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▲ 平成20年(2008)7月26日(土)、地元にお住まいの「はっちゃん」のお世話で、埼玉県新座市(にいざし)の鎮守の森に鎮座する大和田氷川神社(おおわだ・ひかわじんじゃ)の神幸祭(しんこうさい)「大和田はだか神輿」(平成14年新座市指定無形民俗文化財)を密着取材した。 |
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今から200年ほど昔、天災から作物や家畜を守り、豊作を願い、村人の無病息災を祈るために始まった祭である。 |
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▲ はだか神輿の担ぎ手は、白足袋に白の一反晒(いったんさらし)(約10mの晒木綿)の褌・腹巻を締め込み、帯紐(おびひも)のない白法被(しろはっぴ)をはおるが、神輿を担ぐときは法被を丸めて肩に乗せ、担ぎ棒が直接肩にあたらないようにする。褌姿で神輿を担ぐところから、いつしか「はだか神輿」と呼ばれるようになり、その勇壮な様から「荒神輿(あれみこし)」とも呼ばれるようになった。 |
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この祭の神輿練りは、左右に大きくローリングさせることに特徴がある。神輿が傾く側に大きな重量がかかるので、それを支えるのが大変で、ときには潰れてしまうこともある。神輿を大きく揺らせば揺らすほど、神意に叶う。夏の夜の町内を渡御した後は、鎮守の森で神輿練りが続けられる。担ぎ手たちは、夜更けまで神と戯れて遊ぶ。 |
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▲ この裸祭を紹介して頂いた「はっちゃん」は、旅の祭を撮す遊び人で、12年前から
神輿見たまま を主宰し、これまでに231作を発表しておられる。祭に参加しながらコンパクト・デジカメで撮影し、適宜写真を入れながら文章主体のお祭レポートに仕上げる。旅の道中に見聞したことをそのまま紹介しているので、とても参考になる。 |
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▲ 毎年正月中旬、神奈川県藤沢市の江ノ島片瀬海岸東浜で行われる江ノ島寒中神輿錬成会は、神社の祭礼ではなく、藤沢鎌倉神輿連合会が主催するもので、藤沢・鎌倉両市の神輿愛好者による年に一度の大会である。正確には「藤沢鎌倉神輿連合会寒中錬成大会」という。 |
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ユニークであるのは、主役が両地区の新成人で、年に一度、正月に海に入って神輿練りを行う点である。その年に20歳となる男女が江島神社(えのしまじんじゃ)宮司のお祓いを受けた後、4基の神輿の担ぎ棒に立って海中渡御を行い、晴れて成人の仲間入りを果たすもので、これは一種の通過儀礼であり、成人祭といえる。 |
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▲ 新成人の祝賀行事だけでなく、「神輿はじめ」の儀式でもあるため、全国から大勢のお祭り愛好者が参加し、カラフルな六尺褌をキリリと締めて厳寒の相模(さがみ)の海に入り、新年初の神輿練りを行うので、人気がある。 |
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▲ 平成20年(2008)7月13日(日)、梅雨の合間に、湘南・江ノ島の夏祭として知られる江島神社(えのしまじんじゃ)の末社・八坂神社(やさかじんじゃ)の例大祭「江ノ島天王祭」が開かれたので、二度目の取材を行った。 |
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冬の錬成会とは違って、江ノ島天王祭では、神輿の担ぎ手は白褌に統一され、いわゆる水褌(すいこん)一本で海中渡御を行う。この写真は平成16年(2004)に撮った傑作だが、2008年はこれを越える写真は撮れなかった。 |
お祭り愛好者の三木芳樹さんとはこの江ノ島天王祭で知り合い、その後、三木さんから山本グループを紹介して頂いたのもこの江ノ島天王祭でのことであった。 |
▲▼ そして平成19年(2007)2月24・25日、山さん(山本啓一さん)に案内して頂き、奇祭・黒石寺蘇民祭(こくせきじ・そみんさい)を取材することができた。山さんや昇ちゃん(長谷川昇司さん)は、約30年前から蘇民祭に参加し、廃れそうになっていた蘇民祭を今日の隆盛に導いた功労者である。 |
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▲▼ 岩手県奥州市水沢区黒石町(くろいしちょう)にある黒石寺(こくせきじ)は天台宗の古刹(こさつ)で、山号は妙見山(みょうけんざん)。北上川(きたかみがわ)東岸の仏教文化発祥の地である。 |
