ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の祭り

2007年9月16日改訂

今 日

昨 日

♪お江戸日本橋メドレー  

拡大写真(1800x1330)580KB

皇后の鎧衣や山車人形  北舟

2007年5月26日制作

原舟月の名作

原舟月の名作(青梅大祭/東京都青梅市)

青梅大祭'07

原舟月

 

制作・撮影:和田義男 協力:須崎八洲治・村野公一

 
拍子木 奉納囃 原舟月 仲秀英 5月2日 夜参拝 5月3日 青梅締 四町競演 六町競演 夜巡行
山車人形だしにんぎょう の飾り付け
 
 旧青梅村の中心で、宿場町を形成していた五町には江戸から購入した山車人形が大切に残されており、青梅大祭のときにだけ展示・一般公開される。本町(ほんちょう)では5月1日(火)会所(かいしょ)に設けられた人形場(にんぎょうば)で山車人形の飾り付けが行われた。  
山車人形の組み立て(撮影:2006.5.1)
山車人形の組み立て(撮影:2006.5.1)
拡大写真(1400x1050)378KB
   かつては住江町すみえちょう)・本町(ほんちょう)・仲町(なかちょう)・上町かみちょう)・森下町もりしたちょう)氏子五町((旧祭礼町)が山車人形を載せた江戸型山車を巡行していた。  
武内宿禰の着付け(撮影:2006.5.1)
武内宿禰の着付け(撮影:2006.5.1)

拡大写真(1400x1050)190KB

   明治の末期に青梅にも電線が張り巡らされるようになると、そのままでは巡行できなくなったため、大正に入ると人形を下ろし、山車は屋台の形式に改造された。下ろされた人形は、町会所(ちょうかいしょ)の人形場に飾られるようになった。  
神功皇后の着付け(撮影:2006.5.1)
神功皇后の着付け(撮影:2006.5.1)

拡大写真(1400x1050)295KB

 

神功皇后

じんぐうこうごう 
と応神天皇を抱いた 武内宿禰たけのうちのすくね 
 
   本町の会所には、神功皇后と応神天皇を抱いた武内宿禰(宿弥)が展示される。江戸末期から明治期にかけて活躍した人形師・三代目原舟月(はら・しゅうげつ)(1826〜1898)の明治2年(1869)の作で、首の芯に刻銘がある。茨城県土浦市から購入した山車に載っていた人形といわれている。  
本町人形場の山車人形

(撮影:2007.5.2)

拡大写真(1600x1250)428KB

   仲哀天皇(ちゅうあい・てんのう)に代わって三韓遠征に出陣した神功皇后がめでたく凱旋し、皇子・応神天皇を出産したときの晴れやかな姿と、皇子を抱いたお守役の大臣・武内宿の勇壮な姿を表現している。
原舟月の名作
原舟月の名作
拡大写真(1800x1330)580KB
  皇后の鎧衣や山車人形  北舟 

こうごうの よろいごろもや だしにんぎょう

   皇后は緋威(ひおどし)宿禰は萌黄威(もえぎおどし)の鎧にそれぞれ腰刀と太刀を帯びる。皇后は重藤(しげとう)の弓に見事な繧繝彩色(うんげん・さいしき)・透彫(すかしぼり)の軍配を持つ。皇后の雲・龍・稲穂の雨水模様の金襴(きんらん)の長絹(ちょうけん)と宿禰の麻葉文(あさのはもん)の金(きんらん)長絹(ちょうけんは、能装束の応用で、とても品がある。  
応神天皇を抱いた武内宿禰
応神天皇を抱いた武内宿禰
拡大写真(1450x1200)319KB
 宿禰(すくね)冠の下には茶筌髷(ちゃせんまげ)があり、赤子姿の応神天皇には男子の象徴がついている。原舟月は見えない部位にも手を抜かずに丁寧な仕事をする人形師であったことが伺え、当時の職人気質を垣間見ることができる。今年本町は人形場を改装し、四方から鑑賞できるようにした。
本町人形場の全景

本町人形場の全景

パノラマ写真(1400x1330)361KB

 
住江町すみえちょう

神功皇后じんぐうこうこう

   住江町に飾られる山車人形は、宮元町会にふさわしく、住吉神社の祭神・神功皇后である。江戸時代の名人形師・仲秀英(なか・しゅうえい)の明治7年(1874)の作で、頭頂には松雲斎徳山(しょううんさい・とくざん)の天冠(てんかん)が載る。神田宮本町が神田祭の山車人形として運行していたものといわれ、明治20年頃に購入したという。
 

