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 感動写真集

2008年6月3日改訂

今 日

昨 日

♪ob-la-di, ob-la-da /youssou n'dour

薫風やブルトレ運ぶ夢ロマン  北舟

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Fresh breezes,
The Blue Train carries dreams and romantic adventures.

2008年5月28日制作

キャビン・アテンダントと共に

キャビン・アテンダントと共に/ブルートレイン(プレトリア/南アフリカ)

南アフリカ

南アメリカ国旗

南アフリカ春の旅

ブルートレイン

ツアーコース

ツアーコース

資料

ヨハネスブルグへ

 10月25日(土)、ボツワナからバスでジンバブエのビクトリア・フォールズ空港に戻り午後3時半頃離陸し、南アフリカのヨハネスブルグにUターンした。

珍しいシンバブエの旅客機

珍しいシンバブエの旅客機

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歓迎の踊り/ヨハネスブルグ空港

歓迎の踊り/ヨハネスブルグ空港

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 この日は移動日で、広大な敷地にコテージ・タイプの部屋が並ぶ キエヴィッツクルーン・ホテル Kievitskroon Hotel に宿泊した。「もう一泊したい!」という声多数。  

プレトリアのホテル「キエヴィッツクルーン」/7日目出発の朝

プレトリアのホテル「キエヴィッツクルーン」/7日目出発の朝

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10月26日(日)豪華列車ブルートレインの旅に出かけるため、朝6時45分ホテルを出発し、プレトリア駅に行った。

ブルートレイン出発駅のロビー

ブルートレイン出発駅のロビー

ブルートレイン Blue Train

 南アフリカのブルートレイン(ブルトレ)は、行政首都プレトリアから南ア第2の都市ケープタウンまでの1,600kmを、26〜27時間・1泊2日で結ぶ豪華寝台列車である。ギネスブックにも、「世界一の豪華列車」と記載されている。

キャビン・アテンダントと共に

キャビン・アテンダントと共に

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  薫風やブルトレ運ぶ夢ロマン  北舟 

くんぷうや ぶるとれはこぶ ゆめろまん

Fresh breezes,
The Blue Train carries dreams and romantic adventures.

豪華なブルートレインの車内

豪華なブルートレインの車内

 ブルートレインは、午前8時50分、プレトリア駅を出発、ケープタウンに向かった。正午からダイニング・カーでランチ。午後3時からラウンジでティータイム。ゆったりとした時が流れてゆく。  

紅茶とケーキでくつろぐラウンジ

紅茶とケーキでくつろぐラウンジ

 南アフリカの金・ダイヤモンド鉱山を巡り、1880年〜1899年に起こった第1次・第2次ボーア戦争に勝利したイギリスは、1910年に「南アフリカ連邦」を樹立。その後、海外の富豪が多くのこの地を訪れるようになったため、1923年に「ブルートレイン」の原型となる「ユニオン・リミテッド」という豪華列車の運行が開始された。
 この列車は、当時としては珍しかった電気照明・温冷水供給設備を備えたほか、客車内装も高級感あふれるもので、乗務員のサービスもオリエント急行など欧州の豪華列車の水準に匹敵するものであったという。

荒野を走るブルートレイン

荒野を走るブルートレイン

キンバリー Kimberley

 午後5時から7時まで、キンバリーを見学した。キンバリーは、ノーザンケープ州の州都で、ダイヤモンドの町として世界中に知られる。
 南アフリカのダイヤモンドの歴史は1870年にさかのぼる。乾燥した大地が広がるキンバリー近辺に住んでいた農夫のエイドリアン・ヴァン・ウィックが、彼の農場で自分の子どもがダイヤモンドを手に遊んでいるのを発見したのがきっかけで、この地にダイヤモンドラッシュが起こった。

ダイヤモンド鉱で栄えたキンバリーの街

ダイヤモンド鉱で栄えたキンバリーの街

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ビッグ・ホール Big Hole

 1871年にはコレスベルグ・コピエという小さな丘にダイヤモンドを含むキンバーライト層が発見され、大規模な露天掘りが行われた。ここが現在のビッグ・ホールで、全盛期には1万人の鉱夫たちのテントが立ち並んだという。
 ビッグ・ホールは、深さ393m、周囲1.6kmの巨大な穴で、人力で掘られたものとしては世界最大だという。1914年の閉山まで2,250万トンの土が掘り出され、2,722kgのダイヤモンドが採掘された。有名なデ・ビアス社の本社はキンバリーにあり、その建物は、国の文化財に指定されているという。

露天掘りの後にできたビッグ・ホール

露天掘りの後にできたビッグ・ホール

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ブルートレインの誕生
 第二次世界大戦の勃発により「ユニオン・リミテッド」の運行は一時中断するが、1946年頃再開された。このとき運輸大臣を勤めていたF.C.スタロックにより、ヨーロッパの王室が好む色とされたロイヤルブルーにちなんで「ブルートレイン」の名がつけられたという。

ブルートレインのダイニングカー

ブルートレインのダイニングカー

 アパルトヘイト(人種隔離政策)が廃止される1991年までは、白人以外はブルートレインに乗車することができなかったが日本人は「名誉白人」とされていたため乗車が許された。またアパルトヘイト廃止後、4〜5あったブルートレインの等級数が減らされ、現在はラグジュアリーとデラックスの2等級編成となっている。

ドレスアップしてディナーへ

ドレスアップしてディナーへ

ディナー・タイム Dinner time
 午後7時半からダイニング・カーでディナー・タイム。男性はスーツ、女性はイブニング・ドレスに身を包んだ。埃だらけのサファリーを楽しんだあとは、優雅なスタイル。スーツケースが重量オーバーする筈である。

お洒落な旅友

お洒落な旅友

フルコースの食事を堪能

フルコースの食事を堪能

ブルートレインの機関車

ブルートレインの機関車

 南アフリカのワインは安くて美味しいと評判。フランスへの輸出量が年々増大していることからも、 その品質は折り紙つきといえる。去年、フランスのボルドーで過剰生産からワインを廃棄する騒ぎがあったが、チリやカリフォルニア、ニュージーランドなど、安くて美味いワインが生産されれば、高いワインは売れなくなるのは道理である。

延々と続くブドウ畑

延々と続くブドウ畑

 サービスの行き届いた豪華なブルトレの旅は快適で、大満足だった。翌日12時のケープタウン到着予定がトラブルの発生で7時間遅れとなったが、みんなラッキーと喜び、ブルトレの長旅を楽しんだ。

貧富の差が激しい南アフリカ

貧富の差が激しい南アフリカ

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