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 感動写真集

2005年9月15日改訂

♪地の精霊 水の宮・和風BGM

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           久万川や水掛け浄む村祭  北舟

2004年10月30日作成

引き揚げる神輿

神輿一体走り(勝岡八幡神社/愛媛県松山市勝岡町)

勝岡八幡神社

神輿一体走り

久万川

 

神輿のお浄め

 間もなく神輿を水中に据えてその周りをぐるりと取り囲んだ男たちは、一斉に両手で神輿に水をかけ始めた。故事にちなんだお浄めの神事である。川狩りのあいだに、これが何度も繰り返される。

神輿のお浄め

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  久万川や水掛け浄む村祭   北舟    

水しぶき

水しぶき

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水中から引き上げられる神輿

水中から引き上げられる神輿

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水を掛ける海賊スタイルの男

水を掛ける海賊スタイルの男

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わら まみれの神輿
 神輿がスロープに向かい、陸に上がろうとすると、待ってましたとばかり、観衆から藁や枯れ草が投げつけられた。神輿や裸衆は、あっというまに藁まみれになってしまった。
 恐れ多くも神の鎮座する神輿に藁を投げつけようとは思いもよらず、ただただ驚くほかはないが、これは「川の中からまだ出るのは早い」という意思表示なのだという。何とも奇妙な風習である。

藁まみれの神輿

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藁まみれの神輿に水掛け

再び神輿は水中に据えられ、裸衆の集中攻撃を浴びて激しく水を掛けられ、念入りに洗い浄められた。

藁まみれの神輿に水掛け

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お浄めを終えた神輿

 午後5時20分ころ、神輿は今度は本当に引き揚げて行った。まだ興奮冷めやらぬ子供たちがプールに入り、水を掛け合ったりして遊んだ。次代の川狩りを受け継いでくれる子供たちが沢山いることを頼もしく思った。

お浄めを終えた神輿

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最後の神輿練り

  裸の一行は、和霊橋の上で、最後の神輿練りを行った。今朝は暗いうちから宮入りし、夕刻まで、長い長い祭りの日がこれで終わったという安堵感が漂っていた。

最後の神輿練り

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引き揚げる神輿

  裸衆は、最後の力を振り絞りながら疲れた足取りで引き揚げてきた。川で禊ぎをしたこの神輿は、朝は氏子たちが担いで宮入りしたが、このあとは、トラックに乗せられて八幡様に向かった。

路上を引き揚げる神輿

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撮影 ・ 原作

 

住居: 岡山県

趣味: フィットネスクラブでの運動 (只今20年継続中) 水泳等

座右の銘: 「継続は力なり」 「歳月人を待たず」   座右の書: 「菜の花の沖」  司馬遼太郎

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朝日に向かって走る若者たち

 松山の秋祭りのひとつである、勝岡八幡神社で行われた一体走りの取材に出かけました。朝6時に宮出しが始まるのですが、私が着いた5時半頃はまだ真っ暗で露店の灯りだけがやけに目立っていました。
 既に本殿周辺は、祭りの始まりを待つ人たちの熱気がいっぱいに漂っていて、神輿も各町から到着しており、安城寺では朝3時に出発して神輿を担いで来たそうです。本殿から順を追って宮出しが始まって、明るくなった7時半頃に一体走りのスタートとなります。 
 神輿が一体づつ朝日に向かって豪快かつ勇壮に走り抜けていきます。神輿を揺らさず、鈴が鳴らないように美しく走るのが賞美されるため、きれいなフォームで疾走します。不思議に鈴の音が聞こえません。本当に不思議です。また、色鮮やかな褌を締めた若者の裸体は、昇る陽光を受けて光り輝き、眩しくも爽やかな感じがしました。
 今回感じたことは、神輿を担ぐ人全員が若いということです。この若者達が、日本人独特の祭り文化と裸文化をしっかりと継承していることを頼もしく、また、うれしく思います。総じてこの「一体走り」の明るい未来を感じ、いつまでも変わることなく後世に伝えていって欲しいものです。   ちばあきお

「坊つちゃん」と田舎

 夏目漱石の小説「坊つちゃん」は、何処にも松山という文字がないが、漱石が松山中学校の教師時代の体験がモチーフになっていて、舞台が松山であることは間違いない。江戸っ子風の坊ちゃんが、松山という田舎の風習や文化にとまどうエピソードが散りばめられていて、子供のときから大好きな小説である。
 思えば明治維新以後、文明開化の嵐が吹き、敗戦後の教育においても田舎が恥と教えられ、多様な日本の伝統文化が露の如く消え去ってきた。私は戦後生まれの団塊の世代で、高知の小学校で育ったが、先生は「おら、おんし、ねや」という方言を禁止し、「ぼく、きみ、ねえ」と言うことを強制した。「おてやん、おかやん」は「おとうさん、おかあさん」となり、長い間育まれてきた方言は消え去ってしまった。
 今、写真の取材であちこちの観光地に行くが、共通することは、その土地でしか味わえない文化をアピールしていることである。学校によってはその土地の方言を教えているところもあると聞く。教育方針が180度転換し、今や地方の時代となった。田舎で生まれ育ったことに誇りを持ち、田舎特有の文化を持つことが、なんと豊かなことなのだろうと、やっと気付きはじめたのである。

みんなちがって、みんないい。  金子みすずの詩「私と小鳥と鈴と」より

 松山には「一体走り」や「川狩り」という全国的には無名の素晴らしい無形文化財があった。こゝには日本の気候風土に根ざした裸文化が息づいている。子供たちは褌(ふんどし)が男の伝統衣装であることを習った。
 「川狩り」に至っては、役所が巨費を投じて、久万川に代わる専用施設を建設し、川の汚染で途絶えてしまった田舎の伝統文化を見事に復活させた。とても素晴らしいことで、心底から感激した。  和田義男 〈 完 〉
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