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旧正月7日夜半から8日早暁にかけて行われる「黒石寺蘇民祭」は、裸の男と炎の奇祭として千年余りの歴史を誇る夜祭で、東奥の奇祭ともいわれる。岡山の「西大寺会陽」と大阪の「四天王寺どやどや」と共に日本三大奇祭の一つに数えられる蘇民祭は、古代の祭の姿を今に伝える貴重な裸祭で、国より「記録保存すべき無形民俗文化財」の指定を受けている。 |
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▲▼ 蘇民祭は冬季積雪の中で行われる夜祭で、修験道(しゅげんどう)の性格をもった寺のなごりを残している。平成19年(2007)は2月24日(土)~25日(日)に開催され、午後10時から翌朝午前7時頃まで、裸参り、柴燈木登(ひたきのぼり)、別当登(べっとうのぼり)、鬼子登(おにごのぼり)、蘇民袋争奪戦の五つの行事が夜を徹して行われた。 |
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暖冬の影響で、この年は雪が殆どなかったが、外気温-8℃の屋外で行われる徹夜の裸祭は、日本三大奇祭の中で最も難易度の高いもので、天下一の奇祭といっても過言ではない。 |
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▲ 平成19年(2007)まで、瑠璃壺川での水垢離~薬師堂参拝を3回繰り返す裸参りは、3巡目には褌を外して行うことになっていたが、翌年から警察の要請を受け入れて、一般参加者が全裸となることが禁止された。写真は柴燈木登(ひたきのぼり)で山内節を唄う昇ちゃんの最後の全裸シーンである。 |
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平成20年のセクハラ?ポスター |
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▲ 翌平成20年(2008)の蘇民祭では、髭のポスターがセクハラだということでJR東日本の駅構内に掲示できないという騒動があり、私の「黒石寺蘇民祭」のサイトがパンクし、アクセスできないという事態が発生した。このポスターのどこがセクハラか、未だに私は分からない。 |
▼ その後、岩手県警が神聖な祭事を担う親方衆の全裸まで刑法のわいせつ罪に当たると発表したことを受けて、テレビ朝日が蘇民祭の開催が危ぶまれている旨報道したことから、再び私のサイトはパンク状態に陥った。 |
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▲ 間もなく、渡海文部科学大臣が警察の行動に不快感を示し、警察権力の介入を批判する談話が発表された。 |
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警察当局は、これまでのいきさつを十分踏まえたものだと弁解したが、警察の不明を渡海大臣によって糾弾された格好となり、大臣のコメントで、伝統の裸文化を維持したいという熱い思いを抱く良識派が溜飲を下げ、親方が全裸で蘇民袋を切り裂く伝統は、かろうじて維持された。 |
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▲ 平成21年(2009)の蘇民祭は H.I. さんが取材し、「黒石寺蘇民祭'09」として発表して頂いたが、問題のシーンは全裸の親方を下から持ち上げて下半身が見えないように工夫されていた。 |
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親方に短刀を授受する大事な役は山さんが演じてきたが、本年は山本グループのkumaちゃんがその大任を果たした。功労者の山さんが高齢で引退されたのは残念だが、後継者が育っているのが嬉しい。 |
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撮影:H. I. |
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▲ 平成21年(2009)の蘇民袋争奪戦は、2月2日(月)午前5時すぎ、親方が薬師堂で蘇民袋を切開したのを合図に争奪戦が始まり、熱気溢れる裸たちの渦は、薬師堂から参道を下り、門前道路を右折して車道から雪野原に移動。激しいもみ合いの結果、花巻市の大工・菊池長吾さん(49歳)が2年連続で蘇民袋を獲得した。 |
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Wa☆Daフォトギャラリーが黒石寺公式ページにリンク