 神功皇后の着付けを行っている人は住江町で陶器店を営む佐野誠さんで、住江町の氏子総代を務めている。

巨大な神功皇后の山車人形(撮影:2005.5.1)
巨大な神功皇后の山車人形(撮影:2005.5.1)
拡大写真(1800x1330)580KB
 

 残念ながらアップで見ると、染み、掻き傷、剥離などの痛みが認められるが、大きな瞳は聡明で、生き生きとし
た表情が素晴らしい。かつて貴族の女性は、
白塗りのノリを良くするために眉毛を抜いたと伝えられているが、本
町と住江町の神功皇后には眉毛がなく、いみじくもそれを裏付けている。

聡明で生き生きとした表情(撮影:2005.5.1)
聡明で生き生きとした表情(撮影:2005.5.1)
拡大写真(1400x1050)124KB
 

 この人形は神功皇后の出陣姿で、紺地の錦に五爪龍(ごそうりゅう)と飛雲(ひうん)の文様をあしらった直衣(のうし)
を着けている。袴は四季の花咲く籬(まがき)模様の大口袴。啄木の緒がついた出鮫(だしざめ)に唐花紋(からはなも
ん)
の目貫(めぬき)の太刀を左手に握り、右手に軍配を持つ雄々しい姿。鳳凰を刺繍した平緒(ひらお)をつけ、脚
に脛当(すねあて)足に毛沓(けぐつ)をはく。

着付けが終わった堂々の神功皇后
着付けが終わった堂々の神功皇后
拡大写真(1050x1400)325KB
   応神天皇を懐妊した姿であることから腹部にふくらみがある。神功皇后は、三韓出兵の際には身重の身体で出陣し、凱旋の後、武神である八幡(はちまん)(応神天皇)を無事出産したので、安産の神としても信仰されている。人と比べると、かなりの大きさである。
住江町人形場の全景
住江町人形場の全景
パノラマ写真(1800x1040)417KB

 
仲町なかちょう

静御前しずかごぜん

  仲町(なかちょう)の会所は、静御前が飾られる。明治の初め、町内有志により、日本橋の瀬戸物町・伊勢町・小田原町(現在の日本橋室町)から山車と共に購入したという。松雲斎徳山(しょううんさい ・とくざん)作で、嘉永元年(1848)江戸天下祭(山王祭)の9番山車に載っていた人形ではないかといわれている。  松雲斉徳山
   この人形は、静御前が鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおか・はちまんぐう)で頼朝の面前で舞った「静(しずか)の舞」を表
現したもの。近くに寄って見れば見るほど清楚で美しく、私の大好きな人形で、青梅大祭の今年のポスターに森
下町の武内宿禰と共に掲載されている。  静の舞
 

素顔の静御前(撮影:2005.5.1)

素顔の静御前(撮影:2005.5.1)

拡大写真(1400x1200)155KB

   徳川家康が江戸幕府を開いて丁度400年となる平成15年(2003)の11月22日(土)から24日(祝)まで、東京都千代田区で江戸天下祭(えどてんかまつり)が開かれ、絢爛豪華な江戸祭りが再現されたが、仲町の静御前が森下町の山車と武内宿禰と共に出展され、注目を集めた。  
静御前の着付け(撮影:2005.5.1)

静御前の着付け(撮影:2005.5.1)

 金横さびの立烏帽子(たてえぼし)、白地銀襴(しろじ・ぎんらん)の舞衣(まいぎぬ)に葵鍔(あおいつば)の太刀。赤地金襴(あかじ・きんらん)の蔓牡丹(つるぼたん)の大口袴は能装束の仕立てである。閉じた中啓(ちゅうけい)(扇)を右手に持ち、少しうつむき加減で品の良い雰囲気がある。背に金弊(きんぺい)を負うので、この人形だけは御旗を立てない。

今年のポスターに採用された静御前(撮影:2005.5.2)

瑞々しい静御前

拡大写真(900x1200)175KB

 かつては高い山車の上に載せられていたため、どの人形も視線が下向きに作られている。それを同じ眼の高さで見ると不自然に感じることから、仲町では高い台の上に飾って、当時の味わいを忠実に再現している。
  風薫る静御前を見上げつつ  北舟 

かぜかおる しずかごぜんを みあげつつ

完成した仲町の人形場

完成した仲町の人形場

拡大写真(1400x1100)302KB

Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2007 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク