ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の祭り

2010年7月7日改訂

今 日

昨 日

♪わっしょい!・鐵砲洲囃子「屋台・昇殿」・江戸木遣り「手古」

 

還御せし生成神輿や白半纏  北舟
White hantens, Inari mikoshi has returned.

2010年6月21日制作

弥生会会員たちに担がれて宮入りする御本社神輿/鐵砲洲稲荷神社 18:52

拡大写真(2000X1250)522KB

弥生会会員たちに担がれて宮入りする御本社神輿/鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区)
 

御鎮座壱千百七拾年

鐵砲洲稲荷神社神紋   鐵砲洲稲荷神社   鐵砲洲稲荷神社神紋

鐵砲洲奉祝大祭

還御祭

 

明石町あかしちょう

 
▼ 明石町は東京都中央区の地名で、旧京橋区の地域内である。明治元年(1868)東京府支庁があった明石町と船松町、十軒町の土地を分け合わせて上地し、外国人居留地となった。明治6年(1873)に居留地全体が新たに明石町と命名された。
御本社神輿渡御順路と予定時刻

御本社神輿渡御順路と予定時刻

拡大写真(2000X1450)816KB 資料:鐵砲洲稲荷神社弥生会
▲▼ その後、明治32年(1899)に入舟町、新栄町、新湊町の一部がそれぞれ区画整理によって明石町に併合されて現在の町域となったという。
中央区立明石小学校前/明石町  16:23

中央区立明石小学校前/明石町  16:23

拡大写真(1600X1050)434KB

▼ 明石町は隅田川河口部の西岸に位置し北隣の湊と合わせて鐵砲洲と俗称されるほか、広義の築地に含められることがある。下の絵は、文久2年(1862)の鐵砲洲の様子を描いたもので、画面上部の隅田川沿いににアメリカなどの外国の旗と建物が描かれており、外国人居留地であったことが分かる。
文久2年(1862)の鐵砲洲

文久2年(1862)の鐵砲洲

資料

 明石町という地名は万治元年(1658)の海手築地埋め立て完成後播州国明石浜の漁師が幕府の許可を受けて移り住んだところからきたとの説と、明石浦の風景に似ていたとの二説がある。
聖路加国際病院前を通過/明石町  16:32

聖路加国際病院前を通過/明石町  16:32

拡大写真(1600X1200)426KB

▼▲ 江戸時代には中津藩奥平家の中屋敷があり前野良沢らが解体新書を完成させたため、蘭学事始の地とされる。また、同屋敷は、安政5年(1858)に福沢諭吉が慶應義塾の前身となる蘭学塾を開いた地でもある。
 そのほかにも明石町には、文明開化の薫り高い史跡や江戸の旧跡があちこちに残されている。指紋研究発祥の地、米国公使館跡、電信創業の地、浅野匠頭屋敷跡、芥川龍之介生誕の地など、都の重要文化財にも指定されている豊かな歴史の宝庫である。
聖路加タワーに向かう神輿/明石町  16:34

聖路加タワーに向かう神輿/明石町  16:34

拡大写真(1200X1600)396KB

 

聖路加国際病院せいろかこくさいびょういん

 
 明石町に位置する聖路加国際病院は、東京都災害拠点病院で、「せいるかこくさいびょういん」と発音するのが正式。病院名は、使徒パウロの協力者の一人であり、新約聖書の福音書の一つである『ルカによる福音書』の著者とされるルカの漢字表記からとられている。漢字表記が適切でないために「せいろか」と俗称されている。
 平成7年(1995)3月20日に発生した地下鉄サリン事件では、ロビーや廊下など広いスペースを利用して多くの患者を受け入れ、救護活動に当たったことが高く評価されている。
神輿を先導する鐵砲洲囃子のメンバーたち/明石町 16:38
 

↓片山英治代表

渡邉浩徒先生

左に曲がって新富町に向かう神輿/銀座一丁目 14:32

                         拡大写真(1600X1160)486KB

撮影:小林豊一
 

聖路加せいろか

タワー
聖路加タワーは聖路加国際病院の敷地の最も隅田川寄りの区画に建設された超高層ビル棟である。47階建てと38階建てのツインタワーとなっており、空中回廊で結ばれている。
 47階建ての棟の3・4階には予防医療センター(人間ドック)があり、その上部はオフィスフロアとして賃貸されている。最上部には展望レストラン「Luke」(聖ルカの意)があり、また、日本テレビとフジテレビの定点観測カメラが東京湾岸の状況を中継するために設置されている。
 38階建ての棟は、下から約4分の3は医療介護付き居住施設の聖路加レジデンスで、約4分の1の最上部には東京新阪急ホテル築地が入居している。
聖路加タワーをバックに北上する神輿/湊三丁目町会  16:50

