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Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2011年4月25日改訂

今 日

昨 日

♪Teresa Tapadas 'Ė Um Beuo' - 'Fui Ao Baile' -
'O Teu Olhar Verde-Mar' - 'Saudade Vai-Te Embora'

 

リスボンの聖堂聳ゆ夏の雲   北舟

 

 

The summer clouds, the chapel rising high over Lisbon.

2011年4月24日制作

大航海時代の富の象徴ジェロニモス修道院(世界文化遺産)

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大航海時代の富の象徴ジェロニモス修道院(世界文化遺産)/ リスボン(ポルトガル)

50ヵ国記念作品

ポルトガル初夏の旅

リスボン

 ■ 九日目/5月30日(金):リスボン観光(泊)

 

★☆★彡

 
▼ 8時45分にホテルを出発し、イザヘラさんと金子さんのガイドで終日リスボンの観光を楽しんだ。この日も晴天に恵まれ、ジャカランタの並木道が綺麗だった。

ジャカランタの並木道 / リスボン

ジャカランタの並木道 / リスボン

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リスボン Lisboa
   北緯38度43分西経9度8分に位置するリスボンはポルトガルの首都で、ポルトガル最大の都市。南ヨーロッパ有数のグローバル都市でもある。面積84.6km2に約57万人が住む。近郊を含む都市的地域の人口は250万人でポルトガルの人口の20%余りに相当する。日本語では「リスボン」というが、これは英語名をカタカナ表記したもので、ポルトガル語では「リシュボア」という。
   リスボンは大西洋に流入するテージョ川 Rio Tejo の河口に位置する港湾都市である。テージョ川の岸近くまで丘が迫っており、市街地の多くはその丘の上に発達している。そのため坂の多い街であり、別名「7つの丘の街」とも呼ばれる。  

テージョ川を背景に急坂を上り下りするケーブルカー

テージョ川を背景に急坂を上り下りするケーブルカー 1/2

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テージョ川を背景に急坂を上り下りするケーブルカー 2/2

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  これらの坂を上り下りする市電とケーブルカーが名物である。市街地はテージョ川沿いの旧市街とその北の高台に広がる新市街からなる。

リスボン

リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ長さ2,277mの吊り橋「4月25日橋」

アルマダ

リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ長さ2,277mの吊り橋「4月25日橋」

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   ヨーロッパの都市の中でも比較的治安が良くのんびりとしたリスボンは、ヨーロッパの他の国々のように世界的に知られる名所旧跡は少ない。石畳の道を踏みしめ、旧式のケーブルカーに乗り、旧市街を散策して、自分なりのリスボンを見つけるのも一興だろう。

エンリケ航海王子の死後500年を記念して建てられた「発見のモニュメント」

エンリケ航海王子の死後500年を記念して建てられた「発見のモニュメント」

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発見のモニュメント Padrão dos Descobrimentos
  ▲ リスボン中心部から6kmほど西のテージョ川沿いに広がるベレン地区は、エンリケ航海王子を嚆矢(こうし)として、海の男たちが敢然と未知の海に乗り出し、大航海時代の幕開けとなったところである。
   発見のモニュメントは、1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して造られたもので、高さ52mの巨大なオブジェである。大海へ乗り出す帆船をモチーフとし、勇壮なカラベラ船の模型を手にしたエンリケ航海王子が先頭に立ち、天文学者や宣教師、船乗り、地理学者などが後に続いている。  
  モニュメント前の広場には大理石できた巨大な世界地図があり各地にポルトガル人が発見した年号が記されている。日本が発見されたのは1541年となっているが、これはポルトガル船が豊後に漂着した年で、種子島に漂着して鉄砲が日本に伝来したのは、1543年である。  

到達年を表示した路上の世界地図

到達年を表示した路上の世界地図

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キャラベル船 Caravel
  ▼ キャラベル船(カラベラ船)は、小型の帆船で、高い操舵性を有したことなどから探検活動が盛んとなった15世紀に主にポルトガル人とスペイン人の探検家たちに愛用された。15世紀にポルトガルの国家管理の下で開発されたものといわれている。
   初期のキャラベル船は全長20〜30m、重量50ton程度で、二本のマストを備えたものがポピュラーで、全長と全幅の比は3.5:1となっていてバランスが良く、高い速力と機動性を両立した。  
   15世紀の末頃に喜望峰ルートが開拓されると、必然的に遠洋航海の必要性が高まり、3本のマストを用い、フォアセイル・メインセイル(四角帆)・リアセイル(三角帆)という組み合わせが取り入れられるようになった。  

