生、西関脇。毎日六年生に混じり激しい稽古をこなした。相手とがっっぷり四つに組んでからの取り口に見応えがあり、熱戦を繰り返した。六年生は強いが、引けは取らない。  
関脇の対戦 / 朋希龍ともきりゅう - 輝龍きりゅう

関脇の対戦 / 朋希龍-輝龍

結びの一番・千秋楽

 
▼ 結びの一番は、東方・浜野山(はまのやま)こと浜野 亮(はまの・りょう)くんと西方・雷乃神(らいのしん)こと谷部野雷(やべの・らい)くんの大関同士の対戦。  
結びの一番・大関の対戦 / 浜野山はまのやま - 雷乃神らいのしん   15:51

結びの一番・大関の対戦 / 浜野山-雷乃神 15:51

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▲▼ 真剣な表情で取組を見守る観客の前で、力相撲が展開され、低い体制からもろ差しとなった浜野山が優位に立ち、土俵際で懸命にこらえる雷乃神を寄り倒した浜野山に軍配が上がった。  
浜野山の強烈な寄り!

浜野山の強烈な寄り!

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  ▼ 六年生五人抜きの優勝に続き、結びの一番も勝利して完全優勝を果たした東大関の浜野山に、ひときわ大きな優勝カップが東方行司の原嶋一喜さんから授与された。一年生から六年生まで、完全優勝を成し遂げた浜野くんに大きな拍手を送りたい。  
優勝カップの授与

優勝カップの授与

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▼ 東方力士のテントを覗くと、子供たちの籠が様々な賞品でいっぱいになっていた。右下のてるてる坊主が入った籠は、優勝した浜野くんのもので、優勝カップは入りきれず、外に置かれていた。土俵上では、八幡幣(はちまんべい)の準備が行われていた。  
賞品で一杯になった籠

賞品で一杯になった籠

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11.  

八幡幣はちまんべい

 
▼ 八幡幣(はちまんべい)は、今年生まれた男児に健康長寿を祈念した八幡幣と呼ばれる幣束を授与する行事である。今年は4人の男児が誕生したので、八幡幣は4本用意されていた。  
   この起源は、九州の宇佐八幡宮だと云われている。八幡様の幣束であることから八幡幣と呼ばれるようになったものであろう。八幡幣は、神職ではなく、相撲の世話人が作って奉納してきた。明治の中期から後期まで和田福太郎、大正初期まで野村慶藏、大正中期から昭和中期まで野村藤三郎、終戦から現在まで野村福治の各氏が制作してきたという。  
招待席に飾られていた4本の 八幡幣はちまんべい (幣束) 12:17

招待席に飾られていた4本の八幡幣(幣束) 12:17

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▼ 来賓や多くの観客が見守るなか赤ちゃんを抱いた男性が八幡弊を持って土俵中央の俵の上に立ち行司の合図で、赤ちゃんの健康長寿を願いながら豆力士たちが何度も胴上げした。感動的なシーンである。  
力士たちが 八幡幣はちまんべい を貰った赤ちゃんを胴上げ! 15:58

力士たちが八幡幣を貰った赤ちゃんを胴上げ! 15:58

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  空高く八幡幣の赤子かな  北舟 

そらたかく はちまんべいの あかごかな

Toword the high sky, a baby of Hatiman-bei the lucky charm.

祝福を受ける赤ちゃん

祝福を受ける赤ちゃん

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12.  

手締め・礼

 
相撲は礼に始まり礼に終わる。和田乃神社の奉納相撲もまったく同じで力士たちは土俵上で円陣を組み呼出しの拍子木に合わせて手締めをしたあと、頭を深々と下げて一礼し、予定より5分早くお開きとなった。  
力士全員土俵に上がって手締め

力士全員土俵に上がって手締め

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土俵上に輪になって礼! 15:59

土俵上に輪になって礼! 15:59

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▼ お開きの後、土俵上で記念撮影が行われた。NHKの鈴木記者の要請で全員元気よくガッツポーズをとることになった。私も一緒に撮影し、何十枚も撮ったが、顔が隠れてしまったり、よそ見したり、気合いが入っていない子がいたりして、なかなか良い写真は撮れなかったが、その中のベストが下の写真である。  
みんな元気に記念写真! 16:04

みんな元気に記念写真! 16:04

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▼ 五年生五人抜きで優勝した東小結の海都(かいと)こと山崎海都(やまざき・かいと)くんが呼出しをつとめたお父さんと土俵中央に立って記念写真を撮った。この写真は、素晴らしい親子の触れ合いを記録した一生の記念になることだろう。  
お父さんと一緒にVサイン