聖路加タワーをバックに北上する神輿/湊三丁目町会  16:50

拡大写真(1500X2000)596KB

鯉のぼりの前で神輿差し/湊三丁目 16:38

鯉のぼりの前で神輿差し/湊三丁目 16:38

                         拡大写真(1600X1067)413KB 撮影:小林豊一
▲▼ 神輿渡御も終盤に入り、湊三丁目に入って北上するにつれて古い民家が現れ、下町の雰囲気が漂う中、神輿はゴールの鐵砲洲稲荷神社に向けて進んでいった。
下町を渡る神輿/湊三丁目  17:11

下町を渡る神輿/湊三丁目  17:11

拡大写真(1600X1200)465KB

  ▼ 日が西に傾いた午後5時半ころ、隅田川の東側の佃島に建つ大川端リバーシティ21(おおかわばたリバーシティにじゅういち)ののっぽビルが見えた。大川端リバーシティ21は、8棟の超高層マンションを中心とする大規模住宅群で佃島の古い町並みと近代的なのっぽマンションとの対比で知られる。  大川端リバーシティ21   
佃島・大川端リバーシティ21をバックに渡御する神輿/湊三丁目  17:26

佃島・大川端リバーシティ21をバックに渡御する神輿/湊三丁目  17:26

拡大写真(1600X1050)376KB

  ▼ 神輿渡御が湊一・二の宮元町会に入ると、御本社神輿を先導する鐵砲洲囃子の前に宮元町会の心意気を示す婦人部の提灯行列が加わって、華やかさが加わった。  
神輿を先導する宮元町会婦人部たち/宮元町会  17:37

神輿を先導する宮元町会婦人部たち/宮元町会  17:37

拡大写真(1600X1150)404KB

神社前を通過する神輿/宮元町会 18:10

神社前を通過する神輿/宮元町会 18:10

拡大写真(2000X1500)810KB

▲ 午後6時10分頃、宮元町会が担ぐ神輿が神社前に現れた。あたりは薄暗くなり、提灯に火が入った。いよいよ神輿渡御のフィナーレが近づいたので、筆者は石鳥居の正面に設置した脚立の上にあがり、宮入りを待つことにした。
汗だくで神輿を担ぐ江戸っ子たち/宮元町会 18:32

汗だくで神輿を担ぐ江戸っ子たち/宮元町会 18:32

                         拡大写真(1600X1200)389KB 撮影:星宏幸
▼ 宮元町会のメンバーに担がれた神輿は、湊湯の前で停止し、一本締めのあと、Uターンして神社を目指した。
湊湯前でUターン/宮元町会 18:38
石川辰夫・副統括責任者(弥生会幹事長)  

湊湯前でUターン/宮元町会 18:38

                     拡大写真(1600X1067)332KB   撮影:小林豊一
▼ 午後6時50分頃、宮元町会に担がれた御本社神輿は、20分遅れで鉄砲洲稲荷神社の石鳥居前に帰還した。
神社前に帰還した御本社神輿/宮元町会 18:50

神社前に帰還した御本社神輿/宮元町会 18:50

拡大写真(2150X1600)776KB

▼ 弥生会のメンバーに引き継がれた御本社神輿は、氏子17ヵ町の提灯の前から右折し、石鳥居に向かった。
弥生会に引き継がれた神輿

弥生会に引き継がれた神輿

                     拡大写真(1600X950)254KB 撮影:小林豊一
  還御せし生成神輿や白半纏  北舟 

かんぎょせし いなりみこしや しろばんてん

White hantens, Inari mikoshi has returned.

