ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2005年12月27日改訂

今 日

昨 日

♪鎮守の森  水の宮・和風BGM

拡大写真拡大写(1280x852)196KB

  

2005年12月27日作成

百間川に向かう赤褌組

百間川に向かう赤褌組(沖田神社道通宮/岡山市沖元)

沖田神社

道通宮子供会陽

百間川の禊

沖田神社拝殿
沖田神社拝殿

拡大写真(648x447)100KB

 平成17年(2005)2月27日(日)岡山市沖元に鎮座する沖田神社(おきたじんじゃ)・道通宮(どうつうぐう)で子供会陽が開かれた。

沖田神社おきたじんじゃ
 岡山藩の干拓工事を記念して創建された沖田神社は、元禄7年(1694)備前国(びぜんのくに)藩主池田綱政(いけだつなまさ)の時代に新しく開拓された沖新田(おきしんでん)の産土神(うぶすながみ)として建立されたもので、300年を超える歴史がある。宝永6年(1709)現在地に遷宮した。
 祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、素戔鳴尊(すさのおのみこと)、軻遇槌命(かぐつちのみこと)、おきた姫など六柱。
道通宮どうつうぐう
 400年前に創建された道通宮は備中高松城主の子孫が祀った鎮守の社(やしろ)であったが、4代の孫伝兵衛の代になって沖新田に転居。寛政12年(1800)沖田神社境内へ移転して沖田神社の末社(まっしゃ)となった。 祭神はみちびきの神、道の神として知られる猿田彦命(さるたひこのみこと)。神輿渡御の先導を勤める鼻高面の神である。
意気上がる子供たち

褌一丁の子供たちは午前10時過ぎに道通宮の前に集まった。2月下旬のこの時期はとても寒い。

意気上がる子供たち

道通宮子供会陽どうつうぐうこどもえよう
 沖田神社の境内の一角にある道通宮では、2月の西大寺会陽の次の第四日曜日に会陽が行われる。江戸末期から120年の伝統を刻んできたこの会陽は、かつては成人男子によって行われていたが、昭和30年(1955)から少年の健全育成のため、男子小学生だけで行なわれるようになった。

百間川に向かう赤褌組(低学年)

午前11時前になると、子供たちは禊(みそぎ)をするため、近くの河原に向かった。

百間川に向かう赤褌組(低学年)

拡大写真(1280x852)196KB

褌一丁の

競子せりこ

たち
 男児たちは低学年と高学年の二組に分かれ、低学年は赤褌(あかふんどし)、高学年は白褌(しろふんどし)を締める。褌は前垂れ式六尺褌で、一本の長尺布で褌と腹巻きを兼ねている。保温と緩み防止には最良の方法である。

柄杓ひしゃく

水で みそぎ をする子供たち

柄杓の水で禊をする子供たち

百間川ひゃっけんがわ

の  みそぎ
 子供たちは岡山市内を流れる旭川(あさひがわ)の放水路として造られた全長13kmの百間川の河原まで下りて、奉賛会のおじさんたちによる柄杓(ひしゃく)の水を浴びて禊をする。かつて川に浸かって禊をした名残であろう。

肩を組んで行進する白褌組(高学年)

肩を組んで行進する白褌組(高学年)

拡大写真(1280x852)195KB

 大人たちは法被などをしっかりと着込んでいて、子供たちだけが裸である。浅瀬くらいには入らせて水の冷たさを体感させれば良いとも思われるが、裸にさせるだけで十分と考えているのかもしれない。

 10分ほどで禊を終えた子供たちは、沖田神社拝殿で参拝したあと、道通宮の争奪戦の会場へと向かった。

河原の禊ぎを終えて神社に向かう白褌組

河原の禊ぎを終えて神社に向かう白褌組

拡大写真(1280x852)111KB

神木しんぎ

の投下
 今年の会陽には小学生男子170人が参加。禊が終わったあと、学年ごとに3グループに分かれて神木(しんぎ)を奪い合った。神木は三種類あり、午前11時40分から景品神木(けいひん・しんぎ)130本と副神木(ふくしんぎ)20本が撒かれ、正午には本神木(ほんしんぎ)2本が投下された。

石井正弘・岡山県知事(右端)も副神木を投下!

石井正弘・岡山県知事(右端)も副神木を投下!

拡大写真(1248x753)162KB

グループ毎に境内で揉み合う男児たち

グループ毎に境内で揉み合う男児たち

拡大写真(1280x852)134KB

Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2006 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク