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 旅紀行日本の裸祭り

2019年8月21日改訂

 

 

 

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♪海のアラベスク〜千年女王〜氷湖〜精霊

正月やふどし一丁玉洗ひ   北舟

 

The New Year, washing a ball wearing fundoshi loincloth.

2019年8月21日制作

海水で玉を清める / 福間海岸 08:44

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海水で玉を清める / 福間海岸(福岡県福津市)
神紋:丸に諏訪梶   諏訪神社   神紋:丸に諏訪梶

福間浦玉せり’19

玉洗

撮影原作 吉田好幸 辻 竜二

はじめに
 令和元年(2019)1月3日(木)、福岡県福津市(ふくつし)福間海岸(ふくまかいがん)で諏訪神社(すわ・じんじゃ)(宮秀文宮司 69歳)の「玉せり」が行われたので密着取材した。福岡市筥崎宮(はこざきぐう)の玉取祭は「玉せせり」というが、諏訪神社では「玉せり」と呼ぶ。
 福津市緑町と南町の伝統行事である「玉せり」は、福間浦(福間海岸)の漁師たちの大漁・安全・無病息災を願う年始めの行事で、鎌倉か室町時代に始まったのではないかといわれている。

【凡例】
 
▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 ●:筆者の私見 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示
福岡県

福津ふくつ

市の位置

福岡県福津市の位置

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福岡県

福津市

 
▲▼ 玄海灘に面し人口約5.5万を擁する福津市(ふくつし)福岡県北西部の福岡地方に位置し福岡市と北九州市の中間に位置する。平成17年(2005)1月24日に宗像郡(むなかたぐん)福間町(ふくままち)と津屋崎町(つやざきまち)が合併して発足した。  福津市公式サイト  
   福津市の誇る白砂青松の美しい海岸は北から津屋崎(つやざき)・宮地浜(みやじはま)・福間(ふくま)と続く3kmに及ぶ遠浅の砂浜で「西日本の湘南」、「福岡の湘南」といわれており海水浴やウィンドサーフィンなど、海洋レジャーの中心地である。  
せり」が行われる

福間

海岸と諏訪神社の位置

「玉せり」が行われる福間海岸海岸と諏訪神社の位置

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Google Earth
諏訪神社境内配置図

諏訪神社境内配置図

資料:諏訪神社

諏訪神社表参道入口

諏訪神社表参道入口

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諏訪神社

▲▼ 福津市の諏訪神社は、JR福間駅西方約700mほどの福間小学校のそばに鎮座している。福津市の中心部にほど近い場所にあり、江戸時代からこの地の氏神として崇められている。本殿には、大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主命おおくにぬしのみこと)、建御名方神(たけみなかたのかみ)(大国主の御子神で漁業の神)事代主神(ことしろぬしのかみ)(大国主の御子神)が祀られている。

諏訪神社表参道より拝殿を臨む

諏訪神社表参道より拝殿を臨む

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  ▲▼ 総本社・諏訪大社(長野県)の祭神である諏訪大明神(建御名方神)は、狩猟や漁業を守護する神であることから、漁業が盛んだった福間浦の漁師たちが江戸時代前期に諏訪大社から祭神を勧請(かんじょう)して創建したものといわれている。  
 諏訪大社を初め、諏訪神社では昔から相撲が盛んで、毎年9月26日・27日に行われる秋季大祭(放生会ほうじょうえ)では、神社境内の土俵で子供相撲大会が開催される。 → 福間子ども相撲

諏訪

神社全景
↓常設土俵  

諏訪神社全景

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拝殿奥の

幣殿

祭壇

拝殿奥の幣殿と祭壇

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福間浦玉

せり
 
▼ 正月3日に開催される「福間浦玉せり」は、福間浦共有財産組合(廣渡金次郎会長)主催による大漁・安全・無病息災を祈願する漁師たちの裸祭で、300年以上の歴史を有する。
 
 福津市の南町区(みなみまちく)と緑町区(みどりまちく)の氏子たち約50人が褌(へこ、締込み)一丁の裸形となり、海で清めた直径31cm重さ12kg の大玉を先頭に「わっしょいわっしょい」と威勢の良い掛け声を上げながら諏訪神社を参拝する拝殿前で玉を競り合ったあと、約1.3km西方の福間海岸まで行進し、砂浜や海の中で勇ましく玉を競り合う。
 