弥生会会員たちに担がれて宮入りする御本社神輿/鐵砲洲稲荷神社 18:52

弥生会会員たちに担がれて宮入りする御本社神輿/鐵砲洲稲荷神社 18:52

拡大写真(2000X1250)522KB

▲▼ 今年は弥生会のご配慮により、神社入口の正面に背の高い脚立を立てて頂き、その上に坐って宮出し・宮入りを激写することができた。最高の位置にある特別席から撮影した画像は素晴らしく御鎮座1170年を祝う東京は下町・鐵砲洲の江戸っ子たちの粋で鯔背な夏祭りを余すことなく切り取ることができた。
石鳥居をくぐる御本社神輿/鐵砲洲稲荷神社

石鳥居をくぐる御本社神輿/鐵砲洲稲荷神社

拡大写真(1800X1350)545KB

▼ 10時間12kmの旅を終えて境内に入った御本社神輿は、拝殿前の馬に乗せられ、午後7時過ぎから厳かに還御祭が執り行われ、中川宮司の祝詞奏上や関係者の玉串奉奠などが行われた。
還御祭かんぎょさい  19:11

還御祭 19:11

拡大写真(1600X1200)388KB

最後に、江戸消防記念館第一区六番組(かつての「す組」)の若宮英敏組頭はじめ親方衆による木遣りが奏上され、鐵砲洲稲荷神社の神幸祭は、無事お開きとなった。
親方衆の木遣り 19:22
 

↓若宮英俊組頭(江戸消防記念館第一区六番組)

親方衆の木遣り 19:22

拡大写真(1800X1150)375KB

神輿庫みこしこ に帰還 19:48

拡大写真(1600X1067)269KB 撮影:小林豊一
編集後記
和田義男

 撮 影

2010年5月2・3日

OLYMPUS 

E-30
 
9-18mm 12-60mm
 
1230万画素

2,795枚 6,012MB 

 このたびは、弥生会の半纏を着て御本社神輿と共に10時間12kmの巡行コースを歩き、奉祝大祭の一部始終を密着取材させて頂いた。
 天候不順だった4月から一転して夏のような暑さとなったゴールデンウィークだったが、バテることなく宮入りすることができた元気は、神様のご加護によるものだったに違いない。
 解散の後、ホテルに戻って汗を流した後、新尺俊勝さんと共にお世話になった石川辰夫弥生会幹事長宅にお邪魔し、無事に大祭が終わったことを祝して乾杯し、祭り談義に花を咲かせて大いに交歓させて頂いた。
謝 辞
  二年前の鐵砲洲大祭の取材のときと同様、今回もプロ写真家の小林豊一さんから1000万画素3000枚11.5GBという大量の画像を提供して頂き、素晴らしい写真を多数使わせて頂いたお陰で、深みのある作品が生まれた。

 また、弥生会の石川辰夫幹事長と報道部の星宏幸副部長から直接ご尽力を賜り、奉祝大祭の名場面を数多く切り取ることができた。星さんからは今回も写真をお送り頂いた。志村清貴さんからは鐵砲洲囃子の発会式の写真を提供して頂いた。多くの方々のご支援により、この作品が生まれた。お世話になった皆様方には心よりお礼申し上げたい。

★☆★彡

  Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念作品第三弾! 旅紀行日本の祭り第137集  「鐵砲洲奉祝大祭」

撮影・制作:和田義男  協力:小林豊一 星 宏幸  後援:鐵砲洲稲荷神社弥生会

 平成22年(2010)6月21日 作品:第16作  画像:(大151+小11) 頁数:8  ファイル数:328 ファイル容量:107MB
 
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:364 頁数:1,393 ファイル数:57,925 ファイル容量:8,582MB
   新緑やこども歌舞伎の名台詞  北舟 

しんりょくや こどもかぶきの めいぜりふ

New green leaves, the fine words of child Kabuki.

【編集子が選ぶ名作】

歌舞伎座でフィナーレの再演/白浪五人男 15:50

歌舞伎座でフィナーレの再演/白浪五人男 15:50

拡大写真(2000X1500)691KB
  歌舞伎座や名残を惜しむ神輿差  北舟 

かぶきざや なごりをおしむ みこしさし

 Kabukiza theater, a farewell raising of the portable shrine.

【編集子が選ぶ名作】

歌舞伎座前で神輿を差す弥生会会員たち

歌舞伎座前で神輿を差す弥生会会員たち

拡大写真(2650X2000)1,333KB

  還御せし生成神輿や白半纏  北舟 

かんぎょせし いなりみこしや しろばんてん

White hantens, Inari mikoshi has returned.