お父さんと一緒にVサイン

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▼ 八幡幣を貰った家族が和田乃神社と土俵をバックに記念写真を撮った。赤ちゃん誕生に喜びも一入(ひとしお)だろう。未来の日本を背負う赤ちゃんに幸多きことを祈る!  
八幡幣はちまんべい を貰った赤ちゃん家族 16:10

八幡幣を貰った赤ちゃん家族 16:10

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▼ テレビでお馴染みのイタリア人エッセイストのパンツェッタ・ジローラモさんが地元の知人の招待で奉納相撲を観戦したあと、土俵をバックに記念写真を撮った。外国人の相撲ファンといえば、フランスのシラク前大統領が有名だが、日本の裸褌文化を海外の方々にも知って貰うことは大変意義深いことである。  
ジローラモさんも観戦

ジローラモさんも観戦

和田義男

 
撮 影


2010年9月5日


OLYMPUS E-30

 
 12-60mm


1230万画素
1660枚 4.28GB

● 汗だくで取材してきた奉納相撲シリーズは、本日、最後の四作目が完成した。今回、たまたまJR青梅線・河辺(かべ)駅前の中央図書館で見た映像から取材を思いつき、芦澤さんのご厚意により、和田乃神社の古式豊かな奉納相撲を密着取材することができた。
 私の住む青梅市の日向和田(ひなたわだ)で、江戸時代から続く奉納相撲が毎年多くのボランティアの支援で、かくも盛大に開催されているとは思いもよらなかった。
 子供たちと住民とが一致団結し、神と一体となって神事相撲を続けていることに感動した。
★☆★彡
●  関東地区では、江戸から明治にかけて和田乃神社のような八幡講による奉納相撲が盛んだったが、その多くは既に廃止されている。また、秩父市荒川上田野の千手観音心願相撲のように現在も続けられているものもあるが、パンツの上にまわしを締めることを認めてしまい、品位が損なわれている例がみられる。(そのため、心願相撲は取材しない。) 
 このような惨憺たる状況の中で、和田乃神社奉納相撲は、江戸時代から続く八幡講の伝統を忠実に継承している最も美しい宮相撲であり、無形民俗文化財にふさわしい歴史と品位を備えている。この素晴らしい奉納相撲を永久に保存継承するためには、地域住民の力だけでは限界があり、是非とも公的支援が必要であると考えられるので、青梅市教育委員会の対応が待たれる。
 

★☆★彡

相撲は世界に誇る日本の裸褌文化

 明治維新以後、洋風化が進歩だと思った明治政府は、文明開化政策を推進し、高温多湿の気候風土に培われた裸褌文化を恥だと思い、人目に触れる場所で褌一丁の裸形で仕事をしたり歩いたりすることを禁じた。

 幕末から明治初期に掛けて日本に来た外国人たちは、紀行文を数多く残しているが、彼らは異口同音に日本人が着物を捨て、洋服を着て歩く様を見て、一様に驚き、まるで猿が洋服を着て歩いているように滑稽で醜い姿だといって落胆している。洋服は、西洋ではどこでも見られる衣装で、素晴らしい和服や裸文化が失われてゆく様を嘆いているのである。ここから日本人の猿真似という比喩が生まれたとも云われる。

 最初に明治政府のやり玉に上がったのは裸祭りであり、当時褌一丁で行われていた博多祗園山笠は、水法被を着用するようになり、伝統の裸文化の変質や破壊が行われていった。なかでも大衆の面前で褌一丁で取組を行う相撲は、日本の恥だとして、禁止論や大相撲の廃止論まで議論された。結局、相撲は何とか難を逃れ、国技として生き残ることができ、現在は大相撲の国際化が進んで、多数の外国人力士が活躍し、人気を博している。

 現代の日本人は、西洋の文化が全て日本の伝統文化よりも優れているというのは幻想に過ぎず、廃れかけている日本の裸文化の素晴らしさに気付き、何とか伝統を存続しようとする有識者が全国各地で奮闘している。青梅市でもこのような人々の努力により、逞(たくま)しくも美しい相撲文化が奉納相撲という形で変質することなく存続していることに感動する。今年は小学一年生が参加しなかったのが残念だが、これからもこの素晴らしい奉納相撲を変質させることなく後世に伝えていって頂きたい。〈 完 〉 2010.10.1 和田義男

日本の裸祭り第117集 「和田乃神社奉納相撲」

撮影・制作 : 和田義男

  平成22年(2010)10月1日 作品:第28作 画像:(大76+小22) 頁数:4 ファイル数:192 ファイル容量:60MB
  
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:376 頁数:1,456 ファイル数:60,082 ファイル容量:9,012MB
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