大航海時代に活躍したキャラベル船

大航海時代に活躍したキャラベル船

資料
 
ベレンの塔 Torre de Belén
  ▼ リスボンの世界文化遺産として知られるベレンの塔とジェロニモス修道院は、テージョ川沿岸のベレン地区にあり、バスコ・ダ・ガマのインド航路発見など大航海時代を支える重要な基地であった。
   ベレンの塔は、港の要塞で1515〜1519年に建造された。正式名称は、「サン・ヴィセンテの砦」。外観は優雅なマヌエル様式だが中に入ると潮の干満を利用した政治犯の地下水牢があった。現在内部は博物館として公開されている。  

昔の税関 「ベレンの塔」(世界文化遺産)

昔の税関 「ベレンの塔」(世界文化遺産)

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ジェロニモス修道院 Mosteiro dos Jerónimos
  ジェロニモス修道院はリスボンのベレン地区にある壮大な修道院で、リスボンにある世界文化遺産のひとつである。大航海時代の富をつぎ込んで建築されたマヌエル様式の最高傑作といわれている。2007年12月13日にリスボン条約*の調印式が行われた場所でもある。
  *リスボン条約:既存の 「EU 欧州連合」の基本条約を修正する条約。2009年12月1日発効。  
   リスボンの聖堂聳ゆ夏の雲  北舟 

りすぼんの せいどうそびゆ なつのくも

The summer clouds, the chapel rising high in to the sky of Lisbon.

大航海時代の富の象徴ジェロニモス修道院(世界文化遺産)

大航海時代の富の象徴ジェロニモス修道院(世界文化遺産)

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  エンリケ航海王子の偉業を称えヴァスコガマのインド航路開拓を記念してエンリケ航海王子が建てた礼拝堂の跡地にマヌエル I 世が1502年に着工させた。1511年に回廊など大部分が完成したものの、マヌエル I 世の死やスペインとポルトガルの同君連合による中断などもあり、最終的に完成するまで300年ほどかかっている。
 その建築資金は、最初ヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われその後も香辛料貿易による利益によって賄われた。

美しい南門

美しい南門

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  ▲ レース細工のように繊細な彫刻が美しい南門は、フランス人建築家ボイタックが建造したもの。上部中央にはエンリケ航海王子の像が置かれ、また、盾型壁には聖ジェロニモスの生涯が描かれている。  

マヌエル様式の壮麗な回廊

マヌエル様式の壮麗な回廊

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▲ ジェロニモス修道院の見所のひとつは中庭を囲む55m四方の壮麗な回廊である。2階建のアーチには繊細な彫刻が施され、1511年に完成した。
▼ 修道院に付属する聖堂・サンタ・マリア教会の中央祭壇の後方の壁面は上中下3段に区分けされ、宗教画が描かれている。祭壇の背景がこの様な造りになっているのは極めて珍しいという。

巨大な聖堂の内部

巨大な聖堂の内部

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ヴァスコ・ダ・ガマ Vasco da Gama

ヴァスコ・ダ・ガマ(1469年頃-1524)
 
 ヴァスコ・ダ・ガマ(1469頃-1524)はポルトガルの航海者で探検家である。ヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへ航海した記録に残る最初のヨーロッパ人であり、インド航路を初めて開拓した人物である。
 当時未知だったインド航路を拓いた偉業により、ポルトガル海上帝国の基礎が築かれた。バスコ・ダ・ガマとも表記される。
 第一次航海の成功で「インド洋提督」の称号を得たヴァスコ・ダ・ガマは1502年2月12日に20隻の船団を率いて再びインドへ航海した。アラブ商人に対してカリカットでのポルトガルの貿易権を獲た功績をもって、帰国後伯爵に序せられた。インド洋航路の開拓は莫大な富をもたらし、ヨーロッパ諸国の通商圏を大幅に拡大させた。
 1524年、インド総督として赴任のため三度目の航海を行ったが、ゴアに到着して間もなくマラリアに感染し、クリスマス・イヴの12月24日に死亡した。
▼ 聖堂の内部には、インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマや彼の偉業を謳った16世紀の国民的大詩人 カモンエスの石棺が安置されている。
聖堂に安置されているヴァスコ・ダ・ガマの石棺