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▲▼ 平成19年(2007)の取材では、山さんの紹介で黒石寺の藤波洋香(ふじなみ・ようこう)住職(女性)と知り合い、3月13日にWa☆Daフォトギャラリーが黒石寺の公式サイトにリンクされた。以後、メールのやりとりが続いているが、セクハラ騒動や警察の介入に際しては、出来る限りのサポートをさせて頂き、お礼のメールが届いた。 |
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和田様 いつも応援いただきありがとうございます。蘇民信仰の意味を理解しようともせず、ただただ裸にだけこだわる人間が多いのに辟易しております。そういう人たちによって蘇民祭は抹殺されることになるでしょう。マスコミのカラ騒ぎに付き合っている余裕はありません。いつものとおり黙々と準備を進め、粛々と祭りを執行するのみです。 2008.2.12
藤波様 お忙しい中、ご返事恐縮です。祭主としてのご立派な決意に感動しました。伝統の蘇民祭がつつがなく成就されることを祈念しております。有り難うございました。 2008.2.13 |
和田様 いつもお世話になっております。サンデージャポンの録画CD、拝見いたしました。明けても暮れてもセクハラだの全裸だのという騒ぎが続き、うんざりしてTVも新聞も週刊誌もほとんど見ておりません。世間にどう思われようと、マスコミがどう伝えようと関係ないのです。とにかく祭りが無事に終わったことを感謝するのみです。
そういう訳で、和田様から頂いたCDは貴重な記録映像ということになります。どうもありがとうございました。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
妙 見 山 黒 石 寺
住 職 藤 波 洋 香
〒023-0101岩手県奥州市
水沢区黒石町字山内17
TEL0197-26-4168
FAX0197-26-4303
http://kokusekiji.e-tera.jp/
kokusekiji@e-tera.jp
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 2008.2.21
藤波様 おはようございます。お送りしたCDが黒石寺の記録映像としてお役にたったこと、大変嬉しく思います。見ておられなかったそうで、念のためにと思ってお送りして良かったです。
1000年も続く伝統の蘇民祭に無知な部外者の介入があり、大変迷惑されたこと、お察し申し上げます。ポスターをJRが掲示しないということから始まった今回の騒動ですが、こんな小さなことをマスコミが取り上げて全国報道したことが発端です。それを更にエスカレートさせたのが警察当局で、蘇民袋を切り裂く親方の全裸が刑法の公然猥褻物陳列罪に当たるという発表でした。
去年、警察の強い要請を受けて、裸男たちの全裸を禁止することを受け入れられた藤波さんでしたが、苦渋の選択だったことでしょう。お陰で、柴燈木登りで全裸で山内節を歌っていた長谷川さんが警察から指導を受けるという前代未聞のハプニングが起こり、長谷川さんが大きなショックを受け、そばで取材していた私もその心情が痛いように分かりました。
去年発表した「黒石寺蘇民祭」の最後で、「これからは裸男たちは褌着用が義務付けられるが、神聖な儀式を担う親方は従来通りの全裸で祭りが行われるようになるだろう」と予測しましたが、私の予想通りになりました。警察は、親方すらもダメだということでしたので、どうなることかと心配していましたが、結果的には警察は動けず、伝統が維持されました。
これは、警察発表を受けて、渡海文部科学大臣が警察の伝統文化への行きすぎた介入に不快感を表明されたことが大きいと思います。警察は、これまでのいきさつを十分踏まえたものだと弁解しましたが、それなら介入することはできないと判断すべきで、警察の不明を渡海大臣によって糾弾された格好になりました。大臣のコメントで、伝統の裸文化を維持したいという熱い思いを抱く多くの良識派が溜飲を下げたのでした。
来年からは、警察の不当な介入はないと思われますので、藤波住職が推進する伝統の蘇民祭は不滅だと思われます。これからも国の指定を受けた貴重な無形文化財が変質することなく存続されることを祈念し、微力ではありますが、これからも応援させて頂きたいと思っています。有り難うございました。2008.2.22 |
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今晩は 蘇民祭については今更お話する程のこともないですが、千年の歴史ある素朴な祭りに魅力を感じ、今日まで続けてきました、時代と共に多少の変化は仕方ないが 行政が介入すると祭りはつまらなくなりますね、単なる観光のPRに過ぎなくなって・・・
47社もの報道機関が詰めかけ 彼らのためにやった蘇民祭みたいな気さえしました。(蘇民祭と言えば水沢市ですが 奥州市ではピンときません)
私が褌を締め(てやっ)たのは 日テレのザ・サンデーの石橋さんです、祭りデレクターとして頑張りたいので各地の祭りも教えて欲しいと言ってました。日テレ以外 TBSや東スポさんなどからも取材されました。 2008.2.27 |
