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 感動写真集

2010年8月29日改訂

今 日

昨 日

♪ドレミの歌〜エーデルワイス〜アイネ・クライネ・ナハトムジーク/モーツアルト

 

新緑や山に聳ゆる塩の城   北舟

 

 

New green leaves, Salzburg the salt castle rising on the hill.

2010年8月29日制作

ザルツブルク最高の眺望/ヘンヒスベルク

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ザルツブルク最高の眺望/ヘンヒスベルク(オーストリア)
オーストリア国旗

オーストリア初夏の旅

ザルツブルク

  インスブルック ザルツブルク ハルシュタット ドナウ ウィーン ザルツブルクの旅 モーツァルト 松井公代

 ■ 三日目/5月30日(日):ザルツブルク終日観光(泊)

 

★☆★彡

 
▼ 三日目は、モーツアルトが生まれた音楽の都であり、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台で知られるザルツブルクを終日観光した。ザルツブルクには年間600万人を超す観光客が訪れるが、その大半を占める外国人客の目当ては、モーツァルトとサウンド・オブ・ミュージックのゆかりの地を訪ねることである。
 市内には主人公マリアと子どもたちが「ドレミの歌」を歌ったミラベル庭園など映画の舞台があちこちにありロケ地を巡るバスツアーが1970年代から定番の観光コースになっている。  

ザルツァッハ川からみた旧市街とホーエンザルツブルク城塞 2010.05.30

ザルツァッハ川からみた旧市街とホーエンザルツブルク城塞

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ザルツブルク Salzburg

 「塩の城」という意味を持つザルツブルクは、周囲の岩塩鉱から産出される塩の取引で栄えてきた。700年頃、聖ルベルトがザンクト・ペーター教会を設立し、798年には大司教区に昇格した。大司教が領主を兼ねて統治した教会国家といわれる時代は、約千年に及び、壮麗な教会や宮殿が建ち並ぶ都市に発展した。
 ザルツブルクは、モーツァルトが生まれた音楽の都として知られる。夏に開催される「ザルツブルク音楽祭」は、トップクラスのアーティストたちが出演する世界有数の音楽祭である。また、ハリウッド映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台としても名高く、映画の名シーンの場所を訪ねて歩くのも楽しい。  

ミラベル庭園ペガサスの泉/ザルツブルク

ミラベル庭園ペガサスの泉/ザルツブルク

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  ▲▼ ミラベル宮殿のミラベルとは「美しい眺め」という意味。この宮殿は、大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人サロメ・アルトのために1606年に建設したもの。1818年の火災後、クラシック様式で再建された。
   「サウンド・オブ・ミュージック」に登場したミラベル庭園のペガサスの泉や階段は「ドレミの歌」のフィナーレとなったところで、今でもマリアたちの歌声が聞こえてくるような気がする。  

ミラベル宮殿

ミラベル宮殿

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  ▼ 「サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music 」は、ナチスが台頭した1930年代のオーストリアが舞台となった実話に基づくミュージカル映画。ロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演のハリウッド映画で20世紀フォックスにより、1965年に封切られ、アカデミー賞5部門に輝いた名作である。  
   写真下はジュリー・アンドリュース扮するマリアが制服の子供たちを哀れに思い、部屋にかかっていたカーテンを裁断して子供たちの服を縫い、ピクニックに連れ出して、歌う楽しみを教えるシーン。  

マリアとトラップ・ファミリーの子供たち/サウンド・オブ・ミュージック

マリアとトラップ・ファミリーの子供たち/サウンド・オブ・ミュージック

資料
  ▼ 「サウンド・オブ・ミュージック」でマリアが修道女の見習いをしていたノンベルク修道院は、ホーエン・ザルツブルク城塞へ向かうケーブルカー乗り場を右に見て坂道を真っすぐ上がって行った右手にある。修道院の前からはザルッブルクの街並みが一望できる。
   この修道院からマリアはトラップ大佐のもとへ家庭教師に行き、やがて結婚することになる。写真下の右側の門は、子供たちがマリアに会いにやってきたところ。  