 その後町内の家々を訪問し、玉を鴨居にぶつけて玄関を清めたり、玉を競り合ったりして家内安全・無病息災を祈願する。
 

福間海岸「福間浦」

福間海岸「福間浦」

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南町区の拠点・南町公民館

南町区の拠点・南町公民館

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▲▼ 南町区の当番6人の出で立ちは、褌一丁の裸形で、しかも裸足の人が半分。彼らは、大玉を交代で持ちながら、共有会館に向かった。
褌一丁で共有会館に向かう 08:40

褌一丁で共有会館に向かう 08:40

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恵比須 神社と玉せり
 
▼ 福間漁港の入口に鎮座する和田津美(わだつみ)神社は通称「リュウグウサマ」と云い、船の神様である。その右隣に和田津美神社の境内社として海の神である事代主神(ことしろぬしのかみ)通称恵比須大神が祀られた恵比寿神社があり「玉せり」はかつては恵比寿神社の祭礼であった。
 「玉せり」は漁師の祭で、昔は正月15日まで漁止めで、その間は直方(なおかた)方面に酒の仕込みの手伝いに出ていたため、十日恵比須の翌日の11日に「玉せり」が行われていた。その後、種々の変遷を経て、現在は、筥崎宮の「玉せせり」と同様正月3日に諏訪神社の正月行事として行われている。
 「玉せり」の起源は詳らかではないが、あるとき、玉取り恵比須に上げてあった玉が転げ落ち、漁民たちが競って拾い上げて元の場所に奉納したことに由来するといわれている。
 また、福間浦は、江戸時代、福岡市の箱崎浦と共に黒田藩の浦奉行下にあったことから、同じ浦行事(漁村行事)として玉取祭(箱崎は玉せせり、福間は玉せり)が盛んに行われるようになったといわれている。
和田津美 神社と 恵比須 神社

和田津美神社と恵比須神社

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共有会館

(社務所)
▼ 和田津美神社の左隣に社務所があり、共有会館と呼ばれているかつては神社の前に漁協があり魚市場でセリが行われていた。現在のような道路はなく、砂浜の所々に松や竹が生えたトウヨウと呼ばれる砂山があり、漁民たちは、そこに上がって鰯(いわし)などの物見をし、魚が来たとわかると漁に出掛けた。
 福間漁港は平成9年4月に25億円をかけて完成港ができるまでは砂浜に船を引き揚げるのが大変な作業だったという。現在、漁業者は南町20軒、緑町1軒で、組合員は30人ほど。
和田津美神社に隣接する社務所「共有会館」

和田津美神社に隣接する社務所「共有会館」

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福間

海岸(福間浦)
 
玄海灘に面する弓なりの砂浜が南北に3kmほど続く白砂青松の南部が、福津市に合併する前の福間町の地先海岸だった福間海岸で、現在は、福間海水浴場として親しまれている。かつては、この界隈は福間浦と呼ばれる長閑(のどか)な漁村だった。
福間海岸(福間浦)に到着 08:43

福間海岸(福間浦)に到着 08:43

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海水で玉を清める / 福間海岸 08:44

海水で玉を清める / 福間海岸 08:44

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  正月やふどし一丁玉洗ひ 北舟 

しょうがつや ふどしいっちょう たまあらい

The New Year, washing a ball wearing fundoshi loincloth.

海水で清められた南町区の大玉 08:45

海水で清められた南町区の大玉 08:45

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海水で大玉を清めて引き上げる 08:46

海水で大玉を清めて引き上げる 08:46

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円陣を組んでいざ出陣!/ 南町区 10:37

円陣を組んでいざ出陣!/ 南町区 10:37

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共用会館へ向かう緑町区の氏子たち 10:36

共用会館へ向かう緑町区の氏子たち 10:36

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▼ 南町区の氏子たち約20人は、共有会館で緑町区の氏子たち約30人と合流し、前庭で宮秀文宮司のお祓いを受け、無病息災を祈願した。

共有会館で宮秀文宮司のお祓い 10:42

共有会館で宮秀文宮司のお祓い 10:42

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御神酒が掛けられた共有玉 10:44

御神酒が掛けられた共有玉 10:44

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