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厄除の儺追布は社務所で1枚100円で授与される。去年のものは境内の返納所に結ぶ。 |
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▲ 平成18年(2006)2月10日(金)愛知県稲沢市(いなざわし)に鎮座する國府宮(こうのみや)で行われた裸祭を取材した。このときも三木芳樹さんの紹介で、10年前から参加しておられる坂本勇一さんとJR東京駅で合流し、昼前に国府宮駅に着いた。 |
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國府宮の裸祭は正しくは儺追神事(なおいしんじ)といい、毎年旧正月の13日に斎行される。儺追笹(なおいざさ)を奉納した裸男(はだかおとこ)たちが厄を落とすべく全裸の神男(しんおとこ)に触れようと揉み合う勇壮な祭で、江戸時代の末頃から始まったという。この年は8,000人のはだか男と13万人の観衆が國府宮に押し寄せ、大規模な裸のページェントが繰り広げられた。 |
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▲ 午後4時ころ、楼門前の参道は、既に場所取りのはだか男たちに占領されていた。その間を縫って、なおい笹を担いだはだか連が楼門に入ってゆく。はだか男たちは顔見知りと手を合わせたりして盛り上がっていた。 |
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▲ 手桶隊が参拝して参道に引き返したあと、間もなく神男が参道に現れ、はだか男たちが「ワッショイ!」「ワッショイ!」と声を掛けながら一斉に神男に殺到してはだかの渦が生まれた。 |
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2003年にはこの楼門付近で転倒したはだか男が圧死する事故が発生している。神社側は、倒れた場合、うつ伏せになって防御姿勢を取るように指導しているが、参加者に聞くと、折り重なって倒れれば、身動きできないので、どうしようもないという。まさに命がけの神事である。 |
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▲ はだか男も命がけなら、神男は最も死に直面している。平成21年(2009)2月7日(土)の祭では、常連のH. I. さんが國府宮の半纏を借り受け、神男と 神男のOBで組織する鉄鉾会(てっしょうかい)を密着取材し、「國国府宮はだか祭'09」として発表した。この年の神男は、稲沢市小沢の石材業加藤博康さん(29歳)。 |
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神男や護衛の神守(かみまもり)たちが裸の渦の中で肌の摩擦により火傷(やけど)を負わないよう、手桶隊が力水を浴びせる。この水が潤滑油の役割を果たす。神男は全身を剃毛(ていもう)して摩擦による火傷を防ぐ。はだか男たちは、神男に怪我をさせないよう爪を摘んでおかなければならないが、時として守られず、神男の身体には容赦なく掻き傷が付く。 |
午後5時44分、力水を被ってずぶ濡れになった神男が儺追殿(なおいでん)に無事帰還した。三回のトライでやっと収容することができたという。神男と彼を抱きかかえて救出した神守の緊迫した表情から、如何に困難な作業であったかが想像される。 |
愛知県警は、神男の全裸が刑法の猥褻物陳列罪に当たるなどと云ったことはない。裸の男たちの命がけの神事が無事に終わることにのみ全力を傾注している。 |
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▲ もうひとつ全裸の祭礼を紹介したい。福岡市と北九州市の中ほどに宗像市(むなかたし)があり、その沖合いに大島(おおしま)と沖ノ島(おきのしま)からなる大島村がある。この沖ノ島は、聖なる神の島で、普段は宗像大社の神主一人が交代で島を守っているだけの無人島で、現在も女人禁制の島である。 |
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毎年5月27日に沖ノ島で宗像大社沖津宮の現地大祭が行われ、一般の男性230名が島に上陸することが許される。実際に参加した大庭靖雄さんの作品「神の島の祭り」のお陰で、この奇祭の全容が明らかになっている。 |
参加者たちは、通船に分乗して島の船溜まりに着くと、全員全裸となって玄海灘に入り、禊をする掟になっている。海水で身を清めて初めて神域に立ち入ることが許される。素っ裸で海に入ることで、人間が如何に小さな存在であり、非力で脆弱な生き物であるかを思い知ることができるという。 |
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