【編集子が選ぶ名作】

神社前に帰還した御本社神輿/宮元町会 18:50

神社前に帰還した御本社神輿/宮元町会 18:50

拡大写真(2150X1600)776KB

 

江戸っ子褌えどっこふんどし

の担ぎ手たち
▼ 弥生会の石川辰夫幹事長によると、鐵砲洲大祭の衣装は半纏と半股引(ハンダコ)が原則だが、褌も認めているという。奉祝大祭でも睦会を中心に色柄物をキリリと締めたこだわりの褌派を多数撮影することができた。

江戸っ子褌の担ぎ手たち 09:11 江戸っ子褌の担ぎ手たち 09:31

拡大写真(610x1200)151KB

拡大写真(700x1200)230KB

▲▼ ハンダコは江戸や明治の時代には存在しないので、祭り衣装が変質していることは間違いない。筆者としては粋で鯔背(いなせ)な江戸っ子の夏祭りであってみれば博多っ子の博多山笠(はかたやまかさ)のように江戸っ子は全員、褌を締めて参加して欲しいと思っているが、このご時世で難しいのであれば、せめて睦会だけでも褌にして欲しいと思う。
  ビルの谷江戸っ子褌神輿舁  北舟 

びるのたに えどっこふんどし みこしかき

A valley of buildings, downtown Tokyoites of loincloth carrying a portable shrine.

江戸っ子褌の担ぎ手たち 10:53 江戸っ子褌の担ぎ手たち 10:58

拡大写真(800x950)215KB

拡大写真(800x10240)230KB

▲▼ 博多山笠と違って、こだわりの江戸っ子褌は、全て色柄ものの前袋式六尺褌で、前垂れ式は見られない。激しい運動でも乱れない定番の締め方である。筆者は、平成20年(2008)の「江戸っ子!鐵砲洲大祭」でこのスタイルの祭り褌を「江戸っ子褌」と命名した。
江戸っ子褌の担ぎ手たち 13:24 江戸っ子褌の担ぎ手たち 13:27

拡大写真(1200x900)301KB

拡大写真(1200x900)279KB

江戸っ子褌の担ぎ手たち 14:21 江戸っ子褌の担ぎ手たち 15:18

拡大写真(1200x900)266KB

拡大写真(1200x1200)266KB

▲▼ 博多山笠では写真下のように丈の短い水法被の裾を前で結んで、褌が見えるようにしているが、関東の神輿祭では、半纏が長いため褌を締めていても外から見えないのが欠点である。そのため半纏の裾をたくし上げて帯で止めて褌が見えるようにしている人が増えてきている。
 ハンダコや股引が見えず半纏の下に直接足が出ている人は褌を締めている人だが見てのとおり中途半端で、格好良いとは思えない。
大黒流の疾走!/追い山馴らし(博多山笠) 2004.7.12

大黒流の疾走!/追い山馴らし(博多山笠) 2004.7.12

拡大写真(1600X1200)366KB

▼ 写真下は江戸時代の祭りを描いた瓦版だが、江戸っ子たちは、褌一丁だったり尻端折りをして褌が見えるようにしている。
 江戸時代の江戸っ子たちは褌が高くて手軽に買えないため褌を締めていない人もいた。そのため、褌を締めている人は、尻端折りをして褌を見せて歩く人もいたといわれ、色柄ものの褌は、江戸っ子の粋を示すシンボルでもあった。
 小舟町天王祭の瓦版には、「祭礼六月十日小舟町一丁目の御旅所へ神幸なり十三日帰輿(きよ)なり」「行列は大傅馬町と同じ」などの説明書きがある。神輿に群がる担ぎ手たちは、彫物・赤褌姿が多く見られる。この絵からも、江戸時代の江戸っ子たちは、六尺褌を前垂れ式に締めていたことが分かる。

小舟町天王祭の氏子たち/江戸時代の瓦版

小舟町天王祭の氏子たち/江戸時代の瓦版

毎年正月上旬に神奈川県藤沢市片瀬海岸東浜で開催される江ノ島寒中神輿錬成会では色柄物の前袋式六尺褌を締め込んだ裸たちが参集し、裸神輿が海中渡御することで知られる。褌一丁のため、さながら江戸っ子褌のコンテストといった感がある。(ただし、ハンダコ姿も多数みられるので、雑然としている点は否めない) 筆者は10年間、裸祭りを取材してきたが、江戸っ子褌がみられるのは関東だけで、色柄物の裸褌を多数見られるのは、神輿錬成会だけである。
 江戸時代は、前垂れ式だった江戸っ子褌が現代は前袋式になっている。前垂れ式だと激しい神輿練りに乱れてしまう欠点があるため、跳んだり跳ねたりしても乱れることのない前袋式の水褌(すいこん)スタイルに変遷したものと思われる。ちなみに、佃島の古老が銭湯の帰りに褌一丁で路地を歩いている写真があるが、下着褌であっても前袋式に締めていた。これは、佃島の漁師たちが仕事着の水褌と下着を兼用していたためと思われる。
カラフルな江戸っ子褌が見られる江ノ島寒中神輿錬成会(神奈川県藤沢市片瀬海岸東浜) 2004.1.18