聖堂に安置されているヴァスコ・ダ・ガマの石棺

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白と黒のモザイクが美しいリベルダー大通りの歩道

白と黒のモザイクが美しいリベルダー大通りの歩道

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ポンバル侯爵広場 Praça Marquês de Pombal
  ポンバル侯爵(1699-1782)は、ジョゼ I 世の宰相を務めたポルトガルを代表する政治家。1755年のリスボン大地震で壊滅した首都をパリに似た現在の美しい街に造り変え、多くの分野で改革を行い、近代化を進めた。
   ロータリーになっている広場の中心に立つ巨大な円柱の頂上から、ライオンを従えた侯爵の像がリスボンの町を見下ろしている。  

ポンバル侯爵広場

ポンバル侯爵広場

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ロッシオ駅 Estação Ferroviária do Rossio
ロッシオ(ロシオ)駅は最も重要な広場であるロシオ広場に位置している。ロ ッシオ駅は以前は中央駅 Estação Central として知られ、その名称は現在でもファサードに残されている。
 駅はポルトガル王国鉄道 Companhia Real dos Caminhos de Ferro Portugueses によって発注され、1886〜1887年にポルトガル人建築家ホセ・ルイス・モンテイロ José Luís Monteiro によって設計された。
 広場の北西側の美しいネオ・マヌエル様式のファサードは16世紀初期のポルトガルのマヌエル様式を豊かに再現している。最も特徴的なものは、二つの蹄鉄をかたどった入口で、時計の小塔や豊富な彫刻、駅構内の様式もユニーク。

19世紀ネオ・マヌエル様式で建てられたロッシオ駅

19世紀ネオ・マヌエル様式で建てられたロッシオ駅

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ロッシオ広場 Praça de Rossio
リスボンのロッシオ広場はリベルダーテ大通りとバイシャ地区の接合部にある。その中央にはブラジル初代総督ペドロIV世のブロンズ像が立ち、広場の周囲には18〜19世紀の建築物が並ぶ。鉄道、地下鉄、バス全ての交通機関の拠点となっている。
 ロッシオ広場は、通称ペドロIV世広場 Praça de D. Pedro IV の名が広く知られている。中世からの長い歴史を持つこの広場はかつては民衆の反乱や祝祭闘牛公開処刑が行われた。現在はリスボン市民や観光客の好んで指定する待合い場所となっている。
ロッシオ広場(ペドロIV世広場)

ロッシオ広場(ペドロIV世広場)

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ドナ・マリアII世国立劇場 Dona Maria II National Theatre
▼ リスボンのロッシオ広場に面して建つドナ・マリアII世国立劇場は、風格のある立派な建物で6本のイオニア式列柱が美しい。その名にふさわしく、最高レベルのオペラや演劇、ミュージカルが上演される。
ドナ・マリアII世国立劇場

ドナ・マリアII世国立劇場

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レスタウラドーレス広場 Praça dos Restauradores
リスボンのレスタウラドーレス広場は、バイシャ・ポンバリーナ地区にあり、リベルダーデ大通りの南の終点にあり、ロッシオ広場に隣接している。
 広場の中央には、同君連合を組んでいたスペインからの独立(ポルトガル王政復古戦争)を記念し1640年に建てられた高さ約30mのオベリスクが立っている。レスタウラドーレスとは「復興者」の意味。
レスタウラドーレス広場の高さ30mのオベリスク(1640)

レスタウラドーレス広場の高さ30mのオベリスク(1640)