マリアが務めていたノンベルク修道院

修道院の祭壇

マリアが務めていたノンベルク修道院 修道院の祭壇

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写真提供:根本様

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写真提供:根本様

  ▼ ザルツブルクの中心部から車で15分ほどの湖の畔にひっそりとたたずむ黄色い館がサウンド・オブ・ミュージックのモデル、トラップ・ファミリーが住んでいた邸宅で、映画でも使用された。  
   1863年に建てられたこの館はトラップ・ファミリーが1923年から15年間住んだ後ナチスに没収され、親衛隊長ヒムラーらが居住した。戦後は地元修道院に渡り、一般には長く公開されなかったが、2008年夏、ウンターコフラーさん夫婦が修道院から借り受け、紆余曲折の後、最近、ホテルとして使用できる許可が下りたという。  

作品の中でトラップ邸として使用された館

作品の中でトラップ邸として使用された館

資料
  ▼ モーツアルト小橋は、マリアと子供たちがザルツブルク市街を歩くシーンで登場する橋。映画では、向こう側から橋を渡ってきて左へ行く。橋の掲示板と横断歩道のラインは撮影当時にはないが、そのほかは変わっていないという。

モーツアルト小橋とホーエンザルツブルク城塞

モーツアルト小橋とホーエンザルツブルク城塞

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  ▼ 旧市街には、マリアたちがピクニックに行く途中に通った馬洗い池(ブフェアデシュヴェメ)がある。写真右の墓地は、ペーター教会の墓地(ペータースフリートホーフ)で、ナチに追われたマリアたちが身を潜めていたところ。
   このあと、親しくしていた郵便配達の少年に見つかるが、修道女たちがナチの自動車の部品を外しておいたお陰で、ナチの追求から逃れることに成功する。  

ピクニックのときにマリアが子供たちと通った馬洗い池

マリアたちがナチスに追われて身を隠した墓地

ピクニックのときにマリアが子供たちと通った馬洗い池 マリアたちがナチスに追われて身を隠した墓地

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  ▼ 祝祭劇場は、ザルツブルク音楽祭の主会場で、フェルゼンライトシューレ「岩の乗馬学校」という名がある。かつて大司教の騎兵学校や厩舎(きゅうしゃ)があったことに由来する。
   メインの大ホールは、1960年にザルツブルク出身のカラヤンが指揮するリヒャルト・シュトラウス作曲「薔薇の騎士」の演奏で開場した。  

ザルツブルク音楽祭の中心会場・祝祭劇場

ザルツブルク音楽祭の中心会場・祝祭劇場

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  メンヒスベルクの岩壁を削って造られたフェルゼンライトシューレには舞台の背後に岩肌を残した独特のホールがある。映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、トラップ一家が感動的な「ドレミの歌」や「エーデルワイス」などを熱唱した場所である。このあと、ナチスの追求を逃れて修道院の墓地からアルプス山中にたどり着き、スイスへの脱出に成功する劇的なエンディングを迎える。  

トラップ・ファミリーが「エーデルワイス」を熱唱したフェルゼンライトシューレ

トラップ・ファミリーが「エーデルワイス」を熱唱したフェルゼンライトシューレ

資料
   しかし、史実と映画とでは、かなりの乖離(かいり)がある。映画ではコンクールの最中に徒歩で逃げ出してナチス突撃隊の追跡を振り切るが、史実では列車と車を乗り継いでチロル州の山奥に逃げ、警備が比較的甘かったイタリアとの国境をアルプス越えしてスイスに入っている。  
   映画のフィナーレを飾る山越えのシーンは、ザルツブルク〜スイス越えルートとは全くかけ離れた場所で撮影された。このため地元民から見ると、唖然とするような、地理的にありえないラストシーンとなっている。ザルツブルクから山越えすれば、ドイツ領に入る。その近くにはアドルフ・ヒトラーの別荘があったという。このようなことから、この映画は、オーストリアでは評判が良くない。  

トラップ・ファミリー

マリア フェルゼンライトシューレで熱唱するトラップ・ファミリー トラップ大佐  

トラップ・ファミリー

資料

旧市街のメイン通り「ゲトライデ通り」

モーツアルトの生家

旧市街のメイン通り「ゲトライデ通り」 モーツアルトの生家

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  ▲ 旧市街で最も賑わうゲトライデ通り(ゲトライデガッセ)は、狭い通りの両側に隙間無く商店が並んでいる。ゲトライデガッセ9番地に黄色く塗られたモーツァルトの生家 Mozarts Geburtshaus がある。4階中央の窓が彼の住んでいた部屋である。
   ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年1月27日の夜、4階の部屋で誕生した。ザルツブルク大司教の宮廷楽団のバイオリン奏者だったレオポルトの一家は、1773年にマカルト広場の家に引っ越すまで、約17年ほどこの家で暮らした。中は公開され、モーツァルトゆかりの品々が展示されており、当時を偲ぶことができる。  