カラフルな江戸っ子褌が見られる江ノ島寒中神輿錬成会(神奈川県藤沢市片瀬海岸東浜) 2004.1.18

拡大写真(1600x1200)259KB

エコでクールビズな褌

 最近、衛生的で快適な褌を下着に使う人が増えており、静かなブームとなっている。インターネットで検索すれば褌屋を始めとする専門店が増えており、色柄物を豊富に揃えた各種の褌が手ごろな価格で入手できる。ミシンの直進縫いさえできれば、自分の体格にあわせた褌を簡単に自作することもできる。また、ステテコの良さも見直されており、こちらも若者の好みにあわせて色柄物が登場している。
 高温多湿の梅雨や夏を乗り切るために先人が考え出した伝統の下着は、現代にマッチするエコでクールビズな下着としてお勧めしたい。特に、褌を締めれば、日本人のアイデンティティ(日本人らしさ)や日本の伝統文化の素晴らしさに気付くことだろう。〈 完 〉 2010.6.21 和田義男

読者からのお便り

2010年6月27日(日)曇  星 宏幸  様より

Re: 「鐵砲洲奉祝大祭」完成! 弥生会の星です。こんばんは。「鐵砲洲奉祝大祭」拝見しました。内容について、私の思うところは、石川幹事長からのメールで尽くされていますので、重ねて申し上げませんが、まさに「10周年記念作品」にふさわしいものだと思います。

また、本日は玉前神社の禊でしたね。鐵砲洲の寒中水浴に参加された方も多いので、私も「せめて見るだけでも・・・」と思っていたのですが、午前中に所用があり、断念しました。

さて、ご質問の歌舞伎稲荷は、鐵砲洲稲荷神社の摂末社ではなく、歌舞伎座が独自にお祀りしているものかと思いますが、詳しくは宮司に確認の上ご連絡しますので、今しばらくお待ちください。

その他気付いた点ですが・・・(中略)

以上、よろしくお願いします。
 
おはようございます。お便り有り難うございました。梅雨空の九十九里浜でしたが、予定通り、玉前神社の海中禊が行われ、ダイナミックな画像を多数切り取ることが出来ました。正月の大寒禊は20名ほどの参加でしたが、2回目の夏の禊は60名ほどが参加し、大盛況でした。半分以上、Wa☆Daフォトギャラリーを見て参加された方々で、愛知県から高速を車で走ってこられた方もおられ、internetの威力は絶大だと感じました。

鐵砲洲奉祝大祭では、大変お世話になり有り難うございました。画像も何点か使わせて頂きました。先ほど、ご指摘の点を全て訂正しました。歌舞伎稲荷は、ポイントだけで結構ですので、宜しくお願いします。有り難うございました。
2010年6月23日(水)曇  橋本絹子  様より

Re: 「鐵砲洲奉祝大祭」完成! 今日は、1170年奉祝祭有難う御座います。可愛い子供達の三番叟は見事なものですね。又ビルの谷間を過ぎる御輿は素晴らしく伝統と文化を守り継ぐ人達に敬意を重んじます。やはりワッショイの生声は迫力が有りますね其処に自分が居る様な錯覚に捉われます。祭笛日本武尊の舞扇 中七見事に入りましたね素晴らしいと思いました。有難う御座いました。
 
こんにちは。お便り有り難うございました。「祭笛日本武尊の舞扇」は、2005年の例大祭のときの奉納神楽を詠んだものですが、気に入っていただき、嬉しいです。有り難うございました。
2010年6月22日(火)曇  石川辰夫  様より

感謝!感動の鐵砲洲奉祝大祭 こんにちは。今年の鐵砲洲稲荷神社奉祝大祭を作品化していただきまして、本当にありがとうございました。昨晩から何回も拝見させていただきました。臨場感溢れる写真や場面に当時の興奮が蘇ってきました。

 今回の作品は一連の鐵砲洲稲荷神社の祭礼作品の集大成ですね。写真の間の見事な解説で、地元の人にも他地域の方にも、鐵砲洲の地域の事や祭礼の事が本当に良くわかるようになっています。本当に素晴らしい解説です。