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コメルシオ広場 Praça do Comércio
▼ リスボンのコメルシオ広場は、貿易広場という意味。テージョ川近くにあり、いまだに元の名前テレイロ・ド・パソ(Terreiro do Paço、宮殿広場の意味)が有名である。これは、1755年のリスボン地震で崩壊したリベイラ宮殿があった場所だからである。地震後、広場はポンバル侯の命令によりポンバル街の再建の一部として完全に改修された。
 リベイラ宮殿前テレイロ・ド・パソは、170m×170mの広大な広場で、建築家エウジェニオ・ドス・サントスにより均整のとれた姿に再建された。その中心に立つジョゼ I 世の騎馬像の後ろには、アウグスタ通りとコメルシオ広場の交差するアーチが見える。
コメルシオ広場の中心に立つジョゼ I 世の騎馬像

コメルシオ広場の中心に立つジョゼ I 世の騎馬像

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1755年リスボン地震  the Great Lisbon earthquake in 1755

1755年リスボン地震の震源地
1755年リスボン地震の震源地
 
▲▼ ジョゼ I 世の治世だった1755年11月1日午前9時40分に西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、リスボンを中心に大きな被害を出した。当時リスボンは27万5千人が住んでいたが、約9万人が死亡。モロッコでも津波などで1万人が死亡したといわれる。震源地はリスボン沖の大西洋で、推定されるマグニチュードはMw 8.7。リスボン大震災ともいう。
 11月1日はカトリックの祭日(諸聖人の日)であった。当時の記録では、揺れは3分半続いたというものや、6分続いたというものもある。リスボンの中心部には5m幅の地割れができ、多くの建物(85%ともいわれる)が崩れ落ちた。生き残ったリスボン市民は港のドックなどの空き地に殺到したが、やがて海水が引いてゆき、海に落ちた貨物や沈んでいた難破船が次々にあらわになった。
 地震から約40分後、逆に津波が押し寄せ、海水の水位はどんどん上がって港や市街地を飲み込み、テージョ川を遡った。高さ15mの津波が更に2回市街地に押し寄せ、避難していた市民を飲み込んだ。津波に飲まれなかった市街地では火の手が上がり、その後5日間にわたってリスボンを焼き尽くしたという。(2011年3月11日に発生した東日本大震災の経過と類似する点が多々ある。)
 地震直後、王は御者のいない馬車の中で王妃と共に取り残された。この災厄でジョゼ I 世は、壁のある部屋では落ち着けないほどの重度の閉所恐怖症になったという。
震災で廃墟と化したリスボン市内と郊外のテントで暮らす市民たち

震災で廃墟と化したリスボン市内と郊外のテントで暮らす市民たち

フリー百科事典 Wikipedia
▲ 津波が押し寄せる前、動物たちが高い土地へ逃げたという言い伝えがあり、これは震災に伴う動物の異常行動がヨーロッパで最初に記録された例となった。
 写真上は、震災で廃墟と化したリスボン市内と郊外のテントで暮らす市民たちをスケッチしたものだが、中央には略奪者に対する見せしめとして絞首台が置かれ、処刑された罪人が吊されている。
二輪車の警察官

二輪車の警察官

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アルファマ地区 Alfama
▼ アルファマ地区は、1755年のリスボン大震災の被害を免れたため、狭い道が複雑に入り組んだ旧市街がそっくり残っている。ここは「下町」と呼ばれるが、実際は丘の上にある。
1755年のリスボン大震災の被害を免れた旧市街「アルファマ地区」

1755年のリスボン大震災の被害を免れた旧市街「アルファマ地区」

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くちばしの家 Casa dos Bicos
▼ アルファマ地区にある「くちばしの家」は、1522年に第2代インド総督アフォンソ・アルブケルケの息子によって建てられた邸宅で、鳥のくちばしのような尖った石で覆われており、その形から「ダイヤモンドの家」とも呼ばれている。現在は公的機関に使用されており、中には入れない。
とんがっている石で覆われている「くちばしの家」

とんがっている石で覆われている「くちばしの家」

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  ▼ ポルトガル最後の夜は、アルファマ地区にあるファドレストランに行って、夕食を取りながらファドを楽しんだ。
夜のファドレストラン / リスボン・アルファマ地区

夜のファドレストラン / リスボン・アルファマ地区

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ファド  Casa de Fado
▼ スペインの「フラメンコ」に対して、ポルトガルには「ファド」がある。フラメンコは情熱的に歌い上げるが、ファドは哀調を帯びて、しっとりと歌う。歌い手はほとんどが黒か白の地味な衣装で出演する。
 胴が丸くてマンドリンのような形のポルトガル・ギターと普通のギターの2本を伴奏に、単調なリズムでひとり歌いをするのがオーソドックスなファドの歌い方である。
ファド・ミュージシャン

ファド・ミュージシャン

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  ▲▼ BGMに流れるのは、ファドシンガー Teresa Tapadas さん(写真右下)のCDから選んだメドレー4曲である。ファドを聴きながら、ポルトガルの旅を終えることとしたい。

人生の喜怒哀楽を唄うファドシンガー

人生の喜怒哀楽を唄うファドシンガー

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ファドシンガー Teresa Tapadas さん

ファドシンガー Teresa Tapadas さん

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    ■ 十日目/5月31日(土):リスボン空港〜TP35便〜ロンドン・ヒースロー空港〜JL422便〜(機中泊

 

    ■ 十一日目/6月1日(日):〜 関西国際空港(解散)

 

★☆★彡

 
 5月31日7時45分、ホテルを出発し、リスボン空港へ。10時10分発のポルトガル航空352便でポルトガルを離れ2時間40分の空の旅ののちロンドンヒースロー空港へ。午後4時半頃、日本航空422便でヨーロッパを出立し、機中泊ののち、翌朝、関西国際空港に無事帰国することができた。

【編集子が選ぶ名作】

1960年代まで実際に使われたワインを運ぶ帆船ラベーロ

1960年代まで実際に使われたワインを運ぶ帆船ラベーロ

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  ラベーロのポートワインや初夏の川 北舟 

らべーろの ぽーとわいんや しょかのかわ

The river of early summer, port wine on the rabelos.

クスコの松井さん

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撮影 ・ 原作 : 
 

松井公代まつい きみよ

 
住居:愛知県刈谷市

現在の楽しみ:旅行・60の手習いで始めたパソコン・
         お友達とのちょっと贅沢なランチ

あとがき

 未曾有の大震災に見まわれ、日本中が不安と悲しみに包まれる昨今ですが、変わらぬ活動を続けられる「和田フォト」の存在に 元気をもらい、癒されておられる方も多いのではないかと思います。私も多少のお役に立てることを うれしく思います。
 
 ポルトガルのツアーに参加いたしましたのは3年前 2008年5月でした。その後 2010年2月に 常春の島 マデイラ島が集中豪雨で甚大な被害を受けた とのニュースを耳にし、びっくり致しました。最近には ポルトガルの経済危機のニュースが報道されていますが、私の受けた印象は 人々の様子が穏やかで、素朴で、ゆったりした感じに見えました。
 
 ポルトやリスボンでの 自由時間の街あるきも安心してゆったり散策出来、いい思い出になっています。お食事も “いわしの炭火焼き”など まさに 日本食!で美味しくいただきました。
 
 歴史的にも 何となく馴染み深い国ですし、大航海時代のすばらしい遺産が堪能できたとてもいい旅でした。

★☆★彡

感動写真集 第158集 / 特集!旅紀行 第103集 「ポルトガル初夏の旅」

撮影・原作: 松井公代    監修: 和田義男

 平成23年(2011)4月24日 作品:第12作  画像:(大161+小17) 頁数:7  ファイル数:390 ファイル容量:114.5MB
 平成12年(2000)〜平成23年(2011) 作品数:401 頁数:1,550 ファイル数:65,059 ファイル容量:10,061MB
   赤屋根のナザレの村や夏の海 北舟 

あかやねの なざれのむらや なつのうみ

The summer sea, the red roofs of Nazaré village.

【編集子が選ぶ名作】

初夏の陽光を受けて / ナザレ

初夏の陽光を受けて / ナザレ

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ポルトガルの栄枯盛衰
 本日、感動写真集同人の松井公代さんの第7作となる「ポルトガル初夏の旅」が完成した。今回は一国の良いところを全て見て回るという贅沢な旅だったので、7頁178枚という大作となった。話題が広いので、解説が大変だったが、お陰でポルトガルについてかなり勉強することができた。
  ポルトガルといえば天文12年(1543)種子島の鉄砲伝来以来の古いお付き合いでポルトガル語から「てんぷら」や「カステラ」という言葉が生まれたことは良く知られている。
和田義男
  ポルトガルが最も輝いていたのは大航海時代で、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓したことで、世界一の海洋大国となった。リスボンのジェロニモス修道院(世界遺産)の豪華絢爛な姿を見ると、彼が如何に国家に貢献したのかが実感される。これまで教科書で知識として知っていたに過ぎなかったものが、その結果を目の当たりにして、大いに感動した。
  しかし、鎖国がはじまって以来日本との交流はオランダに取って代わられ、ポルトガルとは余り交流がないまま現在に至っている。大国だと思っていたが、ポルトガルの国土は日本の1/4程度で、国民は1千万人しかいない。現在の経済規模(GDP)は埼玉県並みで、世界で知られているのはポルトとマデイラのワインだけ? とすれば、大航海時代の輝きに比べると大きな落差があり、少々寂しい気がしないでもない。
   マデイラの雲の彼方に初夏の海 北舟 

までいらの くものかなたに しょかのうみ

The sea of early summer, over the clouds of Madeira.

【編集子が選ぶ名作】

空気がおいしい!/ パウルダセラ

空気がおいしい!/ パウルダセラ

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マドレデウスの「海と旋律」
 松井さんのお陰でポルトガルの民族歌謡に「ファド」があることを知った。イタリアの「カンツォーネ」、フランスの「シャンソン」アルゼンチンの「タンゴ」ブラジルの「サンバ」は日本人の誰もが知っているのに「ファド」は知らない人が多いのではないだろうか。今回現地で調達された3枚のCDをお送りいただきその中から選りすぐりの名曲をBGMに流した。松井さんのお薦めは第1頁/ポルトに流しているマドレデウス Madredeus の名曲 「海と旋律
EXISTIR (O PASTOR) 」(1990年)で、私もそう思う。この曲は、何度聞いても素晴らしい。
   マデイラの籠橇下り夏山路 北舟 

までいらの かごぞりくだり なつやまじ

The mountain road in summer, running down in the basket toboggan at Madeira.

【編集子が選ぶ名作】

マデイラ名物「トボガン・ラン」

マデイラ名物「トボガン・ラン」

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大震災

 「ポルトガル初夏の旅」は大作になったこともあって編集に半月余りを費やしてしまった。その間、3月11日に発生した東日本大震災の爪痕や福島第一原発の放射能汚染が連日繰り返し報道され、暗い気持ちになりながらの編集は、少々つらいものがあった。
 Wa☆Daフォトギャラリーのアクセス件数が毎日1万件をいただいていたのが大震災後は6千件前後に落ち、大災害の影響が確実に反映していることを知り、何ともいたたまれない気持ちになっていたが、最近、アクセス件数が7千件を超えるようになってきた。これは、復興に向けた取組みが活発になり、人々の心にゆとりと明るさが戻ってきたことの現れだと思われ、嬉しく思った。被災者の方々に少しでもこの作品がお役に立てば幸甚である。
 そして、1755年リスボン地震で死者9万人を出し、壊滅的打撃を受けたリスボンがパリのように美しい都市に蘇ったように、一日も早く東日本の被災地が安全で住みやすく美しい町に再生されるよう心からお祈り申し上げる。

 今回ポルトガルの作品を追加してWa☆Daフォトギャラリーの歴訪国は50の大台に乗った。この作品はその記念作品である。素晴らしい画像を沢山提供して下さった松井さん、ありがとう! 〈 完 〉  2011.04.24  和田義男
   リスボンの聖堂聳ゆ夏の雲  北舟 

りすぼんの せいどうそびゆ なつのくも

The summer clouds, the chapel rising high in to the sky of Lisbon.

【編集子が選ぶ名作】

大航海時代の富の象徴ジェロニモス修道院(世界文化遺産)

大航海時代の富の象徴ジェロニモス修道院(世界文化遺産)

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