字が読めない人にも分かる看板

靴屋の看板

字が読めない人にも分かる看板 靴屋の看板

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  ▲ ゲトライデガッセの店の軒先に掲示されている鉄細工の看板は字が読めない人にも分かるように考えられたもので、ひとつひとつ見て回るのも楽しい。

ザルツブルクの大聖堂

2,657枚の金箔を貼った銅版の屋根

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  ▲ Dom と呼ばれる大聖堂は、774年に創建されたもの。12世紀に後期ロマネスク様式に改築後、17世紀にバロック様式に建て直された。身廊(しんろう)は長さ101mもあり、荘厳な感じのする大きな建物である。
  ▼ 大聖堂の前に建つマリア像は、特定の場所から見ると、王冠をかぶっているように見えることで知られる。  

王冠をかぶったマリア像

王冠をかぶったマリア像

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  ▼ 主祭壇上の巨大な丸天井から降り注ぐ光がまばゆいほどで素晴らしい。ザルツブルクで生まれたモーツァルトはここで洗礼を受け、オルガン奏者も務めた。同じく、ヘルベルト・フォン・カラヤンの葬儀もここで行われた。

豪華な祭壇

天井の円蓋

豪華な祭壇 天井の円蓋

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  ▼ ホーエン・ザルツブルク城塞 Festung Hohensalzburg は、神聖ローマ帝国皇帝とローマ教皇の叙任権闘争のさなか、教皇側についていたザルツブルク大司教ゲープハルトが1077年に築き始めた城塞で、その後、絶えず増改築が続けられ、大砲や武器庫などが補強され、現在の姿になったのは17世紀半ばだという。

ザルツブルク最高の眺望/ヘンヒスベルク

 

ホーエンザルツブルク城塞

ザルツブルク最高の眺望/ヘンヒスベルク

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  新緑や山に聳ゆる塩の城  北舟 

しんりょくや やまにそびゆる しおのしろ

New green leaves, Salzburg the salt castle rising on the hill

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ホーエンザルツブルク城塞からの眺め

ホーエンザルツブルク城塞からの眺め

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  ホーエンザルツブルク城塞は、街を見下ろすメンヒスベルクの丘に建っているので、ザルツブルグの街を一望することが出来る。城塞の内部は、一般公開されており、日本語のオーディオガイドも用意されている。

民族衣装の女性たち

民族衣装の女性たち

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  ▼ 山の上にそびえるホーエンザルツブルク城塞は、戦争や動乱に備えた城であり、平時に大司教が居住し、執務していたのは、レジデンツ Residenz と呼ばれる宮殿である。16世紀、大司教ヴォルフ・ディートリヒの時代に現在のような宮殿の建設が始まったという。
   大司教の権力を誇示したレジデンツは、一般公開されており、レジデンツ広場の東側に拡張された新レジデンツの内部は、ザルツブルク博物館となっており、ザルツブルクの歴史・文化に関する展示がある。  
↓モーツアルト像  

レジデンツとレジデンツ広場

レジデンツとレジデンツ広場

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  ▼ レジデンツ広場の一角には、ザルツブルク市民の永遠の誇りであるモーツァルトがペンを持ち、遠くを見ながら曲想にふけっている銅像が建っている。台座には、MOZART とのみ表示されている。

モーツァルト像

モーツァルト像

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  ▼ ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart (洗礼名ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト  1756年1月27日 - 1791年12月5日)は、オーストリアの作曲家、演奏家。ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人である。
   神聖ローマ帝国皇室宮廷室内作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長などを勤めたが、35歳の若さでウィーンにて永眠。死因は「リューマチ熱」であったと考えられているが、余りにも短い一生だった。  
   作品総数は断片も含め700曲以上に及ぶ。作品はあらゆるジャンルにわたり、声楽曲(オペラ、教会用の宗教音楽、歌曲など)と器楽曲(交響曲、協奏曲、室内楽曲、ピアノソナタなど)のどちらにも多数の作品が残されている。作品を識別するには、音楽家のルートヴィヒ・フォン・ケッヘルが分類した作曲順の目録であるケッヘル番号(K.+数字)が使われる。  

少年時代のモーツァルト

バーバラ・クラフトによるモーツァルトの肖像画(1819)

少年時代のモーツァルト バーバラ・クラフトによるモーツァルトの肖像画(1819)

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