 「新富座こども歌舞伎」は着付けや仕込みの写真も掲載されていて、一座の方のご苦労が良くわかります。また演目の解説もとてもわかりやすくて、内容が良くわかります。また「弥生会」の詳細な説明もしていただきましてありがとうございます。弥生会の神社や地元での位置なども的確で、とても心地の良い解説になっていると思います。「祭礼パンフレット」の紹介も丁寧にありがとうございます。私どもが10数年前から作成しているパンフレットは、「祭礼ガイドブック」や「祭礼マップ」など数種類がありますが、今回も発行部数2万部で、今や東京中の祭礼パンフの見本になっています。

 「神幸祭」の列次の説明も見事です。メジャーの神社以外で、こういう神幸祭を挙行している神社はとても少ないと思います。道中の解説も機知に富んでいて、とても読みやすくまた的確だと思います。数十年ぶりの「お稚児さん行列」は、この祭礼のもう一つの目玉でした。本当に可愛らしいですね。神輿渡御と並行して行われたので、当日は私達は見ることが出来ませんでしたが、作品を通して見ると、私達にもよくわかり、とても新鮮でした。しかし55名のお子さん達を統率した敬神婦人会の皆さんは大変だったと思います。一説にはお子さんより親御さんの誘導の方が大変だったとか。(笑)何しろ一人のお子さんに4〜5名の付き添いがあるのですから。(笑)私の3歳になる孫も参加しましたが、冠は取っちゃうやら、あんまり暑いので衣装まで脱ぎだしちゃうやらで大騒動だったようです。

 建て替えを控えた「歌舞伎座」の解説も凄いですね。この作品を見れば、地域の事から芸能文化まで理解できてしまうという事でしょうか。建物の写真はとても記念になりますね。また「鐵砲洲囃子」の紹介もしていただきましてありがとうございます。単なる同好会ではなく、神社を中心としたお囃子は、とても希少価値があると思います。鐵砲洲囃子の皆さんにとってもとても記念になると思います。

 御本社神輿渡御の中での町々の解説も、とても読み応えがあり、和田さんの知識の深さに感服いたしました。何かこの作品の中に、私達の地域と祭礼の全部が凝縮されているようです。本当に素晴らしい作品に仕上げていただきましてありがとうございました。弥生会を代表して心より御礼を申しあげます。これからも末永いお付き合いをしていただきたいと存じます。どうぞ宜しくお願いいたします。

 作品の中で気づいた点をいくつか。(略) 鐵砲洲稲荷神社弥生会幹事長 石川辰夫
 
今晩は。長文のお便り有り難うございました。嬉しく拝読しました。今回、トルコ感動の旅の編集に50日かかり、今回の編集に2週間かかりました。それぞれ、Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念作品と位置づけましたので、全力投球し、大変苦労しましたが、出来映えは両者とも最高だと自負しています。

御本社神輿一基の渡御ですので、変化があまりないのではと思っていましたが、10時間の間に、様々な光景があり、見応えのある作品になったものと思います。色々とご尽力を賜り有り難うございました。

解説の方もお褒め頂き有り難うございます。鐵砲洲稲荷神社の管轄する区域は、下町の身近な民家から大きなビルや歌舞伎座などの文化施設まで、変化に富んでいて、とても魅力的です。簡単に紹介させて頂きましたが、新しい発見も多々あり、書いていて楽しくなりました。

神輿渡御だけでなく、こども歌舞伎や稚児行列に鐵砲洲囃子と話題が豊富で、大作となりましたが、弥生会はじめ関係者のご労苦は大変だったことだと思います。

ご指摘の点は、修正させて頂きました。明日から一泊二日の出張がありますので、帰宅しましたら再度推敲したいと思います。有り難うございました。
2010年6月22日(火)曇  杉村敏夫  様より

新作のご案内ありがとうございます 日本の祭り第137集「鐵砲洲奉祝大祭」の完成おめでとうございます。

Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念作品だけあって、凄い力の入れようですね。御輿のかつぎ方でもバラバラではなく一体感がありました。さすがです。大きなエネルギーをいただいたようです。ありがとうございました。
 
今晩は。お便り有り難うございました。早々に「鐵砲洲奉祝大祭」をご覧いただき、光栄です。10年の節目を迎え、本数を増やすより、中味の充実に力を入れています。お陰で、2ヵ月で2本しか発表できませんでしたが、いずれも大作ですので、致し方ありません。これからも頑張りますので、ご期待下さい。有り難うございました。
  フォトギャラリーへ 特集!旅紀行目次へ 世界の名城 感動写真集目次へ  
旅紀行ジャパン目次へ   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花目次へ
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2013 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク