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2010年6月9日改訂

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medley 'Kimse Bilmez'-'Yagmür ve Rüzgar'-'Isyanker'

三日月のチュラン宮殿夜半の春   北舟

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Midnight spring, a crescent moon above the Ciragan Palace.

2010年6月8日制作

ライトアップされたチュラン宮殿 21:25

 

ライトアップされたチュラン宮殿/イスタンブール(トルコ)

 トルコ感動の旅・下

トルコ国旗

チュラン

元チュラン宮殿(チュラン・パレス・ホテル本館)/イスタンブール新市街
ボスポラス海峡 イスタンブール旧市街 チュラン宮殿  

元チュラン宮殿(チュラン・パレス・ホテル本館)/イスタンブール新市街

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チュラン宮殿 Çırağan Palace

 
▲▼ アヤソフィアの見学を終えて、トルコ最後の夜を過ごすチュラン・パレス・ホテルに向かった。このホテルは、ドルマバフチェ宮殿の北隣に位置する元チュラン(チュラーン)宮殿を使ったもので宮殿だった本館の直ぐ北に新館が建ち、廊下で結ばれている。  
チュラン宮殿の中庭

チュラン宮殿の中庭

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▲▼ 我々は新館の方に泊まったが、宿泊客にのみ与えられる元チュラン宮殿の見学とフラッシュ撮影により、オスマン帝国の栄華を味わうことが出来た。  
チュラン宮殿の南面

チュラン宮殿の南面

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海風孕むトルコ国旗/チュラン宮殿海峡門

海風孕むトルコ国旗/チュラン宮殿海峡門

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▲▼ チュラン宮殿はドルマバフチェ宮殿を建てたアブデュルメジト I 世の後を継いだ第32代スルタン・アブデュルアズィズ(在位1861-1876)がアルメニア建築家に設計を依頼して建てたもの。ドルマバフチェ宮殿の建設で財政が逼迫してきた黄昏のオスマン帝国の、時代を読めない体育会系の愚帝による趣味の宮殿で、帝国の終焉を加速させた宮殿だといえる。  

チュラン宮殿の豪華な内部

チュラン宮殿の豪華な内部

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▲▼ 西欧諸国に借金をしてまで建設された宮殿の豪華さはドルマバフチェ宮殿に匹敵するもので筆者はドルマバフチェ宮殿の内部が撮影禁止になっていたストレスをこゝで一気に発散させることができた。  

ドルマバフチェ宮殿と同じクリスタルの階段

ドルマバフチェ宮殿と同じクリスタルの階段

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▲▼ 豪華なチュラン宮殿は、閑散としていて寂しい。チュラン・パレス・ホテル本館としてここに宿泊するのは、国賓級の要人くらいなので、殆ど使われておらず、多額の投資が無駄になっている。一般公開も行われていないので門は固く閉ざされたままである。  
シンメトリーのチュラン宮殿

シンメトリーのチュラン宮殿

拡大写真(1800X1350)393KB Photo by my wife.
▼ チュラン宮殿の大理石が敷き詰められた豪華なテラスの前はボスポラス海峡で、素晴らしい景観に溜め息が漏れる。ドルマバフチェ宮殿にはこのような広い展望テラスがなかったので、後継者の第32代スルタンはここから海を眺めたいために、この宮殿を造ったのだろうか。  
チュラン宮殿のテラスと海峡ビュー

チュラン宮殿のテラスと海峡ビュー

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こゝに掲げたスルタンたちは、黄昏のオスマン帝国の皇帝として君臨していた人たちで、いずれもチュラン宮殿に滞在している。オスマン I 世(在位1281-1324 以下同じ)に始まるオスマントルコの歴代スルタンは、トルコ革命の悲哀を受けたメフメットVI世(1916-1922)までの36代に及ぶ。  

ドルマバフチェ宮殿を建てたアブデュルメジト I 世

後を継いだスルタン・アブデュルアジズ

ドルマバフチェ宮殿を建てたアブデュルメジト I 世 後を継いだスルタン・アブデュルアジズ

拡大写真(800x1200)273KB

資料

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資料

▲▼ ドルマバフチェ宮殿を建てたアブデュルメジト I 世(1839-1861)は第31代スルタンであり、スルタン・アブデュルアジズ(1861-1876)は第32代、そして露土戦争で敗退した第33代スルタン・ムラートV世(1876-1876)は、たった1年ももたなかった。  
露土戦争で敗退した第34代スルタン・ムラートV世

露土戦争で敗退したスルタン・ムラートV世

拡大写真(1200X920)304KB 資料
 第34代スルタン・アブデュルハミトII世(1876-1909)は青年トルコ革命に遭い第35代のメフメットV世(1909-1916)は第一次世界大戦に遭遇。第36代のメフメットVI世(1916-1922)は、アタチュルクによるトルコ革命により、ラスト・エンペラーとなった。  
我々が宿泊したチュラン・パレス新館の入口(西側)

我々が宿泊したチュラン・パレス新館の入口(西側)

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  ▲▼ 薄幸のチュラン宮殿は不幸にも20世紀初頭に大火に見舞われたが、その後改修されて、1991年にホテルとしてオープンし、現在に至っている。  
 我々が宿泊したホテルの正式名は、写真上にあるように、チュラン・パレス・ケンピンスキー・イスタンブールで、英語名では、CIRAGAN PALACE HOTEL KEMPINSKI である。  
チュラン・パレス新館/海峡サイド(東側)

チュラン・パレス新館/海峡サイド(東側)

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▲▼ 新館は、箱形のとてもシンプルなデザインなので、これだけ見れば、なぜ、チュラン・パレス・ホテルという立派な名前がついているのか分からないだろう。しかし、イスタンブール新市街のウォーター・フロントの一等地にあることは間違いなく、素晴らしい海峡ビューが宿泊客を魅惑する。  
ボスポラス海峡に臨むホテル
チュラン・パレス・ホテル新館 オルタキョイのモスク↓ ボスポラス海峡第1架橋  アジア側

ボスポラス海峡に臨むホテル

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▼ チュラン・パレス・ホテル新館のフロント・ロビーに足を入れると、高い天井に大理石のフロアー、ヘレケの絹の絨毯、ターコイ・ブルーのタイルの装飾など、トルコの最高級ホテルに相応しい内装に魅惑される。  

フロント・ロビー

ロビーの談話コーナー

フロント・ロビー ロビーの談話コーナー

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▼ フロント・ロビーからまっすぐに海に向かうと、レストランがあり、その奥にはターコイ・ブルーの美しいプールがある。そしてその先にボスポラス海峡が横たわっている。添乗員の臼田さんから渡されたキーを持って部屋に入ると、中はゆったりとしたツインルームで、洗面所、バス、トイレは別室になっている。  

海峡を望むプール

ツイン・ルーム

海峡を望むプール ツイン・ルーム

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夜、ボスポラス海峡に隣接するレストランで、トルコ最後のディナーを楽しんだ。服装はおしゃれ着程度で良いと云うことだったので、筆者はノーネクタイでブレザーを着用したが、ネクタイ姿の紳士や淑女が多かった。  
ボスポラス海峡を眺めながらの夕食 2010.4.18 19:30

ボスポラス海峡を眺めながらの夕食 2010.4.18 19:30

▲▼ この日の献立は、オスマントルコのスルタンが食べたという「オスマントルコ・ディナー」で、英語のメニュー・カードが添えられていた。ナイフやフォークが沢山あったが、さしてフォーマル・ディナーでもなく、和やかな雰囲気で皇帝が食したという料理をゆっくりと味わうことが出来た。  
スルタンが食べた料理「オスマントルコ・ディナー」

スルタンが食べた料理「オスマントルコ・ディナー」 1/2

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写真下がファースト・ディッシュのオードブル。如何ほどの高級食材が使われているのか良く分からないが、スルタンがこの程度の料理を食べていたのかと、少し期待外れだった。尤も国庫が破産寸前のときのスルタンが食べていたものかも知れないが・・・。(^^;  

スルタンが食べた料理「オスマントルコ・ディナー」 2/2

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最後まで我々と行動を共にしてくれたオカンさんはちょっとラフなスタイル。日中はサングラスをしていたが我々のように日焼け止めクリームを使用しなかったらしく、日焼けのあとが生々しいが、本当によく世話をしてくれた。臼田さんも経験豊富で、云うこと無し。  
お世話になったガイドのオカンさんと添乗員(TD)の臼田さん

お世話になったガイドのオカンさんと添乗員(TD)の臼田さん

楽しい食事の後、チュラン宮殿の夜景を撮影した。見上げると、大気清澄の中に三日月が煌々と輝いており、明日の帰国を惜しむ名残の月のように思えた。こんな素敵なショットが撮れたのも、アッラーの神の思し召しなのかもしれない。  
ライトアップされたチュラン宮殿 21:25

ライトアップされたチュラン宮殿 21:25

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  三日月のチュラン宮殿夜半の春  北舟 

みかづきの ちゅらんきゅうでん よわのはる

Midnight spring, a crescent moon above the Ciragan Palace.

オルタキョイ・モスクと第一架橋のライトアップ/ボスポラス海峡

オルタキョイ・モスクと第一架橋のライトアップ/ボスポラス海峡

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▲▼ ホテルの前庭から海峡を眺めると北の方にボスポラス海峡大橋(第一架橋)とオルタキョイ・モスクがライトアップされているのが見えた。橋の方は時間と共に色が変化したが、ターコイ・ブルーを連想する青いライトアップが一番美しかった。  
第一架橋のブルーのライトアップ

第一架橋のブルーのライトアップ

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